« 土星と社会性 | トップページ | 種を蒔いた人が育てなくても »

留まるだけが継続ではない

ずーっと憧れていた。
父のような公務員
祖父のような職人
ひとつところで腰を据えていられる人たち。
ひとつことをやり遂げる人たち。

そういう生き方であれば
親は安心するし
社会でも認められるし
いいことづくめに思えた。

でも、だめだった。
すぐ飽きてしまう。
ある程度、仕組みがみえたら
もうおもしろくない。

腰を据えたから見えること、や
何度も繰り返してわかること、が
あるのも知ってるけれど
惹かれない。
欲しいと思わない。

だからわたしはいつも客で
いつまでたっても家人にはならない。
あたらしいナニカをもたらして
取り込み方を説明して
カスタマイズして
うまくまわるようになる頃には
わたしは要らない人になっている。
わたしの場所は用意されていない。していない。
そしてまた次の場所へ

そういう役割なんだって
わかっていても
わたしだってたまには
ぼんやり落ち着きたいと嘆く

あたらしい場所は刺激的
たのしいのと、つかれるのは、同じ理由だ。


客でいるのが好きなくせに
それ以外に興味がないくせに
安定できる場所を求める自分の矛盾を

どっちかに統一したくて
ずいぶんいろいろやってきた。

期間が決まっていないと力を発揮しづらい
ペース配分ができないわたしには
自分のペースで物事が進まない会社員は不向きだった。

アート系イベント主催はたのしかったけれど
前に出たい自分と
アートを主役にしたい自分で
どっちつかずになった。


石の上にも3年
わたしの職歴は最長2年半
だけど気づいてみれば結婚は12年目だし

もともと持ってる
いきあたりばったりで
臨機応変にやりすごす力は
あちこちの職場と立場を転々とした経験を裏づけに強固になって

ふと気がつけば
転がり続けるってことを
続けてきた自分がいる。

36年と半年。

立派なもんじゃないか。


親を安心させたかったし、社会に認められたかった。
それには、腰据えて生きられなきゃダメだって気持ちが捨て去れなかった。

わたしはこういう生き方しかできないし、そうしたい。
それは、親の安心とか、社会から認められることをあきらめることと、セットだった。

こういう自分でなくちゃ、それは得られない。
こういう自分でいたいなら、それはあきらめるしかない。

そうやって、思ってきた。

でも、そうやって、思ってきたから
これじゃダメだってもがき続けたから
今の自分がある。

パソコンのオンサイトサポートも遠隔ヘルプも
ちょっとした研修会の講師でも出来るし

休める場所も
ちゃんと、ここにある。


年を重ねたから得られた視点。

あんなにも、早く終わらせいと願った人生だけど
日々を積み重ねるのも、悪くない。

« 土星と社会性 | トップページ | 種を蒔いた人が育てなくても »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/21960/55476738

この記事へのトラックバック一覧です: 留まるだけが継続ではない:

« 土星と社会性 | トップページ | 種を蒔いた人が育てなくても »

カテゴリー

無料ブログはココログ

占い by いとうより