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2011年4月の記事

トリガー:リーダーと女子

誰かの発言や行動
ちょっとした出来事で
イラっとしたりもやっとしたり
そうやって自分の過去の感情が
呼び起こされることを「トリガーされる」という。

最近わたしがトリガーされやすいのは
リーダーシップについて
それから
「女子」であることについて


わたしはリーダーをやりたい。
だけど、疎まれるのはこわい。

嫌われないリーダーはいないし
リーダーでなくても嫌う人は嫌うのだし
ここはそのうちクリアできるだろう。

もうひとつ落とし穴は
自分の居場所を確保する条件反射として
「まとめ役」をかって出ていると
たいがい調和を乱してしまう。
左脳全開で口調が厳しくなる。

炊き出しにまつわる作業をしているとき
気づくと仕切ろうとしている自分がいて
威張ってるみたいで嫌だった。

無意識レベルだからハードル高いけど
なんとか自意識をキープして
エゴスタートではないリーダーシップを
とれるようになれたらと思う。


「女子」について。
わたしは自分を「性別・女」と自認しているけれど
いわゆる女性らしさ、というか、少女性みたいなもの
かわいらしさ、やわらかさ、守られること、
男性を魅了したり、感情に没頭したり…
そういう属性を自分に認めていない。

男性と同列・対等であろうとしたり
あまつさえ上に立とうとしたり
着飾ることを気恥ずかしく思ったりする。

自己批判を恐れているところもあるけれど
女性がただ、無邪気に素直に、
女性として生きているときは
媚をうってる、とか
しなつくって、とか
女を武器にする、とか
そんな批判は起こらないだろうと思う。

外見コンプレックスみたいなものもある。
集合写真は大丈夫だけれど
単独の写真は苦手だ。
どんな顔をしていいかわからない。
それも、同じ根っこだろう。


こうやって書いてみると
男性性と女性性それぞれの
いままで欠落させてきた部分を
自分の中から発掘して
統合しているところなのかなー。

石巻周辺レポその1

2tトラックやワゴン、3台に13人が乗って
現地では、炊き出しと瓦礫撤去などの
パワーチームに分かれて作業してきました。

まだ、まとまった文章にはなりそうにないけれど
ひとまずtwitterにつらつら書いたことを
転記しつつ書いてみます。


わたしは三陸あたりがどんな地形で、
どんな暮らしをしているところなのか、まったく知らなかった。
今回、現地に行けたことで、
これからの支援の方法を具体的に考えられるようになったし、
それは情報拡散や支援活動の応援に反映させていくと思う。

そこに本当にひとが住んでいて、
日々をただ精一杯いきていて、
地元にも、いままでの暮らしのことも、すごく愛着があって。
復興も避難も合理的にはすすめられないってことを実感。
わたしはあたまでっかちになりやすい人間だから、
現地を体感できて、食べ物を通じて関われて、勉強になった。

これを物見遊山に終わらせるかどうかは、
これからのわたし次第。
貴重なエネルギーを使って現地に入る機会を得られて、
あそこで見たもの感じたものを、
今後どうしていくか。どんなふうにつなげていくか。

わたしは企業のシステム担当していた時も現場主義で、
ぜんぶを自分の目でみて体験して
そこから体系化を考えるのが好きだし得意だと思ってるから、
わたしがわたしらしく関わるために、現地入りは必須だったと思う。

誰でも現地に行けばいいとは思わない。
いまいる場所で出来ることはたくさんある。
でも、現地ではとにかく人手が必要なことも事実。
一見ふつうにみえる家も、土台がめちゃくちゃで、
全壊認定されているけれど、
建て直せるだけの補償はないだろうから、
使える部分だけ使ってリフォームを考える。
そのためには1階部分の徹底掃除、壁紙をはがし、
床板をはがして汚泥除去しなきゃならない。

石巻市内は全体的に魚臭かった。
汚泥を片付けていると魚の死骸が出てくるのだと、
パワーチームの人が言っていた。
ウィルス感染も増えている。
あれらが腐ってもっと悪臭を放つようになる前に、
できるだけ片付けたい。
行政を待っていたら、いつになるかわからない。

そんな状態が千葉~岩手の沿岸数百キロにわたっている。
どれだけの人手があっても足りない。
現地の人を雇用しての瓦礫撤去なども始まっているけれど
自治体が「給料を支払う」のでは限界があるだろう。

そんな「いま」を見据えたうえで、ちょっと先、そしてかなり先の
望ましい状況、在り方、システムを、自分なりに探っていこうと思う。

今回参加した団体の活動には
これからも関わる予定だけれど
現地に再び行くかどうかは、未定。
このほかの団体による支援活動もチェックして
わたしなりに、できる範囲で、できることを、やっていく。

宮城県へ

1泊2日の炊き出し隊として石巻周辺に行く。
ボランティアチームに混ぜてもらう。

自分らしい方法とタイミングを
はかり続けたこの1ヶ月。
ついに。

仙台のフォロワーさんからのリプライ
「旅行気分が少しでもあるとすれば、一気に失せますから。
南三陸は今もなおライフライン全て機能してないはずです。」

ひとりではきっと行けなかった。
企画して、現地と連絡をとって、
人やものやお金をあつめて、予定をたてて
実現する人たちがいて。
一緒に行って帰ってくる人たちがいる。
そんな機会を得られたこと。
快く送り出してくれるオット。

大地震、大津波、原発、天災人災に翻弄されるひとたちが
生きている。暮らしている。暮らしていく。
そういう場所へ行く。体験する。

くらくらする。

なにができるかなんてわからない。
もらうものの方が多いかもしれない。
物見遊山でおわるかもしれない。
1泊2日の短行程だからこそ、出し惜しみなくいきたい。
痛みも希望も、悲観も楽観も、ひっくるめて感じたい。

実際に動き始めたらきっと
よけいな思考も感情もないだろう。
ただ手を動かす。
踏ん張る。

いまは、ばくはつしそう。

言いあらわせない感情ともいえないような
エネルギーが息苦しいくらい渦巻いている。

使命感?体験できることのよろこび?
なんだかわかんないけど
いやなかんじじゃない。
先走ってるかんじでもない。
ちゃんとカラダのなかにいる。
ふかく呼吸する。
感情を超えたなにかに身をまかせている。

わたしはきっと圧倒され、世界を再認識するだろう。
それとも、感じきれないだろうか。
この目でみても、しらーっとしてるだろうか。
そんなことも、いまは、どうでもいい。

世界にひれ伏すような
カラダをあけわたすような
そんな感覚とともに、ただただ、感謝。

分離と統合

ココロとカラダとアタマが

父方の血と母方の血が

抑圧してきた男性性や女性性が

じぶんのなかで分離しているとしたら

それはわたしが言葉で切り分けているから。


わたしのなかには、すでに、両方ある。

溶け合っている。

だとすれば

わたしを生きること、それが統合。


ロールモデルはもう要らない。

統合すべきものなどなにもない。

抑圧も痛みもすべて自分に取り戻そう。

気づきと体感のメモ@女神山WS

・きちんと話そうとすると、意識がアタマに集中して
 カラダがお留守になる。
・カラダに意識をおいて自分のことを話そうとすると
 泣けてくるので、自衛してる。
・感情はカラダにある。カラダにつながっていると、
 わたしはいろんなものにビビッドに反応する。
 それをそのまままっすぐ瞬時にあらわしていると、
 「うざい」状態になるから、自制している。
・「うざい」状態には2種類ある。
 1つはスーパーエゴ(内在化された両親)の声。
 もう1つは自分自身に意識が集中しすぎて
 周りと断絶しているとき。 たとえば歌い踊り
 ハイテンションで調子にのっているときの衝動的行動は、
 自慰にしかならないし、調和を乱す。
 その状態でもつながりを保つのは、要練習。

・じーっとしていると落ち着かない。
 ここに居ていいのか不安。なにかしなくちゃ!という焦り。
・その気持ちは、身体から逃げ出したい衝動に発展する。
・その衝動がきたとき、わたしの身体の上に
 ペアパートナーの手があることに気づいて
 それを感じたら、ここに居てもいいと思えた。

