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2012年10月の記事

「母より幸せ」のカラクリ

子どもの頃
自分に差し出されるものはぜんぶ
「愛」だと知っていた。

嫉妬も
暴力も
抑圧も

ぜんぶ愛だと知っていたから
甘んじて受け入れた。

ぜんぶ愛だと知っていたから
もっと欲しくて
ずっと感じていたくて
わざとそれを引き起こしたりする。

年月が経ってなお
どこかでそれを求め続ける。

相手はもうそれ以外の方法でも
愛を伝えることが出来るようになっているし

わたしだってほんとうは
もっとわかりやすく心地よい表現をされたいのに


母より幸せになりたくないのは
母に愛されなくなると思うから

その根底にあるのは
母を「不幸」の位置におくことで
「母より」幸せになろうとする自分

幸せを感じるために
母を踏み台にする自分

母がガマンしてガマンしてガマンして手に入れたあれこれを
娘のわたしがガマンなしに能天気に手に入れたとしても

母がそれをガマンしてガマンしてガマンして
手に入れているようだとしても

不幸とは限らない

母を不幸にしなくても
わたしの幸せは、揺るがない

脱・やられやらされ

脱・相関関係


母からかってに学び取った
「大好きなひととの関係性のありかた」を
いつまでも踏襲する必要はない

母とわたしは、別のにんげん


母はじゅうぶんオトナで
自分で自分を幸せにする力があり
なんだって好きに選べるのだ

選んできたし、選んでいるんだ。


母のやりかたで
母より幸せになって
母を幸せにしたかった

そうしてわたしは不幸な母をつくり続けた


このへその緒を切りましょう。
綱引きはおしまいにしよう。

わたしたちは
もっとおおきなものでつながっている。

嫉妬や
暴力や
抑圧や

慣れ親しんだかたちでなくても
愛を受け取ることができる。

もう、それがなくても大丈夫。

役を解く。

筋書きのない世界をいこう。

母にみたもの

twitterより

----------

母が我慢して我慢して我慢して手に入れ維持してきた(と思われる)あれこれを、
わたしは「やりたいことをやりたいようにやって」手に入れるのかもしれない。

と、考えたところで、わたしが「普通のひと」と言うとき想定してるのは母だ。
って気づいた。「普通」に対して発生する感情はつまり、母へのそれ
posted at 00:36:29

わたしの「普通」の基準は、いまだにどこか、母に準拠しているのだ。
posted at 00:40:36

わたしはごはんを食べながらビールでも日本酒でも焼酎でも飲む。
おかずと、ごはんと味噌汁を並べて、お酒を飲み、ごはんを食べる。
たぶん、酒飲みとしては珍しい。
posted at 00:42:56

だって、嫌いだったんだ。みんながごはんを食べているあいだはお酒をのみ、
食べった頃に「ごはんー」と一人もそもそごはんと味噌汁と残ったおかずを食べている父も、
片付けてあとから食卓についてちゃちゃっと食べてやっと一息ついたところで
父のためのごはんと味噌汁を用意する母も。
posted at 00:44:15

うちは、オットが下戸でお酒を飲まないから、ごはん作りながら飲むか、
ごはんをふつうに食べながらお茶をのむみたいな感覚でお酒を飲む。
それなら、だいたい一緒に食べ終わる。
posted at 00:46:13

思い返してみると、実家に居る頃から、わたしは最初からごはんも食卓に並べて、飲んでいた。
魚介系をたべたあとにアルコールをのむとものすごく魚くさくなるのが苦手なので、
口直し的にごはんを食べることが多かった。
posted at 00:47:05

そんなにおなかがすいてないときは、わたしだけ、ごはんなしって時もあるし、
近頃はお酒を飲んでないことも多いけど。
posted at 00:48:16

母は、我慢と引き換えでなければ、欲しい物は受け取れない、
受け取っちゃいけないと思い込んでいるようにみえる。
それならそれで、いいんだよな。それは、母の領分。
posted at 00:49:34

我慢するか、受け取るのをやめるか、どっちかしかないと思っている感じ。
わたしにもそういうところはある。あった。←過去形にしてみる
posted at 00:50:47

父は家のことをまったくやらない!家政婦みたい!
べつにわたしじゃなくてもいいんだから、出て行く!と母が言う。
聞いていてまったくたのしくはないが、いえるようになっただけ、進歩なんだろうなー。
posted at 00:56:48

家をでてひとりで暮らしても、庭があれば庭仕事があるし、
扇風機は洗って片付けなきゃならないのよ、お母さん。わかってる?
posted at 00:57:16

ドーナッツ食べたい。ような。えーっと、あぶらっぽくて甘いもの?
posted at 01:02:36

普通のひとは、どうも、なにかしら我慢して生きているようだ。
かわいそうだ。大変だ。ぜったいそうはならないもんね!という、
普通を、母に置き換えると、たいへんわかりやすい。
posted at 01:06:25

出て行けば~って受け流してる父も、にぶいっつーか、かわいくないっつーか・・・
いやあれは余裕なのか?まあいいや、ふたりで勝手にやってもらおう。
posted at 01:09:59

そりゃあ、親が仲良く暮らしているほうが、なんとなく安心で嬉しいけど。
別々に暮らすほうが心地いいっていうなら、それも仕方ないよな。
やってみないとわかんないこと、いっぱいあるし。
posted at 01:10:51

これはもう完全に刷り込みレベルでさ、
わたしにとって父は、かけがえのない大好きな異性なわけで。
その父を占有してるってだけで、母は、嫉妬に値する。
だから母が愚痴ってるのも甘えてるのも、
なにぜーたく言ってるのさー!って感じが、どっかにある。
posted at 01:13:18

セクシュアリティ=生命力、か。 (@amaneran プロフィール)
posted at 01:15:47

しかしまあこーやって、きゃいきゃい嫉妬したりライバル視したりしてるのは、
娘のほうだけ、なのかもしれん。
それとも、女同士はどこまでいっても、たとえ親子でも、ライバルな部分があるのかな。。。
posted at 01:18:08

