« 2009年10月 | トップページ | 2009年12月 »

2009年11月の記事

ラブレター

まだまだ、ふつつかなので

きっと、たくさん困らせるし

つらい思いをさせてしまったり

負担をかけてしまうこともあるだろうし

それがとても心苦しくはありますが

それでもやっぱり


わたしと、オットと、

一緒にこの世界を生きていく

アナタを、待っています。


アナタを通して

みえてくるだろう世界が

待ち遠しいのです。


アナタと共に

思い描く未来を

それを現実にしていくプロセスを

その悲喜こもごもを

一緒に過ごしたいのです。


アナタの力を、貸してほしい。

わたしたちの希望として

この地球の未来の一片として

やってきてはくれないでしょうか。


心からお待ちしています。


愛をこめて。

心の疲れを抜け出た経緯

今回の退廃気分から抜け出た経緯を
次回以降のために書いてみようと思う。

第1段階
・食事の支度など家事をしたくない
・がんがんお酒を飲みたい
・だらだら食べたい
・なんだかもやもやする
・出かけたくない
・ダダをこねたい

おーやっぱりそうなるか、と
うっすら思いながら
欲求のままに動いてみるものの、
思ったほど飲み食いできず
寝て起きてもすっきりしない。
背中がすごく凝っている。

身体を動かそう!発散しよう!と
思うのだけれど、出かける気力はないので
トランスを大音量でかけて
なるべく頭をカラにして踊ってみたら
背中のコリがすこしほぐれる。

ここでふと『こっこさんの台所』を読み返す。

アイルランドの食事情と日本を比較して
「なんて日本はうつくしいんだろう」と語り、
それを支える(自身を含めた)日本女性たちを
慈しんでいるエッセイがあり、号泣。
子供みたいに声をあげてわあわあ泣いた。

はじめて読んだ時にも、そんな風になり、
それはわたしにとっては珍しいことなので、
よほど、しゃっちょこばって生きているんだなあと自覚。

ブログやメールを書こうとしても
まったく筆が進まない。


第2段階
・リラックスしたい
・甘えたい
・出かけたくない

本を読んでひと泣きしてすこしほぐれたのを
加速させるかのように、お酒を飲み始める。
音楽はまだトランス。
テンションをあげようとしていたのかも?

すこし勢いがついたのと、
「世話モード」の余波で、
オットのおやつに白玉をつくる。

そうこうするうちに酔って眠くなり
リビングで寛ぐオットにくっついて沈没。
数時間で起きたあとは
しずかな気持ちになっていて
夜食を用意したり、事務処理をしたりする。
音楽はまったりめのCocco。

思考を書き出して整理したい気持ちはあっても
やはり筆は進まない。


第3段階
・出かけたくない
・献立が思いつかない
・集中力がない

日常モードに戻りきれていないかんじ。
いちおう家事はできるけれど
やりかけで他のことを始めたりする。
(いつにもまして、てんでばらばら)
音楽はあまり聴かないか、
クラシックやインストゥルメンタル。


ざっと、こんな感じで復活した。

酔っぱらったり、家事をサボったり、
オットに甘えたり、ひとしきりやると
気が済んで日常に戻れるので、
リラックスと自分優先(甘やかし)が
ポイントだろうか。

今回は、各段階がだいたい1日ずつ。
以前は2~3日ずつかかっていたので
ずいぶん早くなったと思う。

なんでも、回数をこなせば
早くできるようになるんだなあ。

コドモとオトナ

友人の息子(8歳)をたまに預かる。
一番初めは本気で一緒になってあそんだので
翌日は筋肉痛になり、精神的にもかなり揺れた。

遊び方は徐々に手抜きを覚えたので
身体は疲れなくなったものの、
気持ちの方が相変わらず揺さぶられる。

終わったあと、ものすごく退廃的になるのだ。
こちらもだんだん慣れてきて、
回復は早くなってはいるけれど
それにしたって、なぜそうなるのか?

