« 達成感ジャンキー、卒業 | トップページ | バースコントロール »

「生きててごめんなさい。」

いちばんはじめに
そう思ったのは、
10歳くらいのときだろうか。

人間の身勝手さによって
地球が破壊されつつあると知ってから。

大気は汚され
森林は減り
氷河は溶け
珊瑚は死に
砂漠は広がっていく。

「人類さえ滅びれば・・・!」
なんどそう思っただろう。
そして、実現可能な手段を探していくと、
「わたしひとりでも減ればいい」
必ずそこに行き着く。

わたしがいなければ
地球資源が1人分浮くし
塾や習い事の費用も浮くし
手間が減って親もラクになる。
いいこと尽くめのように思えた。

いや、いまも思っている。
忘れたふりをしているけれど
いつも、思っている。

地球上の命あるもの、ないもの、
そのすべてを貪って生きていくもの。
それが、わたしの“人類の定義”

わたしひとりが胸を痛めたところで
この流れを変えることは出来ないと
ハナからあきらめて、絶望して、
生きていく理由なんて見当たらなくて

それなのに
この身体は生き続ける。
心臓は休まずに動くし
おなかはすくし、眠くもなるし
たのしいこと、心地よいことが好きだし
ごはんを食べればしあわせになる。

アタマで考えたら
どうひっくり返したって
生きている必要なんてないのに
身体はどこまでも生を謳歌しようとする。

なんたる矛盾。

この矛盾を抱えたまま生きるために
わたしはたくさんのパターンを作ってきたのだ。

まず、自分の感情をないがしろにする。
感情を見てしまうと、芋づる式に、
「生きていたい自分」に辿り着いてしまい、
それを激しく否定したくなるから。

感情が乱されたときには
その理由を排除する方策を
すばやく見つけ出すようにしている。
この先、どうしたら平和でいられるか、
その改善策を探して、提案して、治めようとする。
自分や誰かの、心の波紋は、見過ごされる。

身体のわりに書く文字がちまちまと小さかったり、
聞き役に徹しようとするクセがあるのは、
生きていてごめんなさい。
なるべく邪魔にならないようにしますから。
という思いの表れかもしれない。

周りの人をいつも気にかけて
なんとか“役立つ人”でいようとする。
生きていてもいいのだと、感じられるように。

母いわく、“お節介”は
ほんの小さな頃かららしいけれど、
同級生たちに疎まれるほどになったのは、
おそらく、この考えに至ってからだ。

たのしいことを始めようとして
ワクワクしているのに、
なぜか時間通りに動けなかったり
先延ばしにしたりするのは、
「たのしんでいいはずがない」と
かたく信じているから。

掘り起こしていけば
ここへ行き着くであろうパターンが
まだまだ、たくさんありそうだ。

さて、これをどう片付けよう?

ここで方策を考えるのでは
いままでと同じだ。

とことん、人類を糾弾し、
嘆き悲しめばいいのだろうか?

そうして感情を舐め尽くしたあと、
わたしは希望を見つけ出せるのだろうか。
ずいぶんと年を重ねた今なら、
信じられるのだろうか。

« 達成感ジャンキー、卒業 | トップページ | バースコントロール »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

ここまで言えると何か解放感があるような気もします。

人類のいない地球をじっくり想像するとどんなイメージが出てくるんだろう?

>かまきりさん
ひたすら、静かな世界でしょうか。
しずかで、やすらかで、もしかしたら退屈な世界。

忘れがちなのですが
ヒトという物質も地球から生まれているし、
ヒトの力で地球という星そのものを壊すことも
きっと、ないんですよね。
すくなくともいま言われている環境破壊は
「人類が今の暮らしを維持できない」というレベルでしかない。

10代の頃、いっそのこと、核爆弾でもつくって、
地球そのものを破壊したいと思っていました。
わたしは、ありとあらゆる変化が怖かったのかもしれません。

なんだか読んでて痛いなぁ。

そこで感じていること、
というよりも
パターンがサイクルしていたり、
停滞しているように感じているところに
なんだか力が抜けて行くような
声が聞こえているような気がして。

そらみみかもしれないけど。

生きている理由。
アタマで考える必要あるのかなぁ。

って、ずっと考えていたクチなんですがw

くじらさん、
「核爆弾でも作って」というところにエネルギーを感じます。

DAYAさん、
生きてる理由を考えたことはなかった気がします、そういえば。死ぬのを受け入れることは大変だろうなとは思っていたけど。

>dayaさん
「生きててごめんなさい。」が
そもそも、アタマから出てきたものなので
「生きている理由」もアタマで捻出しようとしている。
でも、勝てない。

そんなもの作り出さなくたって
身体は生きていこうとしているのに、
その事実には、なにものも抗えないのに、
アタマが頑張っている。
もうひとつ奥のナニカを隠している。たぶん。

「生きててごめんなさい」が無ければ、
「生きている理由」なんて、要らないのです。

>かまきりさん
たぶん、わたしは、めちゃくちゃ、
暑苦しい人なのだと思います。

でもなぜか、それを認めたくないようです。

なんだか、ここでのやりとりとリンクするようなことをめもりました。

参考になれば。

「人間の行動の一番下に欲求があります。第一番は生きようとする欲求です。(省略)生きようという欲求があって生きているので、生きようという意思があって生きているわけではない。生きようとする意思は、そういう欲求があるから喚び起こされるのであって、死のうという意思をもっても、死ななければならないという考えをもっても、やはり瞬間に逆の動作をしてしまう。だから人間はみな欲求によって動いている。その中で、原型的な欲求は、生きるちおうことである。」  野口晴卓『嫁と姑』上巻より 【メモ】

http://twilog.org/dayanow

>dayaさん
引用ありがとうございますー。
そう、生きることはたぶん、欲求。
思考とは全然ベツモノですね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/21960/47360837

この記事へのトラックバック一覧です: 「生きててごめんなさい。」:

« 達成感ジャンキー、卒業 | トップページ | バースコントロール »

カテゴリー

無料ブログはココログ

占い by いとうより