ああそうか、つまり、嫉妬されたいわたしがいるんだ。
母に、ライバル視されたい、一種の承認欲求。
それがこじれて「母に遠慮するわたし」になってる。
posted at 01:34:21

遠慮してあげないとかわいそうな母、という現実(幻)を創ってるのは自分。
posted at 01:36:07

もう、いいじゃんねー。母のものだろうと、誰かのものだろうと、
欲しいものは欲しい!っていう自分のまんまで。いいことにしようや。
posted at 01:41:15

たぶん、女なんてみんなそういう生き物だよ。
自分のものはちゃんと確保してても、もらえるもんなら全部ほしい。
くれないなら、与えさせてみせようホトトギス。
posted at 01:41:58

それと同時に、なんでもOK、ぜんぶあなたのため、
ぜんぶ捧げますっていう、敬虔さも持ってる。そういう生き物。
posted at 01:42:39

仲良くなりたいような、でもとりつくしまのないような、
嫌いなわけじゃないけど好きとも言えない、妙な距離を感じる、
苦手なひとたちの共通項は。セラピストとか、仕事ぶりじゃなくて、
「男の子の母」なんじゃないか?もしかして。
男女両方なら大丈夫、男子のみだと、苦手意識が出やすい!
posted at 01:55:00

これさあ、完全に、母から受け継いじゃってる感情だなあ。
男子を期待されながら、授からなかった、母の無念(に見せかけた、復讐?)
(まあなんでもいい、計画通りなのだすべて)
posted at 01:56:33

男子を授からなかった、という事実から派生したであろう
複雑怪奇な感情の捌け口として、男子の母は理解しにくい、
とっつきにくい、自分とは違う存在。という差別化をはかったわけだ。
posted at 01:58:08

(それも、わたしの創った物語でしかないが。)
posted at 01:58:26

でもって、義母は、男子のみの母なのよこれが。。。
posted at 01:59:07

わからないものを、わかるには、やってみるのが一番だあねえ。。。
posted at 01:59:28

母のなかにみた欲を、軽蔑してた自分を発見。
posted at 02:13:39

ん、跡取りとして期待された唯一の男子である兄を羨む気持ちを発見(←母視点)
posted at 02:23:19

母が父に求めているのは、祖父からもらえなかった、
祖父にしてもらいたかったこと、なのかもなー
posted at 02:24:11

昨晩の続き。オトコの子だけの母をやってる女性=欲しいものは欲しい、
自分のものはすでにあっても。もらえるならいくらでも、もっと欲しい♪
ってちゃんと言えるひと。というイメージなんだわ。
(あくまでわたしがつくりあげてきたの枠のはなし
posted at 09:51:42

月のボイドタイムの効用

昨日おとといと
なんだかずいぶん
たくさん思考してアウトプットして
どんどん自分が変わっていくなあと感じていたら
ボイドタイムでした。

ボイドについて調べてみると

「魔の時間帯」などと呼ばれ
重要な物事を決定してはいけない、とか
なにかを始めても思う通りに進まなくなる

などと言われているのですが

月がアスペクトを作らなくなった時点から
次の星座に移るまでの時間帯は
宇宙からのエネルギーが無になる。

アスペクトがないということは、
ほかの星の影響を受けない
つまり、ニュートラル。

空虚・空白・無駄・無効であるボイドを
ゼロポイントと捉えてみると

天音らんちゃんの言うところの
【魂のゴールデンポイント】と
たいへん相性がいい・・・ような気がします。
わたしの体感。

明日10/31もボイドなので
意識して過ごしてみます。


なお、わたしがゲストセラピストとして参加する
セクシュアリティワーク@東京
11月3日も、夕方までボイドです。

感情と意図の交わる
見晴らしのいいポイントを味わうには
最適かもしれません。


それから
なんでも無効になるようなので
失敗したらどうしよう・・・と心配な事柄は
ボイドタイム中にスタートさせると
いいかもしれない。

ちょっとくらいの
呑みすぎ食べ過ぎも
きっと大丈夫?!


ボイドタイムのこと。
http://www1.ocn.ne.jp/~isamu47/moon12.html

月が地球に対して、どんな星の性格をも反映せず、月の働きが無効になる

この時間帯には、月の効力が弱くなり、
普段は抑えられている人間の感情や感覚が
過剰に敏感・活発になるとされています。

また、ボイドタイム中に決断したことや始めたことは、
そのときには思ってもみなかったミスがあったり、
当初の考えとは全く違う結末になったりすることが多いとされています。

ボイドタイム中は、良いことも悪いことも
「無効」なるといわれています。


遅刻という主張:関わり方のパターン

ダメだとわかっていながら
36にもなって
いまだに
遅刻したりドタキャンしたりするわたしに
オットが言う。

 ふつうは、これはほんとに本気で守らないとやばい!
 って感じる場面に出くわしたりして
 だって無理、とか言ってないで
 寝ないで行くとか、するようになる。
 ここまでそれをやらずに済んできたのは、奇跡的。


遅刻のメリット

ゆるされてるって確認
迎合なんてしないって主張
時間通りに会えると思ったら大間違いよ? って
女王様したい自分(笑)が満たされる・・・

ぜんぶ無意識でやってること。予想。

ほんとうは
約束の時間を守れるほうが
自分もしあわせで、たのしい。

そう書いたところで、
守る。という言葉、観念を
バカにしたい自分の存在をキャッチ。

守るなんて
軟弱!
卑怯! ←?
弱虫!

戦い続けようとするパターン
それこそが潔く
ウソがなく

・・・なるほど
守る=ウソをつく
だと思ってる自分がいるわけだ。

守るには
自分のどこかを
だまさなきゃならないって
どこかで覚えてしまったんだね。

もっと家でごろごろしたい自分や
遠くに行きたくない自分や
人に会うのが疲れる自分や

そういうひとたちを
「まあまあ、行けばたのしいから!」って
口封じて、無理やり動員する

そんなのウソじゃん。
100% 行きたい、話したいって、思ってないなら
そんなの卑怯だ!!!