たぶん、彼と過ごしているあいだ
わたしは「理想のオトナ」を演じてしまうのだ。
子供の頃に望んでいた
思い描いていた「オトナ」を。

そして、自分の中のコドモが
顔を出したくなる瞬間があっても
彼に遠慮してしまうのだと思う。

あとから退廃的になったり
ダダをこねたい気分になるのは
そのせいだろう。

いまのわたしは
オトナの中にもコドモがいることや、
ありのままで居ていいことを知っている。
完璧でなくていいと知っている。

子供と過ごす時間は
わたしの中のコドモとオトナが
共存する方法や
そのバランスのとり方を
身につけさせてくれるかもしれない。

捨てた「自分」を拾い集める

いままで「無駄」だとか
「合わない」と判断して
排除したり
後回しにしてきたことを
やってみたい。

目的のない旅行
スキューバダイビング
習い事…ゴスペル、陶芸、ダンス…
パン作り
あとなんだっけ?

子供に関わること
多文化共生
生き辛さを感じている誰かに寄り添うこと…

ひっかっかるものはたくさんあって
みんななんらかの理由をつけて
やらずにきていて
誰かの同意がないと出来ないものは別として
出来ることはやってみたらいいと思う。


わたしがいまどこへ向かいたいのか
どこへ向かおうとしているのか
そのヒントが
落としてきたものの中に
あるような気がして


てはじめに
パーマをかけた。
かなり久しぶり。

ことしは
1月に1000円カット
4月にカットモデル(無料)
あとは伸ばしっぱなしだったから
フンパツしてみた。

パーマなんてかけなくても
全然こまらないんだけれど
鏡に映る自分がいつもと違うと
ちょっとわくわくする。
それで十分なんじゃないかなあ?
対価は得られるんじゃないのかなあ?


あんまり難しいことは考えずに
こころ踊ることだけをやってみたい。
そよ風にひらひらするように
この流れをたのしみたい。

その先に
ひとりでも満ち足りた自分が
居るかもしれない?

なんのための自分?

なんとなく退屈で、悪癖復活。
だらだら食べたり
だらだら飲んだり
おなかはちっともすいていないし
お酒を飲みたいわけでもないのに
なにかを埋めるために。誤魔化すために。

なにかがしたいけれど
できないから、退屈。
なにがしたいんだろう?
なにかたのしいこと・・・

また歌いに行こうかなあ
でも昨日ほどたのしくないかも
そしたらショックだ

うしなうことを恐れると
なにもできなくなるなあ

ここで踊ってみようか
でも夜中だし近所迷惑だし
そのときは良くても
すぐまた退屈するだろうなあ


・・・退屈というより
さみしいような気がする。

「自分がなにかの役に立っている感」
「意義のあることをやっている感」
そういうのが、欲しい気がする。

わたしは意味ある存在だ!
それを実感するという、たのしみ。

なぜそれがたのしみなのか?

『わたしはいつでもわたしのままで
 意味や意義などわからなくても
 ただ存在するだけで、十分なのだ。』

そう思えていないから。

直接的にはなんの役にも立たないようなことも
ただ苦しくて悲惨で救いようのない出来事も
すべてが、いろいろな影響を与えあって
この世界はまわっている。

だから、自分が愉しいと感じること、
心地よいことだけを選択していけばいいって

アタマでは分かっているし
ときどきはココロでも感じるけれど
まだ腑に落ちていない。
信頼できていない。

分かりやすい手ごたえがないと
不安になるんだ。

手ごたえを得るには
「誰か」や「なにか」が必要。

つまり、自分ひとりで満ち足りていない。
自立できていないということだ。


「無用の長物」に書いたような
疲れは、だいぶ癒えたと思うけれど

しっかり自立できるまで
退屈や不安に克てるまで
定期的な勤め仕事は就きたくない。
きっとまた、同じように疲れてしまう。
お休み中のFXもそのままにしておく。

なににたよらずとも
しあわせを感じられるまで。

---------

この記事を書いている間
なにか食べたり、飲んだり、
ウェブサーフィンしたり、雑誌読んだり、
すぐに他の事をやってしまって
ものすっごく時間がかかった。

なにか触れたくないこと
触れる準備が出来ていないことに
近づいているんだろうな。

反面、書くのをやめようともしなかったから
向き合ってみたい気持ちも
だいぶ大きいみたいだ。

有名人や友人知人の
懐妊・出産のお知らせに泣きたくなるのは、
それに関係しているのかもしれない。

あせらずに
行きつ戻りつしながら
愉しさを感じながら
取り組もう。

カラオケ瞑想

ここ数年
なにか好きなこと愉しいことを
習慣的にやりたいなあと思って

音楽と身体を動かすことが好きだから
・サルサ
・ヨガ
・ボイストレーニング
・ゴスペル
・琉球太鼓
・スポーツクラブのスタジオレッスン
など試したものの、どれもいまいち。

