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2010年7月の記事

出来ること、やりたいこと、生きること

こうすれば出来る
あれに目をつぶれば出来る
ここの都合をつければ出来る

うん、たしかに、出来る。
出来るんだけど
それを「出来る」と思っていると
なんだかいっつも
なにかを歪めなきゃならない。

「出来ません」と
相手に伝える
自分を認める
勇気がないっていうのと

人生とは我慢するものだ。
やりたくもないことを
やらなきゃならないものだ。
という思い込みと

役に立つ存在でいたい気持ちと。

ちょっとした変更や工夫は
苦痛にならないこともあるし
たのしいことすらある。

やりたいこと
やってみたいこと
やらなくちゃならないこと
やった方がいいこと

やりたいこと
という
明確でシンプルで具体的でまっすぐな情熱が
自分の中に
あるに違いない
いつか見つかるはずだ
そう思ってきたけれど

なにか成し遂げたいもの
「変えたいもの」が
きっとどこかにあるって
信じて疑っていなかったけれど

もしかしたら、それってもっと、
ぼんやりしてありふれたものなのかもしれない。

寝たい。
歌いたい。
食べたい。
さっぱりしたい。
これを誰かに伝えたい。
これを誰かと分かち合いたい。

ふと思いつく、
やりたいこと。
それで、十分なのかもしれない。

そんな風にわたしは
ここに居ていいのかもしれない。

目指すべきものや
望み願う変化が思い当たらなくても、
いま、ここで感じるたのしみがあれば
いまを生きる理由になる。

あした何を食べようかな?
そんなことを思っているうちに
明日は勝手にやってくるのだ。

物と自分を同一視するから、片付かない

物を捨てるのが苦手だ。

まだ使えそう
必要になるかも
いつか役に立つかも
誰かを喜ばせることができるかも…

そう思うと

履き古したサンダルも
頂き物のお菓子の箱も
気に入った絵のカレンダーも
数年前の手帳や手紙も
母や叔母から譲り受けたコートも
買ってもらった服や小物も
ひびが入った見飽きた食器も

なーんにも捨てられない。

捨てるよりは…と
支援物資として送ったり。
送るつもりで、山積みにしたり。

きっと誰かが価値を見出すはず、と
オークションに出すつもりで、山積みにしたり。


先日ふと気づいたのだが
わたしは物をぞんざいに扱うのが
とても苦手なようだ。

そして、物に対して思っている
「まだ役目を果たしきれていない」
という感覚はまさしく
わたし自身に対して感じていることで。


自分に対する「無用感」
…もうすこし正確に言うとしたら「劣等感」
が変化したら、
物への対処も変わるのかもしれない。

「まだ死にたくない」
というほどの使命感でなくていい。
ただ、
「あしたを生きる理由」
わたしはそれをずっと探している。

いったいどこにあるのだろう?

ワクワク探しは疲れる

『ワクワクすることを仕事にしよう』
みたいなうたい文句を
この2、3年よく見かけていたけれど
最近になって
『好きを仕事にしてもうまくいかない』
というようなものを
ちらほらみかけるようになってきた。

ワクワク推奨ワークの中にあった質問
『夢の暮らしを思い描いてください。
 お金が無限にあり、時間も無限にあり、
 完全に健康で、仕事、家事、ローン、人間関係、
 あらゆる義務から開放され、
 真の自由を手に入れたら、
 どんな人生を送りますか?』
というのを読んだ瞬間、
「夢は生から解放されること」
などと思うわたしは、落伍者なのか?
そう感じざるを得なかったのだが、
世間の傾向がすこし変わってきたのかもしれない。


成功とか、幸福とか、
なにかを目指すということは、
なにかと競うということで、
考えただけで疲れてくる。

わたしの場合、
ストレス耐性が最弱のときの
イメージがつよすぎて、
ワクワクすること
=未知のこと・想定外のこと
=頑張ること・大変なこと
と思ってしまっている節もある。

なにかに向かってがんばる
=自分を殺すことだって、
どこかで思っている。
その窮屈さをありありと思い出して、
いつも、泣きたくなる。


そんなわけで
ワクワクすることも、
やりたいことも、思い当たらないのだが、
全然ないのも結構つらい。
この人生、なにをして過ごしたらいいのか分からず
立ち尽くしている。

