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2012年7月の記事

あれは、初期流産?

プハンの翌朝から小旅行でした。
渓流沿いを歩いたり
おいしいごはんを
おなかいっぱい食べたり
食べて動いて出して、また食べて出して。
サイクルが早かった!

2日目、雷雨で寒いしだるいし
腸内ガス異常発生に胸焼け・・・
食べ過ぎか?と思いきや
3日目、新月の翌日、生理スタート!

前回は約3週遅れで
不正出血だろうか、という状態が
約1週間続いたあと
3日くらい集中的に経血があり
しかしカタマリは少な目でした。
(結局、妊娠検査薬は使わなかった)

そして今回
不正出血風の初日から数えても
4週弱の、かなり早めリセット。
(通常31~35日周期)

量はそれほどでもないけど、
色がすっごくあざやか、きれいで
2日目の朝には
子宮内一掃したか?というくらいの
大量のカタマリが出ていって

そのあとの数日でさらに
いつもと同じくらい
カタマリが出ていったので

もしかして前回は
初期流産で
その、自然処置的な
リセットだったのかなあと
思っています。

前回のだらだらリセットのあとも
やけに体温が高い感じだったり
(基礎体温はかってないので体感のみ)
胸が張ってる感じが続いていたのが
今回のリセットで、落ち着きました。

天音らんちゃんによれば
身体に備わっている産道ではなく
天と身体をつなぐ産道を開通させるために
流産が起こることもある、とのこと。
(その場合は、同じ魂がふたたびくるそうです。)

前回の不正出血がはじまる前
ものすごくだるい日が続いて
昼寝していたら
「おわった」
という声がした、というか
感じがした、というか
そんなことがあったので

いずれにしても
身体を整えるための
プロセスだったかなーと思っているのでした。

初!プハン

10日ほど前に、氣道協会で、
プハンエステはじめて受けてみました。
プハンは韓国語で、英語だとカッピング
日本だと吸い玉といって
鍼灸院で使っているところもあるそうです。

療法としては相当古く、
エジプトの壁画にかかれてたり
日本書紀?に出てきたり
胃弱のナポレオンもよく使ってたとか?

指圧やマッサージとは逆の、「引き」の力で
肌表面の毛細血管を破壊し、淤血を流す。
砂浴も「引き」の力だけれど
それよりも部分的で強力なデトックスができるとのこと。

施術は、オイルをぬったあと
透明の半球のカップを肌にあてて
カップについたボタンでぷしゅぷしゅっと空気を抜く。

どこに、いくつ、どれくらいつけるかは、
問診や、背骨の観察(触診)で、判断してくれます。

きゅーっとなってしばらくは痛いけれど
じきに、感覚が麻痺します。
プハンと同時進行で要所要所に順繰りにのせてくれる
温タオルがすっごく気持ちよくて!!
特に腰は、タオル置かれてすぐに、すごい勢いでゆるんで
わずかにあった緊張もとけたのがわかりました。

終わった後の、プハンの痕(内出血)は
状態によって色が違うのですが
わたしの場合、肘下はそうでもないけど
二の腕はあきらかに 右のほうが色が悪い
=瘀血(血の流れの滞り)率が高い。
利き腕だし、マウス使うし。

背中は、真ん中左が突出して色が濃くて、たぶん消化器かな?
脚は、脂肪率が高いからか、
肌が丈夫だからか、停滞しきってるのか、
ちっとも痕がのこりませんでした。

プハン施術の前と後に
身体を左右に倒す。左右にねじる。前後に倒す。という
基本的なからだの動きをやって体感をたしかめるのですが
あきらかに身体がなめらかに動くようになりました。

翌日は、排便回数が多かったり
当日からしばらくは、飲酒頻度が減ったり
パソコン画面を見ていられなかったり。

そして、3日後
とつぜん生理になりました。
これについては、また、別に。


こういうボディワークって
自分の体の客観的情報をもらえるのが、また、たのしくて。

体感確認で、後ろに反らしたら、やわらかい!と驚かれ
そうか、これって、やわらかいのかーと。
たしかに、むかしから、なぜか、後ろだけは倒しやすいのです。
前屈は、地面に指が届いたり届かなかったり。

ボディワークとか、そういう仕事か?ときかれ、
パソコンサポートだと言ったらこれまた驚かれたり。
いまは、仕事に就いているわけではないし
PCヘヴィユーザーとはいえ、家でだらだらみてるだけなので
フルタイムデスクワーカーとは比にならないですが。

瞑想や自働運動をよくする人のような身体と言われたのは
これまでのボディケア&マインドクリアリングの
成果みたいに思えて、嬉しかったです。


しかし、プハンは冬場やるほうがいいと思います!
露出のおおい夏は、痕が目立つ目立つ・・・・
(胸元、脇、首まわりとか。背中は20箇所くらい。)

