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2011年10月の記事

おんなの幸福な降伏

友人に薦められて読んだ本
「サレンダード・ワイフ 賢い女は男を立てる
 ―この人と、もっと幸せになるために」
http://www.amazon.co.jp/dp/4837956157

レビューを読んだ時点で
かなり響いてきて
なかでも、男性が書いた
このレビューが一押し。
http://amzn.to/ppRNxw

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第一章のタイトルにもありますが、
「 男はいつでも、女に尊敬してもらいたい。」

 まさにこのとおりです。
妻から尊敬され、信頼してもらえると夫は自分に自信をもち、
愛情を妻に表現したくなります。

「彼が何をしようと、教えようとしたり、助言したり、
間違いを正そうとしてはいけない。」

これもそのとおりだと思います。

男はちょっとでも口出しをされると、不機嫌になります。

私などはちょっと妻に小言を言われただけで心にグサッとくるので、
心が弱いのかと思っていたのですが、この本を読んで世の男性も
みな同じなんだなと理解することが出来ました。

あなたは自分の夫を信頼せず、
夫を変えようとガミガミ言う教育ママになっていませんか?

それがたとえ愛情からでてくるにせよ
自分を変えようとする妻を夫は愛することはできません。

不満を言うことをちょっと我慢して、男性に任せてみてください。

きっと彼はすばらしい結果を残せる男になるでしょう。
あなたが選んだ人ですから。

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女は、いつからこんなに
「オトコにまかせておく」ってことが
できなくなっちゃったんだろう?

わたしのほうがうまくやれる!
ああもうなんでそんなに手際が悪いの!

