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「子作り」卒業

冬はいつもイライラ鬱々とする。

ただでさえ
タイミングがわかりづらかったり
タイミングだとしても
どちらかの体調が悪かったり
睡眠やほかのことを優先するのに

それに加えて冬は
厚着やら空気の冷たさやらで
よりいっそう子作りから遠ざかって、
そんな状況に苛立つのだ。

2010年末、ふと思った。

排卵期だとかタイミングだとか
そういう観念も手放しちゃおう。

子どもを産み育てたいのは
絶対的な気持ちとしてありつつ

「子作り」については
まったく熱意がないって、自認しよう。

不妊治療のみならず
「時期だからなんとしても!」なんてことすら
頑張るつもりがないのだ、わたしは。

もともとうちの夫婦は
お友達かきょうだいか、という関係性だし
わたしは性に関して淡白だし
オットは創作に昇華しているし

仲良く一緒に暮らしてはいても、
性行為にエネルギーが向かない。
優先順位が低い。

ほんとうにたまたま、
いろんなタイミングがあえば
授かることもあるかもしれないけれど

100%作為ナシでいく。
もう、それでいいことにしよう。
わたしには、それしかできない。

ずいぶん前から、
したいときにする。
その気がなければしない。
それでいい。って、
思ってたはずだけれど

そうはいっても
子ども欲しいなら、
排卵期は逃せないよね。
チェックしないとね。って
どっかで思っていた。

それも、もう、やめます。

子どもを産み育てたいのは、
きっと本能みたいなもの。
それと、性行為にエネルギーを
注ぎたいかどうかは、別なのだ。
もちろん、その関係性に
愛があるかどうか、とも、別。
セックスレス=愛がない、わけではない。
対象やタイミングやなんやかんやによって、
表現方法は、異なって当然なのだ。

子どもは産み育てたいけれど
性行為には熱心でない
AIHにも里親にも気が向かない
それがいまのわたし。

みずから描いた理想と
ずれているとしても
そこで踏ん張れないことを
残念に思いながらも

わたしはわたしを生きるのだ。

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コメント

お母さんという存在になるために
ほんの少し時間が必要なのだと、あなたに会えるで
あろう赤ちゃんが時間を与えてくれているのだと
私は思います。

それまでの時間を自分が輝けるよう、心ゆったりと
過ごせるといいですね。

2011年、何か新たな視点が生まれたみたいですねー!
何かすごいわかるー
どっかで諦めつつも、どっかで期待して、
だからその時期イライラして・・・。

でも、私も今は何かが吹っ切れたのだー。
正直、昔から出産にものすごい恐怖感があって・・・
だからこうなったのかもしれないとかも思う。
本当に欲しいか、と言われたらよくわかんない部分もあり、
人生はいろいろで、こういう生き方でも別にいいかーなんて、最近は受け入れてるように思う。
なんだろ、でも、これって時期的なもんなのかな。
よくわかんないや。
でも今は、本当、そこに意識集中してないかんじ。
それでいいのかな。
でも、こうでしかありえないというか。
自然に生きたら、こうなったんだ。

わたしは、いろんなことを熱心に考えて、どんどん多角的にものごとを捉えていく、くじらさんが好きですよん。
他の人にはないものの見方がある。
それは、すんなりと、欲しいものや環境を手に入れてきた人には見えないものだと思う。
お互い、いっぱい成長してきましょ。
子育てもきっと気づくこといっぱいだけど、いないのもまた然りだ。

>月のうさぎさん
やさしいコメントありがとうございます
子どもを望んでいながら
なかなか授かれないおかげで
自分の心を探るのが上達したと思います(笑)
これからもっともっと
自分の核になるものを育てていきたいです。


>みったん
意識しないようにするのではなくて
気がついたら意識していなかったって、いいね
「こうでしかありえない」
ほんと、それに尽きる。
自然に生まれて自然に生きていたはずなのに
いつからか、ずいぶんと、ややこしいことになっていて。
やっと、自然に戻ってこれたかなあと思うよ。

いろんな見方を身に付けられたのも
自分の本心に向き合うことができたのも
「不妊」のおかげ。ありがたいことです。

どんな道にも宝物はかくれている。
人生という遠足を、たのしんでいこうね~♪

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