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2011年7月の記事

不妊治療したくないひと

わたしのブログを訪ねてきてくれるひとの
検索ワードの上位にはいる
「不妊治療 したくない」

わたしは、したくありません。
理由はいろいろある。
あるけど、そんなのはどうでもいい。

わたしは、不妊治療したくないの。

それだけ。

それは、子どもをあきらめたわけじゃない。
治療という言葉とか
それにまつわる行為とか
その周辺にある意識になじめない。ということ。

わたしは、ことしか、来年か、妊娠するつもりでいるよ。
実際にどうなるかは別としてね
そのつもりでいるよ。

この肉体の可能性を試してみたいから。
神様と一緒に暮らしたいから。

いまは、そのほかの神様をみつける練習中。
すべてが神だと、腑に落とすプロセス。

わたしの人生はいつだって完璧。
あなたの人生も、いつだって完璧。

目からはいる情報

なにも見たくないのに
見えるものにしがみついてきた

文字や、色形や、ありとあらゆる情報

ラッコが流されまいと
海草を身体に巻きつけるように

海の底に居続けるために
自分をしばりつけるために

ただひたすら、「安全」を感じたくて

わたしの
目にみえるものすべてから
出来うる限りの情報を
出来うる限り素早く読み取るちからは
そうやって育ってきた

これから、物の見方が変わると思う。

なにもしらなくても
なにも理解できてなくても
ここに居てだいじょうぶだとわかったから

目を通して、ひたすら警戒することに
つかってきたエネルギー

これから、さあ、なににつかおう?

としこさんの霊的アロマテラピー

正社員にしがみつきたいのに、
嫌で嫌でまともに出社できなくて
スピの知識だけは増えて、
この世界が自分をうつす鏡だとしたら
自分ていったい? 人生どーすりゃ?
 って絶望していた、2008年

ご近所のヒーラーさんが紹介してくれた、
大船のYosa Park iiyo は
よもぎをメインにしたハーブ蒸しと、
アロマテラピーのサロン。
http://www.yosapark-iiyo.com/
http://ameblo.jp/yosapark-iiyo/

オーナー年子さん はエネルギーを感知するひとで
マッサージしながらエネルギーの滞りを
咳払い、口笛、歌、言葉、などで解放してくれる。

2008年夏、初めて
ヨサ+マッサージを受けた
当時の記事はこちら
~マッサージ編~
~おはなし編~

その後、当時一番気にしていた
不妊解消に向けた冷え対策で
Yosaだけ入りに行ったりもしたけど 、
経済的なことや、うちからの通いにくさから
1,2回しか続かなくて、
年賀状をやりとりしたり
イベントや展示の案内を送ったり
というつながりだけだったのだけれど

先日、ふいに予約をいれて行ってみたら、
ちゃんと覚えてくれていた。
そして、ずいぶん変わったわね~
ラクになったでしょう~~って。
ええ、ええ、ほんとうに!ラクになりました。

あの頃はオットにも、会社にも、上司にも、文句だらけだった。
わたしはがんばってるのに。正しいはずなのに。
ちゃんと手順を踏んで、分かってもらおうと工夫してるのに。
なんで、こんなになにもかも、うまくいかないんだろう!

ぐっと前のめりになっては、ばーんと押し返され、沈み込み、
一縷の望みを見つけてはまた前のめり・・・その繰り返し。
怒って、悲しくなって、疲れていて、
はやく死にたくてしょうがなかった。

あの頃に比べたら、いまはほんとうにラク。
なにかが引っかかって、嫌な気分になっても、
自分の中にその引き金を見つけられる。
わからないときは、わからないままで置いておくことも、
ちょっとずつ出来るようになっている。

と思っていたわりに…
マッサージしてもらったら、いやー、出てくる出てくる。
 「みんな死んじゃえ!」
 「ばーかばーか、くそ!!」
 「死ねって言ってるでしょ!!」
今回は、胃のあたり、感情のところ、
インナーチャイルドの住処から。
はじめから「感情解放」がテーマだったから、
としこさんも念入りに探し出して、
こどものような声で繰り返し繰り返し、放出してくれる。