サルサは数年前に数ヶ月やったけれど
どうにも照れくさいし
背が高いから、ペアの相手に
申し訳なく感じたりするので
やめてしまった。
あのリズムは心地よいんだけど。

海から上がれなくなるくらい
シュノーケリングが好きなのに、
季節関係なくあそべるスキューバダイビングには
なぜか惹かれない。
たぶん、機材をごてごてつけたりして
セルフコントロールの範囲を
出てしまうのが嫌なんだと思う。
プールもあの雰囲気が落ち着かないからパス。


そもそも遅刻魔だし
気分が落ちると行けなくなるし
腹の足しにならないことに
お金をかけるのは、なんだか後ろめたい。
定期券がなければ交通費もかかる。

そんなこともあって
夏前に試してみたジョギングは
1ヶ月も続かなかった。
気分は良いけれど
習慣にするほど愉しくないみたい。

カラオケは近所にあるし手軽なので
ちょくちょく利用するものの
夜間や週末は料金が高くなるのが
なんとなく悔しくて
行きたいときに行かなかったり…


だったのだけれど。
昨晩おもいきって
週末深夜のカラオケに行ってみたら
案外やすくてびっくり。
半額クーポンのおかげでもあって
1.5時間、1000円ちょっとで済んでしまった。
これなら週1で通っても
「お稽古事」より安あがりだ。

そして、あらたな遊び方も発見。

【カラオケ瞑想】
♪~♪~やりかた~♪~♪

続きを読む "カラオケ瞑想" »

無期限猶予

周期32日目、リセット。

おとといあたりから
体温が下がっているのを感じていたのに
なかなかリセットしないので
いったいなんでしょう。
とモヤモヤしていましたが

すっきりして
元気になって
空ぶかしして
すとんと地に足をつけたのが
今日の早朝のこと。

なるほどね。な、タイミング。

タイミングといえば
今周期は避妊もせず
かといって計画もせず
そのわりにばっちりだった(と思われる)んですが
素通りされちゃいましたねえ。

さみしいような
ほっとするような

こども・・・ほしいのかなあ。
来てくれるなら、
精一杯、親をやるつもりはあるけど
来て欲しいか?と言われたら
どうだろう。

自分中心に過ごせる
猶予をもらっている気分

めいっぱいたのしむよー。

意図的ひきこもりのススメ

30数年かけて
ゆるやかに下り続けた坂道から
ようやく他の道へ入れた感触

とてつもない疲労感と
風が抜けるような爽快感

ひさしぶりに、なにかヒーリングを
お願いしようかと思ったけれど
いまは自力でなんとかすることを、
まず考えた方がいいはず。

ひたすら寝るばかりではなんなので
瞑想は苦手だから…
活元運動がいいかもしれない。

cute

それにしても、われながら
よくぞここまで耐えてきたなあ。

先日読んだ
河合隼雄さんと村上春樹さんの対談本の中で
『痛みを受け止める力、症状を形成する力』
ということを河合さんが話しているのだけれど
わたしには、その力がなかったんだと思う。

浮き沈みを繰り返しながら
のらりくらりと来てしまった。

わたしの症状は
・遅刻癖
・暴飲暴食
・不妊
・仕事に行けなくなる
・健気な子供を見るとなんだか泣けてくる
などという
生き難くはあるけれど
さりとて治療を必要としないものだったり
環境に許されてしまうものだったりしたので
なかなか煮詰まらなかったのだろう。