人によってはキレイに消えるまで1週間かかるとききましたが
わたしも、完全に消えるまでは、それくらいかかったかなあ。

Puhan1
おわった直後。DVか?というような。

Puhan2
4日後。だいぶ薄くなりました。

わたしが考えるワケと、今後

ともかくわたしは
考えることに執着してきたのです。

無意識に、自然に、そうしてたのでもあるし、
ほかにやりたいことがなかったのでもあるし、
ほかのことはやりたくなかったのでもあるけれども、

ともかくわたしは
アホみたいに考えまくる人をやってきたのだけれど

いろいろなものを求め、いろいろな働きかけを受けて
理由にしてきた「価値観」=思い込みがゆるんできて

考えた結果をシェアしてみよう。とか
考える以外の遊び方をしてみよう。とか
そもそも、「~してみよう」と考えるステップをとばしてしまおう(笑)
という気配が、自分の中にじわじわ増えてきている、今日この頃。

おもしろそうだから、やる。
やってみたいから、やる。

そういうシンプルな動機で
理由を探さずに
目的を定めずに
ただ、体を動かす。
表現する。。。

ということを、やろう。

と、思うということは ←また考えるw

ひっくりかえしてみれば
これまでわたしは
自分のやることなすことを
「無駄」だと思いたくなくて
「有益」だと感じたくて
ひたすら考えてきたのかもしれない。ってことだろう。

考えることが「自動化」されちゃうくらいに
切実に、理由と目的を必要としていたのかもしれない。
(詳細は、いまは、書かない。)


ひまぱ~んさんにみてもらったホロスコープに
「完璧主義で気を抜くのが苦手、痩せ我慢で厭世的」とあって
でもそれは、オットとの結婚によって、徐々に薄れてきているんだけれど
今度は「常に楽してしまった自分への反省や嫌悪がつきまとう。」という。
なんともドンピシャなことが書いてあったときには
驚くやら笑うやら悲しいやら。でしたが

それを笑える自分になっていることを
わたしは今とても誇りに思うし
いろんなカタチで、大なり小なり無形なり、関わってくれたすべてに
とてもとても感謝している。

そして、せっかくここまで育った「力」なので
たのしみながら、つかっていくのです。

たまに、力に振り回されて、疲れるときもあるんだろうけど
いまや、わたしは、ひとりではないので
(ひとりではないことを知っているので)

大丈夫なんだろうと思います。


読んでくれるひと
気にかけてくれてるひと
ありとあらゆるみなさま

どうもありがとう!

最後に。

わたしは、考えるのは、べつに好きでもないけれど
考えていること、考えたことを、表現するのが好きです。

だから、どんなに内容が暗くても、イミフメイでも、
たとえ、否定されても、理解されなくても、反応がなくても、
それを書いているとき、わたしは幸せなのです。

わたしが考えるワケ、その2

前記事からの続きです)


そうやって腑におちた
いくつかの【ものの見方】や【法則】のなかでも

【自分の内部=自分の外部(世界)】

これは気に入っている。
おかげでわたしは、俯瞰と自己分析によって
自分平和=世界平和を実現しているのだ!という
開き直りめいた思いを持てたから。
大義名分、大好き(笑)

ほかに気に入ってる考え方は

世界はすばらしくバランスがとれていて
すべての需要と供給が複雑に絡み合いながらも
【大いなる流れに沿っている】
いつだって世界は着々と、意図をもっているかのように、進んでいる。
だから
わたしが、あなたが、
なにをしても
なにもしなくても
大丈夫なのだ。ということ。

さらには
わたしから生まれ出るすべて(衝動も思考も)は
わたし独自のものではなく
その「流れ」の支流であり
「流れ」のために必要不可欠なのだ。ということ。

  こういうのは「言葉」でいくら表現されても
  「自分の体感」でわかるまでは眉唾もいいとこだと思うので
  ここでわたしが

   だから

  と、つなげても
  全然つながらないよ!と思われる可能性はたいへん高いのだけれど
  あえてそのまま書く。

だから、わたしが、あれこれ「考えてしまう」ことや
突拍子も無い発言をして場の雰囲気を変えてしまうことや
その他のありとあらゆるわたしの、誰かの、「クセ」も「選択」も
良いことでも、悪いことでもない。
と、思っている2012年現在。

↑この考えに行き着くまでにはずいぶん自分を責めたり恨んだりした。

そのような裏づけ?を得て
正当化することのできた
わたしの「考えグセ」 ではあるけれど

そんなに元気でヒマなら
もっと社会や人に直接はたらきかけるようなところで
建設的にエネルギーを使えば?
と提案されれば、それもそうだと思う。

わたし以上にわたしのことをよく知っているオットには
ずいぶんいろいろ勧められた。
小説家、レポーター、芸術家、政治家、キュレーターなどなど

実際、彼の思惑に乗っかって
4月にはふたり展なんぞやったわけで
そのためにほとんど「はじめて」展示作品というものを
突貫工事で、ごーっと創ってみたら
ごうんごうんと思考をめぐらせているより、ずっと愉しかった。