ずいぶん溜め込んだわね~って笑われた。
相変わらずわたしは、怒りを怒りとしてキャッチアップできないんだ。
すぐに悲しくなり、内省をはじめてしまう。

この日、予約が夕方になって
それまで耐えられそうにないから
昼過ぎに近くの海で、すこし泳いだ。
ふと、こんなに人が少ない海なんだから、やってもいいんだ!と
思いっきりしぶきをあげながら、音をたてながら、
怒りをぶつける勢いでバタ足をしてみた。
そうしたら、きもちよくて、たのしくて…
そして、無意識に「やっちゃいけない」と思ってることが
いっぱいあるんだなあ…と、しみじみ。

わたしがおなかに溜め込んでいるのは、
そういう(他人を気にした)自制に
いちいち「なんでだよーばーか!」って気づいて
反抗する気持ちなんだ。

前回メインだった子宮周辺や、
悲しみが詰まりやすいという胸腺は、すっごいクリアだった。
最近泣きたいときは、遠慮なくわんわん泣くから。

背中の方は、なにやら霊的なナニカが籠もっていたみたいで
「いろいろすいませんね。いろいろいろいろごめんなさいね」って。
たぶん、あのひとかな~と見当がつく。
カラダがあるって不思議だな~ありがたいな~と思う。

あと、背面でも腹部でも腕でも、あっちこっちで出てきたのは
日本語でも英語でもない、聞き覚えのない言葉の、うた。
いろんなメロディで、同じ言葉が繰り返されていたけど、
わたしも、としこさんも、なんだかわからず。
あなたは独特な人だから~と、としこさん。
そうなのか。(まあ誰しも独特であるけれども。)

頭はびっくりするくらい軽いし、足もべつに重たくないし、
あと1歩ね!って。うれしいなあ。
最後にまたおしゃべりしてたら、
さらっとチャクラのバランス調整もしてくれた。
ここでもやっぱり第3チャクラ(胃のあたり、感情)は暴れてたっぽい。
終わったら、ぽや~んとしてた頭がスッキリした。