なんて

男性優位の社会が崩れてきた背景には
女が黙っていられなくなったから、という側面がきっとある。

いますぐ命にかかわるようなことじゃないのなら
ゆったり、ほよ~んとしてるほうが
ぜったいしあわせなのに。

男にまかせてたら
浮気された!
財産くいつぶされた!
メチルアルコールのんで死んだ!
とか、まあ、いろいろいきさつはあったんだろうけど

野放しにするのと
放任するのは
たぶんちょっとちがう。

あきらめるんじゃなくて
バカみたいに信じること。

って、書いたら
「それでわたしはひどいめにあった!!!!!」って声が
胸のうちからきこえてきた。
わたし自身にはそういう経験はない(と思う)けど

やっぱり、そういうことが、たくさんあったんだろう・・・

だから
まずはもっと
自分を信じようと思った。

自分のうちから湧いてくる衝動とか
このカラダで感じたこととか
ちょっとずつ
おそるおそる
信じて、採用して、石橋たたきながら進んでみよう。

自分を信じてなくちゃ
相手のことだって信じられない。

自分の選択がいつも「だいじょうぶ」なものだって知ってれば
相手の選択だって同じように「だいじょうぶ」だって思えるはず。

だれかの選択をするっと受け入れられるときがあれば
それで試してみるんでもいいし
やりやすいところからね
実績つくってこう。


この本については
ほかにも、思うところがあったので
また書くかもしれません。

端的に言うと
男と女はわかりあえないし
だからこそ素敵。というようなことです。

ここにいる意味

体感 ていうのを
ちゃんとキャッチできていて
それはどうやら
世界とリンクしているようだ

ということを
検証確認できたので

前よりもカラダを信用して、
信頼している自分がいる。

日常的にカラダとコンタクトをとりながら
寝たり、食べたり、しているから
カラダがいつも(平均)と違う状態であっても
カラダにおまかせでだいじょうぶかなーって。

なにか間違ったかな?と省みたり
対策を考えたりするのではなく
帳尻あわせてくれてるんだなーって、ただ、感謝。

あんまりにも、ヘヴィな帳尻あわせになっちゃったら
さすがに反省して、次にいかすけどね。
カラダと二人三脚。

感情とか、モードっていうのかな、テンションというか、
そういうのもね、原因探ししなくなった。

落ちてるときはしんどいから
どうしたもんかなーってやっぱり考えるけど
想定外の待ち時間をどうやってつぶそうか、くらいの感じ。

わたしは世界の一部だし
すべては流れていくものだし
わたしのなかに起こることはすべて
必然の流れのうちにあること。

自分に甘えたいモードがきてるときは
どこかに
甘えられることを待ってる人がいる。

自分ががんばれなくなったときは
どこかに
じゃあ!って奮起したい人がいる。

いれかわり、たちかわり
くるくる、浮いたり沈んだり

世界はうまくできてるから
ぜんぶ、ぜんぶだいじょうぶなのだ。

カラダに起きていること
自分にきているサイン
それを感じていること
それが、わたしがここにいる意味。

わたしだけのカラダ
わたしだけのサイン

サインをどうするか
どうしたいか
生かすも殺すも自分次第
生かしても殺しても世界は気にしない。
どっちだって、なんだって、いいのだ。

世界は今日もおどりながら前へ進んでいる。
犬は吠えるがキャラバンは進む。

休符がなければ音楽もない。
パレードは終わらない。

Dance・Dance・Dance!

★ 横糸

男は縦糸、女は横糸。

男に見えているものが、女には見えない。
男の決断ポイントが、女にはわからない。
男は言葉をもたない。
信じるに足る根拠などみつからない。永遠に。

だったら、信じてしまえ。だまされてしまえ。
「相手が自分を選んだ」
「自分が相手の選択を認めた」
その事実のみを起点に、機を織れ。
やみくもに信じて
あとはただ、よろこびを織れ。

縦糸は、一度張ったら、動かない。
横糸は、動き回りつながり拡げていく。

自分の目の前にいる男が「こうしたい」というならば
それは自分の世界に必要なパーツなのだ。
自分からは見えないものを
自分からは出てこないものを
提供してくれているのだ。

疑ったらきりがない。
女の感性で「納得」に至れることは無い。
だから、信じてしまえ。
ゆだねてしまえ。

どこを起点にしても
織物はうつくしく仕上がる。
仕上げることができるのだ。
それが横糸。
そのことを忘れるな。

横糸はわがままだ。
揺らがずそこに毅然とあってほしいと願いながら
ときには絡めとりにきてほしいと願う。

横糸は、縦糸に絡んで自分を支える。
縦糸は、横糸がなくてもそこに在る。
もっとおおきな枠組みに支えられている。
縦糸は、横糸がなければ、ただの張り付けられた糸。
横糸は、布にもなれる。縫い糸にもなれる。自由な糸。

怠けるな。
自分からいけ。
求められることを待つな。
みずから流れに飛び込め。

そこに縦糸がある
それだけが事実。

必要十分な事実。

いまここにみえる縦糸に寄り添えば
次の動きが見えてくる

クロスし続ける縦糸、横糸
同じ場所でとどまることなど所詮できないのだから
いまここにある縦糸に従え。

魂に性別はない。
縦でもなく、横でもない
魂がみたいものを織りあげるために
すべて完璧にセッティングされている。

だから、目の前の縦糸を信じろ。
天の采配を
魂の導きを
いまここに在る自分を、信じろ。


cf. 「糸」 中島みゆき

場をつかって安全を保つパターン

自宅のなかに女性がたくさんいると
「自分を侵略されないよう警戒」したり
「場を平穏に保とう」とするパターンを発見した。

母と妹と3人で過ごしてる時間が圧倒的に多かった
幼少期につくられたと思われる。

このパターンは自宅以外でも発動することがある。
男女比に関わらず、職場や、イベントや、ただのグループの集まりで、
不安定な場をホールドをする人がいないように感じられるとき。
むかしの我が家で言えば、父親不在の雰囲気のとき。

このとき自分がつかっているエネルギーは
父性のようでもあり、母性のようでもある。

以前はこのエネルギーの使い方が下手で、
その時間が過ぎると、しばらくハイテンションのまま
空回りしたあと、ぐったり落ちる。
ということを繰り返してたけれど、
最近はもうちょっとうまくやれるようになった。

でも、やっぱり、インチャイ(感情的な姫様)は閉じこもる。
それはもう双方の暗黙の了解になっている自衛パターン。
パターンでやっていることとはいえ
感情が平坦になって非人間的になるし
そのあと、姫様がすごーく不機嫌になってケアが大変!