・自由にしていると注目を集めたい衝動が湧いてきた。
 実際に注目されると痛い。(このときは、いやな痛みではなかった)
・わたしはここに居たい。みんなと居たい。つながっていたい。
・注目をあびる=疎んじられる可能性。恐怖。
 「わたしは異質なのだ」と感じて落ち着かない。
 なるべく普通でいたい。目立たないでいたい。
・だれかがそばに居て、ただ手を握ってくれている。
 それだけで安心。つながりの体感。
・赤子が泣いても放置する子育ての影響。安心感の再生成。
・安心という土台があって、自由な表現ができる。

・震災が生誕ならば、いまはつながりを体感で確認しているとき。
・ネットでつながる草の根レベルの助け合い。
 仮想空間からうまれる実在の救援物資。
・目に見えない放射線。放射性物質。
 見えないものへの恐れ。見えるものの安心感。

・生きたくないと嘆くわたしを、
 守り養ってきた父のせつなさ。感謝
・子ども時代を命がけで生きた父の、
 便利という豊かさへの憧憬と固執。
・生きることと、一般的であること。自分のなかで
 相反する2つを、期待されていた苦しみ。怒り。
・養ってもらっている以上期待に沿わねばならないとした悔しさ。
・わたしの内側から何度も出てくる「オレにやらせろ!」
・経済性最優先、中流であることを選ぶなかで
 抑圧してきたリーダーシップ。心の豊かさ。

・自分の居場所を確保するために、リーダーになろうとする自分。
・ただ好きにしているうちに、輪の中心、
 ムーブメントの初動になっている自分。
・意識的にやるリーダーには自信がある。
 振り返ってみたら先頭だった場合には不安にかられる。
・リーダーはひとりではなれない。
 仲間の意思、流れ、衝動を尊重する。

・大地を感じ、仲間とつながり、空と共鳴する声。音。波動。
・より高くへ駆け上がりたい気持ち。離れる感覚。
・高みよりも、いまあるつながりを選ぶ自分。命の再選択。
・より高くでもつながりを感じることも、いつかは出来るかもしれない。

・わたしは、羽根として、大地にある。
・飛べるということを、わたしは覚えていよう。
・わたしはいれもの。なにをいれるかは、器が知っている。

まるごとのじぶん

先週末は、そみさん(本郷綜海さん)の合宿WS
ヒーラーズ・インテンシブ Vol.1「魂の目的を生きる」に参加。
別所温泉から車で10分くらいの、女神山ライフセンターにて
地に足をつけたまま天国にいるような3日間。すてきだった。。。

わたしは特になにを習得しているわけでもないので
ヒーラーと名乗るのも、そこに混ざるのも、おこがましく思えて
でも、流れにのって、直前で参加申し込み。

WS開始のチェックイン(自分を伝える時間)のとき、
わたしがここから持ち帰りたいものをあらわしたら
出てきたのは「まるごとのじぶん」という言葉で
いま、わたしはまさしく、まるごとのじぶんとしてここに在る。

そみさんの言葉を借りつつ表現すると
前半はVol.0「ともにある」というところがフューチャーされて
それは、あの地震を「生誕」とすると
次のステップ、胎内~言葉を得る前の時期の再体験。

わたしは、カラダとつながりなおして
そこからはもう、カラダがあることがうれしくてうれしくてうれしくて
たべるのもはしるのもうたうのもおどるのもなきさけぶのも心から存分にたのしんで
会場の10角形(かな?)のガイアホールをひまさえあれば
うきゃうきゃくるくるふにゃふにゃうたいおどりあるいているオカシナヒトでした。
いっぱいハグして、いっぱいわらいあって、みんなの音をきいて・・・カラダがあるってすばらしい!

そみさんのつくる空間は「安心安全」なんて明確な言葉とはすこしちがう
苦しさも心地悪さも幸せもすべてが自由に流れていくと確信できるからこそのくつろぎ。
自分で在り続けながら、他人とともにある。ヒトとしてこの星に生きる。
そのガイダンスがいつもそこにある。体現するそみさんが、その場にいても、いなくても。
そして、いまこの時この場にも変わらずにある。わたしのカラダにそなわっている。
2泊3日のあいだにとにかくひたすらわたしたちがみていたもの。これからも見続けるもの。

その土台があってはじめて
アタマとカラダ、母方と父方、感謝と怒り、死と生、天と地を統合できた。
わたしのなかにすべて、見事におさまった。矛盾したまま、相反するまま。
わたしはいれものでしかなく、なにをいれるかは、カラダが知っているのだ。

別々でありながらひとつであるということは、個々人の体験のなかだけにある。
カラダがあるってすばらしい。
わたしは命を自覚的に選んだ。選びなおした。
そのこと自体、それから、その過程も背景も、完璧だった。これからも完璧だろう。

もしまた逃げたくなったら
別々であることに耐えられなくなったら
カラダというギフトを受け取りにいく。
カラダがないことのすばらしさは、なくなるときまでとっておく。

わたしは、羽根として、大地に在る。

天にありながら、地につながる。

いのちがあるって、すばらしい。

怒りについて、その2

わたしはあまり怒りというものを感じない。
まれに怒っても持続しない。

本気でそう思っていたのだが
その夜、ラスボス登場(笑)

なにをかくそうわたし自身が
怒りながら生きているのだった。

なんで生きてなきゃなんないのさ?!

こんなくたびれること
いつまでやってなきゃなんないのさ?!

基本的に、わたしは、生きたくないんだろう。
そう思わざるをえないくらいの強さで、
わたしは怒っている。
わたしに命をあたえ、わたしを生かしているなにかに。

やりたいことを、やりたいときに、
やりたいようにやっていられるときは
うっかり忘れているだけで。

生きるのがこんなにしんどいわたしは
きっと生き方が下手なんだろう。
律儀でバカ真面目でメンドクサイ。
いろんなことを勝手に背負い込んで
勝手に苦しくなっているのだろう。

そう予想はついてるけれど
じゃあどうしたらいいのか
そこは、いまだに分からないまま
昔なじみのクセで、両極端に振れる。

もうなにも考えたくない!
からっぽでいたい!
死んじゃえば早いのに!
そういう場所に、到達してしまう。

ああ
からっぽで生きていきたいな。
なんにも計画しないで
なんにも約束しないで
瞬間、瞬間の感覚だけで
生きることを
自分にゆるしてあげたいなあ。

-----

身体をひきずりながら
イヤイヤ生きているのは
これまでに何度も感じてきたけれど
それが「怒り」だとは気づいてなかった。

ここから
なにか変わるだろうか。。。

怒りについて

わたしはあまり怒りというものを感じない。
まれに怒っても持続しない。
数分後には、さめざめと泣いている。

だから、怒っているひとをみると
落ち着かない気分になる。

怒りというのは2次感情で
その根っこにはたいてい
悲しみがあるわけで

怒りをエネルギーに動いているさまは
自分の痛みを無視して
誰かやなにかに体当たりしているような
自虐のような感じがするからだ。

怒っているひとは
無分別になっていることがあるから
あの刃先がこちらに向かってきたら
いやだなあという怖れもある。

それと同時に
うらやましさもある。

怒りのエネルギーはすごい。
パワフルで破壊力がある。
あの勢いにのって動けたら
さぞかし気持ちいいだろうと思う。

痛みに気づきながらも怒り続け
動かないではいられないほど
大切なものがあるってことだろうとも思う。

そして、怒れない自分は
仲間になれない感じがするのだ。
同じ場所で同じものをみているのに
すみっこでへらへら笑ってるみたいな
自分が場違いに、非人間的に、思えてくる。

役割が違うだけなのだろう
そんなふうに冷静に考えもするが
この疎外感は、けっこう根強い。

わたしを生きるということはいつも
孤独とワンセットだ。
それがあるからこそ
つながりを信じる気持ち
世界を信じる気持ちが
より強固になっていく。

自分であるということ
自分でいいということ
ひとりではないということ

いつもここに
くつろいでいられたらなあ。。。

生きることが、支援。

バイトがちょうど途切れたので
被災地ボランティアに行こうと思いついたのは、先週。

信頼できそうなボランティア団体をみつけて
しかも仙台まで迎えにきてくれるっていう話で
自治体と協力してボランティアセンターを
立ち上げているタイミングだときいて
まさに!わたしの力を活かせる場!