そう、たのしかった。

そのあいだは、たくさんの視点を同時検証するようなことはなく
ただ純粋に、まっすぐに、目の前のことに「没頭」できた。
きもちよくお腹がすき、きもちよく食べ、きもちよく寝られた。

わたしは、知らなかっただけなのだと思う。
「考える」という遊びが、あまりに手軽で、
いつでもどこでもひとりで出来て、便利だったから
それ以外の遊び方の発見や探求に、熱心ではなかった。

めんどくさいとも思っていた。
人生いつ終わるかわからないのに、うっかり時間のかかることをやって、
もし、終えられなかったら?と思うと、手をつけるわけにいかなかった。

これらが、「考えること」にばかり、かまけてきた理由の一部。


もうすこし続く。

わたしが考えるワケ、その1

わたしは、考えるのが好きだ。

・・・ほんとに好きなのか?
実はよくわからない。
わからないけど
わたしにとって
「物事」や「自分」を俯瞰し分析するのは
ごくごく自然なことで

身の回りの出来事や、自分のちょっとした選択の
理由やきっかけや目的やなんかについて
あれこれ考えたこと思いついたことをつれづれに話したり書いたりすると
「普通はそんな風に(複雑に)(深刻に)考えないもんだよ」
と驚きつつ呆れられたりする。

この数年…うん本当に、この数年になってやっと
どうやらそんな風に思考をめぐらせる人ばかりではないらしいどころか
どっちかっていうとわたしが珍しい人のようだ。
というのを、認識しつつあって
またそれについてわたしは理由を探るのだけど(笑)

わたしの長年の(笑)探求によれば
どんなことも理由がひとつなんてことはなくて
わたしがあれこれ考えるワケもたくさんあって

たとえば

・自分の時間がいっぱいある
・気力体力エネルギーがあまってる
・身体を動かすよりアタマを動かすほうがラク
     ⇒よーするに「元気でヒマ」

・納得したがり
・負けず嫌い
・すべて解き明かせると信じてる

さらに仮説では

・もってうまれた資質
・生まれてじきに母親と意思疎通ができないことに絶望し(笑)
 なんとしても「自分を伝えるんだ!わかってもらうんだ!」と意気込み
 あらゆる角度深度を知れば、
 どこかのチャンネルでは通じるだろう!と思い込み(笑)
 がんばって習得してきたスキル

などが、いまわたしにみえているもの。

アタマに余裕があれば瞬時に
あれこれ分析し始めてしまう「自分」という人間を
わたし自身がどう思っているかというと

面白がってるところもあれば
めんどくさいやつだなあと思うこともあるし、
やりすぎて疲れきってた時代もあったから
深追いしないで流せるならラクだろうなあ…と思うこともある。

ちょっとした出来事から、ああもう地球は終わりなんだとか
超絶望的なところまで考えが発展して行き詰る時代も長かった。
わたしの場合、自分のなかで考えが飛躍する感覚はなくて
自力で地道に順を追ってそこへたどりついてしまうので
にっちもさっちも行かなくなるのだ。
こうで、こうで、こうで、ということはこういうことだから、
となるともうやっぱり結論はこれしかないでしょう!と
みずからがんじがらめになる頃には、助けを求める気力もない。

そんな暗黒時代を乗り越えて
明るい未来をみられるようになったのは
心理学だったり
いわゆるスピリチュアルだったり
あれこれかじってみたおかげかもしれない。

いろんな分野の
いろんな【見方】【考え方】【見出された法則】を
知識として取り込んで
現実に当てはめて検証する。
思考するだけでなく、現実生活で実践をしてみる。
おお、なるほどね!たしかにね!とか
ああ、あれと同じことね!と思えるまでやる。
かなりしつこい。
あきらめがわるい。
いまも、いくつかは、検証中だと思う。(自分でも把握できない)

続く。

くじらチャンネル、はじめました。

厳密には先月すでに始めていて
今日ひさびさに追加したのです。

くじらチャンネル
http://www.youtube.com/playlist?list=PL2C522EF22D12E9A6

J-POPを、伴奏なしのアカペラで
好き勝手に歌って、アップしてます。

今日は椎名林檎「同じ夜」も歌ったのだけれど
Ustで音声のみ録画にしたら
youtubeにはアップできなかった・・・

「同じ夜」椎名林檎 http://t.co/7uMTeW4z

けっして!
歌がうまいわけではないです。
音程もテンポもブレまくりです。

でも、歌声や、歌っている感じを
イイネと言ってもらえることが多くて

ハートチャクラの声 とか
聴いてると、心がのびのびするとか
人を安定させる声 とか
いやらしい声とか(笑)

