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2010年6月の記事

不妊治療をしない理由

いわゆる「不妊」と認識してから
6年以上経っている。

不妊治療は
原因にも拠るのだけれど
ステップアップ式が一般的で

わたしは約5年前に
一通りのテストと
排卵誘発剤を2タームと
高温維持のホルモン注射もしたかな。
それくらいで、やめた。

待ち時間がものすごく長くて疲れるし
PCOSにとって排卵誘発剤は諸刃の剣だし
自然妊娠の可能性がないわけではないし
とにかく、面倒だったので。

不妊もこれだけ年数が経っていれば
はじめからAIHをお願いすることも
きっと出来るのだろうけれど

病院に通うのが手間だし
助成金の申請とか大変だろうし
AIHでも確率100%ってわけじゃないし
とにかく、面倒そうなので考えていない。

それに
ほんとうに
どーーーーしても
子どもを授かりたいのか?
って考えると

かわいがる対象がほしいとか
社会で認められたいとか
だれかを喜ばせたいとか
なんとなく
動機があやふやだったりして
まあ、曖昧でもいいのだけれど
それに対して
時間やお金や手間をかけるのは
なんだか違うなあ。
たのしくないなあ。
そう思ってしまうので
治療はしていません。

これはわたしたち夫婦の選択であって
ほかの選択肢を否定しているつもりは
まったくなく。
むしろ、応援したい。

治療をしていても、いなくても
「いつか自分たちの子を」と
願っている以上
毎月はらはらドキドキするのは
きっと、同じだと思う。

治療するしないも
第2子以降どうするかも
避妊も、堕胎も、自分が選ぶこと。

生命を宿す性に生まれた
この、一度きりの人生
皆が悔いなく過ごせますように。

今回は落胆。つれづれ。

周期35日目、リセット。

タイミング逃してたから
可能性は低かったんだけれど

占いが思わせぶりだったり
(勝手にそう読み取っただけ)
オットが親戚の子どもをみて
「いいな~」なんて言ってたり
(排卵日とっくに過ぎてた)

いつのまにやら
期待値かなり大きくなってたみたいで
ああ、ショック。

自分やオットや神様や
なにかを責めたくなった。
なにかのせいにしたくなった。
生きていく希望が見えなくなった。
生きていちゃいけない気がした。

しばらくしたら、落ち着いたけど
やっぱりわたしは
自信がないんだなあと思う。
無益で無駄な存在だと感じる。

時間をもてあましていることに
罪悪感をもっているのだ。
子どもを育てていれば
やることがたくさんあるんじゃないかって
社会に許されるんじゃないかって
どこかで思っているんだ。

ただ、家にいて
ご飯つくって、家事して
買い物して、惣菜買って
オットと話して
時々誰かに連絡をとって
お酒のんで
好きなときに寝て
好きなときに起きて

さほどの害にはならないとしても
消費している資源に値するほどの
意義はないんじゃない?
そう思ってしまう。

値するって、なんだろう。

先日twitterでも
この題目をもらったところ。
すこし腰を落ち着けて
考えてみる必要がありそう。


コウノトリ待ちって
どういう心持ちでいるのが
「正解」なんだろう?
どんな条件が揃ったら
コウノトリがくるんだろう?
って考えて
そんなものないよなあ
って思い直す。

妊娠できる自分が○で
できない自分は×だと
どこかで考えている。
なにか欠けているんだと。

いまだって
こういう考え方から抜け出したら
そのときにはコウノトリ来るかも
なんて思っている。

合格点がもらえる自分になれたら
願いがかなうって思っている。

子どもに期待している属性のうち
子どもでなくても対応できるものは
けっこうあるんじゃないだろうか。

自分は無駄な存在だと
思わないで済む状態を
自分で作り出すことはできるはず。

どんな時でも大丈夫、という
自信を育てるのも大事だけれど
いまのわたしは大丈夫、って思える
環境を作るのも大事なんじゃないか。

心やら頭やらばかり
じっと見ていないで
小手先で改造しようとしないで
行動を積み重ねていけば
自信は築かれていくんじゃないか。
それでしか、築けないんじゃないか。

積み重ねることを
途中で放棄してしまうだろう自分に
怯えてばかりいないで
そろそろ、踏み出してみたら?