そう確信して
長靴もカイロも着替えも用意して
冷蔵庫もほとんどからっぽにして
あとは「お迎えの日時場所の連絡待ち!」
そんな風に過ごしているうちに
いろいろいろいろあって
考えも、段取りも、変わってしまって

わたしは被災地にいく手段がないのだし
いまはタイミングではない。
タイミングを逃してしまった。

そういう結論に達したのだけれど

それは
ていのいい
言い訳でした。

実家の車をかりるとか、
仙台までバスで行ってレンタカー借りるとか、
本気になれば、自力でもいける筈。

ガソリン携帯したり、
給油したりってのが心もとないだけ。
そのハードルを越えるほどの熱はなかったということ。

情けない話。
だけど、本音。

ラクしたい。
たのしいことだけやりたい。
無理はしたくない。自然体でいられないことはしたくない。

わたしはいま
 「行けない」
のではなく
 「行かないことを選択してる」

そうリフレーミングしてみたら
いろんなことがスッキリした。

いちばんはじめに「被災地に行こう!」って思いついて
ボランティア団体と連絡がついた時点では
わたしにとって、とてもとても、自然だった。
そこはズレてなかった。

でもたぶん、どこかに恐怖もあって
それを自覚できていなかったから
「出発は来週なかばで」なんて条件を出し
その結果、流れが滞った。

健康で時間があってお金もいくらかあって
いろんな経験も熱意も関心もあって
そういうわたしみたいな人間は
「被災地へ行くべき、動ける人」

そんな「理屈」をくっつけちゃった時点で
自然じゃなくなってた。
そうこうするうちに、それは形を変えて
正当な理由もないのに「行かない自分」
というのを、批判しはじめた。

この「正当な」ってのがクセもので
それはいったい、
誰にとっての「正しい」なんだい?

わたしは
「行けなかった」んじゃない。
「行かなかった」のだし
「行こうとしていない」のだ。

情けないとか、怠けてるとか、
自分を批判しちゃうのがいやで
みないようにしていた事実。

でも目をあけてみたら
どーってことなかった。

わたしは、しょせん、わたし。

ちっぽけな存在だ。
出来ることなんてたかがしれてる。
自棄ではなくて
ニュートラルにみれば、そういうことだ。
だからこそ、出来ることより、やりたいことが大事なんだ。

わたしがちょっと無理をして「出来ること」をしたからって
それほど多くのことが達成されるわけじゃない。
それどころか、無理はかならずどこかにしわ寄せがいく。

誰かにプレッシャーを与えたり
誰かの可能性を奪ってしまったり
自分が疲れ果てたりする。

無理をするというのは
信じていないということだ。
わたしがやらなければ!
ということは
まかせておけない!と言っているのとおなじだ。

わたしは「行かない」けれど
「行く」ひとだって、ちゃんといる。
被災地の人たちだって、動けるようになっていく。
わたしが背負い込まなくていい。
それでは、続かない。

いまのわたしの真実は
「近所でのんびりしていたい」
だったら、そうしよう。

なにかしたい!とおもったら
それをしよう。

「支援」なんてくくらなくていい。

わたしにウソをつかないで、誠実でいる。
無理をしないで、衝動を生きる。

それが、わたしにできる支援。

わたしにしかできない支援。

さぼってるわけじゃない。
出し惜しみしてるわけでもない。
みんな、誰だって、自分だって、懸命に生きてる。
生きてるってことは、それだけで、いつだって、必死だ。

そして、生きている限り、なにかしらとつながっている。
めぐりめぐって、「存在」そのものが、世界に響いていく。

だから
「自分を生きる」
それだけで十分なんだ。


言葉にしきれていない思いが
まだまだ渦巻いているけれど
ひとまずこれが、今日の精一杯。

今日も生きていてくれてありがとう。
あなたも、わたしも、みんなみんな。

まとめ)311のあとの日々

3月11日の大地震と津波
そして東京電力・福島原子力発電所の事故

膨大な情報と
渦巻く感情と
先のみえない不安に
振り回された日々を経て

わたしは、わたしを、生き切ろう。

そんな覚悟を決めつつあります。

311以降のことは
客観ができるようになってから
あらためて書こうと思っていたのですが
それでは意味無く思えてきたので
(面倒だったとも言う)

mixi日記をどーんと
転記しました。

文体や、読み手への姿勢が
mixi仕様ですが

ショックで自失しているところから
徐々にショックをアタマで理解して
次に身体で感じて
その衝撃を癒しながら
方向性を見定めている感じが
そのまま出ていると思います。

興味のある方は、どうぞ。

3/15)どうにもこうにも
3/19)お気に召すまま
3/19)リセットしよう~おすすめいろいろ~
3/20)自分をみうしなったら
3/22)爆発したい
3/23)社会に対する責任も、解放!
3/26)原発はわたしのなかにもある。
3/27)可能性のかけらたち。そのうしろに
3/27)いいとか、わるいとか、もうたくさん!
3/29)閉ざしたくなったら
4/2)遅刻に関する考察


ニュージーランドに
マオリ族が入ってくる以前から存在するという部族
ワイタハ族の長老テ・ポロハウ氏の
講演会レポートを読みました。
http://plaza.rakuten.co.jp/leamalaki/diary/201103210000/

わたしは
早く「生」から解放されたい
そう思っているところがあります。

生きるのが苦しかったときも
生きるたのしみを得たあとも
それは変わらない。

わたしが龍族の一員で
シリウスに戻れるというなら
早くかえりたい。。。

でも
わたしの身体が
いまここにあるということは
わたしはまだまだ
与えられたエネルギーを
出し切っていないということ

自分自身を惜しみ無く差し出す
自分自身を生き切る
それだけが
わたしをゆるすことのできる生き方で
死にゆくみちなのだと
心に刻みつけて

あとは
行動あるのみです。

どうせならたのしく
たららんと
遠足気分で
いこうとおもいます。

遅刻に関する考察

最近また、時間の約束を
守れないことが増えている。困る。
これまでにもう何度も何度も
原因やら対策やら考えてきたけれど
昨晩から、また、つらつらと
mixiボイスに書いていた。

そうしたら
いろんな人がコメントをくれて
追い風も逆風もあって

おかげで
自分ひとりではみえないもの
辿り着けないところまで
行けたかもしれない。

出てきたキーワード:
 「過去への反発」
 「時間は有限」
 「死生観」
 「怒りのエネルギー」
 「男性性」

結論:
 自分を生き切る。

経緯:
 以下、自分のコメントを抜粋。

時間の約束を守るのがいまだに苦手。あまったれてるなー。約束は守ることが前提になってる。守れないのは、自分を裏切ること。守れないなら、しないほうがいい。
わたしは時間を守るのが苦手だ。っていう言い訳に、逃げすぎてた。そうだとしても、それでも、約束を守る努力はしなくちゃ。

いままでに何度も探ってきて、守ってる「なにか」もいくつかアタリがついて、だいぶマシになってきてもいるんだけど、どうもまだ核心じゃないんだよなあ。。。このタイミングで顕著になってるということは、男性性方面か。。。

時間を守ると、失われてしまうもの: 思いつき(インスピレーション)、注目、あとなんだっけな。

時間軸に反発してる感じがあるんだ。時間なんかに負けるもんか!と自己主張したいような。時間そのものと仲良くできてない。つまり、「有限」という概念と、折り合いがついてない。ってことか?

ポイントは「反発」かなー。時間を気にしているときって、ほんと受身で被害者。自分軸じゃなくなってる。そういう状態を選んでいるのも、また、自分なのにね。

自分のこだわりや思いつきを優先して、約束の時間に遅れて、結果的に相手も遅れてきたとか、そのほうが都合がよかったなんてことがあると「勝った!」と思ってる、気がする。わたしはなにと勝負してるんだ?

