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2011年5月の記事

行き場がないのは

エネルギー注ぐのやめて
行き場を失ったエネルギーを
お酒で消耗させて
痛みを誤魔化して

さみしいのは
空いたスペースじゃなくて
関わりを断ったかのような状況
苦しいのは
次が見つからないからじゃなく
自分で出口を塞いでるから

距離を置いたら温度が変わって
そんな反応にさみしくなって
自信なくして
もうそっちには出さないって勝手に決めて
見ないふりして
でも目を離せなくて
出したい手ひっこめて
こんなのまるで自傷行為

次のなにかが見えてこないのは
やりきったと思ってないから。
ふてくされてないで、
おびえてないで、
自分スタイルでやり通してみなよ。
やれるとこまで
やらせもらえる限り
大事にしてるもの、大事だって言い続けなよ。

自分の気持ちに素直でいなよ。
どうせ痛いなら、そのほうがいい。

居場所のない感じ

参加して、場を動かして
軌道にのったら離れて
外側からサポートをする
それがわたしのコミットスタイル

自分から離れたくせに
さみしくなって戻る場所もなくて
エネルギーを持て余す
それがわたしの孤独のパターン

孤独はギフトだ
それがあるから
愛しさを感じる
それがあるから
次へ進める
わかっちゃいるんだけど

次がみつからない時間は
いつもいつも苦しい。

風通しのいい場所にいたい
見渡せる場所にいたい
いたいけど、痛い。

必要としてほしい
だけど
わたしはいつか居なくなるから
わたし無しで成り立ってほしい

そんなの余計なお世話?

なんか、なんか、なんか
かっこつけすぎじゃない?

さみしいなら
愛を伝えたいなら
自分からちゃんと行け。

一度手を引いたらおわりじゃなくて
どうせそのあとも見てるんだから
出したい手があるなら、出してみろ。

エネルギー持て余して
酒に逃げるくらいだったら
拒絶されても煩がられても
そこにイチミリでも可能性があるなら
そこにいま衝動があるのなら

ちゃんとコミットを示すんだ、自分のために。
勝手に閉ざすな馬鹿者よ。

かなわぬ願い

ぜーんぜん平気だと思ってたけど

ふとしたことをきっかけに

人生投げ出しモードに突入。

子どもを産み育ててみたいのにな。

わたしの願いは

一生かなわないのかな。

自分がかわいそうでみじめで

すべてをぶち壊したい夜。

なんでうちには

コウノトリがこないんだろう。

なんでわたしは

コウノトリを待ってるんだろう。

29日

ひさびさに不妊系のはなし。

なんと29日目でリセットした。
びっくり。
だってわたしの平均は34日とかで
30日をきることは、そうそうない。
ことしは
38→37→34→31 ときて
早めだなーと思っていたくらい。

排卵期、やけに落ち込んだり
めちゃくちゃイライラしたり
いつもよりかなり不安定だった。
タイミング的には、たぶん、ぎりぎり、間に合った。

高温期、お酒があんまり飲めない感じで
そんなに要らない気分でもあって
かなり体温高くてだるくて

石井ゆかりさんの星読みに
「誰か新しい家族のために居場所を作ったり」
「子どもができたり、実家から独立したり」
なんて書いてあったり
オットがとつじょ禁煙してみたり

出来ない理由も、ないよなー。なんて
けっこう期待してワクワクしていたんだけど
あっさりリセットしちゃった。

でも
なーんだ残念!
で、おわり。

なんの誤魔化しもなく
ほんとうにショックでもなんでもない
と、思う。

いつか、来るといいなー。
コウノトリ。

まんなかにいるために

わたしはシーソーの真ん中に立ってるのが好きで、
そこからぐるっと見渡して、 交通整理をしたり、
なにかとなにかをつないだりするのが、心底たのしい。

その真ん中を見つけるために、たまに、端っこまで行く。
めんどくさいけど、怖いけど、たしかめに行く。
それを繰り返している。

シーソーは透明で、足を踏み出してみなきゃ
端っこかどうかわからない。
シーソーは有機体で、勝手に伸びたり縮んだり。
突然なにかが乗っかったり。
真ん中で安穏としていられるのはいつも、一瞬。
だから、たのしい。

だれかがどちらかに居てくれたら、
わたしはその反対側を開拓していける。
つよく重たければそれだけ、勢いよく反対に行ける。
わたしの世界がひろがる。安心領域がひろがる。

つまり、シーソーは、
反対側に誰かがいてくれた方が、たのしい!
ぽーんと飛ぶ感じは、ひとりではなかなか味わえないのだ。


分離感はさみしさであると同時に
愛の源だなあと、しみじみ思う。

あなたがそこに居てくれて
ありがたくて、いとしくて、たまらない。

せかいはあいでできている

ひさびさに
恒例の夫婦げんか(?)
ケンカ売ったらオットは寝逃げ
肩透かしのわたしは思考迷路ぐーるぐる。

今回は、根っこがみえるとこまで行けた。大進歩!