『日本人は個人ではなく、場で痛みを受けるので、
問題の押し付け合いで済んでしまう』ともあって

自分の痛みを、自分のものとして、
自分がなんとかするしかないものとして、
自覚することの出来なかった
わたしにも当てはまることだ。


しかし何度も繰り返すうちに
だんだんとコツが飲み込めてきて

先月末に遅刻癖がひどくなったあたりで
今回はみずから引きこもりを決め込んだ。

そのようなタイミングで
コミュニティ・ファシリテーション研究所のノリさんが
再び、欝についてコラムを書いていて
やさしい追い風になってくれた。

以下、廣水乃生さんの『うつ』の活用法より抜粋。
http://comfaci.com/09/091107/

『うつ』を、まだ生きていない新しい自分との
出会いのサインとして活用して、
じっくり味わいながらサナギが脱皮するのを
静かに待つのをオススメします。

『うつ』であるこの静かな時間につかりながら、
自分にとって本当に大切なことが浮かび上がってくるまで、
やるべきことをできる限り最小にして、ゆっくり過ごしましょう。

cute

ダメな自分に出会ってしまったら

じたばたしないで

…たとえば、気分が明るくなるようなことを
無理矢理やったりしないで

家族や世間、それから自分の内にある
批判の声など気にせずに

心ゆくまで引きこもる。

遠回りなようですが
これが一番の近道のようです。


諸々の事情がゆるさないときや
沈み込む気力がないときのために

浮上する術を見つけておくのも大事。

わたしの場合は
カラオケ、友人とおしゃべり、とか?

cute

きっとこれから先も
アップダウンの繰り返しだろうけれど

どんなに苦しいときも
人生という波乗りのたのしさを
どこかで感じていられたらいいなあ。

涙雨

なみだあめ【涙雨】
 (1)悲しみの涙が化して降るという雨。
  (2)ほんの少し降る雨。
 [大辞林 第二版]


関東地方は雨雨雨。
今日からしばらく降るようです。

DAYAさんのところで
『不思議なタッチ』 をやってもらったときも
そういえば雨でした。

そのとき出てきたイメージについては
walking in the rain のエントリにあります。

かんたんに言うと
雨降りでもいいもん。と
つよがっている感じでしたが

もう、やめようと思います。

たしかに雨は誰のせいでもないけれど
冷たいとか、寒いとか、
雨やどりしてほっとしたいとか、
そう思うことにも罪はなくて

わたしが至らないのでも
心が弱いわけでもなく
そこにエネルギーがあるというだけ。


おもいきって顔をあげてみれば
ドアを開けて待ってくれている人もいて
雨宿りするのに資格などいらなくて

こどもだった頃ならいざ知らず
今わたしは、自分の居場所を自分で選べるのだ。


雨を避けることは
裏切りだと思っていたところも
あるかもしれない。
雨を見捨てるような気持ち。

わたしが雨の中に居続けたからといって
雨がやむわけではないのにね。


ひたすら雨にうたれているのは
つらかった。さみしかった。
雨にうたれようとしない人を
自分を助け出してくれない人を恨んでいた。

ほかの誰かではなく
その人に助けてほしいと思っていて
それまでは動かないと決めていた気がする。
悲劇のヒロインごっこ。
自分で動くしかないって、わかったから
もうおしまい。


わたしの舌は
歯型がついてふちがぎざぎざしている。
これは体の水分が余って
舌がむくんでいる状態。
(東洋医学の舌診についてはこちら

自分の中にたまった雨水みたいな感情も
きっと関係あるのだろう。

いまは、どんどん涙にして流す日々
秋の長雨があがる頃
すこしはカラっとしているといいな。

「子」役からの脱却

いつからか分からないけれど
不在がちな父に代わって
甘え下手で他力本願な母をケアするのが
わたしの役割だった。
わたしが、そうしていた。

たのしかったわけではない。
でもそれが居場所、
わたしのポジションだと思っていた。
勝手に、そう決めていた。

いまや父は現役引退し
マイペースに仕事をしている。
毎週のようにゴルフに出かけ
毎日のように飲み歩き
なにもなければ家にいる。

子供はとっくに巣立っている。
2人で話をしようとすれば
いくらでも時間がとれる状態だ。


父母との旅行を企画していたら
いつのまにかわたしは
「おなじみのポジション」に立っていた。
そして、疲れていた。

母の愚痴をきく役も
父の意図を解説する役も
そろそろ御免こうむりたい。

もちろん頼まれたわけではないし
望まれているわけでもないかもしれないが
近所に住んでいることもあり
つい、慣れ親しんだバランスをとってしまう。
そして、理想を押し付けたくなっている。