待つのは別に気にならない。どーしても急ぐ理由があるときは、自分だけ先に動いちゃうし。ああでも、待ち合わせ場所が自宅だったら、落ち着かない気持ちではいるかもしれない。あとどれくらい、自分の時間の持分があるかなあって。持ち分。これもキーワードっぽい

「待たされてる人がイライラする、不信感を抱く、時間を無駄だと思う、楽しみにしてなかったのか、なにかあったのかとかんぐる」などについては、相手の受け取り方であって、わたしがあれこれ考えても仕方ないと思ってる。
時間通りであればよけいな詮索をされにくいだろうことは分かるが、それを理由に自分を律することは、わたしは出来ない、っていうか、たぶん、したくない。

約束に遅れることを悪いと思っていると、決まりが悪くて遅刻連絡を入れるのを躊躇したりする。目的は「遅れること」ではなかったのだ。約束と、それ以外のことと、どっちが大事とかでもない。単なる「変更希望」であるのに「時間は取り返しがつかない」という概念に、やられてしまう。

相手の時間を奪っていること、自分(の時間)を軽視してること、それは分かる。でも、それはモチベーションにならない。時間の貴重さが分からないんだと思う。
死生観とリンクしてる気がしてきた。

「約束をした時点の自分」にしばられたくないと、「いま現在の自分」が反抗している感じもある。
抗議したいだけであって、ほんとうに他のナニカをしたいわけじゃあない。
あ、そっか、過去の自分のせいにしてるわけね、いまそのときに「息苦しい思い」でいることを。おまえのせいで、こんな思いしてるんじゃー!って怒ってる。

間に合わないかも?と思った瞬間に、スイッチがはいる。おまえなんかに負けるもんかって気持ち。わたしはいまのほうが大事だもんって開き直ったり。わたしはきっと、過去というものを軽んじている。

「過去」をみとめる。「過去」を取り込んで、手放す。これがうまく出来るようになると、きっと、いろんなことが解れていく。遅刻癖も、片付けられない荷物も、彼女との関係も。もしかすると、原発問題も。

社会人失格なのはわかってるんです。知ってるの。どれだけ迷惑をかけてきたことか。どれだけ自分の首をしめてきたことか。それでもやっぱい出来ないで、ここまできてるんです。だからこうして考えてる。
「出来ない」は甘えなのも、わかってる。だってわたしは甘えたいんです。わたしのままでいたいの。無理やり動きたくない。無理やりじゃなく、約束を守ることが出来るようになりたい。そういうわたしで在りたい。

「どうせわたしはダメ人間ですから」って言い訳して、なにかから逃げてるのかな、と思ったことがあるな。でも、その「なにか」がどうもすっきり見えてこないんだよね、おなじく。。。エネルギーの法則からいくと、本来エネルギーを使いたいものが「なにか」なのか。。。だよなあ。。。

怒りのエネルギーを、怒りとして使えていない。ここもたぶん、ポイント。
時間をしっかり守れる人というのは、どちらかといえば男性性寄りな、いまの社会に適応できているという感じ。怒りを推進力にしていける人たち。

「時間を守ることが大切」っていう日本社会の無意識に対して、反発してる側面も、あるな。で。おそらく、きっちりエネルギー使い切ってるときは、そんなところに余力がいかないから、時間通りかどうかなんてどうでもよくて、結果的に間に合っちゃったり、なんとかなったり、するんだろうな。

3/29)閉ざしたくなったら

2011年03月29日09:23の
mixi日記を転記

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ついったーTLにあふれる沈鬱な声に

昨晩からついさっきまで

負けるもんか!って力んでたけど

あらがうのやめてみた。

負けたくないけど、負けちゃうことも大事だ。

怖くて表現できなければ、はじーっと溜め込んだら、反動ではじけられる。

怖くて怖くて怖くて、安心したいなら

手当たり次第に情報を集めいれるのではなくて、吐き出そう。

いま自分に起きている感情を、否定しちゃうのが、いちばんしんどい。

世界が、愛である以上、闇が闇のままってことはない

変わらないで在り続けるものなんてない

信じるポイントは、そこだ。

そこだけちゃんと掴んでれば、あとは、ながされても大丈夫。

放射性物質のように飛散しているこの「恐怖」に、ひらいていよう。

悲痛な叫びに、困惑の呻きに、耳を傾けていよう。

----そう思った瞬間、あえぐように息をしていた。

そうだ。呼吸だ。

吸って、吐く。

愛に換えて、送り出す。

生きるとは、痛むこと。

そのことを受け容れよう。


TLには時折、笑いも雑じっている。

だいじょうぶ。まだわたしたちはやっていける。

吐いたら、また、吸う。

二酸化炭素を取り入れ、酸素を放出する木々のように

くりかえしくりかえし

命尽きるまで。


Osho禅タロット

28. 受容性

聴くことは、神の寺院に入るためのもっとも基本的な 秘法のひとつだ。聴くことは、受け身であることを意味す る。聴くことは、自分を完全に忘れてしまうことだ――。 そうして初めて、あなたは聴くことができる。ある人の言 うことを注意して聴いていると、自分のことを忘 れる。自分のことを忘れられなかった ら、けっして聴いてはいない。自意識 が過剰だったら、あなたは聴いている振 りをするだけだ――聴いてはいない。う なずいたり、ときには「はい」とか「い いえ」とか言うだろう――が、聴いては いない。
聴いているときは、あなたはまさに通路、受 け身、受容性、子宮になる。女性的になるのだ。そして、 行き着くためには、人は女性的にならなければならない。
攻撃的な侵略者、征服者として神に到達することはでき ない。あなたが神に到達できるのは、ただ……あるいは、 こう言ったほうがいいだろう――神があなたに到 達できるのは、あなたが受け身、女性 的な受け身の状態のときだけだ。あなた が陰(イン)に、受け身になったとき、扉が開か れている。そして、あなたは待つ。
聴くことは、受け身になるためのアートだ。

Osho A Sudden Clash of Thunder Chapter 5


解説:

「受容性」は女性的なものを、水と感情の受容的な質を表わし ます。両腕は受け取るために上へと伸ばされ、彼女自身はすっか り水の中に浸かっています。彼女には頭がありません。自分の純 粋な受容性を妨げる、忙しい攻撃的な心がないのです。そして、 自分がいっぱいに満たされると、絶えず自分を空にしてあふれ出 させ、さらに多くを受け取ります。彼女から出ている蓮(ロ-タス) のパターン、あるいはマトリックスは、私たちが宇宙と調子が合ったとき に明らかになる宇宙の完璧なハーモニーを表わします。「水の クイーン」は限界のないひと時、どのような期待も要求もなく、 生がもたらすすべてのものに感謝するひと時をもたらします。義 務も、利点や報酬を考えることも重要ではありません。感受性、 直観、そして慈悲こそが、まさに今輝き出ている質であり、私た ちひとりひとりを隔て、私たちを全体からも隔てている障害をす べて溶かしています。

3/27)いいとか、わるいとか、もうたくさん!

2011年03月27日14:00の
mixi日記を転記

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ボーリングの話。

わたしはスペアをとるのが苦手だ。
「あれをとらなくては」そう思うと、途端に、手元が狂う。
ゲームに勝とうと思わなければ、いや、スコアを伸ばそうと思わなければ
別にとれなくたって構わないのに。
ただ投げるのをたのしめばいいのに、「とらなくては」と思ってしまう。
だけど、そのプレッシャーを越えてスペアを取れたときのヨロコビは、格別。

いまの日本の状況は、どうやってスペアを取るか?というゲームをやっているのかもしれない。

ピンがぱーんとはじけるようなストライクこそが、ストライク!
そんなイメージを描いているというオットは、
ピンポイントを狙っているからか、なかなかストライクが取れない。
その代わり、スペアは簡単に取る。

彼にとってはスペアの方が「範囲が広い」らしい。
あの辺に当たれば倒れるでしょ。という感じだというのだが
それはわたしの1投目(たまにストライクが出る)と同じ感覚なんだよなあ。

1投目で8~9本とって5連続スペア、なんてことを
あっさりやってのけるので、彼の方がトータルスコアは高くなる。

「ストライクは損だ。投げる回数がすくない」とオット。
負け惜しみ!とわらったけど

わたしたちは、スコアを競っているわけじゃあない。
ピンを倒すあそびをしている?
倒れるかどうかすらどうでもよくて、ただ、投げるのをたのしんでいる?
人によってはスコアを競うことがたのしいかもしれない。

どれも、たのしみかたとしては、アリだ。

昨日の朝からいままで、ひたすら寝ているオット。
おそらくきっかけは、わたしが「お金」を理由に彼の思いつき行動に渋い顔をしたこと。
それについては昨晩反省して、謝ったのだけれど。いまだ布団から出てくる気配はない。

わたしが爛々としていて
オットが悶々としているときは
なにか見落としているときだと決まっている。

なんだろう?

