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2011年6月の記事

ラクしていい。女々しくていい。

週末に気づいたこと
「こっち選んだほうがカッコイイよね」って
大変な方を選ぶクセ。

チャレンジングなことをすると
「さすが!」って言われるのが嬉しくって
そういう選択肢が舞い込んできたら、
選ばずにいられなかった。

スゴイひと
デキルひと
目立つひと
カッコイイひと...
頑張って大変なことを選べば
そうなれるんだって勘違いしてた。

「安穏」を軽視するのはやめよう。
「出来れば変わりたくない」ジブンを大事にしよう。

あえて変化を選ばなくたって
物事は勝手に変わっていくのだから。
わたしも、変わらないつもりでいたって、変わっていくのだから。

もっとくつろいで、安心して、ゆだねていよう。
動きたくないときは動かなくていい。
自分が行かなきゃ。自分で見なきゃ。体験しなきゃ。
っていうのは
勘違いだ。

行こう。と、するっとおもえるときは、行けばいいけど
そうじゃないときは、行きたい人にまかせる。
その人たちが持ち帰ってきたものをシェアしてもらえばいいし
その人たちをケアすることも、誰かが担う必要のある役割。

動かないで待ってるなんて
女々しい感じがして嫌だったんだ。
バリバリ自分でやる方がカッコイイと思ってた。

そんなことはない。
見守っているというのも大事なことだ。
誰かがホールドしてくれているから、
動きまわり、悩みまくり、わかりやすい成果を出すことができる。

イベントをやって、その空間をホールドしている感覚は
けっこう好きだと自覚があったけど
もうちょっと拡げられたかもしれない。

狩りに行くのが男性性
家で待つのが女性性だとすると
自分が女性であることをゆるせた、とも言えるかもしれない。

自分で行かなくても、いい。
ぼやっと待ってても、いい。
そう思ったら
ものすごーーーーくラクだった。
びっくりするくらい。
拍子抜けするくらい。

ラクしちゃいけないと思ってたんだ。
誰かが頑張らなきゃいけないと思ってた。
違うよね。
わたしが頑張らなきゃできないことを、さらっとできる人がいて、
わたしにとってラクなことが、誰かにとっては大変かもしれない。

わたし、もっとラクしていいんだなー。
ラクだけ選んでていいんだ。
それがわたしにとってのベストで
つまりみんなにとってのベストなんだ。
それでいいんだ。

うみそだてる

わたしのオットは
結婚7年目頃に仕事をやめて
絵を描き始めた。

むかしイメージしていた将来図
「絵描きで金持ち」を
やってみたくなったそうだ。

後者はさておき。

美大でも
美術部でも
なーんでもなかったオット、
まず最初は
「絵を描く」という行動に対して
試行錯誤していた感じ。

やめた会社でバイト始めたあたりから
バランスがとれるようになったのか
制作ペースが早くなってきて
去年ははじめての個展を開催。

最近はなんとなく
自分なりの創作方法
カタチにする流れが
みえてきた、ようにみえる。

オットの描く作品は
心象風景のような
異空間のような
それぞれが、ひとつの、まだ見ぬ世界で

はじめて小さな公募で
「入選」の通知がきたときは
ちょっと不思議なうれしさだった。
自分自身が報われた!という気持ち。

わたしはたぶん
オットを通じて
あれらに関わっているのだ。密接に。
作品はなんだか
我が家の子ども、という感じがする。
オットにまつわるすべてが
絵というカタチで世界にあらわれている。
逆にいえば、オットはわたしを含めた
この世界を鏡に、自分自身を描き続けている。

ふたりしてもう何年も
子を望んでいるけれど
きっと、たぶん、まだ、違うんだろうな。

わたしたちがいま
うみそだてるものは
子どもではないんだろうな。

わかってるけど
ときどきそれで納得するけど
やっぱり「ヒト」を宿し生み育ててみたくて
ときどき焦る。

どちらかに絞る必要はない。
両方、手にすることも、できる。
その可能性にひらいていよう。

もっともっとゆたかになろう。

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