  ↑生きていることのせつなさと
  しみじみうれしい感じなのかな?
  と思っているのですが。不明。

それで、ひとりでカラオケに行ったり
誰かと行ったりするだけでなく

もっとたくさんのひとに
あるいは、空間に、時空に
声を響かせたくなって

そのとき歌いたい歌を
好きなように、歌って
ネットの海に流しています。

思いつく歌は
自分の好きな歌が基本ですが
あまり脈絡はなくて

その歌を、言葉を、
そのとき届けたい誰かがいるみたいです。

細々と続けていくことだろうと思います。

もしリクエストがあれば。ぜひ。

コウノトリがこない理由と、もっと大事なこと

オットが先日
無根拠な確信をもって
言ってたこと。

子どもがさくっと出来るひとは、
子どもからパワーなりなんなりもらう必要がある
(そういう計画になってる)

元気だったり幸せそうだったりするから
子どもを授かったんじゃなくて
子どもがいるから、そういう状態でいられる。

だから、うちはなかなか授からないできてるけど、
それはそれで完璧なんだから大丈夫。


願いがかなわないときは
叶ったら困るとき。
叶えたくないとき。
そこにヒントがあるのだろう。
願いがかなわないから、気づくこと、できること。

たとえばわたしなら
不妊によって、心身の健康に関心をもったり
つかわないできた能力を発揮したり
無自覚だったパワーを(自覚することで)取り戻したり

わたしがわたしを生きるための
(セカイに貢献するための)
万全で完璧なプロセス。


それから
これは妊娠なのか、ただの遅れなのかと
うだうだ言っているわたしに

そんなのどっちでもいいから気にするのが一番よくない。と

気にならないの?と問い質したら

今キミが平穏で幸せに笑ってるのが重要。
(それに自分も左右されるから)

という回答でした。正論だ。

そんなオットは
最近ではわたし本人以上に
わたしの精神バランスに注意を払っているのでした。

極論に走りやすいわたしの性質に
わたし自身が誰よりも疲れてしまうことを
理解して、あきらめて、お守りしてくれている。

おかげさまで元気です。

感謝。

周期53日目、叶えたくない願い

火曜から続いている茶褐色の帯下が
日を追うごとに血液っぽくなり
内膜の欠片も混ざったりして
でも、いまだに、
いつもの1日目のような勢いにならない。

「これリセットじゃなくて不正出血で
 可能性はゼロじゃないよね?」って
思ってる自分がまだいる。

そんな自分を
馬鹿にしたように
鼻で笑ってる自分もいる。

満月まで待って検査薬を使おう。
あるいは、医者に行こう。
そうやって先延ばしにしていたのは
どうせがっかりするんだからと、
どこかで思っていたせい。

期待している自分を、
切望する自分を、
恥じるのはどうしてだろう?

それが叶えられるハズだなんて
思い上がったわたしがバカでした。とか
不相応な願いでした。ごめんなさい。とか

いったい、誰になにを謝っているのだろう?

どんなに予防線を張ったって
期待は湧いてくるのだし
無傷ではいられない。

その傷がまやかしだって視点も
わたしは持っているけれど
だからといって
痛みを感じる視点がなくなるわけでもない。

自分を誤魔化しきれるものではない。

自分以外のナニカをつくりだして
受身で無力な自分を演じるのは、不健全だ。
それがたとえ、妊娠という、
奇跡的に不可解な事象であっても。

妊娠出産という未知を
おそれるあまり
「運まかせ」に逃げる自分の弱さを
せめて、知っていようと思う。


セラピーや、なにかの場面で
「いつまでに妊娠するって決めちゃえば?」と
提案されたことが何度かあったけど
わたしはいつも、決めかねていて

だって、決めてしまったら、
その通りになってしまったら、
面白くないじゃない。

なんだか分からないことがあるほうが
人生、退屈しないでしょう。

(つまりわたしは知っているのだ)
(すべて自分次第だということを)

そうやって天邪鬼に
分からないままでいたい
願いが叶わないことで安心したい
自分に提案したい。

もうそろそろ、この課題で
「現実創造のからくり確認テスト」するのはやめよう。
わたしの身体が、かわいそうだ。


それでまた石井ゆかりさんの週報による
星の動きが、意味深ですね。

半年強を使った「勝負」がここに一段落。
満を持して、過去二年ちょっとの中で
ジリジリと積み重ねて来たことをここで一気に、
華やかに試してみる!
前提を取っ払って突き進む


もうね
無力なフリは
終わりにしましょう。

わたしが無力でいようとするとき
「有力ななにか」がうまれてしまう。
対立がうまれてしまう。

セカイを平和にしたいなら
わたしの内側の争いをなくすことだ。

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