かまきりさんのブログから転載
http://processkamakiri.blog109.fc2.com/blog-entry-1316.html
我々は現実そのものではなくて現実について我々が抱いているイメージに対応しているという構図には真実性があり、だからイメージから外れた現象が起きると一生懸命考えたり行動したりしてイメージと現実の不調和をなくそうとする。

(中略)

イメージ、つまり世界観自体を修正するか、あるいは起きた現象を無視するかという二者択一に迫られる。

前者はやや時間がかかるのでとりあえずは後者が自動的に選択され、起きた現象を受け入れないために「こうしておけば起きなかった」という理屈をいろいろ考えたり、「こうすれば回復できる」という行動を選んだりする。

さっきチェックした、断捨離のあとはリバウンドしやすいので注意。という話にもどこか通じてる。
http://ameblo.jp/nagarenomama/entry-10835707934.html
断捨離をすると急激に物が減ったので違和感を感じます。
心の満たされていない部分を物でごまかしていたからです。
物が少なくなる事で心が満たされていなかったという事をイヤでも実感する事になるからです。
そして、本能(ホメオスタシス(恒常性))で元に戻そうとする為にまた物を増やそうとします。


ダイニングに山積みにしている
長年ためこんできた紙袋たちの片付け
中断してそのままだ。流しの洗い物もだんだんたまってきている。
わたしは、なにか誤魔化したいのかもしれない。


3月16日~23日、被災地へ医療スタッフとして行かれた看護婦さんの日記
http://blog.goo.ne.jp/flower-wing

これを読んでいたら、おかあさんがリュックを抱えていたところで
あたりまえのように泣けてきた。

そうだ、この事故はやっぱりかなしいのだ。
誰かが亡くなること、誰かが遺されること、それはもちろん
そういう場にあっても大切な誰かを大切にしようとする気持ち
ヒトという生き物の、あたたかさ、せつなさ…
わたしはそこから離れすぎていたかもしれない。

わたしが「とらわれたくない」とした過去の知識経験たち
ぱっと見は無機質なようだけれど、
その裏にはたくさんの感情が動いていたのだ。
わたしがいま「脱原発」を志向するように
「原発量産」を志向してきた、たくさんの誰かがいたのだ。

大戦で勝利する、という唯一無二のピンポイント・ストライクゾーンを外してから
ひたすら、とにかく、スペアを取ろうと、希望をもって投げ続けてきたんだ。

もういいよ。
頑張るの、やめよう。
島国ニッポンの身の丈にあった、発電を、経済を、生活を、しようよ。

ぱーんと弾けるイメージ通りじゃなくても
ただ真ん中あたりを狙ってたまたまだったとしても
ストライクは、ストライクなのだし
もしストライクがとれなかったら、もう1回投げられるんだし
もしスペアがとれなくても、次のターンがまたやってくる。
なんにも狙わないで、投げることをたのしむんだって、いいんだよ。
いっそのことピンがなくたっていい。
たのしければいい。

自分のなかにふと湧いたことを伝えたとき
誰からもどこからも反響がないように見えても
いま、みえないだけかもしれない。
ただ、みえないだけなのかもしれない。
それを「拒絶」だとか「無視」だとか勝手に勘違いして
閉じてしまったら、やめてしまったら、
それは世界を信じていないってことだ。
自分を信じていないってことだ。

そんなかなしいことは、もうやめたい。やめよう。

わたしはたぶん「可能性をみつけるあそび」に執心し始めていた。
それを投げて、ぶつけて、響きをたのしんでいた。
でも、あれは自然に湧くにまかせていいのだ。
ああだこうだとこねくりまわして、考え出さなくていい。
ましてや、響きをたのしみに投げたりしたらダメだ。

なにかが響くということは、なにかが動くということ。
動くということ、変わるということは、痛みを伴う。
それが心地よさや感動であったとしても
相殺どころか打ち消されてしまっているだけで
ちいさなちいさな、痛みとかなしみが、必ずうまれている。

それは決して避けられないし、避けるべきことでもない。
だけれど、そのことを、忘れないでいよう。

むやみやたらと「当てること」「響かせること」をイメージするのをやめよう。
当たらなくても、響かなくても、当てるべきなにかがないとしても、
意味がないことにはならないのだから。

誰も買い手のいない「絵」を描いたことは、価値がない?
誰にもみせない絵には、意味がない?
そんなことはない。

かたちのないものが「絵」としてあらわれるとき
そこにヨロコビがある。
それで十分なんだ。

あなたも、わたしも、この世に形をもって生まれてきた。
いまここに、あなたがいて、わたしがいる。かたちとして存在している。
そこに意味やら価値やらは、必要ない。

誰かと誰かが交わるエネルギーが融合してうまれたのが、わたしたちだ。
放射性物質となんら違わないじゃないか。
いいとか、わるいとか、もうたくさん!


というわけで、PCを離れて、
溜め込んできた紙袋たちに愛と感謝を抱きながら、
片付けを進めることにしますww

3/27)可能性のかけらたち。そのうしろに

2011年03月27日11:19の
mixi日記を転記

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昨日はとても満ち足りた気持ちで過ごした。

わたしのなかで
恐怖が可能性に変わった。

高濃度の放射性物質が検出されても
政府が後手後手でもたついていても
休止中だった浜岡原発を動かすと知っても
べつに気にならない。

すべての可能性はいつもひらかれていて、
わたしたちにはいつでもなんだって選べる自由がある。

そういうニュートラルなところからみたら
原発も放射性物質も、良いものでも悪いものでもないので
停めても、停めなくても、だいじょうぶだと思った。

わたしの志向としては、原発は使わないで暮らせるのが好ましいから、
停止の署名もするし、電気は必要を見直しながら最低限しか使わないし、
自然エネルギーを応援する。
わたしの志向に沿う未来がやってくるように、選べるものを選ぶ。

世界はいつだって常識破りだ。
世紀の大発見が繰り返されてここまできたのだ。
だとしたら希望を
「無理」だとか「有害」だとか過去の見識からくる「常識」ではない
まだ形になっていない可能性があると、信じる。

そう決めたら
目に入ってくる情報が、ぐんと変わった。

★【チェルノブイリで、放射能を食べる菌を発見】http://bit.ly/fbzqpN

「人智を超えた地球の自己治癒&再生力」という煽り文句がついてるけど
この菌は、放射能で元気になるだけで、放射能を吸収分解するわけではない。
mixiボイスにこのニュースを書いたあとセラピスト・ふたこわたるさんに指摘されるまで、
この「まやかし」を見過ごしていた。あぶないあぶない。
その点は注意しなくちゃならないけれど、
放射能を「害」どころか「プラスエネルギー」とする菌がうまれているっていうのは
やっぱり朗報だと思う。それこそ、いまわたしが見出したい可能性。


★TERVE !! : 被災地の赤ちゃんたちに届け!! http://htn.to/aW6Nd3

フィンランドにはお湯の要らない紙パックミルクが売られている。
そのメーカーの関連企業が日本にもあるから、被災地に届けてくれないかなあ。
だれかその企業に働きかけて!
というRTがまわってきたのは、地震の数日後だったと思う。
その後、フィンランドの日本人ママたちが自分で動いてくれていたようで、
フィンランドから「お湯不要ミルク」を発送し、日本国内での受け入れ先と配送手段まで
きっちり整え、ちゃくちゃくと進んでいたということを、今朝、知った。ブラボー!

アイデアを言ったあと
でも自分は無力だし、などと投げ出さないで
ただ信じて待つのではなくて
たとえ一部分でも自力で実現する手段があるなら、動く。
これ、きっとひとりだと難しい。
くじけやすいし、情報を得る範囲はちいさいし、
ひとりに与えられている時間と気力体力と能力には限界がある。
でも、仲間がいれば。
足し算ではない。
掛け算で拡がり、進んでいく。


★公務員宿舎など4万戸無償提供

これも今朝、目に入ったニュース。
我が家の近くに、半年くらい前に閉鎖した国所有の公務員住宅が3棟と集会所がある。
こういうのを被災者向け住宅にすればいいのに。と、わたしがtwitterに書いたのも地震の数日後。
近所の住宅が活用される対象かどうかは分からないけれど、近い形で実現。
これは至極常識的な展開ではあるので、驚くほどのことではないが、ちょっとうれしい。


★ネイティブアメリカンの言葉(@Native_Spirits)
「知識ではなく、知恵を追い求めよ。知識は過去のものであり、知恵は未来のものである」---ランビー

昨日おもいついて、twitterに書いたこと。

いま決死の覚悟で原発を冷やしているのは、爆発を防ぐため?再臨界を防ぐため?
もし「次の事態」を防ぐためではなく、5手くらい先の事態が起きること、
その後始末をすることを覚悟したら、もっと違うやり方があるんでは?

