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強みから見えた幻想と可能性

敏腕マネジメント&コンサルタント
松原靖樹さんによると
「強み」と「能力」はベツモノで
一言でいうならば
前者は「できてしまうこと」
後者は「できるようになったこと」
(詳細は強み発掘ブログなど参照)

これをわたしなりに言い換えると
「強み」は無意識に
「能力」は目的意識をもって
身につけた力。

もうひとつ踏み込んで考えると
なんらかの力を、無意識に
身につけざるを得なかったというのは、
それがないと生きるのが困難だった、
ということはないだろうか。

つまり、それを得るまでの過程には
痛みがあったのではないだろうか。

すくなくともわたしには
そういう例が思い当たる。


もちろん、すべてにあてはまる
考え方ではないだろう。
「強み」の3段階の深度でいうと
真ん中くらい迄のものかもしれないし
そもそも見当違いかもしれない。

その可能性は、大切においておくとして。
ここで強みについての考察を
書きたいのでも、進めたいのでもなくて。


たとえばわたしは
周囲の他人の気配を察する力が
ほかの人より強いように思う。

これは、意図して身につけたものではなく
わたしの個性の一部ともいえるものだが、
もしそれを無意識に育ててきたのだとしたら、
その背景には
「察しなかったが為に、辛くなった状況」が
たくさんあったのかもしれない。

言葉でなにかを説明する力も
よく高評価をいただくけれど、
その裏には
「言葉を尽くして説明しなければ、
分かってもらえなかった場面」が
多々あったのかもしれない。

そんなことを思うと
わたしはもう、動けなくなってしまう。
痛みに身がすくんでしまう。


自己憐憫にひたりたいがために、
痛みを捏造しているだけだろうか。

だとしても、
いまのわたしには、
ここで立ち止まることが大切だ。

ずっと無視してきた
生き辛かったであろう自分の痛みや
重たいそれを抱えて歩いてきた疲れを
自覚しなければ
手放すことができないから。

自覚するたびに
「誰も、なにも、強いてなどいない。」
「もう自分を守らなくても大丈夫だ。」
と、繰り返しくりかえし
自分に言い聞かせる。


わたしは自由に
在りのままで
この世界に居られるのだ。

がんばらなくても
自分を殺さなくても
世界は受け入れてくれるのだ。

鍵はいつだって開いていた。
自分にNGを出していたのは
他でもない、わたしだった。


痛みを避けるために
身につけてきた力やパターン。

いまや、痛みは幻想だと分かっている。
落ち着いて考えれば
誰にどんな反応をされようと
傷つくことなど、なにひとつない。

これが骨の髄まで染みこんだ頃には、

なにかを回避するのではなく
なにかを生み出すために

強みを、使えるかもしれない。

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