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2010年4月の記事

強みから見えた幻想と可能性

敏腕マネジメント&コンサルタント
松原靖樹さんによると
「強み」と「能力」はベツモノで
一言でいうならば
前者は「できてしまうこと」
後者は「できるようになったこと」
(詳細は強み発掘ブログなど参照)

これをわたしなりに言い換えると
「強み」は無意識に
「能力」は目的意識をもって
身につけた力。

もうひとつ踏み込んで考えると
なんらかの力を、無意識に
身につけざるを得なかったというのは、
それがないと生きるのが困難だった、
ということはないだろうか。

つまり、それを得るまでの過程には
痛みがあったのではないだろうか。

すくなくともわたしには
そういう例が思い当たる。


もちろん、すべてにあてはまる
考え方ではないだろう。
「強み」の3段階の深度でいうと
真ん中くらい迄のものかもしれないし
そもそも見当違いかもしれない。

その可能性は、大切においておくとして。
ここで強みについての考察を
書きたいのでも、進めたいのでもなくて。


たとえばわたしは
周囲の他人の気配を察する力が
ほかの人より強いように思う。

これは、意図して身につけたものではなく
わたしの個性の一部ともいえるものだが、
もしそれを無意識に育ててきたのだとしたら、
その背景には
「察しなかったが為に、辛くなった状況」が
たくさんあったのかもしれない。

言葉でなにかを説明する力も
よく高評価をいただくけれど、
その裏には
「言葉を尽くして説明しなければ、
分かってもらえなかった場面」が
多々あったのかもしれない。

そんなことを思うと
わたしはもう、動けなくなってしまう。
痛みに身がすくんでしまう。


自己憐憫にひたりたいがために、
痛みを捏造しているだけだろうか。

だとしても、
いまのわたしには、
ここで立ち止まることが大切だ。

ずっと無視してきた
生き辛かったであろう自分の痛みや
重たいそれを抱えて歩いてきた疲れを
自覚しなければ
手放すことができないから。

自覚するたびに
「誰も、なにも、強いてなどいない。」
「もう自分を守らなくても大丈夫だ。」
と、繰り返しくりかえし
自分に言い聞かせる。


わたしは自由に
在りのままで
この世界に居られるのだ。

がんばらなくても
自分を殺さなくても
世界は受け入れてくれるのだ。

鍵はいつだって開いていた。
自分にNGを出していたのは
他でもない、わたしだった。


痛みを避けるために
身につけてきた力やパターン。

いまや、痛みは幻想だと分かっている。
落ち着いて考えれば
誰にどんな反応をされようと
傷つくことなど、なにひとつない。

これが骨の髄まで染みこんだ頃には、

なにかを回避するのではなく
なにかを生み出すために

強みを、使えるかもしれない。

満ちる。ゆるむ。

いつも、過ぎる頃に気づく。

数日の便秘のあと
軟便がつづき

ため息が増え
酒量が増え

あんなに満ち足りていた日常が
一転、にわかにかき曇り

頭の中は、悶々ぐるぐる
心の隅で、なんだなんだ?