やってみたいこと、はある。
けれど、それは諸々条件が揃ったら
やってもいいな、ってことで、
なんとしても絶対やりたいわけではなく。

きっと実際にやったら、たのしくて、
たいしたストレスではないのかもしれない。
変な自己暗示にかかってるのかもしれない。
ただの怖がりなのかもしれない。

つかれた、しんどいって言い訳しながら、
ただ待っているのかもしれない。
がんばった結果、叶わない報われないのが嫌で、
どうしてもやりたいことには、
目を向けようとしていないのかもしれない。
半年前には、蓋をしているかも、と感じていた)


たのしみを追求する過程での
がんばるだってあるし、それを選ぶ権利は
いつも自分がもっている。

結果は永遠に分からない。
過程しか、ないのだ。
自分が持っているのは、
いつだって、イマ・ココだけ。

過程がたのしければ、それでオーライ。


そんな風に思ってはみても、
やっぱりわたしを足どめする
この疲れや痛みは、
孫悟空のあたまの輪っかなのだろう。
早とちりでぎゅうぎゅう締め付けられて
動けなくなることも多いけれど、
わたしが「ラク」を選ぶための大事な相棒だ。

組織で活躍しなくても
たくさんの人に頼りにされなくても
安定した収入がなくても

おいしいと思えるご飯を食べられて
雨風をしのげる家があって
たまに誰かとたのしく喋って…


幸せは相対的なもの。
あきらめた分だけ
天井を下げた分だけ
簡単に、幸せになれる。

ワクワクがみえなくても、
痛みのないところを避けて歩いていれば、
それでけっこう、幸せなのだ。
退屈だとしても。

排卵は大変だ。

今年に入ってから、くらいだろうか
排卵期の躁鬱が激しい。
暴飲暴食に走りやすい。

やけに酒を飲むなあ
やけにジャンクフード食べたがるなあ
やけに怒りっぽいなあ
というときは、どうも、排卵期なのだ。

今回はちょうど、
皆既日食の新月の直前だったので
よけいに振れ幅が大きかったのかも?

PCOSは卵巣が硬化して
排卵しにくいので
「正常な卵巣」に比べて
エネルギーが必要なんだろうけれど

逆に、生理前の過食は
あまり感じなくなってきている。
毎回恒例で
1週間前から徐々に胸は張るし、
便秘がちにもなるんだけれど、
前ほど気にならない。

月のものと付き合い始めて約20年
これが、更年期ってやつなのかなあ
などと思う。
性欲も衰えている気がするし。

『女の体は7の倍数で変化する』
と中医学では言われている。
近現代の暮らしでずれ込む可能性は
大いにあるとしても
35前後というのは、初潮・閉経に並ぶ
ターニングポイントなのかもしれない。
女性の厄年とされていたりもするし。

わたしはほんとうに
子どもを授かるのかなあ?

わたしのこの世話好きパワーは
なにに使えばいいのかなあ?

子の性別についての考察

情報を集めて分析するという
趣味の一環で

子供を授かった人たちの
気質や状況や環境と
その子供の性別について
見出せるパターンを
洗い出してみようと思う。

あくまでも
わたしの知っているケースを
わたしの予想と独断で
列挙するだけのお遊びです。


女の子だけの場合:
 父親は「王様」でいたいタイプ。
 (男の子に妻をとられるのは嫌w)
 母親は自立心が強く甘えべた。
 どちらかといえばS。
 表に立つより、サポートする方が好き。
 女の子は母親の味方で鏡でライバル。
 (理解、提言、サポート) 
 
男の子だけの場合:
 父はマメで好奇心旺盛、
 家庭以外にも自分の世界をもっている。
 母親は先頭を進みたい、理論優先タイプ。
 反面、女性として扱われたいロマンチスト。
 かまうより、かまわれたい。
 どちらかとといえばM。
 根拠や条件無しの励まし、応援が欲しい。
 

ときどき、改修していきます。
混在については、まだしばらくまとまらないかな。

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