理論上、第3格納器は再臨界に耐えられるんだよね。それを試すわけにはいかないの?
それを実現してしまうと、人が住めない地域は、島国日本にはおさまらないのかな?
日本在住者は故郷を捨てる覚悟で他国に受け入れてもらうとかさ。


わたしの中に芽生えた可能性は、その時点で、世界の可能性だ。
シロウトの突拍子もない、夢みたいなアイデアを言葉にするのは、すこし、勇気がいる。
否定されるかもしれない、拒絶されるかもしれない…そんな恐怖に足がすくむときは
自分のなかにとどめているだけでも構わない。
それでも、それは、無いことにはならない。なんらかの形で響いていくだろう。
だけど、外にだせば、もっと響きやすい。
みずから1歩踏み出す方法だって、見つけられるかもしれない。

わたしには知恵がある。
わたしたちはみんな誰しも知恵をもっている。
常識を破ろう。

そんなわけでわたしは希望で爛々としているのであるが
ひとつ気がかりが。
わたしのうしろの部屋で
昨日の朝からオットが寝続けているのである。


(つづく・・・)

3/26)原発はわたしのなかにもある。

2011年03月26日23:42の
mixi日記を転記

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わたしは、いろいろなものを、置き換えて考えてみるのが好きだ。

そうすると、いろんなことが理解しやすくなる。

今日、はじめて参加したドラムサークルで
つながりを感じながら思いきりリズムに身をゆだね自由に生み出し
一緒に参加した友達とお昼を食べながら、散歩しながら、お茶しながら
たくさんたくさんお喋りして、おもいついた構図

原発は、恐れだ。
自然に対する畏怖。
未知に対する恐怖。
それを、「経済」や「効率」をエサに、抑え込んでいる。
大戦に負けた、原子力に負けた、その悔しさが、裏目に出ている。
コントロールできると、コントロールできなければダメなんだと、思い込んでいる。

おもうに、日本人は古来もっとおおらかだったのではないか。
そうでなければ地震と火山のちいさな島に、住み続けることは難しかったはずだ。
コンクリでも石造りでもない、しなやかで燃えやすい木造の家に住む人たちは
もっと、自然の揺りかごに身をまかせるのが、上手かったのではないか。
大洋に面した地域では、どんなに面倒でも
「ふるくからの言い伝え」を守って高台に住んでいたのではないか。

「経済成長」という夢を追い続けて、地面をコンクリで固め、
コンクリの家を建て、海辺でも足らなくて埋め立てまでして、
持ち前の誠実さを、神経質なまでの正確さに変えて、
世界の中で浮かないように挙動に細心の注意を払い続け…
がっちがちに張り詰めながら
「世界」に認めてもらいたかった、見返したかった、日本。

鎖国していた江戸時代が、母の胎内にいた頃とすると
明治、大正と成長して
反抗期になった昭和初期、経済重視の力比べに負けるという洗礼をうけ
躍起になって24時間働き続ける社会人になり
たまに勇気を出して自分らしさを表出させると叩かれ
いまは、そうだなあ、ストレス性胃炎で苦しんでる感じか。
もしくは、定年退職直前でリストラに遭ったとか。

そして

① 世界各国 - 日本 
② 日本国民 - 原発
③ 旧式日本社会 - わたし

これらは相似形になってる。

時として

④ わたし - オット

というのも。

左側の存在は、「経済」「効率」「歴史」「見識」を理由に、右を抑え込む。
右側が本来もっている「感性」「直感」「しがらみのなさ」からくるエネルギーは、対抗する術がない。

そんな図式。

でもね
わたしはもう手放したいんだよ。
やりたいことをやりたいときにやりたいように、やってもいいんだって、信じたいんだ。
それで大丈夫だって、信じたいんだ。

誰かに認めてもらう必要なんてない。
意味や価値なんて無くていい。
ただ、わたしはわたしのままに生きたい。
それだけがヨロコビだから。

ここからどう生きるのか
わたしたちはいつだって選べる。

わたしたちが、選べる。

核融合自体は単なるエネルギーで、副産物が怖いっていう話ならば
ただ沈静化させる以外のみちも、あると思う。
飼いならすのではなく、うまく昇華するみちが、あると思う。

原発を発電以外につかえないのかな?
日本人そういうの得意じゃないか。じつはもう誰かアイデアもってるんじゃない?
パンのなかに餡をいれたみたいに、2日目の肉じゃがをカレーにするみたいに、
斬新かつおいしいアレンジ。あるんじゃないかなあ…

「放射能物質自体がヤバい」とか「処理できない」とか、
そういう前提を見直すところからやったらいいのかなと思って。
甘いことを言ってるのはわかってる。でも、可能性ゼロだと言い切りたくない。

忌避し続けるのは無理だと思ってる。
だとしたら、忌避しないで済む方法を考える方がいいかなって。
そしてきっと、日本人はそれを見つけられる。

放射性物質を「害」とみなして忌避しながらも
無毒に、いや、有益にするみちも、探していけると思う。

世界には69億もの人がいるんだから、
誰かひとりくらい、素晴らしいアイデアを生み出すんじゃないか?
それを実現できる人、手伝える人、支援する人、みーんな揃ってるんじゃないか?
そんな夢を描いて、信じてる。
わたしは信じる。

「どうなるかわからない」ということは
「どうにかなるかもしれない」ということ。

怯えて立ちすくんでたら、いつまでも怖いだけだ。

なんにもみえない不確かさは
なんにも決まってない自由だと
読み替えることが出来たひとから

どんな未来が心地良いか、感じ取って、そちらへ1歩踏み出そう。

たとえば、仕方なくでも流されてでもなく、節電するとかね。
たとえば、ただ受身でいるのではなく、感じたことを発信してみるとかね。

そして身近な人を
友人を、家庭を、親族を、地域を巻き込もう。

いまの日本をひとりで引っ張れるリーダーはどこにもいない。
だったら、スイミー作戦でいこう。
無数のリーダーたちがつながれば、きっと、乗り切れる。

日本の人たちには、それが出来るって、わたしは確信してる。

Lovely x2 way, Can't see the way?
夜が深く長い時を越え
今日のわたしは夢と希望に満ちている。

この世界のラブリーっぷりに、めろめろになっている。

Life is the show time!!!

3/23)社会に対する責任も、解放!

2011年03月23日11:00の
mixi日記を転記

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やっぱり飲みまくってばったり寝て今朝になってみたら
仮に爆発しても東京以西はだいじょうぶ。という情報をゲット。
http://ameblo.jp/satoshitaka/entry-10834940369.html

マイミクさんの日記で
放射能もまあさして怖くはないよね、と再認識したし

うん、このままいけそうかもしれない。

原発は爆発しないほうがいいけど(作業者や近辺のひとはどうしたって被害が出る)
わたしは爆発したってだいじょうぶなんだよな。

わたしはたぶん「つながり」を感じているひとで
だからこそ「責任感」がうまれているように思う。

しかし取扱いに注意だ。下手すると同情とおなじく相手をみくびっていることになる。
わたしの責任感はおもに「平和であること」を目指して発動するのだけれど
時として「現状復帰」に躍起になってしまう。
オフィスなどのネットワークインフラ保守をやっていたこともあって
トラブルのない状態、トラブルが起きる前の状態にしようとしてしまう。

トラブルが起きたときに、どうすべきか。という確認作業をすっとばして
可及的に速やかに最大限自分をつかって、やっちゃうんだよねー。
じつは先月だったか、バイト先でそういうことがあったのだ。
それで、そこまではやらなくていいです、って言われて、ものすごく不満だった。

しかしねえ。トラブルがあってはじめて分かる脆弱性というのもあるし
そのおかげでひとやすみできたり、するかもしれないし
「いつもの自分」以上の力を発揮してまでやらなくたって、いいんじゃないか?