そう、思ったわけだな。

ピュアで頑固。
真面目な完璧主義。
自分のなかの矛盾を抱えていられなかった、いたくなかった・・・

だから
遅刻しても
遅刻しなくても
どこか割り切れなさがあって

同時にいろんなことを感じている
そのこと自体に、わけのわからない、罪悪感があったのかな。
それはたぶん・・・
いつだって最高のものを伝えたい、表現したいっていう欲。

このまえ見つけた観念

金をもらう以上は、プロでしょ。
プロなら、完璧なものを提供しないと。

これと、一緒だ。

100点じゃない表現なら
しないほうがマシ
くらいに
思ってたんだな。

誰かと関わること
直接のコミュニケーションがなくたって
いつだってなにかしら関わってはいるけど
直接のときの
影響はものすごく大きくて

だから、妥協したくなかった。
いつでも100%を差し出したかった。

でも

100%であることよりも
70%でわたしもたのしくいられるほうが
結果的には、みんなハッピー。

100%を差し出し続けるのは、つらい。
出来ない。やりたくない。

無私の精神?
無条件の愛?
それを、勘違いしてたのかもしれない。

殉教者みたいな自分
そろそろ解放しようじゃないの。


それから
「常識とか、ルールとか」でも書いた

 わたしの欲は、うとましがられる。批難される。だれかを傷つける。

っていう思い込み。
これがある以上
他人と、社会と、かかわるときに
つねになにか遠慮してる。抑圧してる。

誰かと関わるとは
自分を抑圧することである。

そんなこと思ってたら
そりゃあ
反発したり
引きこもったり
バクハツしたり、するよね。


女王様を
普段から
満たしておく。

いままでは
「なんでこれをやらないの?」って言うこと自体が
清水から飛び降りるようなことだった。

自分を伝えるってだけで
あんまりにもチャレンジで

なにかを伝えるってだけで
じゅうぶん素直なつもりだった。

意見交換を求めるような言い方は
拒絶から自分を守るヨロイ。

それも、もう要らない。

シンプルに
「これをやってほしい」
それだけでいい。


あのとき。

わたしのなにげないリクエストを
「図々しい、非常識、ありえない!」と
批難されたとき

わたしは
あたりまえにそれを
もらえるものだと思っていたのだ。

そう、たしかに、図々しかった。

赤ん坊が
泣けば乳を与えられる
そんな感覚のまま
生きていた。

批難されたのは
わたしの欲ではなくて

感謝のなさ。

そこに至る相手の思いと行動の積み重ねを感じることもなく
相手に敬意を払うってことをしてなかった。

それなのに
わたしならそんなケチなこと言わないのに
許容量が違うんだな。って
差別化した。
見下してしまったんだ。


あの場所に戻って
やりなおす。

切り離したところに
血が通う。

生きている限り
過去はいくらでも
塗り替えられるね。

ありがとう。

生きている限り「大丈夫」は続かない。

おまじないやらなにやらで
カルマだのトラウマだのぜーんぶ消しても
目障りなこと片っ端から浄化して浄化して浄化しても

パターンは身体に染み付いてるから
よっぽど気をつけてないと
するっと戻ってる。

だって身体の担当は
固着によって安全をはかること。

わたしたちは変化をなにより恐れてる。
変化によって味わう未知がこわいから
情報をたくさん集めて、大丈夫の証拠を探す。

身体はそれをやさしく守ってくれる、ひとつのシステム。

そして身体は変わり続ける。
細胞は毎日毎瞬うまれかわる。

繰り返し体感することで
すこしずつすこしずつ適合していく。
パターンが塗り替えられていく。
日々、変わっていく。

昨日の大丈夫が
今日の大丈夫とは限らない。

1時間前と今は、もう、別なのだ。

唯一大丈夫な「大丈夫」があるとすれば
わたしたちは善なる方へ向けて変わり続ける、ということ。

どんなに揺さぶられても
飲み込まれて、前後左右上下わからなくなっても
原因を探して掘り下げても、
しがみついても、ほったらかしても
どうでもいいの。
好きにしていい。

なにをしようとも
わたしたちは
運ばれていくから。

なにをしても自由。

だけどわたしたちは未知がこわい。
寄る辺を求めて今日もさまよう。

それでいい。

大丈夫。

★たのしいほうへ

過去にあんなことやこんなことをしたから
いま、こんな出来事が起きているのだ

いま、こんな目にあっているということは
過去にそんなことをしたに違いない

プラスマイナスゼロ
因果応報
鏡の法則
引き寄せの法則

なんだっていいけど
ねえ、もう罰するのやめよう。

あれとこれが組み合わさって
こうなったんだろうから仕方ない、って
冷静に論理的に客観的に
受け止めてるつもりになるのやめよう。

あきらめないで。

いま起きていることは
未来に続くの。

いま目の前にある
新鮮な、時としてネガティブといわれるような
感情を引き起こしているそれは
目新しいだけなの。

次の展開に必要な材料。
あたらしい要素。
いままで気付かなかった「観念」や
見過ごしていた「感情」に
スポットライトがあたっただけ。

理由をつけて片付けないで。
また、しまいこまないで。

すこししたら見慣れるから
そのまま、そっとしておいて。


いろんなことが絡み合いながら
世界はいまも変わり続けてる。

どこに向かって?