昨日みたブログに書いてあった
『自分との約束を果たせない時、
 人はもっとも自信を喪失する。』
(子育てコーチ タオの日々是好日)

わたしが社会と関われないのは
自信を木っ端微塵に砕いたから。
自分が、やったのだ。
だからもう一度、作り直そう。

コウノトリなんて
棚ボタを待っていないで
身の丈の自信を、こつこつ築こう。

長年の症状を読み解く

前々記事の続き

胃炎はホメオパシーのレメディで
だいぶ落ち着いて小康状態になった。
途端に、調子に乗って
甘いお菓子を食べたり
発泡酒を飲んだりしている。
まるで自分いじめ。

今回の症状に適応するものを探していて
行き当たったレメディは
「カーボベジ」
・疲れ切ってまったく動けない
・消化不良、疝痛は胸から腹へ
・血の循環が悪い
・過去の完治していない病
・刺激物を欲する

リーディングできる人から
「魂が疲れきっている」と
言われたことがある。
魂だか心だかなんだかわからないが
いろいろなことに絶望して、
あきらめていて、
無気力だったとは思う。

わたしが暴飲暴食したり
胃痛に怯えながら飲酒したり
時に煙草を必要としたりするのは
疲れ果てている自分に
ムチうつためだったのかもしれない。

この半年ほど依存症のように
アルコールを摂取していたのが、
先月末からぱったりと
飲まなくてもいられるようになっている。
この数ヶ月、細々と利用していた煙草も、
徐々に興味がなくなった。

合宿セミナーで踏み出した1歩が
じわじわと拡がっているのだろうか。


ホメオパシー的見解からすると、
"じめじめした屈辱的な感情の抑圧"が
元にあるという水虫には
「スタッフサグリア」
・怒り、傷つきを抑えている
・屈辱のあと
・無礼さに敏感
・膀胱炎
・疝痛、吐き気
・皮膚

そういえば
水虫、胃炎、冷え性と同時期に
膀胱炎もやっているのだった。

傷ついたプライドと被害者意識は、
母方女系が過去3~4代にわたって
抱えてきたものだとも思う。

水虫は誰にでもうつるわけではない
との見解もみつけた。
古い体験談より引用)
 水虫にかかる素因をもっていなければ、
 染らないと思いますし、素因をもっていれば、
 染った方がよいという考えもあります。

水虫やカンジダなどの菌繁殖系は
血液の問題であり、
砂糖の害が大いに影響しているそうだ。
自分を甘やかしたい気持ちの表れが
甘いものへの欲求だろうから、
つまり、自分を許せていないということだ。

甘いものへの執着や
消化器の弱さ、自信のなさには
「ライコポディアム」も適合する。


これらのレメディの手持ちは
いずれも一時対応用の30Cで、
自己流でリピートするだけでは
長年の症状が消滅する可能性は低いだろうから、
数年前に買って放置してあった
セットレメディを試してみる予定。

毒出しになるというこんにゃく湿布や、
白砂糖の完全断ちも3日くらいならば
試してみようかと考えている。


心と身体の両面からケアすることで、
自己肯定感も育ちやすくなるだろう。

そうして、しなやかですこやかな
生き方になっていけたら、と思う。

怒りの有効活用

前記事からの続き

水虫、胃炎、冷え性
これらの根っこにあるであろう
「他者や変化への恐れ」
「自己否定」の観念
そして、「自分への怒り」

これらを手放すための大きな1歩は
3月の合宿セミナーで踏み出している。
その余波がいよいよ、
身体レベルに来た。
そんな感じがしている。
ちょうど先週、合宿メンバーに会ったのも、
偶然ではないのだろう。

同時発生的に
納戸にしている部屋の有効活用に
オットが突然乗り気になり、
家中の収納を見直す流れになっている。

昨年12月の記事
部屋とココロ、怒りと情熱
 感情の一部をないがしろにしたままでは
 躍動感に溢れる自分には辿り着けない。

 開かずの間に
 踏み入れるときが近づいている…かな。

このとき書いた「開かずの間」は
件の納戸部屋を想定していた。
あまり深く考えてはいなかったのだが
やはり、怒りと、あの部屋はつながっているようだ。


わたしは何かや誰かに怒りを感じると
理解されないこと、
まっとうに扱ってもらえないこと、
尊重されないことに、
哀しくなってしまうことが多い。
そして、自分の無力さに絶望する。
怒り=絶望で、あきらめで、
不甲斐ない自分への怒りなのだ。

