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自立して生きる意義

「自立」 の本当の意味が
ようやく分かってきた気がしている。

物事の意味を決めているのは
いついかなるときも、自分でしかない。

おおいなるなにかのメッセージだとか
親の影響だとか、トラウマだとか
自分は「なにか」の影響を受けている、
避けようのない流れの中にいる、
と考えるのは、とてもラクだけれど

「なにかの支配下にいる被害者」という
アイデンティティをもっている限り
永遠に、人生という舞台で
自由に踊ることはできない。

なにかに寄りかかっていれば
自分の足で歩けないのは当然だ。

なにかに押し付けているエネルギーを
自分の足や腰や背骨に向けて
しっかり地面を踏みしめて
360度ぐるりと自分ひとりで感じて
そこからが、スタート。

ずっと寄りかかってきたのだから
すぐに立てないのも、当然だ。

つかまり立ちをして
つたい歩きをして
すこしずつ、筋力をつけて
すこしずつ、自信をつけて
そうやっていくしかないのだ。

この世に生まれ出たときの
自由に動ける!という歓びのままに
いきいきと生きるために。


とはいえ、自分の足で動くというのは
たいへん億劫だし、疲れることだ。
どんな出来事も、
自分の選択に拠っていると
認めざるを得ない。
重たいし、リスクもあるし、逃げられない。
そして、孤独だ。

ひとり舞台。
舞台袖に仲間はいても、
物語を紡ぐことができるのは自分独り。

この、果てしない静かな寂しさに耐えて
舞台に立ち続ける理由はなんだろう。

仲間たちもそれぞれ
ひとり舞台に立っているのだから、とか
舞台で踊ったらさぞ気持ちいいだろう、とか
生まれてきた以上は立たなければ、では
わたしにとって、立つ理由にならない。

これだから立つのはやめられない!
そんな風に感じられる成功体験が必要?
それとも、理由なんてなくても
立っているだけでうれしい、すばらしい!
そんな風に感じられる感受性が必要?
分からない。


いまハッキリしているのは、
なにかに寄りかかりたくないということ。
振り回されるのは、もう、ごめんだ。
どんなちいさなことも
すべて自分で選択してきたし
いつも自分で選択できる
過去もいまも未来も
その連続でしかないんだって
シンプルに生きていたい。

それはつまり、
ひとり舞台に立つことを
選びたいということになるけれど、
あの、しんどさや、さみしさに、
耐えうるだけのモチベーションがない。

「依存は嫌だ!」と思うまで追い詰められたから
自立を選ばざるをえなくなっただけで
ちっとも、意欲的ではない。


自分の人生に対する、情熱のなさ。
これは、前々から気になっていたこと。

おそらくわたしは
人生のほんとうの愉しみに
フタをしているのだと思う。
真の愉しみを味わうことを
許可していないのだと思う。

フタの在り処は、予想がついている。
あとは、いつ、どうやって、
アクセスするかという段階。

パンドラのはこを開けたとき
わたしはいったい、どうなるんだろう?
絶望を越えて、希望を見出せるだろうか?

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コメント

>フタの在り処は、予想がついている。
いいですね。原因がわかっている時点で8割は解決しているともいいますから。
自分自身の思うタイミングで、対峙してください。

>通りすがりさん
コメントありがとうございます。
フタの在り処、また、分からなくなっています…sweat01
でも、もしかしたら、その分近づいているのかもしれません。

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