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否定するひとがあらわれたとき。

今朝はいいかんじに「自分」につながっている。

誰よりわたし自身が確信をもちきれずにきたけど
やっぱりこれはもう確実に

  わたしは万人万物を等しく愛してる

もう、そうとしか言いようがない。

関係性や思いの深さ
時間やエネルギーのかけ方などは
表面的なことでしかない。

愛情は万人に、万物に、等しく放たれている。

これはわたし起点に限った話ではなく、
あなたからも、あのひとからも、
ありとあらゆるカタチで
ありとあらゆる空間に
等しく満ちている。

すくなくとも今わたしはそういう世界に生きてる。

というタイミングで
お友達のツイート

「否定「あなたはダメだ」を無条件の愛で受け入れると、どうなるか?」

をきっかけに、つらつらっと書いたことを編集マトメ。
いまのわたしにとって、「愛」ってこういうこと。

---------

無条件の愛で受け入れるってどういうことか、
わたしにもよくわからないので参考にならないかもしれないけど。

わたしなら、「あなたはダメだ」と言っている相手の根底にある愛をみる。
ダメだと言っている相手自身に痛みがあって、愛があるゆえに痛んでる。

「あなたはダメだ」と言ってくるひとは、
自身自分を否定してるから
他人のそういう部分を否定したがる。

自分を否定するのは理想や期待があるからで、
幸福を追求する気持ちのあらわれ。
もどかしさ、自分にがっかりしてる気持ちの裏返し。

そうやってみると、相手を愛しく思える。

そんなふうに「自分を幸せにしたいけど出来ない!」って
もがいてる様(=自他を否定する)をみるのは切ないけれど、
それも相手の選択。大事なプロセス。

そこを尊重したうえで、自分に何か衝動がやってきたら、それに従う。
相手になにか声をかけたり、ポノったり内省したり静観したり。

この「ゆるしのプロセス」を瞬時にできるかどうかは、相手との距離次第かな。
言葉にすると解釈ぽいけど、実際にはエネルギーでふっと出来ることもある。

わたしの場合、相手の愛がみえない状態=自分への愛が欠けている感じで、
心地悪いので、ちょっと手間でも、フィルターを外して外して本質に戻す。

相手の愛をみるどころじゃないときは、相手との関係は保留して、
ひたすら自分をかわいがる。自分のなかの愛につながる。
否定してくる相手を愛せないときは、自分自身の愛から離れちゃってる。

こうやって愛って言葉に置き換えてしまうと
ものすごく軽々しいのだけれど、
ほんとうはもっといろんなものを含んでるんだ。

自分が創造主である自覚とか、
ゆるしゆるされてココに居ることとか、
自分という存在は、万物に満遍なく流れうねり統べていく
エネルギーの一部であることとか。

そういう感覚が愛なんだと思ってる。

無条件の愛(と呼べるかどうかわからないが)スタートは自分。
誰かやなにかじゃなくて、とにかく自分が「愛」であることを思い出す。
それがなかったら、他者なんてゆるしようがない。
他者のなかにある「愛」と響き合えない。

誰かが否定してくる「現実」、それは自分が欲しているもの。
それを契機に、どこかへ流れていこうとするプロセスに、
自分がいるということ。 望んでいるということ。

その契機を、自分をゆるす方向につかっても、
他者をゆるす方向につかっても、なんでもいい。
チャンスは何度でも巡ってくる。

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