わたしはただ、さみしかったのだ。
そして、そのさみしさは勘違いなのだ。

スッキリしたら今度はテンションあがりすぎて
エネルギーがあふれてて我ながらウザイ(笑)
これはこれでまたオットを疲弊させる。
どうしたものかなーと思い
いろいろ書き出しながら
とにかく呼吸してみた。意識的に。
ゆっくりゆっくり
自分をあじわうように。

そしてこれまたひさしぶりに
原発に思いを馳せてみた。

今回の自分たちのパターンを
あれこれ考えていたら

政略結婚だけどじつは惹かれあってて
仲良くなりたいから無視はできなくて
でも違いすぎるからケンカが絶えなくて
そんな夫婦のドタバタに振り回される周りのひとたち…

原発がそんな風にみえてきた。
まるで韓流ドラマ。

カギはきっと、夫と妻それぞれが、自分自身を中和すること。
相手と関わることでうまれるエネルギーを
自分自身に還すこと。

だいじょうぶ、まだ家は壊れてない。
あの夫婦は、家にいたいんだもの。
一緒に平和に過ごしたいんだもの。

世界には無限の可能性
あたらしいかたちに昇華していくこともあるかもしれない
ぶつかるんじゃなくて、ただそれぞれが静かに、愛をかもしだすような

嫌い嫌いも好きのうち
苦手でも、好きになれなくても、愛してるんだ。

ありがとう。
そこにいてくれてありがとう。

誰かがイライラしてるその雰囲気、オーラだって
愛のかたちのひとつだとわかったら、もう怖くはない。

愛を愛だと感じられるように
そのままの愛をうけとれるように
ふかく、しずかに、息をつづける。

わっきゃわっきゃと湧いていた
わたしの膨大なエネルギー
いつしかちゃんと循環していた。
おだやかにあたたかに巡っている。

せかいはあいでできている

なにも変えなくたっていい
ただ、気づけばいい
あれもそれもみんな愛

過去にみたものも
今あるものも
この先であうものも
みーんな愛だ。

変化と自信

ともだちの日記に書いたコメントが
ここ数日の気づきのまとめになった。

---

変化がこわいのは
これまで築いてきたものを
自分の手で壊してしまうかもしれないからで
つまりわたしは
これまで築いてきたものやってきたことが
けっこう好きで誇りにも思っているんだなって
おととい気づいて
でも、変化への衝動を誤魔化して執着したら、
自分のなにかが死んでしまうから
大事だってことを抱えて、感謝しながら、
進んでいくしかないんだなって思った。
すべてをうしなう可能性にひらいていようと思った。

そうなったとしても、かつて自分が築くことのできた
「過去の現実」は消えないから
それを糧にやっていけるかもしれない。
自信ってそういうものなのかもしれない。

やっと泣けた。

被災地から戻って4日目

このうたがTLにながれてきて

脳内で再生した瞬間

泣いた。

http://www.youtube.com/watch?v=rXyELkXgx04

やっと泣けた。

かなしかった、突然それがわかった。

そうだ。痛くて、悲しくて、せつなかった。

おおきすぎるかなしみは、自衛するようにできている。

4日目にして、やっと泣けた。

やっとかなしみをうけいれた。


これから先、どれだけのひとがかなしみを味わうのだろう。

どうか、世界がやさしくありますように。

どうか、わたしが、やさしくありますように。

すべての存在がいとおしくて、せつなくて、

世界がいたいほど美しくて、

わたしは、ただ、声をあげて泣いた。


この数日、お酒が止まらなかった。

飲んでは寝て、飲んでは寝て…

自分で料理する気にもなれなくて

手軽なものばかり口にしていた。

なにかおかしいと分かっていても

どうにもできなかった。

帰宅した翌日にリセットしたせいかとも思った。

そんなことじゃない、いや、たぶん、それも含めて


わたしは、ただ、かなしかったんだ。


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