とにかく甘えたくなる。甘やかされたくなる。

パターンを抜けてから丸1日ほど
あれやこれやの手を使って
泣き喚く姫様(イメージ)の相手をしていたら
さらに、パターンを発見。

長くなるので、別記事にします。

生理周期が長い

生理周期が長いおかげで
生理回数/年 (あるいは 生涯) がすくない。

女性ホルモン的には
不健全なのかもしれないが

わたしの気力体力的には
かなりのコストダウン。

わたしの身体は
わたしのことを
よく知っているなあ。


~追記~

いまは周期40日目くらい?
3~4日前から胸がすこし張って
チョコや油ものを食べたい。欝傾向。
ホルモンバランスの崩れを調整すべく
がんばる身体。ありがとー。

★ シアワセ

幸せにしなさい。

自分を、幸せにしなさい。

考えてないで

理由などさがさないで

ただ、動きなさい。

表現しなさい。

伝えなさい。

そこにあるつながりを見つけなさい。

期待も、傷も、横において、イマココにあるものだけ見なさい。

あなたの現実を動かせるのはあなただけ。

ぐずぐずしている時間はもうありません。

痛みを恐れないで

崩壊を恐れないで

だいじょうぶ、カラダは共に在るから。

あなたは愛で出来ているから。

あなたの知っているものを探さないで

あなたの欲しいものを探さないで

そこにあるものだけを見て

それこそが、あなたの求めているものかもしれない

その可能性に目をひらいて

失うことを恐れないで

その先へ

その先の世界へ

絶望と信頼を連れて

あなたのために歩いて。

あなたのために踏み出して。


仕合わせは、ふりかえったときのおたのしみ。

その我儘が世界を救う。(ちきゅぼー推薦文)