「きちんと理解しあえる夫婦でいてほしい」
そう願うのは、わたしの勝手だ。
あくまでも、わたしにとっての「良き夫婦像」だ。
そぐわないからといって、責める理由はない。
見ていられないなら、離れればいい。

なんだかんだ言いながらわたしは
両親から一目おかれる感じを
味わい続けたかったのだろう。


そして両親の間にある葛藤は
わたしの中にある葛藤だ。

ああだこうだと理由を見つけては
行かない方向へ話をもっていく人と
それらをすべて無視して本意だけ汲んで
行くことの合意が得られていると思っている人

なんでもいいよと放任・放棄したい自分
よりよいものを選びたい自分
一緒にいけるならそれで満足な自分
コミットメントを求める自分


父が母と仲良く旅したいならば
わたしがおなじみのポジションに居座るなど
お節介も甚だしい。

父は父のやり方で、
母は母のやり方で、
これまでの延長線上で、
うまい方法を見つけるかもしれない。


わたしが言うべきは
「疲れたので降ります」
それだけなんだろう。

他力本願

 こんなに気を遣っているのだから
 相手も気を遣ってくれて当然だ。
 周りから大事にされて当然だ。
 なんでやってくれないんだろう?

わたしの中にある期待。
いつもいつも
わたしは期待してきた。

わたしは大事にされたいがために
誰もを大事にしようとしている…

いつも見返りを期待している…

あああああ自己嫌悪!


 自分は精一杯やっているのだから
 うまくいかないことは
 全部、他人の努力が足りないせい。
 わたしへの気遣いが足りないせい。

頑張っても頑張っても報われない。
そう感じている。
だからわたしは疲れ果てる。

そういうカラクリだったんだ。


以前うけたチャネリングに拠ると
この他力本願志向は
わたしの魂が
何代にもわたって続けていることらしい。

今世で、手放せるのだろうか。

時空を超えて繰り返されるしんどさ。
しかし、自殺したことはないらしい。

いまを生きるわたしは、戦えるんだろうか。

それとも、逃げ続けるんだろうか。

飽きることなく繰り返すプロセス。

陰極まって陽と転ず。

もう極まっただろうか?
まだまだ甘いだろうか?

…ほら、他力本願だ。

誰かが、何かが、転じてくれると思っている。
苦しみに耐えることだけが自分の仕事だと。


対戦相手を抱きしめるには
ロープにもたれるのをやめて
独り、リング中央へ進まなくちゃ

でも歩き方がわからない。
足もなんだか頼りない。

ああ、先が思いやられる…

続きを読む "他力本願" »

自分vs.思考の癖

とにもかくにも
今までと同じように処していくのは限界だ。
しかし自分本位に変えるのは恐ろしい。
みんな離れていくかもしれない。
第一どうやって変えたらいいのかわからない。

これまで通りにはできず
変えることもできない
いっそ死んでしまえばラクなのに…!


ことし何度目になるのか
そう泣き喚いている最中
はたと気づいた。

この苦しみは、誰にもわからない。

だれか他人が、そのままの質と量で、
リアルに感じることなど決してない。

ひとりなんだ。

33歳にしてはじめて実感した気がする。
わたしの人生は、わたしにしかわからない。
変えることができるのは、
戦うことができるのは、自分ひとりだ。


けれど
さいわいなことに
オットは傍に居てくれる。
こんなめんどくさい人間を
見捨てるどころか
これ以上ないほど、心を痛めてくれている。
なんとありがたいことか。