希望に向かって。

だから
いま起きていることや状態が
「最善」なんだよ。

さらなる最善に向かう途上に
不可欠なんだよ。

そんなこと確信がもてないよね?
だけど
いいの
確信なんて、なくていい。
そんなものは永遠に手に入らない。
たとえ感じても、すぐに見えなくなる。

それでも
それだから
わたしたちは
そのような心持ちで
瞬間に向き合っていくんだ。

この目の前の状況が
いまの自分が
善なるものに
向かう布石。
その視点を保ち続けるの。

時々はぶれるよ
そうしたらまた戻って。

ぶれたら
真ん中がわかるから。

ぶれなくちゃ
わからなくなるんだもの

ぶれなくちゃ
退屈しちゃうんだもの

そういう生き物であることを、たのしんでいこう。

一緒にたのしもう。

常識とか、ルールとか

くそくらえ、と思ってきた。

自分が他人からされて嫌なことをした覚えは無い。
だけど、わたしの、他者へのリクエストは、オカシイと断定された。
わたしの常識は、常識ではなかったのだ。

そこから、わたしの自己否定が始まる。
それまでに築いてきたやりかたを全部捨てた。
捨てないと、仲間に入れてもらえないんだと思った。

必死で捨てて、必死で合わせて、作り変えた。
これで大丈夫?って顔色を伺いながら、一緒に笑ってた。

だけど、納得なんてしてなかった。
わたしが間違ってるなんて、根っこの根っこでは、ちーっとも思ってなかった。

ルールやら、常識やらにしばられてる人たちが
ものすごく窮屈にみえて、かわいそうだと思ってた。

ルールやら、常識やらを盾に身を守る人たちを
意気地なしだと嗤ってた。


いま、社会性の土台をやりなおしてる。

自分を殺しながら、世界を恨みながら、ではなくて
自分のままで、世界も大事にする方法。

常識もルールも、ほんとうは、やさしい。


マイノリティを気取らずに、等身大の自分で、等身大同士として、かかわること。

あのとき批難されたわたしの「質」が、最大のちから。

それを武器にするのではなくて
隠すことも、合わせることも、矮小化もハッタリもなしで。


常識とかルールとか、社会とか
大嫌いだった。
憎んでた。
みんなを苦しめるものだって
その枠にはいった途端、みんなおかしくなるって

わたしはそんなもんに迎合しないってつっぱねてきた。

「普通じゃない自分」というアイデンティティを保つために
「普通」を創りだし続けた。


だけどさ。よくよくみたら、やさしいの。
常識とかルールとか
使えばいい。

それでつながれる場所があるなら
それで守られるものがあるなら
使えばいい。

軸は、わたしの欲と、心地よさ。
それと、他者の大事にしているものが
するりと共存できる「選択肢」がそこにあるのなら、それでいい。


わたしの欲は、他者を不快にさせる。という観念を、うすめていく。
建設的に、現実的に、柔軟に。

くじら辞書による解説

★天音らん [固有名詞]
セクシュアルレメディスト、魂の浄化師、魂の声を聴くカウンセラー
つながることで、感情のブレにまみれた“本質”の方向性を見出す名人。
セッションやワークショップで、相手が真ん中に戻るきっかけを与える。
http://profile.ameba.jp/ranaki/


★真ん中 [名詞]
感情に振り回されない、でも感情を無視するのでもない場所。
感情という横軸、意思・意図という縦軸の、交わるところ。
現在・過去・未来、ぜんぶを見渡せる、ぜんぶがある場所。
ぶれたあと、見つけやすい。
[別名] 魂のゴールデンポイント


★セクシュアリティワーク [固有名詞]
いままで選んできた苦しい方法に感謝を告げ、
あたらしい方法を見つけ、選び、それを体感するワークショップ。

「知る」だけでは、未体験の恐怖に負けて、なかなか踏み出せないが、
仲間とともに、その一歩を実際に踏み出すことで、体感による安心、自信を得、
ワーク後の現実世界で、おそるおそるながらも、歩き出せる。

また、ワークにより集合意識レベルでつながっている
天音らん、ゲスト、参加者、お祈り枠のひとたちをはじめ、
さまざまなところから応援が入り、現実が動く。

歩き出せず暗闇でうずくまるときにも、蜘蛛の糸が見えるようになる。
(つかむかどうかは自分次第)


★お祈り枠 [セクシュアリティワーク派生語]
フォームに必要事項を記入し、送信することで、
セクシュアリティワークにコミットする。
半強制体感(笑)には及ばずとも、みずからの「変化」が促進される。
http://form1.fc2.com/form/?id=751232


★くじら自由旋律 [定義不能]
エネルギーを調律したり、チャクラを開いたり、するらしい。
発信源の*ゴールデンポイント感覚   *参照: 真ん中
「存在をよろこぶエネルギー」が、音を介して伝わるものと思われる。
例: この動画↓後半
http://www.youtube.com/watch?v=UxExf784fFU


セクシュアリティワーク 11月東京 テーマ(予想)
・共依存から共存へ
・苦しみの無い自立と依存
・ほんとうの親しさ
・親密な関係性のありかた

リクエストにおこたえして

とある
不思議な
リクエストをきっかけに

数日前から気になってた曲
うたってみました。

YUKI 汽車にのって
オケなしカバー+インプロ

  ↑クリックでyoutubeひらきます。


完成度ひくいし
音声われてるし
なんだかなー。なんですけど

昨日の時点では
これが精一杯だったので
えいやと、アップ。


そのほか

 くじらチャンネル

にて、公開中。

どれもこれも
音楽的には、なんだかなー。な、出来ですが!

目的はそこじゃないので・・・ (と、言い訳。)

浄化師・天音らん×宇宙クジラ・ゆき

11月3日(土)セクシュアリティワーク
魂の浄化師・天音らん
宇宙クジラ・ゆき
みんなでつくるワークショップまで、あと10日。

昨晩の、らんちゃんブログ記事
並べられていた
ふたりの KINの書


 探る / 目指す

 持ちこたえる / 力を与える

 目覚め / 気づき

 超える / 指揮する

 存在 / 輝き

 宇宙 / 倍音

 空間の出力 / 開花の入力

 舵取り / 自由意志


世が世なら
本人たちの
望むと望まざるとかかわらず

敵同士だったんじゃないかな。

そんな気がした。


そんなふたりが
一緒にあそべる!

なんてハッピーな時代なんだろう。


ワークを
あそび
と、表現してるけれど
あくまで真剣。
一種のアート。


縦軸と横軸

魂と身体

動と静

その、クロスポイント

なんでもある

なんでも選べる場所


いまのところ

打ち合わせは
影にひなたに(?)実施中
具体的なことはまだ未知数

だけど
一世一代の
一期一会の
ワークになるのは確実。

あと10日。

ギリギリ星人の本領発揮はここから。


お祈り枠(遠隔)は
誰でも無料で参加できちゃう太っ腹。

定員無制限の、ノアの箱舟。
お乗り遅れのありませぬよう!