これって自分を認めてもらいたい欲求のあらわれだと思うんだけど
冷静に考えてみれば、あまり効果的ではないよね。
「いつもの自分」でない状態は、周囲の人にいい影響を与える可能性は低い。
だれかやなにかの「無理」は、どこかにしわ寄せがいく。
たんたんと、いつものペースで、自分を保てる範囲で、やればいいんだ。

被災地についても、発電量についても、同じ。
前の状態に固執しない。
つぎはぎだらけのやり方じゃなく、本来の意向を確認して再構築する機会、
あたらしく変えるチャンスだとみれば、こんなにすてきなことはない。
インフラ系以外でのトラブルは、そんな感じで前向きに活用するのが常なのに
インフラはちゃんとしてなくちゃ!ってどっかで思ってたみたい。

そして、もうなくなったかと思っていた「自分を越えた」責任感
まだ、社会に対しては、残っていたんだなー。
両親や実家に対して、オットに対しては、去年までに手放した感があって、すっかり安心してた。

わたしにとって「責任感」は背骨みたいなもの。
わたしの生き方、在りかた、存在意義を支えてきたもの。
だるま落としのように、順番に落としてきて
だんだんシンプルになって、最後は顔だけになって、
もしかするとそれすら要らなくなる。

だって意味なんてないし
意味がないからこそ
人生はたのしいって
もう知ってるから。


あーーーーー力が抜けた!
抜けると、どれだけ力がはいってたか分かる。
今晩からはまともな酒量に戻るであろう。よかったよかった☆

3/22)爆発したい

2011年03月22日23:16の
mixi日記を転記

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わたしはずーっと前から爆発したかった。
もしくは、地球を爆破したかった。

という話は
何度か書いているんだけれど

いままた、爆発したくなっていて
それはまさに、原発とリンクしているなあって思ったら
めちゃくちゃ感情移入した。
あああああくるしいよーーーこわがらないでよーって泣き叫びたくなった。

能ある鷹はツメを隠すしかなく
とぼしい資源はむさぼられ
出すぎた杭は打たれる。

もうたくさん!!!


ああ。
バリバリ書いて発散したいのに
ちっとも指が動かないで、ほかのサイトをみたりしている。
ものすごい、エッジがあるみたいだ。


口蓋の口内炎がなおらないまま
今日になって、口角炎も発症して(いわゆるカラスにお灸をすえられた状態)
ああ、エネルギーが渦まいているなあ、と思う。
原発から蒸気が漏れ出るように、外に噴出してきたなあ、と思う。

昨日はカラオケが満室で
仕方ないから食べて誤魔化して、帰宅して味噌を仕込んだ。
お酒をたくさん飲んで、情報はみないで、ばったり寝た。
ここのところ毎晩そんなかんじだ。

エネルギーの行き場がない。

ハプナイベントのきっかけになったTFゲームで
わたしを守護してくれたのは「responsibility」の天使で
地震翌日だったか、一緒に過ごしたひとから「責任感つよいね」と言われ
だるくて動けなくてバイトを休んだら「責任感がつよいときいているので」と言われ

いまわたしがくるしいのは
責任感がキーワードっぽいなあとあたりがついた。

長女としての、エルダーとしての、責任感。

わたしは責任を負える範囲を、長いこと、間違っていた。
原発をコントロールできると信じていた一部の日本人と同じように
わたしは、わたしに関わるものをコントロールできるし
コントロールする責任があると思っていた。

それはたぶん、線を引くことでもあった。
ここまでは、わたしの責任。
ここからは、誰かの責任。

そうやって殻をつくって、内にこもって、悶々としていたわけだ。

でもほんとうは、殻なんてものが、そもそも要らない。

これ以上は出しちゃいけないとか
そういう境界を作ってる時点で
自分を苦しめてる。

そんなものははじめからないのだ。

いつだって駄々漏れだったのだ。

だからもう、守らなくていい。

爆発しようたって
爆破するものがない。
世界はシームレスだ。

いまは危険にしかみえない
この「能」は
外へ出てみれば
いつかあとからみてみたら
とっても役に立ってたりするんだよ。

おそれられているちからが
うけいれられることを待つまでもなく
ただ、流れていきますように

役に立っても、たたなくても

ただ、流れていきますように

3/20)自分をみうしなったら

2011年03月20日20:30の
mixi日記を転記

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きのう、実家に行ったら
母が草餅をつくりはじめた。

近所のお寺の裏庭で摘んできたヨモギと
自分で炊いた餡子で

こねるのと
まるめるのは手伝った。

失敗作は自分で食べた


なにも予定のない連休
味噌でもしこむか

そう思って

買いためた大豆をみたら
5kg以上ある。

米こうじの袋にあるのは
大豆:1kg

そう、5kgの味噌をつくるのに
乾燥大豆5kgはいらないのである。

とほほ・・・


せっかくなので
日常用の信州味噌(6ヶ月~1年熟成)とは別に
熟成2~3年の仙台味噌の割合で仕込んでみようかと、思う。


自分が情報ハブにでもなった気分で
mixiボイスにあれこれ書き込んでいたけれど
余計なお世話。というひとも、いたかと思う。

わたしは情報はとにかくたくさんあつめて
自分で判断するタイプの人間なので
mixiにはあまり流れてこなさそうな
情報はどんどん、流そうと思っていたけれど
余計なお世話だったかもなあ、と思い直し。

でもやっぱり
「これ知ってるー?」って
みんなに言いたい気持ちもあるので

まあ、ほどほどにします。

3/19)リセットしよう~おすすめいろいろ~

2011年03月19日08:22の
mixi日記を転記

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地震から1週間。
わたしはかなり元気になってきました。
食欲のなさも、強烈な眠気も、おさまってきたし
お酒を飲みすぎるのも、口内炎も、いつものことだしw
最初の数日、どっかり、ぐったりしてたのが、よかったかなー。
どうしてもの仕事もなく、育児介護もなく、休みたいときに休めたことに、感謝。

休みたくても休めないよ!とか
いまだからこそがんばらなくちゃ!とかで
この連休にどかーんと、はたまたこの先じわじわ~っと来そうな方を想定して、ちょこっと情報を。


田口ランディさんブログより抜粋
[身体にもどろう] http://t.co/I8z0ROF
ものすごく現実的な下世話な話しを友達して、冗談を言って、バカ笑いする。
強制的に別のバーチャルに逃げ込む。面白いDVDを借りてきて見てしまう。
身体はほんとうに正直で、そして素直で、そしていつも「私の味方」です。


整体院きらくかんブログより抜粋
「不安に引っ張られない!小さな幸せ探しゲーム」
http://plaza.rakuten.co.jp/okirakukan/diary/201103180000/
普通に生活もできている。なのに、不安で落ち着かない。
そんな時は、まずはシコです!
もし、それでも落ち着かない、眠りも浅いようなら、
首の肩寄りの付け根を温かいオシボリで繰り返しあたためてみて~

「こんな時はなでなでしよう」
http://plaza.rakuten.co.jp/okirakukan/diary/201103150000/
不安で呼吸が浅い感じがしたら胸をなーでなで、あたまをなーでなで。
体やおなかがふわふわして「どうしよう、どうしよう」っていう気持ちが止まらなかったら、
足の裏やおなかをなーでなで。
なでなでの「さする動き」はリンパの流れがよくなって
からだが温まってきます。
また子どもたちもテレビのショッキングな映像や、いつもと違う日常生活で
思いのほか緊張していると思います。
頭を触ってみて、カチカチだったらぜひなでなでを!!
頭やおなかを中心に、あとは「どこをなでなでしてほしい~?」って
リクエストを聞いてあげるのもいいよ。

そして何より、なでなでを通して「生きものに触る」ということが安心感を与えてくれます。
「生きものを触ると安心する」
これが共に生きていくための素晴らしい本能なのです。


精神的ダメージが響いてるなーという方にはこちらもおすすめ。
twitterで知り合ったジュエリーデザイナーさんのブログから行って
清流にあらわれたような心地になりました~

hirakuさんブログより抜粋(スピリチュアル系です)
地震直後からずっと見えているイメージを文章化しています。
リアルを見て不安になった時にこのレポートを読んで頂くと
ちょっと安心して頂けるのではないかなと思って書いています。

「何層もの祈りと守りが日本を包んでいます。」
http://ameblo.jp/hiraku-harmony/entry-10830138292.html

「たくさんの存在がわたしたちを見守っています。」
http://ameblo.jp/hiraku-harmony/entry-10832035904.html

「さらに支援強化されて新しい段階に入りました。」
http://ameblo.jp/hiraku-harmony/entry-10833868884.html

「風がとても強いですが」
http://ameblo.jp/hiraku-harmony/entry-10832421320.html
地震に津波、原発(原爆)、そして大風(台風)。
日本が持つ、わたしたち日本人が持つ
トラウマがどんどん目の前にやってきます。