死にたいほど自分が嫌になったら
いつでもおいでと言ってくれる友人もいる。

リングに立つのはひとりだけれど
セコンドや応援席には、誰かが居てくれる。
逃げ帰る場所がある。こころ強いことだ。


そもそも
こんなことで七転八倒しているわたしは
よほどヒマで、余裕があって、
クソ真面目で、不器用なんだろう。

今日1日を生きるのに
文字通り必死であれば
死にたいなどとは言いようがない。

時間があって、食べるものがあって、
すべてそろった状況だからこそ
ウジウジ悩んだりできるのだ。

そして、いまの日本の社会で
自分をまったく押し殺さずに
生きている人などいるはずもない。
しんどくない人などいない。

それでも、それを殊更に
あたかも「生死に関わる大問題」のように
扱っている人は、さほど多くない。
みんな上手にやりすごしているのだろう。

誰かと比較しても意味はないけれど
まったく、我がことながら厄介だ…

続きを読む "自分vs.思考の癖" »

無用の長物

この数日、やけに気分が落ちている。
飲酒時間が増え
量もそれなりに増えるので
身体も疲れてくるから
さらにダルい感じになる。悪循環。

親の前で酔いやすいのは
親の前で泣けないのと
関係があるかもしれない。

30も半ば近く
嫁いで9年も経つのに
いまだに親の影響下にいるとは
なんとも情けない。
しかし、いかんともしがたい。


毎日、やることがない。
正しくは、やりたいことがない。

やるべきことはいくらでもある。
片付けや不用品の処分、
手の込んだ料理を作ってもいいし、
網戸や窓を拭いたっていい。

でもそれらは別にやりたいことではない。
やった方がいいだろうと思っているだけ。


起きていれば
なんとなく何か食べたりするし
お酒を飲みたくなったりするし
パソコンをつけたりして電気なんかも使うから
寝られるだけ寝る。
省エネ。エコ。

人生を無駄にしているような気がする。
地球資源も無駄にしていると思う。
わたしは、無用の長物だ。

続きを読む "無用の長物" »

自分パズル

大事なピースが
あちこちから
集まってきている感じがする。

どういう風に大事かというと
自分が生きやすくなるために。
・・・なのかな?

ピースの一部;
・自分はやさしい、とは口が裂けても言えない。
・相手に合わせるのがうまい(らしい)、でも無意識。
・他人が素敵ということは、自分も素敵なのかもしれない。
・親の前では酔いやすい。
・無視されても仕方ないと思っている。
・状況コントロールを放棄しがち
(自分にとって宜しくない状況に対して無関心)
・物語の主人公に同調してしまう自分は、
 低レベルだと思っていた。


つまり
自尊心や、自己価値が低い。
もっと簡単に言えば、自信がない。
ということかもしれない。

そして
このままで生きていきたいわけではない。
もうちょっと自分にやさしくてもいいのでは?
と思い始めている。

これまでの「自分を無視する」生き方にも、
なにかしらのメリットはあったのだろうし、
それを身につけるに至った経緯もあったはず。
きっとたくさんの痛みがあったはず。
纏足のイメージ。

その痛みを置き去りにしたままでは
たぶん、先に進めない。
というより、進みたくない自分がいる。

痛みをこらえてきた自分に向き合って
殺してきた声を拾い上げて
よくがんばったねと、褒める。
その価値を認めてあげる。

それが、自己評価の再定義なんだろう。

痛みを伴うので、なかなか気は進まないけれど
できるときに、できるところから、できるといいな。

甘えたい?

実家でお酒を飲んでいると
ペースが早い
酔いも早い
記憶がとぶ率がめちゃくちゃ高い

帰りにコンビニに寄ったこととか
帰宅後にオットに話したこととか
きれーにわすれてしまうので
けっこう怖い。

理由を考えてみる。

1.
実家ならお金の心配をせずに
あるものを好きなだけ
飲んでいいと思っている

2.
理性を失いたい。
つまり、甘えたい?

3.
自分をさらけだして
親を失望させたい…??