  お祈り枠とは?(申し込み)



あまねらん
+++++
KIN 44 黄色い倍音の種

私は 目指すために 力を与える
気づきを 指揮しながら
輝きという 倍音の音とともに
私は 開花の入力を 確信する
私は 自由意志の力に 導かれる
+++++


くじらゆき
+++++
KIN 13 赤い宇宙の空歩く者

私は 探るために 持ちこたえる
目覚めの状態を 超えながら
存在という 宇宙の音とともに
私は 空間の出力を 確信する
私は 舵取りの力に 導かれる
+++++

絶望とセットではない、純然たる希望の在り処

陰陽。
希望と絶望。
プラスマイナス。
5+5、2+8、7+3、いつか必ず10になる。調和。
潮の満ち引き。

感情の揺れ幅が横軸だとしたら
セカイには縦軸もある、と思う。

縦に一方向に滔々と流れてる。


ニンゲンは、魂意識(宇宙)と肉体意識の合体なんだって。

わたしの予想

感情の横揺れは
体験したがりの魂が好む肉体意識

肉体が感知するのは
魂意識の縦の流れ

その先には、純然たる希望がある?


横揺れの、調和の、安心感。

4がきたから6を返す
なにか出したら2が返ってきて8だったとわかる

正解のあるセカイ


そうではなく
8なら8で
おかまいなしに進む。
相対じゃなく、絶対。

思考と感情の揺れ幅を
切り離さずに、でも構いすぎずに、
前に歩いていく。
意思、ハラのちから、欲。


以上、思考メモ。

脱・やらせ、やらされ。

セカイが鏡ということは

わたしが望んでいることを
だれかがやっているということ

だれかにやらせているということ

だれかが望んでいることを
わたしはやらされているということ


そこから抜け出す。

セカイとの相関ではない
オリジナルの自分で動く

セカイを無視して
自分のみちを行く

そこには
絶望とセットではない
「純然たる希望」があるはず


欲しいものは先に差し出せ?
欲しがることそのものが、ギフトでしょ。
わざわざ差し出さなくたって
勝手にとっていけるでしょ。

信頼がゆらいだら
ただの傲慢になる

けれども

恐れずに
いこうじゃないの。

一世一代の「セラピスト」

11月3日 東京都内では
はじめての開催となる
セクシュアリティワークの
ゲストセラピストを
やるのですが

わたしがセラピストを名乗るのは
これっきりじゃないかなと
予想。

パソコンサポートもセラピーみたいなものだなあ
と思ったりはしているけれど
じゃあセラピストを名乗るかっていうと
それはたぶん、なくて

一時期あこがれて
カウンセリングセッションのようなことを
看板に出したこともあったけれど

わたしの在り様は
セラピストのそれではない。
これまでも、これからも。


じゃあなんで
「ゲストセラピスト」をやるか?

らんちゃんの求めているもの、方向、流れと
わたしのそれが、クロスしたから。なんだろうなと
予想。

人類の一個人としては
セクシュアリティワークで
らんちゃんとわたしとみんなとで「やること」に
関心も、興味も、期待も、大いにあるし
影響も受けるんだけれど

わたし個人として
期待してるのは
それ、そのものでは、たぶん、ないのだ。
でも、セクシュアリティワークだから、
そしておそらく、ゲストセラピストだから、得られるもの。

それを得るために
らんちゃんの作った「ゲストセラピスト」という
肩書きに乗っかることには、特に抵抗がなかったので

今回、ゲストセラピスト、謹んで、担っています。


どんなワークでも
全体へのギフトと
個々人が持ち帰るものは
それぞれにあるのです。

いまはなんだか
さっぱりわからなくても
知っている自分がどこかにいる。

セクシュアリティワーク
なにか感じたら
webサイト見てみてください。
わたしの力作です!

http://lipss.jimdo.com/

"Sexuality"のワークショップ

SexualityWorkとは、Sexuality(性)をオリジナルの魅力と定義し、 Sexuality(性)を、様々な角度から体感的に学んでいくことにより、 自分の「個性」を受け入れ、表現できるよう導くワークショップです。
SexualityWork公式サイトより。 http://lipss.jimdo.com/

セクシュアリティ。
オリジナルの魅力。
それは「性別」ではなく、「性」。 
心をもって生きること。
自分の心のうちに住まう鬼の声に耳を傾け
「魂」のままに生きること。

セクシュアリティワークは
集合意識のおおきな流れのなかにある。
行き先も、方法も、見えていない。
わかるのは、「個々人が魂のままに生きる」のが悲願だってこと。

魂のままに生きるヨロコビのために
わたしたちはたくさんのトラップを用意してきた。
感動したくて
たくさんの傷を抱えてきた。
ドラマを愛してきた。

もう十分に堪能した。

ほんとうは
過去のトラウマも
過去世のカルマも
いまこのときのヨロコビのために
自分で用意した舞台装置

行き先も
たどりつくタイミングも
ほんとうは全部しっている。

だから時には遠回りもするのさ。

だけど遠回りにもう飽きたなら
そろそろ一緒に行こうじゃないか。


わたしはミチを切り拓く。
未だ見ぬ鬼に出会う。

鬼とは、わけのわからないものの総称。

それを言葉にするのがわたし。

らんちゃんいわく
目に見えないもやもやを
目に見えるものにする達人。
http://ameblo.jp/ranaki/entry-11381832307.html

