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つながりのカタチ

5月7日のmixi日記+twitterを元に編集

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わたしは
だれかと
つながりたくて

つながりたくてしょーがないのに
つながれれば、なんだっていいはずなのに

自分の気に入った方法でつながりたいんだ!とか

つながりとはこういうものだ!とか

勝手に決め付けて
限定して

つながれないー!!って泣いていた。

その制約条件は
ながーーーいこと慣れ親しんでいて
そういうものだと思い込んでいて
生きてるってことは、だって、そういうことでしょう?
ってくらいに思い込んでいて

でも、つながることは、あきらめられなくて

どっちにもいけなくて
くるしくて
金縛りにあったみたいに
ちいさな枠の中で動けなくて
絶望的な気持ちになって

あっちへ手を出したらぶつかるし
こっちへ足を伸ばしたら痛いし
あーじゃない、こーじゃない、試行錯誤し続けて
くたびれ果てて・・・

でも

金縛りも
枠も
まぼろし。

いつのまにか身に着けていた、我が身を守るための鎧

いまはもう守る必要がないって
気づけば、消えていく。


相手の言動を100%肯定できないこと
わたしの言動が拒絶されること
相手のリクエストに応えられないこと
わたしのリクエストが叶わないこと

そんな関係性は不完全だって
それじゃ、つながってるって言えないって、怒ってた。
そんなの、つながりじゃない!って否定してた。

身体をもっている以上は
身体を通してあらわれる「現象」を
「すべて」受け入れることこそが【つながり】と思っていて

そうすると、多数と同時につながることはかなわなくて
どうしろっていうのさ!って途方にくれてた。


だけど

自分や相手の言動や
関係性の実態はともかくとして

【存在を受け入れていること】

それだけで、つながりだったんだ。


はじめから、つながっていて
いちども、別れてなどいなかったのかもしれない。

「言動や実態はともかく、存在は受け入れる」というのなら
話はとても簡単だった。
チカラを抜くだけでいい。

(これまでは境界線があまかったから )
(あえて、それをやらないできたのかもしれない。)

言動を100%受け入れることが出来ない相手や
思うように連絡をとりあえない相手を見つけては
「愛が足りない」「愛が伝わらない」と
みずからを嘆いてきたのは
すべて誤解だった。

ここのところ
じみーな頭痛が時々あって
罪悪感か?なんの?と思っていたのだけれど
思うように愛せない!って自分へのダメだし
これじゃ伝わらない!って焦り、だったのかな。


あなたの言動に100%賛同はできないけど

わたしの言動は100%よろこばれることもないけど

いつも連絡をとってるわけじゃないけど

この先、二度と会わないかもしれないけど

愛してないわけじゃない

愛されてないわけじゃない


存在を受け入れている=つながり だと
自分内規定を改めるだけでよかった。


「言動や実態はともかく、存在は受け入れる」

というのが腑に落ちたのは

全般的にすごく気が合う相手にも
いくつか、ひっかかる部分はあって
たとえばちょっとそれは…って思うような言い回しとか

その相手とケンカ別れして
めったに会わなくなっても
時折思い出したり、風のウワサをきいたり
つながりは続いていて

ふと気がついたら
その、ひっかかってた言い回しを
なにげなく使ってる自分がいたこと。

そのとき【つながり】の深まりを実感した。

相手の「イマココ」の言動はそこにないし
関係性の実態は「疎遠」だとしても

相手への思いも
「わたしのなかの相手」も
ずっと共に在り続けて

すこしずつひとつに溶け合っていく。


実態が伴わないのは、
誠実じゃないような気がしていた。
わかりやすい実感が欲しかった。
生身の体の間にやさしく流れるものが
「ホンモノの愛」みたいに思っていた。

体に比重を置きすぎてた、というか
特別視しすぎてた、というか・・・

どんなカタチであらわれていても
そこに、差は、まったくないのだ。

比較するものじゃなかったのだ。


世界からもたらされるものは
いつだってわたしにとって最善で
変えるべきものなんて
ひとつもなく

わたしからうまれる衝動も
いつだって世界にとって最善で
変えるべきものなんて
ひとつもない


わたしのなかで思いと行動の優劣がなくなって
長いこと抱えてきたジレンマが消えた。

これが、これからのわたしにどんな自由をもたらすだろう?
現時点で、呼吸のたびに、世界と愛し合ってる感覚を味わってる。
瞬間ごとに愛し愛される身体!

離れたひとへの愛情はもちろん、
すぐ横のひとへの愛情も増している。
惜しみなく、後ろめたさなく、
すべてにひとしく、マックス出力してるって思える。
あふれでるままにしていい。

幸福な降伏
サレンダー

わかりやすい表現に
ならなくてもいい。出来なくてもいい。
もし出来たら、また違う展開があるだろう。それもいい。
だれかとのわかりやすい響きあい。未知数。ワクワク。

つながりのカタチ が
どうであろうとも

物理的に離れていても
感情的に離れていても

つながっていることに変わりは無くて
気持ちひとつで響き合うことが出来る


わたしも、あなたも

命あるものも、ないものも

在るってこと自体が、愛の「あらわれ」


愛してるも
愛されてるも
いつも同時にそこにある

それを思い出すだけで
いつでもだれとでもつながれる。

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