2と3は、同じかなあ。

飲みすぎている、という意識や
これ以上は要らない、という体感覚を
あえて見ないようにしているかんじ。

なにも考えたくない。
快楽だけ求めたい。

そういうスイッチが入るのかなあ。

ふだん自分を抑制していて
大変なのは、親のせいだ。
だから親には迷惑かけていいんだ。

そんなかんじも、する。

このエネルギーを
解放できるといいなあ。

希死念慮の正体

「死にたい」 

そのココロは…

「生きたい」

だと、最近、わかってきた。

ああもう死んでしまいたい!
人生終わればいいのに!!
と思ったときは
自分で自分のなにかを制限しているとき。
無視したり、我慢したり、しているとき。なのだ。

そんな折に
心理療法家の河合隼男さんと
よしもとばななさんの対談本を読んだら、
河合さんのクライアントさんの言葉で
「死にたいという言葉でしか、生きたいと言えなかった」
というような文があり、ものすごく、納得。

わたしは、生きたいんです。
わたしのままで、生きたいんです。
それがゆるされないなら、死んでしまいたいほどに
つよくつよく、そう願っているんです。

だから、ゆるそうと思います。
自分をしばっている自分に気付いたら
ひとつひとつ、ほどいていこうと思います。

そうやってしばることでしか
うまく生きてこられなかった自分を、
そうやってしばりながらも
なんとか生きてきた自分を、
褒めてやろうと思います。

すごく辛かったけれど
得たものもたくさんあったから
いまにつながっているから

Life goes on.

「これで良かったんだ」
きっと、そう思うために。

Believe in myself

and

Honesty

この両軸を見失わずに、いこう。

認めざるをえない。

先日、プロセスワークの
グループワークに参加していて

いろんな立場の
いろんな意見や感情を
たくさんたくさん聴いて
その全部を認めたくて
胸が痛くなった。

なかには、ぶつかる意見もあるし
どうやっても同時に成立しない願いとか
矛盾もあったりするのだけれど

どれもこれも
まっすぐで

分かって欲しい。

自分を100%認めて欲しい。

ただ、それだけ。

そのことが、すごく、響いてきて
それを主張できる場に居るよろこびや
完全な相互理解は難しいという現実や
いろいろな感情が渦巻いて
せつなかった。

あれはいったいなんだったんだろうと
そのあと、他の参加者さんと話をしていたら、
目からウロコな見解を言ってくれて

いろいろ考えていったら

『わたしって、けっこうイイヤツなんだ。』

そう認めざるをえなくなった。


こうやって書いてみるとやっぱり抵抗はあって
なに驕ってるんだよとか
自分を責める声も聴こえてくるんだけれど

わたしが、あらゆる人の、あらゆる側面を
肯定したいと思っていて
肯定できてしまうのならば
自分を肯定しないわけにはいかないのだ。


『自分を愛さないと、他人を愛すことなどできない。』
よく見かける言葉だけれど
わたしは、
他人を愛したくて、実際に愛している瞬間があって
だとすれば、自分を愛していないなどとは言えない。

だって、いろんな人のいろんな声は
全部わたしの中にもある。
その声をすべて、良しとしたい自分がいる。

みんないい人だなあと思う以上は
わたしもたぶん、それなりにいい人なのだ。


100人いたら、100人が
「おまえはいいやつだ」と言ってくれなければ
「わたしはいいやつ」だなんて
口が裂けても言えないと思っていた。
言ってはいけないと思っていた。

だけど
100人が同じ意見でないから世の中は豊かなんだし
それぞれの理由があり、思いがあり、
それぞれみんな素敵で、否定などできなくて、
それはそのまま、違うままで良いのだ。

だからわたしも、このままで良いのだ。

怒っても、
妬んでも、
かなしくても、
傷ついても、
見当違いでも、

誰かがさらっと出来る事を
わたしは出来ない!と思っても、

それでいいのだ。

そういった感情を
無いことにしなくていいんだ。

わたしが感じる「わたし」を
尊重していいんだ。


誰かに「なんでそうなの?」
「だっせー」「かっこわる!」などと
言われることを恐れて
自分の理想形を描いて
それにそぐわないものは
すべて切り捨てるか、無視するか

そんな風に過ごしてきたけど

・・・つらかったなあ。

しみじみ、そう思います。

« 2009年10月 | トップページ | 2009年12月 »

カテゴリー

無料ブログはココログ

占い by いとうより