行きは、海のあとでだるくて動きたくなくて
予約を遅らせてもらったのに
道路が渋滞していてさらに遅れてしまったのに

帰り道は、すいてて、信号にもひっかからなくて、
笑っちゃうくらいスムースでした。

満ちて、流れる

26日、思いがけずリセット
31日目だからいつも通りだけど
すっかり忘れていた。

マヤ暦ではこの日が「元日」

その前日25日は「時間をはずした日」

この日に受けたセッションが
総仕上げだったんだな、とあらためて思った。


集中的にセッションを受け
心を通して、身体を通して、現実世界を鏡にして
ひたすら自分に向き合った7月

なにかが満ちて、流れていった。

ちゃんと満たして、ちゃんと流すことができた。

手探りでひとつひとつその時々に必要なものを
選んで、それを自分にゆるして

合間にやってくるものを
丹念にあじわって、それもピースに加えて

そうやってつみあげて
振り返ってみれば
それは完璧な流れだった。

大きなくくりでみたら、ひとつのステップ、ピース。
小さなくくりでいうなら、ひとつのおしまい。そしてはじまり。


ひとりで出来なくてもいい。
自分の感覚、欲求を信じていい。

そういう仮説をもとにやってきた今回のタームは
今後の進み方のひとつの指針になった。

来月から、
もうひとまわりおおきなものを
積んでいくんだろうな…

記憶と言葉

つまり、記憶と言葉にとらわれすぎていたのだ。

ウミウシもクリオネも貝殻がなくても
名に貝とついてなくても二枚貝だし
わかるひとにはわかるし
でも結局どーでもいいことなんだそんなのは。

貝から出て浮いてもまた貝に入っても
たまに空をとんでも人の形をしていても
わたしは水の生き物だ。
それがわたしの真実。

帰れないなんてことは
変わってしまうなんてことは
ありえないのに。
一緒にいたい人とは一緒にいていいし、
いることができるんだよ、このセカイでは。

そして言葉と記憶にとらわれすぎるわたしは
いまここにある標識や横を走るバスやらを
見ようともしないで、新宿迷子。

だって東口って記憶してたんだもの。
東口に行くことしか考えてなかった。
大事なのはバスに乗ることなのにね。

でも、だれもぶつかってきたりしなかったし、
そんなに疲れもしなかった。
時間がちょっとかかったけど、
時間なんてまやかしはどうにでもなるものだ。

うん、わたしは魔法を思い出したよ。

なにを選んでも正解

誰かになにか言いたくなったら
自分に言ってみようキャンペーン、実施中。

愚痴や文句は、誤解されやすいよ。
だから、わたしはストレートに表現しよう。

そう思うと同時に
愚痴や文句からハートの真実を
きちんとキャッチしてもらえることもある
そういう可能性も、みておく。

自信がないのは、本心に沿っていないとき。
わたしは自分を信じられる在り方を探り続けよう。

だけど、不安は、よりよくあろうとする気持ちのあらわれだよね。
それがあるというだけでも十分、誉めるに値する。
自信をもって生きていい。

本質にいつでもつながれるようになりたい。
自分に隠されたギフトを見つけたい。

つながれない、見つけられない自分を嘆いて
特別なナニカ、魔法の杖に期待して
無力さにひたっている。

方法はひとつじゃない。
タイミングも、なにもかも
自分が「視よう」と思うかどうか、それだけ。

ラクしたい自分、スペシャルな跳躍を待ちたい自分を感じながら
いつでも自分でドアを開けて歩いていけるってことも、覚えていよう。

世界は自由で
可能性は無限大で
わたしはなんだって選べる。

突き破ることも
地道に歩くことも
とどまることも

なんだって選べる。

そして、自分が選んだものが、いつだって正解。
遠回りにみえても、大騒ぎになっても、
死にたいほど苦しくても、正解。
それを選んだ自分を信じて
その根拠となるべく「イマ」を生きていたら
なんだって正解になる。

自分を生きるって、クリエイティブだなあ。

今日はもう目を閉じて
今日のわたしの世界創造はここまで。

明日はまた、あたらしい世界。

愚痴を変換

まだ魔法を思い出せないのでw  <前の記事、参照
アタマを使って愚痴をアイに変換した。

愚痴や文句って、
わたしにとって、怒りや悲しみの表現。

でも、ちょっと掘ってみるとそこには
相手や自分や世界をあきらめたくないっていう
情熱や忍耐、好意や期待だけがある。
もうそれはほんとうに純粋に。

わたしは、かつて、愚痴マシーンだった。
派遣先で、契約社員の若手女子をとっつかまえては
延々くどくど愚痴りまくって上司から注意されて
「改善した方がいいって進言してやってるのに!」とか思ってた。

酒の肴はたいがい愚痴だったし
母と会えば愚痴の言い合いだったし
コミュニケーションの大半が愚痴と言っても過言ではないかも、
と思うくらいに、愚痴ばっかりだった。

ほかに、知らなかったんだよね。
愛してるって伝える方法を、知らなかった。

いや、知ってはいたかもしれない。
でも、そんな風にハートから表現しちゃったら
泣き出しちゃうから
間違いなく、へたしたら号泣しちゃうから
「オトナ」としてそれはかっこ悪いから
やらないことにしてただけ。

クチサキで愚痴や文句を言ったり、
もうちょっと進化させて、進言や提案するくらいなら、理屈でいける。
やわやわなハートをさらけ出さないで済む。

自分を護りたくて身に付けた鎧。言葉という刃。

35年生きてきてわたしのハートはだいぶ、充電がすすんだ。
うっかりぐっさりきちゃったときの、応急処置もうまくなったし
たすけてくれる人たちがいることも、いつでもつながっていることも
傷も痛みはマヤカシだってことも、知っている。