気づけば、満月。
気づけば、排卵日。

生殖期の女性の骨盤が
いちばん引き締まる時。

緊張感の高まるとき。


わたしのサイクルは
月とぴったり合致するわけでない。

リセットから排卵まで
一般的には2週間前後
わたしは約3週間
もっとかかるときもあった。

おそらく
思考に偏りがちな生活で
常に緊張気味なので
排卵できるだけの
差が、つきにくいのだろう。

必要なのは絶対値ではなくて
相対的な、緩急の幅で、

最大緊張を10
最大弛緩を1として
体の負担を縦軸にしたグラフにすると
きっと、弓なりなんじゃないだろうか。

普段、2で暮らしているならば
7まで引きあげればOK

普段、5で暮らしていたら
10まで、めいっぱいまで、
引きあげる必要があるわけで

時間がかかったり
心や体への影響が大きかったり
するのかもしれないなあと、推測。


帯下の様子から
今回はたぶん無事に
排卵できたと思われる。

さあ、次はゆるんでいく時期。
心も体もほぐしていこう。
要らないものを手放していこう。

女の暮らしは、変化につぐ変化。
波を感じながら
ときに翻弄されながら
あそぶように、いこう。

存在肯定と経済システム

元)心理療法家・現)整体師
奥谷まゆみさんの著書 「おんなみち」によると
人間の本能には2段階ある。

自己保存本能と種族維持本能。

自分が生きていくこと
そのための自己主張を
なにより大切にする時期から

種族繁栄のため
周囲の幸せのために
動こうとする時期へ

そしてまた、自分のために。

これに則って考えると、
わたしは物心ついたときから
「自己保存」のために
「種族維持」活動をすることが
やたら多かった気がする。

『なにかの役に立っているんだから
 わたしのことを大切にしてね。』

逆に言えば、役に立たなければ
存在意義がないと思っていた。
ゆるされないと。無意味なんだと。

そうしてわたしは
周囲の期待を察し
それに応えられるよう自分を加工し
提供することを繰り返してきて、
いまや、スカスカだ。

つかれきっている。
そのパターンを繰り返すのが怖くて
極力、社会と関わらないでいる。

これは誰のせいでもない、
自分が、信じられなかっただけ。
『なんの役に立たなくても、
 ここにいるだけで価値がある』
そう思えなかった。

いまも、信じきれていない。

どんなに無責任な使い方をしても、
人間が暮らせなくなるだけで、
地球そのものはきっと残るし

家の中で気分よく日々をたのしんでいる限り
すくなくとも周囲の人間は迷惑しないし

自分が考えていたほど、自分は「害」ではない。

そう思えるようになってからは、
平和な気持ちで暮らせるようになった。
自己保存のやり直しをしている気分だ。


それでも尚、ひっかかるのは
お金がないと生きていけない現実。
経済システムに生かされている自分。

お金の周りを探っていくと
「義務と権利」「協調の強制」などが見えて
わたしはどうも、これが苦手なのだ。

お手上げ。降参。ごめんなさい。
どうしてもそれが必要だというなら
生きることをあきらめます。
そう言い置いて、逃げ出したくなる。


作家・村上春樹さんの
エルサレム賞受賞スピーチ
締めくくりの部分に、こうある。

 私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。
 「システム」はそういったものではありません。
 「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。
 「システム」に自己増殖を許してはなりません。
 「システム」が私たちをつくったのではなく、
 私たちが「システム」をつくったのです。

翻訳全文
http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php


わたしは、食い物にされたくない。

わたしは、本能に従って生きたい。

システムがなくなったとき
わたしが生きていけないようでは、困るのだ。

システムあっての自分ではなく
自分ありきだと、言いたいのだ。

システムを「利用している」意識をもつこと。
他者との関わりをシステム任せにしないこと。
システムに感謝すること。

鍵は、このあたりにあるかもしれない。

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おんなみち
幸せ体質のつくりかた
-恋愛・SEX・出産・子育て-
「おんなのみち」を自分らしく生きるためのガイド

本能について、男女の特性について、
女性の体の月々/人生の周期と
その過ごし方、付き合い方について
とても分かりやすく書かれています。

先制行動を手放したい

いつからか分からないけれど
自分以外のもの=社会から
排除されないように
極力影響を与えないように

ちいさくちいさく丸まって、
かちんこちんに強張って、
武装して、生きてきたなあと思う。

小さな文字、丸まった背中
相手の話を促すことで
自分を語らない癖
お節介

相手が受け入れやすい形
よろこばれる形を
察して、探って、勝手に予想して、
自分を加工して、偽装して
適応したり提供したり

相手が詰め寄ってこないように
自分を開かないで済むように
先に、自分を差し出してきた。

ありのままの自分をみせたら
ネガティブな反応を受け取ることが
あまりに多くて
その痛みに耐えられなくて
わたしは、一見防御にみえない
巧妙な技を、たくさん身に付けた。

それでも不意打ちをくらうことはあって
そうすると不慣れな分、
回復に時間がかかる。
細心の注意を払っていた分、
ショックも大きい。

みずからまとった鎧が重くて窮屈で
分けもわからず泣きわめいたり
お酒の勢いで暴れたり甘えたり
自制を失うこともたびたび。

そんなことを、ずっと繰り返してきた。

もう疲れた。
もううんざりだ。
わたしは、わたしのまま、生きていきたい。

相手のため、なんて言い訳をせずに
相手を、世界を、自分を、信じて
その時々にわたしの中に沸き起こるものを
そのまま、世界に投げてみたい。

世界との、コールアンドレスポンス。

なにが返ってくるかわからない
どう返ってくるかわからない
もしかしたら痛いかもしれない

でも、その痛みは、わたしのためにある。
いまよりもっと柔軟に
しなやかにたおやかに生きるための
ヒントがそこにある。
それを真摯にうけとめよう。

わたしを傷つけるものは、
わたしが生み出したものでしかない。
わたしのみているこの世界に、
「真の他者」などいない。
すべて、わたしが定義したもの。
わたしのフィルターを通したもの。

であれば、なにを恐れることがある?

どうしても怖いとき、痛いときは、
また丸まればいい。
日向と日陰をいったりきたり。
温室育ちで日焼けしやすい肌も、
だんだんと丈夫になって、
ちょっとくらいの日差しなら
痛まないようになるだろう。

選択権はいつだって、わたしにある。

そんなことをぼんやり思いながら
どこにも出かけられずに
酒という麻酔に頼っている、今日この頃。

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