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身体をとおしてあらわれるもの

フェミニンと思われることに
なぜこれほど、こだわるのか?

アンチフェミニン のほかに
もうひとつ理由がみつかった。

性が別れている「身体」というものへの、不条理感。

男と女に別れているから
わかりあえなかったり
ややこしくなったり
本能的な引力がはたらいたり
単なる友人として続けることが難しかったり

最終的には
本質的には
「ひとつ」なのに!

男も女もなく、仲良くしたいのに
つながりを感じたいのに
誰かひとりじゃなく、みんなと一緒にいたいのに
誰とも等しく、同じだけの深さで、つながっていたいのに。
それができないのは、性別のせいだ・・・!

そうやって怒っているわたしがいて
だから、そういう現実が
ときどき、たびたび、創られてきた。
それで、そういう現実があらわれるたびに
「ああこれだから嫌なんだ・・・」って思ってきた。

自分が女性としてみられると心地悪かったのは
フェミニンを嫌う気持ちだけではなく

そういうつもりじゃないのに!

という違和感
歯がゆさがあったのだ。

女っぽくしようとしたわけじゃない
男とか女とかどうでもいい
ただわたしは、わたしを生きているだけだから

性別なんかで括らないで!

っていう抵抗。

でも。

しょうがないよね。
わたしの身体、「女性」なんだもの。

相手がそこに
なにをみようとも
相手の自由だし

母性やら女性性やらを
投影されるってことは
それだけ世間で、
それが求められてるってことなんだろう。

わたしの身体をとおして
わたしの外に出たものは
わたしのものではない

というか
はじめから
わたしのもの
わたしがコントロールできるもの
わたしの管轄にあるものなんて
ひとつもないのだ。

しいていえば
この借り物の身体を
通りのいいように
メンテナンスするくらいで

通り抜けるものが
あらわれたいカタチになれるように
ゆがめることのないように
心を整え、身体を整え・・・


そして
そこにあらわれるものが
なんであろうと

わたしはそれを
直接みることはかなわない。

それは
誰かをとおして
わたしに還元されたり
されなかったり・・・

それが
身体をもっていることの
ゆたかさでもあるのだと思う。


これまでにも何度か
繰り返してきた

わたしの身体をとおしてあらわれるものへの
意図も、期待も、こだわりも、手放すということ。

もう一段ひろげられた感じがしている。

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