感情的な意見は通用しないって思い込んできた。
一時的な表面的な感情からなにかを表現しても、伝わりにくいのは、たしか。
でもそれは、感情的であることが、劣っているということじゃない。

ハートにつながっていないものは、響かない。

わたしは、もっともっと、響きあいたい。

愚痴るより、抱きしめたい。


わたしがもっともっと素直にまっすぐに
表現することを選ぶようになったら
職場の彼女の愚痴や文句は、減るのだろうか?
乞うご期待。

魔法を思い出せ

わたしのなかに、あると思うんだよね。

カナシミ を アイ に しゅぴーんと換える

魔法を、わたしは知ってると思うんだよ。


装置か、おまじないか、祝詞か、わかんないけど。


愚痴のうしろにあるカナシミだとか

怒声にかくされたイタミだとか

それらはみんな、アイのひとつのカタチだって

そういう表現を選んでいるだけだって

アタマでは分かってる。

でも、先に、ココロが反応しちゃって

しくしく切なくなってしまう。


ヨロコビを見つけだせば、それは瞬時にアイにかわって

わたしの中で癒えるのだけれど

いまのところ、アタマを使って見つけ出すことしか出来なくて

なんだかとっても効率が悪い。

もっと、いい方法を知ってる気がする。

奥のほうに、しまい込んじゃってる、なにか。

自分でそうしたんだろうけれど

それによって得たかったものは、だいぶ得られたと思うよ。

そろそろ、使ってもいいと思うよ。

思い出そうぜ。

本質

“わたしの本質は
 祈りなのだなあ”

先週のこと。

怒鳴り声に驚き
そこにあるかなしみに圧倒され

クチサキだけの処世術で自分を護ろうとする
けなげな子に胸を痛め

職場に来るのはキライだ、
時間通りにきちんと来るという前提が苦痛だ、
でも給料をもらうために。と演じ続ける葛藤をみて

すべてにひそむつよさとよわさに
くらくらしながらも
ひたすら感じていったら
さいごは、祈りになった。

“立場にしばられ立場にかこつけ
 怒鳴り愚痴る弱いひとが、どうか癒されますように。
 「自分」と立場のあいだで揺れ動く不安定さを、
 いとしく思えますように。
 移り変わりに伴う痛みが、
 わたしのなかで癒えますように。”

わたしが祈りということは
世界のすべては祈りということで
そう気づいたら、なんだかちょっと、安心できた。


2011/7/18-7/24 みずがめ座の空模様。
http://st.sakura.ne.jp/~iyukari/week/weekly.html

人間関係の成長期が始まりそうです。
だんだん、自分を出していけますし
相手も、自分を出してくれるだろうと思います。
そのなかには、弱さや怒りや、人間的なみにくさなども
いっぱい含まれているのだろうと思います。
でも、たぶん、
強い絆ほど
長所ではなく、短所の方でできているのではないかと思うのです。
長所でつながった絆は簡単に壊れてしまいますが
そこに、短所もちゃんと含まれていると
そのつながりはなかなか、切れることがありません。

ここからしばらく、時間をかけて
そんなふうに、誰かとの関わりが、育っていくんじゃないかと思います。

感受性スイッチをあえてONにして職場に居る、チャレンジ中。
見落としてきた愛を、キャッチできるといいな、と思う。

えてるなさんの透視リーディング

先日うけたアトリエアセト
えてるなさんの透視リーディング
http://atelieraset.blogspot.com/

わたしがうけとったもの
その概要はコチラ
http://moana.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-2f9d.html

えてるなさんのリーディングは
A4 2枚分 イラストいりで
びっちり、いろいろ、みてくれます。
「A4で2枚」がうまったら、お終い。

わたしがみてもらったのは

・いま大事な過去世3つと、それが大事な理由、
 3つあわせて分かる情報。
・わたしが知りたかったこと(不妊、近視、水虫)と
 それにまつわる、あるとよさげな情報。
 (守ってくれる存在、おすすめの行動など)
・3年後、どんな暮らしをしているか。風景。環境。ひと。
・3年後までの、各エネルギーのバイオリズムグラフ
・メッセージ