言葉をつかって
無を有にする。

魅の力。


セクシュアリティワークは
個人の枠を超えて
共鳴するカタマリとして
セカイを動かすエネルギーワーク

信頼感と安心感のもとで
それぞれの肉体という装置をつかって
それぞれの力をもって
単体ではできないことを成し遂げる

天岩戸の前で
あめのうずめが一人で踊ったって
あまてらすは出てこない。

みんなでやるから、動かせるもの。
自分はみんなを構成する大事なひとつだってわかるから、
それぞれが作用しあってるって、知ってるから、出来ること。

ワークは、ワークで終わらない。
日常でずっと続いていく。

自分の感じることに
ひたすら誠実にあることが
どれだけセカイに響くのか
わかってしまうから

あなたがわたしで
わたしもあなただって
知ってしまうから

セカイに敵はいなくなる。

退屈そう?
そんなことないよ。
飽きたらいつでも戻れるしね。


セクシュアリティワーク
遠隔参加(お祈り枠)でも
「変化」はばっちり感じられます。

どちらかというと遅効性で、永く効くかな。

心の表面のさざなみの
もっともっと奥深く
黒潮よりもさらに深く
マグマと隣り合うあたりでつながるから

人類を、地球を、宇宙をはこぶ
おおきなおおきなおおきな流れ

荒れ模様の変化の波に
ひとりでもまれて
心細い思いをしているなら

つながってね。
一緒に行こう。

「過去」という概念

他人様の言動に

えええ?!また、そのパターンやるの??!

って思うことがたびたびあって
あのひと、懲りないなあ・・・って

でもそれが
目に付いたってことは
わたしも、なにかまた、ダメパターンを選ぼうとしてるってこと。


自分を責め続けるひと
孤独を訴え続けるひと
のらりくらりと逃げ続けるひと
嫌われることをおそれるひと
一時の快楽(ヨロコビ・苦痛)に手を出すひと
えとせとら


自力で歩くことを覚えた途端に
母親にしがみつく子ども

それは、まだ独り立ちしてほしくない
母親が創りだした現実

そして、そのパターンを見ていたい
わたしが創りだしたセカイ


一緒だねって安心感
違うんだねって特別感
ぜんぶまぼろし

だれの共感も同意も要らないの
それを求めた瞬間に変質する

マスターは自分。


「わたしのつくったセカイ」を終わらせたとき
そこになにがあるのか、わたしは知らない。

終わらせなくちゃ
始まらない。

自分に出会うクエスト
すべて自分が創っているなら
たしかなものはなにひとつない
頼れるものはどこにもない
それはつまり、すべて自由ということ。
すべて。

わたしがほんとうにみたい世界を創る

自分にかえる

ど真ん中の自分を、幸せにする

蓄えてきたデータベース
覚えたパターン
たくさんのルール

わたしを護ってきた「過去」という概念

過去が積み重なってイマがあるなら
窮屈だけど安全だったの

ほんとうは、イマだけがある。

さあ、暴れようか。
壊せ。
焼き払え。
わたしの大地を取り戻せ。

みんなわたしの望んだもの

乳離れしない子ども

病を繰り返すあのひと

孤独をを訴え続けるあのひと

みんなみんな

わたしの思い描いた世界

わたしの世界を構成する住人


夢から醒めるということは

だいすきなあのひとたちに

もう会えないかもしれないということ


それでも

目を覚ました先に

わたしのやりたいことがあるから

そろそろお別れ


物語の扉を閉じる

おわりは、はじまり

大好きだったよ

いとしいセカイ

ここから先は

ひとりで行かなきゃ


あぁあ、あいたいな
あぁあ、ほんとだよ
あぁあ、楽園に
あぁ、kissを込めて

Heaven's hell~Tokyo solo recording version~

額を選ぶワケ

読んでほしい
受け取って欲しい

だから
場所をえらぶ

不適合でないように
不快でないように
受け取りやすいように

いっぺんにたくさん届きすぎたり
なんどもしつこく言い過ぎたりしたら

それはコミュニケーションじゃなくて
わたしの自己満足でしかない。

そう思うから
いつもなにか
言い足りない。ほんとうは。

その枠をはずして

気の済むまで
気のむくまま
ほんとうに言いたい放題
伝えたい放題
やってみたら

どーなるのか?

すこしずつ試している今日この頃。

セカイを創る

文章を書いているとき
完成形がすでにあって
そこに向かって書き進めているように
感じることがある。

らんちゃんのmixi日記
わたしの日記をまるごと転記されたのをみたら
色合いが変わっていて
それが、なにかのヒントになっていきそうな気配。

最近のパターンは
mixiで書いて、いったん寝かせて、
語調をすこし整えて、ココログに転記。

mixiが書きやすいのは、クローズ空間だからとか
慣れてるから、というのも大いにあるけれど
入力フォームの雰囲気だとか
入力画面と、アップ後の画面の差異が少ないこととかも
けっこう関係している気がする。

アメブロだと、こういうノリの文書をアップしづらい。
文字色や装飾を前提にしている感じがあって
淡々と文字を書き連ねたら、そぐわない気がするから。

場(の流れ)を乱すことは避けたい。

わたしにとって
文章のかたまりは作品で
アップする場所は額みたいなものもしれない。


時間は、過去から未来へ流れているのではなく
未来から今に流れ込んできているのだ、という概念がある。

わたしが文章を書くときの感覚は
もしかしたらそれに近いのか?


わたしはたくさんの情報を自動的に、意識的に、集める。
人・物の気配、星の動き、
ツイッターやmixiやアメブロで目に入ってくる情報、
空模様、自分のうちにわいてくる思考や感情、、、

そこから、「イマの流れ」と「未来」を見出す。
どこへどのように向かおうとしているのか?
起きた出来事がなにをもたらすのか?

