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全体性を取り戻す過程の不安定

わたしの社会性、経済的自立について
なんとはなしに不安を感じていたら
あっちからこっちから
ヒントになるような情報がやってきて
つながって見えてきたもの。


親に、自分の期待する「親」という役を期待するのを、やめる。
自分が、親の期待する「自分」の役をやるのを、やめる。

おなじように、妹、親戚、祖父母、世間・・・
あらゆる関係性においても、やめる。

親や親類が「出せないと思い込んでいる側面」を、代わりに出してみせたり
自分の外見に似合わないからと遠慮して「出したい側面」を出さなかったり

いっこずつ、そういうしばりをやめていく。
そこから、それぞれが、それぞれの全体性を取り戻していける。

いままで、お互いに「肩代わり」することで
バランスしていたのだから
やめたら、一時的に不調和になるだろうけれど
それも必要なプロセス。

そういう、いままでほぼ無意識でやっていたことを、
意識的にやめるのは、勇気が要る。

必要があってやってきたこと、
身を守るために、しあわせでいるために、やってきたことだから。

やめたことがないから、どうなるかわからない。
やったことのないことは、怖いものだ。

でも、気がついてしまった「怖いこと」を、無いことにはできない。
忘れたフリしたり無視したりタブーにしてしまうと、変な形で噴出する。

怖がる気持ちを
抱えつつ、見つめつつ、たまに試して
怖くないってことを、体で覚えていく。

その、繰り返しだ。

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