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選ばれるのではなく。

前の記事に書いた夢で
ひとつ気づいたことがある。

卵って
わたしの分身なんだ。

「おなかに入るお母さんを自分で選んだ」
っていう幼児の言葉を読んだりして
「選ばれる」ことばかり気にして
「わたしは選ばれないのか」って
被害者みたいな気分になったりしていた。

架空の我が子に責任を負わせていた、なんて
ちょっとぞっとする話だけれど
それだけ、なにかに縋りたかったんだと思うから
申し訳ない気持ちと同時に、
自分の必死さや、弱さが、愛おしくもある…


子どもが親を選ぶことは
魂レベルではもしかしたら
あるのかもしれないけれど

だけど
卵はわたしの体の一部で
オットの一部と一緒になって
あたらしい命の受け皿になる。

わたし自身が
心地よいと思えない体では
卵だって、心地よくないのは当然で

わたしが嫌がっていたら
あたらしい命だって
そりゃあ選びようがないよね。


妊娠を目指していたらいつの間にか
自分と卵とか
自分とあたらしい命を
別の意思をもった
別々のナニカのように
考えてしまっていたけれど

みんなつながっているんだ。

だから、わたしはただ、
わたしが心地よくいられるように
律するたのしさ
ラクするたのしさ
うまくバランスをとればいい。

わたしではない要素が絡んでくることだから
わたしだけで成し遂げられることではないから
思い通りになんかならないとしても、
叶えたい願いがあるのなら
わたしに出来ることをやるしかないんだ。

人事を尽くして天命を待つ。

妊娠に限らず
生きるってきっと、そういうことなんだろう。

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