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安心を感じるための不安

遅刻して、相手がゆるしてくれると
「ああよかった」と安心する。

遅刻して、相手が不機嫌だと
「やっぱり自分はダメ人間だ」と落ち着く。

心配していたことが起こらなければ
「ああだいじょうぶだった」とほっとする。

心配していることが現実になると
「やっぱりダメだった」と納得する。

結局、
「ああ、やっぱり、~~~だった。」 という感じを
味わいたいだけなのかもしれない。

それは、安心感に似ている。
または、安定感。

他人や出来事、世界の反応をみて
自分という存在の輪郭を確かめている。

自分がどういう存在としてこの世界に
ゆるされているのか、知ろうとしている。

他の方法で知ることができれば
もしくは、そもそも、知ろうとしていなければ

なににもたよらずに自身を見ることができて、
その、在りのままを自分を、いつもゆるしていたら

世界はどんな風になるんだろう?

すくなくとも他人様に
迷惑かけることは減るだろうなあ。


自分が遅刻したとき、わたしは、
自分の方が弱い立場だと思っている。
ジャッジされると思って、不安になる。

しかし、相手を待たせている時点では
相手の時間を浪費し、行動を制限している。
つまり、自分の方が強い立場にいるのだけれど、
それを意識していないし、なかなかできない。

物事にはいろいろな側面があって
見方によって勢力図も変わってくる。

どうやら、わたしは、自分が弱いような、
犠牲者であるかのような見方を選びがち。
自分の今後の状況が、他のなにかによって
コントロールされると思ってしまう。
自分に選択権がないと思うから、不安になる。

けれど、もしかしたら、どんなときでも、
「自分に選択権がある」という見方が
できるのかもしれない。

未確定の未来におどおどするのではなく、
いまの自分の選択権を、きちんと使って、
未来につなげることができるのかもしれない。

意識的に生きる。
自覚的に生きる。
そのためには、まず、自分がいつだって
選択権をもっていることを覚えていたい。

不安な状況から解放されたときに
安心を感じるのではなく
常に自分に選択権があるという安心を
いつでも感じていられたらいい。

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