1時間半くらいだったかな?
品川プリンスの39Fラウンジ
終わったあと、おいしいケーキをいただきました。

リーディングはとてもスムースで
すべては「わたし」から引き出されている
情報なんだなあ、と実感していました。

わたしにとっては
タイミングも、内容も、ボリュームも
ぴったりだったな~と思います。
いまはここまで。というブロックも
見え隠れしてましたが
それも含めて。

またいつか受けてみたいな~。

my little world

こどもをみているだけで
なけてくるときがある。

こども、は
中学生くらいまでかな。

ちいさいほうが
より、いとおしい。

こどもが、そこに「在る」というだけで
そのけなげさに胸をうたれるんだ。
尊さに、おがみたくなるくらい。

そのきもちを、感覚を
みんなみんなにもてたら
わたしのせかいはもっともっと豊かになるなあと思っていて

でも、オトナには役割をみてしまって
いのちの本質のところにフォーカスできなくて

特に、いまのバイト先ではしばられやすいと気づいた。

「教育者なんだから」
「公職なんだから」
「管理職なんだから」 などなど

それに呼応するカタチで、
自分自身のことも、
枠にはめようとしてしまう。

そういう、わたしのなかにある観念を
どうにか外さないとなあって
思っていたんだけれど

数年ぶりにアロマテラピーをお願いした
母よりすこし下の世代であろう
女性施術者さんとお喋りしていたら

 先日ニュースをみていてあんまり腹が立って
 自分をみつめ返して、そういうところがあるんだなと思って
 それから、出会う人すべて、お客さんもみんな
 「お友達」だと思うことにしたら、とっても快適。

と、おっしゃっていた。
はじめはピンとこなかったんだけれど
バイト先で関わりあうみなさんを
「お友達」と思って接することをイメージしたら
それだけで泣けてきた。うれしくて。

目からウロコでもあった。
観念を見つめて洗いなおして、なんなら根っこをたどったりして
いくらかの痛み(あるいは、誰かのヘルプ)とともに
置き換える工程しか考えていなかったから

自分の「そのつど」の気持ちの在り様を
「お友達」に変えるだけでいいんだ!

自分を変える、というのは
苦しい方法ばっかりじゃないんだよなあ。

もちろん多少の勇気は必要で
「失礼だと思われる」とか
「なれなれしいと思われる」とか
まあ、他人の目を気にしたらいくらでも出てくるんだけど

週末にちょこっとお邪魔した
ヒーリングサロン ハプナのイベントで
わたし嬉しかったんだ。
そこにいる人たちが、はじめてでも、そうじゃなくても、
一様に親しく笑いかけて、場にいれてくれたことが。
戸惑いながらも、すごく嬉しかった。

だから、大丈夫なんだと思う。
きっと相手も最初びっくりするだろうけど
かえって居心地が悪いかもしれないけど
大丈夫なんだ。

わたしのせかいはもっともっと豊かになるよ。
もっともっと色鮮やかになるよ。

さいきん、オットをみているのがたのしい。
なんてかわいらしい生き物だろう、と思う。
語弊があるかもしれないけれど
それは、こどもをみているときの感覚に近いんだ。
いちばん身近なひとをこんな風にみられるってことは
わたしは自分自身のことを、
けっこう大事にできてるんだなって思う。

せかいはいつでもいくらでもかわる。

もし、万が一予想外の反応がきても
わたしが、せかいをもっと心地よい場所にしようと
心の力を注いだ事実、その勇気や愛は損なわれない。
価値は結果では決まらない。
価値なんて、他人が勝手に見出すもので
それは、他人にとっての価値でしかない。