けれども。
もし、わたしがわたしの世界を創造しているというならば
わたしは「集めた情報から見出して」いるのではなくて
欲しい未来、望む未来、あるいは 思い定めた未来 を創るための
材料を集めていることになる。

目に付く材料がこれとそれなので、こうなる。こういうことだ。
ではなくて
そうなることを導くような材料を見繕っている。
ということ。


うまく言葉にならない。
自分でもまだすっきり分かってはいない。
書いたらわかるかな、と思ったんだけど。


見えないものを、見えるようにする。
無いものに、カタチを与える。

言葉のちから

セカイのからくり


10月ワークの前に
9月ゲストさんと
言葉について
メッセージでやりとりしてたときの文章を
ここに引っ張り出しておく。

いまだに自分でも消化できてない部分。

きっかけは、ふたこさんの文章
facebookより

【ことばは呼吸などと一緒で、意識と無意識の境目にあるものだと思うのです。  無意識的に自動的に出てくるに任せることもできるし、無意識を反映・構造化している。  それを意識の側から操ることで、無意識にある自分のこころや、 それが反映される世界に変化をもたらすことができる。】

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体験するだけで
肉体はきっと十分だけど

それを、魂に紐付けるのが
言葉なのかなあ

---

体験・体感しただけじゃなくて
それを言葉にできるようになったとき
はじめて、一体になった感じがするんだ。

言葉にすることで
漏れてしまう部分や
変質してしまうところも
たくさんあるはずなのに

言葉でくくって
分離してみてはじめて
溶け合ってた!
って、感じられるのかな。

この、分離が必要っていうの
肉体をもってる以上は
セットなんだろうなあ。
なんだかんだいって、分離すき。みたいな。。。

---

創造と破壊の違い

壊した瞬間、ちがう状態になる。その状態が生まれる。
なにかが生まれるってことは、無を壊すこと。

変化。

すべては瞬間にある。

同時に。

変幻自在な「自分」

先日のワークで、ひさびさに、「はじめましての人」とたくさん会った。
昨日はツイッターつながりの女性とランチした。

それ以前の、初対面や、はじめて長く話をしたあとにもらった
フィードバックとあわせて考えるに
わたしは

意外性のひと

のようだ。
まったく意図していないんだけれど。

この前なにかの占いでみた言葉がしっくりくる。

相手にあわせている感じなのに
いつのまにかさりげなくなにげなく
わたしのペース、世界観に持ち込む。

わたしの世界観は一言であらわすなら
「違ってアタリマエ。違うって面白い!」
  ↑
 みずがめ座の王道。

なので、どんな話も、たいていは面白がって聴くし
ジャッジも少なめだろうと思う。(他人に対しては…)

傾聴講座に参加したとき、はじめに
 ふつうの聴きかた (ただ聞く)
 ちょっと傾聴 (関心をもって聴く)
 とっても傾聴 (肯定&発展を促しながら聴く)
3段階の実習があったけど
あれでいうなら
わたしの基本姿勢は「ちょっと傾聴」なのだ。

そもそも相手の話に関心があるから聴いているのであって
もてないときは、もてる話にもっていく(笑)


未知の体験も大歓迎だから
はじめて食べる!とか
はじめての場所で待ち合わせ!とかに
平然と相手を巻き込むのだけれど
世の中そういう人ばかりではないので
その平然っぷりが、新鮮なようだ。


文章(ブログとか)や第一印象と
しゃべってみた感じが違う
というのも
よく言われるけれど

その、しゃべった感じっていうのも
みんな違うことを言うので面白い。

こういう感じなのかと思ったら、こうだった!の
はじめの「こういう」も、あとの「こう」も、けっこうバラバラ。

ひとはみんな、いろいろ、投影するんだなあ、と思う。
もちろん自分も、誰かに投影している。


「自分」とか、「他人」というのは
関係性の中にしかなくて
もっといえば
瞬間にしかないのだなあ。

欲しいのはお金じゃなくて

子どもの頃。
母と、わたしと、妹の3人でいる時間が、
圧倒的に多かった。

父は、平日は仕事と飲み会と麻雀で遅くて、
土曜も(基本的には仕事で)いなくて、
日曜はゴルフやらでいないときもあって、

それらすべてが
わたしのなかで

「お金を稼ぐためだから仕方ない」
「お金がないと食べていけないんだし」

ということになっていたみたいだって
先週のセクシャリティワークで気づいた。


中流家庭に育ったとは
我ながら思えないくらい

お金をつかうことに
ものすごく罪悪感があったのは

お金をつかうこと
稼ぐ必要のある状況をつくることは 、
父との時間をあきらめることだったから。

お金がほしいと素直に思えなかったのは、
大好きなひとと一緒にいられないことを意味していたから。


父がくれる
PCサポートのバイト代や
旅行の費用や
そういったものが
父なりの愛情表現なのだとわかってから
反発心をもたずに
ありがたく頂戴することにしたけれど

やっぱりどこか釈然としていなかった。

だってわたしがほしいのは
父とのつながりで
父の思いを感じられるナニカで

それはいまや
お金でなくたっていいのだ。


父が還暦を迎えてから数年
独立して仕事を続けているけれど
大好きなゴルフにしょっちゅう行くのはまあいいとして
仕事を減らすことも
飲みの誘いを断ることもしない。
最近、体のあちこちに、細かい不調が出ている。

あのひとはいつまで
マンモスを獲り続けるのだろう。


男の人はマンモスを獲って、賞賛を得たい。
だけどいつも獲れるとはかぎらなくて
木の実をしょんぼり持って帰ることもあって
そのときに、女たちが、ぶーいんぐの嵐だったり
「もういい、自分で行ってくる!子守してて!」なんて言い出したり
ほんとにがっつり獲ってきちゃって鼻高々だったりすると、
男の人は困る。弱る。
(マンモスのたとえは、このまえのワーク出典)


いつまでもマンモスを獲り続けたいのが
男のサガなのかもしれないけれど

木の実を採るほうが
体もラクだし、じつは楽しいって
思う時期もくるのかなあ。

なにも採りにいかないで
日がなお茶のんでるのも悪くないって
思う時期もくるのかなあ。

父がそう思えるような
環境をつくりたいものだなあと思う。

獲物をとるばかりじゃなくて
たまには近くで愛でながら
ボディガードしたくなるような
そういう可愛らしさを醸せたらいいなあ。

みえない大地を感じて立つ

セクシュアリティワーク
9・10月のテーマは、グラウンディングだった。

なかでも「お金」にフォーカスしていて
更にあぶりだされてきたのが「依存と自立」

10月のゲストセラピスト・ゆんちゃんは
ワークを組み立てていく過程で「ゲストを辞退する」と宣言
最終的には「辞退はしない。続行する。でも会場には行かない」
という選択をした。