今はそれを解放させるための時間。
それぞれから感じることを
書き出して、または声に出して
隠していたものをかいほうさせましょう。
ただ、見つけて出すだけ。
それだけでいいです。


hirakuさん、遠隔エナジーパッチワークというのを無料で提供してくれています。
あなたがこの事を知っていれば、あなたがポイントとなって
周りの人にもエナジーパッチワークが起こります。

30分間、ゆったりリラックスできる場所で、
テレビやラジオは消して、
出来れば横になって、受けてください。
好きなようにごろごろ動いてもいいし、眠くなったら寝てください。

今回、誰かと一緒に受けたい場合は
その方の手をにぎったり、からだの一部にさわって、
「エナジーパッチワークを受け取ります」と
声に出して宣言をしてください。

たくさんの方と手をつなぎあってもできます。
あなたをポイントにつながっているすべての人に
エナジーパッチワークがおこなわれます。


信じる信じないは関係ありません、誰でも受けられます。

リラックスできる音楽をかけておいてもOKです。

☆期間中は何度でも受け取ってかまいません。
☆これはhirakuのエネルギーをおすそわけしているわけではなく、
 色んな領域の、皆さんをサポートしたいエナジーが行う
 ちょっと不思議なエナジーワークセッションです。
☆上にも書きましたが、それを信じようが信じてなかろうが、
 関係ありません。宣言すれば誰にでも届きます。


ということです。
詳細はこちら。
http://ameblo.jp/hiraku-harmony/entry-10832918862.html

いまこの世界で生きるすべてのひとが
そのひとのままで在れますように。。。!

3/19)お気に召すまま

2011年03月19日07:25の
mixi日記を転記

【補足】3月11日
わたしは横浜石川町の一軒屋サロン
HAPUNAさんをお借りして
アート展示イベントを主催していました。

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わたしはどうやら
電気の神様に愛されているみたい。

地震直後、イベント会場のハプナ周辺は停電にならなかった。
(自宅周辺は停電だった)

計画停電がはじまっても、自宅周辺は停電にならなくて
そうこうするうちに「除外地域」になっていた。

3つの職場のうち
1つは停電にならないねーと言っているうちに除外地域になり
もうひとつもやっぱり除外地域になり
残るひとつは、同じグループの道をはさんだ向こう側は停電になっているのに
その一帯だけは停電にならないという摩訶不思議。
電車の車庫があるからかなあ?よくわからない。

電車もいまのところ、運行休止で動けなくなったとか
大混雑で身動きができないとか、には、遭遇していない。

節電を心がけてはいるが、なにせ普段からしているし
(電子レンジ、洗濯機、エアコン、ビデオ、便座温水器、充電器などのコンセントは抜いてある)
(家にいればPC1台とリビングの蛍光灯はけっこうつけてるけど、あとはトイレの電気とか)
(掃除はホウキをメインに使っている。静かで良い)
職場でもかなり積極的に節電がすすめられているので
マンションエレベーターに乗り込んだあと気づいて、階段にしたりとか。

まあともかくそんな状況なので
これは「電気つかって、はたらきなさいよ」ってことなんだろうと。思っている。

そして「どうぞ好きにつかってください」と。

いくらでもなんでもはたらきます。おつかいください。そう思っている。

わたしのバイトは3月末で終わる。
そのあとは用意されていたかのようにまったくの白紙だ。
パソコンやインターネットと相性がいいのも、きっと布石。
(そういえば最近パソコン壊れなくなったなあ。キーボードは少々不調だけど。)
(冷蔵庫も、このまえの修理で部品総とっかえしてくれたようなので、きっと大丈夫だろう。)


イベントの初日、地震のあった日はじつは
わたしの家に天使ちゃんが来てくれた初日だった。
「エンジェルインビテーション」という、おまじない的なものを
お友達が、我が家にプレゼントしてくれたのだ。
(参考: http://ameblo.jp/emupachi/entry-10712794102.html)
イベントに力を貸してもらおうと思って、ありがたく、来ていただき
イベント会場にも一緒に来てもらえないかなーと
花やリンゴやキャンドルを持ち歩こうかとも思ったけれど
我が家にいてくれればだいじょうぶなんだろう、と思い直し
そして、地震。

わたしの願い事のひとつは
「社会へ還元する手段、方法とつながっていられるようお手伝いお願いします」
だった。

あの日、わたしは借り受けていた会場(すてきな一軒屋サロン)を
みんなの避難所として提供することができて
みんなでとってもなごやかに、たのしく、空間を共有していた。

わたしが子どものころから抱えてきた絶望を抜け出したきっかけは、ちきゅぼー合宿だし。
合宿はなにか、キーワードなのかもしれないなあとぼんやり頭にうかべつつ、
身体が動き出すのを待っている。

地震の翌日、様子見がてらハプナにいらして
合宿状態にもひるまず片付けを手伝ってくれたオッシング洋子さん(ありがとう!)が
エンジェルオラクルカード2を持ってきていた。
地球の上に天使が舞い降りるような図柄が気になってひかせてもらったら
天使に導かれて階段をのぼる子ども2人の姿が描かれたカードだった。

わたしは行くべきところへ行ける。
焦りはまったく感じない。
いまは、目先のバイトに専念する。

桜の咲くころには、もうすこし、なにかがみえているだろう。

3/15)どうにもこうにも

2011年03月15日18:40の
mixi日記より抜粋転記

【補足】3月11日
わたしは横浜石川町の一軒屋サロン
HAPUNAさんをお借りして
アート展示イベントを主催していました。

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動けないでいます。

昨日も、今日も、バイトを休みました。
昨日は電車通勤の職場で、日中だけ運休の予定が、
夕方には終日運休に変わってしまったので、行かなくて正解だったかな。
今日は、徒歩でいけるところだったんだけれど、
以前にも日記に登場している「あまり需要のない」職場だし、
行ったら帰ってくるのは19時過ぎだし、
雨が降るとか放射性物質がとかなんだか気がかりで、明日に振り替えてもらいました。

書くことで落ち着くんじゃないかと思いながら
昨日も、今日も、ろくに自分の言葉は発しないまま
ときどきながめるtwitterで、アンテナにかかったものをRTしまくっていました。
こういうときこそtwitterに書きまくるのが常でしたが
いつものように脳内だだもれするのも、なんだかはばかられて。

なんだか感情が凍結してしまったような居心地の悪さがあって
「判断」ができないというか、自分とつながっていないというか、
鬱っぽかった頃の状態にすごく近かった。
自分がどうしたいのか、みえないの。
ひたすら、寝られるだけ、寝続けたりして。
やっぱりこれはなにかアウトプットしないとなあ、と思いながら
やっぱり書けないでいたけれど
すこし前に、twitterでがんばっているひとのエネルギーを感知して泣けて
ちょっとラクになってきたかな。。。
オットも早上がりで暗くなる前に帰ってきたし。
物音にもびくつかなくなってきた。

今日は、6日ぶりに、家ごはん。
なーんにも思いつかないけど
あるもので、なにかつくろう。
味噌汁の具はワカメにしよう。

明日は、バイトに行こう。

「今出来る事をしっかりやらなければ」
「1, 募金する 2, 節電する 3, その前提で精一杯本業頑張る。」

いま出来ること、というと
どうしても「やすむ」とか「あそぶ」とかは
排除されがちだけれど
それもとっても大事。

つかれたらやすもう。
本業がんばれなくてもアタリマエ。
被災地でなくても、非常事態であることに変わりない。

イベント会場のハプナにいるあいだ
みんなの平和を守ろうと気をはっていた。たぶん。
(責任感がつよいね、などと言われたりしたので、きっとそうだとおもう)

ハプナという場の力を借りていたし
集まっていた人たちがみんな「自分の平和を自分で守れる」
「自己責任をわきまえている」人たちだったから、めっちゃ楽だったけど。
でも、やっぱり、いつもよりちょっとだけ、がんばっていたと思う。

テンションさげるのに、2日かかった。
それがわたしの精一杯だった。
それでいい。
自分が守れる平和、自分のなかの平和のために、必要だったもの。
これがわたしの「地球防衛」活動だ。

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