わたしのなかの真実は
わたしがなにをもってその行動、選択をしたか?それだけ。
そのベースが、出来うる限り、愛であるようにと自分に祈る。

わたしのちいさなこのせかいが
きらきらしていますように。

青写真を視てもらった。

えてるなさん@アトリエアセト に、
透視リーディングをしてもらいました。
http://atelieraset.blogspot.com/

先月あたりから、ふわふわとわたしの
アタマの中や上やまわりにあった
たくさんの疑問と仮説を、どうにかしたくて。
いろいろな人にお願いしてみたけど、みんなタイミングが合わなくて
えてるなさんも、実は、すこしタイミングがズレたんだけど
最終的にはGOサイン。
それはつまり、わたしが、わたしに、やっと、許したということ。

わかってみれば
それはやっぱり、ひとりではとてもじゃないけど、
カラダに落とせないことで
これまでの観念の中で生きていくならば、
落としたいとも思えないことで
でも、タマシイにウソはつけないんだよね。
もう、ウソはつきたくない。

わたしのカラダは丈夫に出来ていて
丈夫すぎるくらいで
めったなことではサインをくれない。

わたしが今回ひろいたかったのは
10代になった頃から続いているサイン。
これを、もうそろそろ、ちゃんと拾おうって。

わたしはそのあたりに
ものすごーーーーーーーーーーーくギッチりしたフタをしている。
10歳より前の「感覚」の記憶や感触がほとんどない。

それすらも、タマシイの望み。
それがあると出来ない(やりにくい)宿題があるからね。
それをやりきってしまいたかったからね。
それが、そろそろ、終えられそうなんだ。

終えるかどうかは、わたし次第。
終えたくなければ、続ければいい。
けれど、きっとわたしは、終わらせるだろう。

人生なんて勘弁してって、言わないでいいように。

その先は、フタをゆるめないとね。
また、誰かの力を借りないとね。
誰に助けてもらったらいいかも、だいたい、分かってるんだ。

視てもらった青写真
ハートは「ああそうだよね、やっぱりそうだよね」ってダダ泣き。
オナカはまだ「やーだーーーー」って言ってる。怖がってる。
その下へ落とすには、カラダからのアプローチ。

下まで落ちきったら、それは、現実になっていくだろう。
わたしはそれに、どのくらい時間をかけたいだろうか。
わたしはどこまでやりたいだろうか。

そりゃあもちろん、イケるとこまで!

分離をゆるす

先週のこと。
おともだちが紹介していたブログに


そしてわたしがあなたに対して厳しかったり
苦しめいているように見えたら
慈悲がないように見えるときこそ

あなた自身が注意してください。

その思い、
一瞬であなたを分離させます。

あなたを愛から遠ざけるものはあなた一人。
そのことを
くれぐれもお忘れにならないように祈ります。

http://ameblo.jp/tasomaru/entry-10942898180.html


ってあった。

すべてに心底同意するわけじゃないんだけど
眠くて夢うつつ状態のわたしに響いてくるものがあって

愛を感じられず、恨んでしまうようなときは、分離しているとき。

っていうのはつまり

いま
生きてきてよかった、とは思うけれど
生まれてよかった、とは思えない自分のことかなあ、と。

でもさ、もう、言ってもいいんじゃないかなあって、思ったんだ。
スタートがあったから、これまでがある。
これまでがOKと言えるなら、
スタートしたこともOKと言っていいんじゃないか。
わたしを、送り出してくれた存在たち。
わたしに生をゆるし、機会を与え、切り離し、
送り出してくれた存在たちがいる。

いつだって、のこる方が、さみしい。
旅立つ方は、元気で暢気だ。

分離をかなしむのではなく、分離をうらむのではなく、
いつかの統合までのわずかな時間だとしても
そのことを嘆くのではなく、
ただ、与えられた時間を、得た時間を、
わたしはもっともっと味わっていい。
さみしさに途方に暮れるより、
もっともっと貪欲に、生を生きろ。
置いてきたことを、離脱を望んだことを、そんな自分をゆるそう。
ゆるされている自分を、認めよう。
わたしはゆるされている。