だから、怒りは見たくなかった。
感じないように回避していたし、
感じたときは、自分を責めていた。

自己肯定感がしっかりしていて
自分軸がぶれていなければ
尊重を要求出来るはずで、
怒り=認識のズレ、調整の機会として
有効に使うことができるだろう。

怒ること自体にエネルギーは必要だけれど
怒りは発展的エネルギーとして使える。
循環させることが出来るのだ。


納戸部屋の片付けは、半年計画。
わたしの怒り有効活用も
それくらいのペースで、進めたいと思う。

カミングアウトと胃炎

このところの湿気と気温変化は
元来胃弱なわたしには少々ハードで
もたれを感じていた先日の午後、
突如、体調が悪化して
胃がカラなのになにかがこみ上げてきたり、
横になった途端、強烈な吐き気に襲われて
胃液を吐いて喉をやられたり、
目覚めの瞬間に胃がひきつるように痛んだり、
というのが3日ほど続いている。
飲みすぎ食べすぎでの予防的自爆ではない
本当の吐き気なんて、何年ぶりだったろう。

これは一体、なんだ?
短期間だけ働くつもりのバイトが嫌なのか?
そういえば、フリーターだったハタチの頃は
このテの胃痛はしょっちゅうだった。
薬で誤魔化して、平気な顔して、
暴飲暴食を続けていたっけ。
今朝は夢の中で「怒った」途端に
胃痛が始まって、これが大きなヒントになった。

どうやら、抑圧している自分への怒りが、
根っこにありそうだ。
そう考えてみると、怒りをテーマにした曲を
やたらとリピートして聴いていたり、
怒りにまつわる文章が目に付いたりしていた。

わたしは20年来、水虫持ちである。

このことはずっと隠してきた。
公にしてはならない恥ずべきことだと思っていたし、
他人様に無差別にうつす可能性のある
排除すべき病原体だと思ってきた。
(そのように刷り込まれていた)

市販の塗り薬や
ホメオパシーを試したこともあったけれど
完治しないまま、いまに到る。

父にうつされた!と長年騒いでいた母が
飲み薬で完治させた父に遅れること数年、
突然、投薬治療を始めたことをきっかけに
わたしも、そろそろ、真剣に向き合おうと思った。

それで何気ない風に会話の中に織り交ぜて
カミングアウトしてみたのが
ちょうど数日前、胃痛が始まった日。


身体からのメッセージより
皮膚:個性を意味する。
 何らかの形で個性が脅かされているように感じる。
 皮膚のすぐ下は神経。膚病を治す一番の近道は
 「自分の存在を認める」と、日に何度も口に出すこと。
 自分を変える力を取り戻すことです。

胃:胃の不調は、人間関係における交流の停滞、
 周囲が信じられない、信じたくないなどの恐れから。
 自分の殻に閉じこもり、接触を断つ。
 自分は出来ない人間だと思い込む。
 自分に対する怒り。胃は新しい考えや経験を消化。

足:脚に支障があるのは、
 ある方向に前進するのが怖かったり、
 前に進む気になれないから。

エナジー心理学~こころの露天風呂より
 例えば足に出ているとしたら、
 自分の人生を歩く事に躊躇がないか、
 自分自身を支えられないと思っていないか、
 スピードのコントロールや動き方に不安はないか、
 ノーと言えているか

 皮膚は他者との境界線や、
 人にどう見られるかに関係しています。


身体からのメッセージは
つきつめるとすべて
「なにも恐れず、ありのままの自分を認めて」

長年の付き合いである胃弱と水虫
この2つは同根で、しかも関連が深そうだ。
夢の中での怒りから生じた胃痛で起きたら
足指に水ぶくれが出来ていたし。
発症した時期も近いような気がする。

同じ頃から始まった冷え性も
「自己否定」が関連しているときいた。
(否定→拒絶→緊張感→血がめぐらない)

これは
一網打尽のチャンスなのかもしれない。

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