ちきゅぼー第3弾が、今週末、
北海道・小樽で開催される。
http://tamaho.seesaa.net/article/217076219.html

わたしが絶望から
地球の未来への
人類の選択への
自分の存在意義への絶望から
這い上がる足がかりになった

ただひたすら
対話する合宿。

なんの仕掛けもない。
そこには
縁あって
それぞれの思いを、
人生を抱えて
集まった人たちがいるだけで

それはつまり
世界の縮図だ。

性別も
育ってきた環境も
いま居る場所も
暮らしぶりも
大切なものも
信じているものも
見えているものも
なにひとつ同じではない
「他人」が
寄り集ったとき

その胸のうちに
アタマのすみに
よぎるものを

遠慮がちに
たきつけるように
誠意をもって
投げやりに
場に差し出す
その繰り返し
繰り返し

繰り返した先にあるもの。

それをぜひ見て欲しい。

わたしたちはいつだって
すべてを持っている。
そしてすぐにそれを忘れる。
そして思い出すことができる。

あの合宿に直前で参加を決めたこと
横浜から海を越え
はじめての土地で
見ず知らずの他人のなかに
飛び込んだこと

そこで見た自分と世界は

2年半経ったいまでも
これからも
わたしに力をくれ続けている。

一般的基準からみたら安くないと思う。
だけど
そこにどれだけの価値をつけられるかは
これからのあなた次第だ。

ちきゅぼー仲間が増えることを
心底たのしみにしている。

一緒に地球で生きようぜ。

子どもについて

自分のエネルギーを自覚して
その流れをちょっとだけ
感じられるようになったら

子どもを産み育ててる場合じゃない。

そういう感じになりました。

いまの日本社会で
子どもの個性をころさずに
子どもと共に生きるのは
ものすごくストレスが多いように思う。

それはわたしの方に
たくさんの観念があるからで、
それらを手放していくことで
わたしも、子どもも、自由にいられるのは
よくわかっているし

縁あってわたしに宿る魂があるならば
一緒にたのしもうと思うけれど

どうしても!と
こだわる理由はなくなってしまった。

子どもを産み育てるのと同じか
もっと素敵な体験を
わたしは自分で選ぶことができる。

・・・なるほど
わたしはいやおうなく「体験」に
巻き込まれたいと思っていたんだなあ。

卑怯で、臆病で、かわいい自分。

体験の醍醐味を知ったからには
もうブレない。
かな?

あるときは「もういいか」
別の日には「はやくおいで」
心底思い、願ってきて
見えざる世界ではさぞかし
タマシイたちが困惑していたことだろう。
ごめんなさい。
ありがとう。
ゆるしてね。


ちなみに今は周期33日目くらいだろうか
リセットの気配なし
そもそも、排卵があったのかアヤシイ。

先周期もやたら遅れたし
カラダに、わたしに、どんな思惑があるのか
ちっともわからないのだけれど

マインドの知識や経験より
もっと深くシンプルなものが
このカラダを律しているから
わたしはただ、信じて、明け渡すのみ。

カラダと共に在るのみ。

怒涛の1ヶ月と、これから。

前回の満月9/12から
昨日の満月10/12まで
ものすごい濃厚な日々でした。

これまでずっと
観察と思考で進んできたのを
えいやと
体験に足を踏み入れて

カラダをもっていることの醍醐味を
カラダを通して味わっては
言葉に落とし込む作業の繰り返し

不慣れなので
言葉になる前の曖昧模糊で正体不明な
感情や、体感を、じっとホールドするのが
ほんとうに大変だったけれど
ひとりじゃないから、やりきれたように思います。

生身のカラダでぶつかるチャレンジを
気がすむまで、させてもらえたことで
自分自身への信頼が深まりました。

これまでのプロセスで
世界のことは信頼できるようになっていたのに、
自分自身の肉体や、自分に宿る男性性・女性性のことは
どこかで恐れていたということに、気がつきました。

わたしのなかにいる
つかれきったおっさんや
崇高でやんちゃなお姫様と
仲直りできた気がします。

それはわたしの
生命エネルギーにつながるということ。

ずっとフタしてきた骨盤うしろが開いたあと
奔出するエネルギーに慣れるのも大変だった・・・

自分を無意識に縛ってきた
「女」や「妻」という肩書きへの
思い込み、理想、夢も、手放しました。

男性に女性として愛されるより
女性として男性を愛すことより
血をつないでいくことより
子どもを産み育てるより
もっとエネルギーを注いでいきたいモノが
どうやら、あるみたいで
それはまだ、なんだかわからないのだけれど

本望でないところに
エネルギーを注ぐような
ひまつぶしをまず止めないと
この先には行かれそうにありません。

わたしはなんでも意気込みすぎるし
がっつりどっぷり考えすぎるし
つまり、エネルギーを持て余している。

それは、ホロスコープにある
グランドクロスにも象徴されていて
日本社会でさらりと生きているだけでは欝になる。

組織に属すような仕事や、その環境の中で
うまく過ごすコツも少しずつ習得してきていて
それはそれで続けるけれども
せっかくの人生
せっかくの設定
きっちり生ききることができるように
自分を整えていこうと思う。

見え隠れしている青写真が
もっとよく見えるように
カラダを通して伝えられてくる
本望がもっと聞こえるように

いまできることは
身の回りをすっきりさせること。

余計なもの
自分ではないものを
そぎ落としていくこと。

もっとシンプルに
タマシイのままに

遠足はまだまだ続くのです。

introduction rev.6 (111013)

あるいは、プロローグ的なもの。

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