与えてくれるものを、正面から受け取らないことで、
わたしはなにかから逃げてきた。
心配という名の愛や、お金という名の愛や、生というギフト。
わたしは受け取るに値しないと、言い訳してきた。
腰掛けだから、すぐにいくから、って。

そんな先のこと、どうでもいい。
いま、いまこのときだけを、もっとつよくふかく、全身で、交歓する。
それだけでいいんだよ。
わたしは、もっとつよくふかく、いまここにコミットしていこう。
この人生にコミットしよう。

わたしをゆるそう。

そう思った、7月5日。

好き好んでダメモード中

来世なんていらない。
現世だけで勘弁!

わたしのなかには
今でもそういう意識があるって
気が付いてしまったら
なんだかダメスイッチ入ってしまった。

入ってしまったので
あえてそのまま
ぐだぐだと過ごしている。

前だったらほんとうに真っ暗な気持ちだったけれど
今は、たとえば洗濯や掃除をエイヤっと始めたり、
散歩にでかけたりすれば、戻れるって知ってる。
知ってて、あえて、ダメモードを満喫中。

わたしの基本スタンスと言っても過言ではなかった
「はやく死ねばいいのに」は
1,2年前から思わなくなって
(いや、時々おもうけど、
抑圧のサインと捉えなおせばすぐ消える)
毎日けっこうしあわせだし
身体があるからこそのたのしみもあじわってるけど
でもねー。基本的に、しんどい。

でもって、これも、じつは、
抑圧のサインなのかなーって気がしている。
なにを抑圧してるか?

なんで生きなきゃならないのさっていう、怒り。

近視は「未来を恐れる気持ちのあらわれ」だといわれているけれど
わたしに関していえば「未来に関心がない」が近いんじゃないか。
べつにみえなくていい。どうでもいい。

今までに何回かみてもらった前世は「みえるひと」率が高い。
武将相手の占い師とか、ユタとか。あとは修道女や巫女。

ピプノセラピーで自分でみたのは、
砂漠に息子二人と住んでて奥さんに先立たれる男性だった。
「ふつうの、平穏な人生」って感じだった。

わたしはいま、これから、どんな風に生きたいんだろう?

タイムリーに見かけたメッセージ
http://ameblo.jp/ryujin-angel/entry-10923636714.html

啓示に気づき、広く世を見ることが出来るようになる者、
啓示に気づかず、これまで通りの生きづらさを感じる者。

チャンスは平等である。

ただそのチャンスに、気づけるかどうかの違い。その違いは大きい。

チャンスをものにするためには、自らを光らせる必要がある。

自らを光らせるとは、自分のことばかり考えるのではなく、
人のことも自分と同じように考えることが出来ること。

エネルギーチャージ

沖縄旅行から戻った翌日
31日目でリセット。

最近は旅行前でも最中でも
おかまいなしに始まっていたけど
20代なかばまでは
イベントのときにはちゃんとズレたり
ピルもらってずらしたり、していた。

今回はどうやら
終わるまで待ってくれていたみたい。
ありがとう、からだ。

そして沖縄で
地球に在って太陽と交歓する
そんな時間をもつことができて
「女の身体をもって生きていること」を
しみじみうれしく思ったりして

そうしたら今回は
ここのところ減っていた総量が
ちょっと戻ったかも?
油断して、流血沙汰になるほど(笑)
(笑えない。。。)

オットもなんだか元気だったし
やっぱりふたりともじわじわと
ナニカを損なわれていたんだな。

沖縄でゆったりのんびり
おいしいものをたべて
うつくしい海をながめて
ハンモックで昼寝して

志向の違うふたりが
ケンカしないで旅できていることに
積み重ねた歳月を再認識したり

やっぱり旅はいいなあ。

旅のための
お金のために
働こうって素直に思った。

また行くよ、沖縄!

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