彼女は、らんちゃんいわく【大地の女神】

天との直通回路を保ちながら
がっつりグラウンディングしてリアルを生きてきたひと。
(だと思う。わたしの見解)

昨日、2本の木のカードになぞらえて
依存と自立と親しさについて考えていたら

彼女が「不在」を選んだことに合点がいった。

ワーク冒頭でらんちゃんが
「これは100%の信頼のかたち」だと言っていたけれど

うん、信頼。
わたしたちにつきつけられた課題。


セクシュアリティワークは
実体参加でも、お祈り枠(遠隔コミット)でも
一度つながったら、ずーっと続く
集合意識の流れを加速するご神事みたいなもの

ということはうすうす感じてたけど
実体参加してありありとわかった。

7回目の大阪は
おわりのはじまり。

第七チャクラ。
みえないものとつながる力。

これを、リアル(現実世界、日常)に落とし込んでいく。


目の前の誰か
確たるものと認識できる場
そんなちいさくせまくはかないものではなくて

もっとでっかいものに、根を張る。
それが出来てはじめて
いつでも100%でいられる。

みえるものを対象にするから、
遠慮したり、驚いたりする。

みえない大地に根を張れば
絶対的な信頼があれば

表面的な感情の揺れはあれども
それはそれとして
淡々と
自分のペースで
自分のことを
やるだろう。
樹木のように。

根から水や養分をすいあげるのに
葉から光を吸収するのに
花弁をひろげるのに
ほかに遠慮することがあろうか?
それが妨げられたからといって
恨むことがあろうか?


みえない大地を
感じていられるかどうか
そこにつながる
すべてを信じていられるかどうか

あますところなく
自分をあらわすために必要なこと。

3月からじっくり整えてきた
女性性のエネルギーを
大地の奥深くへと
みちを拓くのだ。

全力で花を咲かすために。

遠慮は傲慢。「丸裸であれ」

10月セクシュアリティワークの
ほかの参加者さんのレポート記事読んでいて
思い出したこと。

ワーク後半、参加者それぞれが
自分の痛みと向き合うことを
場と、身体の力で、進めたあと

ゲストセラピストの抱えてきたものを解放するため
みんなの思いを抱えて対峙する役をらんちゃんが担った。

ひとりひとりをまわって正面に立ち
「わたしにあずけて。悲しみ苦しみ怒りをみせて。」
と言うらんちゃんを前に

え、らんちゃんそれひとりでやるの?
だいじょうぶ?

そう思った。

その「だいじょうぶ?」は
そんなしんどいこと
ひとりでしなくていいのに・・・という感じ。

でも、たぶん、背負うカタチでしか進めないこともあるのだ。
その動機がなんであれ、本人がそれを望むのならば
背負わせてあげることも、愛で、信頼だったりする。

それがわかっていても
わたしは笑顔しか出てこなかった。

無邪気っぽい笑顔。

この2年くらいだろうか
本気で無邪気に笑える瞬間を
何度か体験したら
無邪気っぽく笑うことも
やるようになってしまった。

わたしはだいじょうぶ。
たのしいよ。
そうやって無言で、徹底的に
ガードするのだ。拒絶。


わたしはいつも
場をよんで
あわせる。

リアルの場だけでなく
ネットでも

mixi
ココログ
アメブロ
twitter
facebook

それぞれで
出し方を調整する。

mixiなら、日記とつぶやきでも違う。
公開範囲も変えたりする。

相手をおおきく戸惑わせないため、という建前の
自分を守る術。

そういう自分を鼻で笑う。

信頼が足りない。
遠慮は、傲慢だ。

完璧主義の自分がそう言い放つ。

「丸裸であれ」と。


あれは丸裸だった。といえる瞬間は
これまでに、たぶん、2回あって

目の前の「場」(ひと)を
100%わたしが「占有していい」と
わたしが、わたしに、ゆるした瞬間。

気づいたらそうなってたのと、
そうなるしか有り得なかったのと、各1回。

100%の占有は
100%の明け渡しとイコール

それは知っているけれど

目の前の場が、個人だったら
占有し続けるわけにはいかない ・・・


「信じる」というのは
自分以外のなにかに左右されるようなものではなく
自分のうちがわのコミット。

相手がどんなひとであれ
それがどんな場であれ
わたしが「信じる」と決めてしまえば
それは「信じるに値する」ものになる。

相手(場)のアクション、コミットがなくても、成り立つ。

わたしがゲストセラピストでやりたいのは、
それだろうな、と予想してる。
ひらかれた空間での、100%の信頼、明け渡し。

そこにどんな自分がいるのか
見てみたい。

それが出来る自分に
なっていようと思う。

あと、2週間半。

自立と依存と親しさ

セクシュアリティワーク
ゲストセラピストするにあたって
だれかに、命綱を握っててほしいなと
どこかで思っている自分がいて

誰かって
掘り下げていったら
うっかり間違えそうになったけど(笑)
やっぱりオットで。

場にいてほしいわけじゃなくて
なんというか
ぶっとばないように
碇のように
あってほしくて

それはわたしが一方的に
感じていればいいんだろうけれど

オットは画家であって
わたしのサポート専任ではないから
悪いなあ、と遠慮が出てくる

厳密に言ったら
「サポート専任」なんてひとは
世の中にはいないはずなんだけれど


先月だったか
2本の樹が並んで立つ
OSHO禅タロットをひいた。webで。

49
Osho禅タロット 49. 親しさ

それぞれがすっくと立って
ちがう色の花を咲かせ
根は触れ合っている

土曜に参加した
10月ワークのテーマ
「依存と自立」

その先にあるのは
おそらく
この「親しさ」なんだろうな。


ワークと同じ日、時間
オットはギャラリートーク
出る予定で

これは
オットへの
パートナーシップへの
執着を手放すステップに
なるのかもしれない。

依存というカタチ(表現)を使わずに
オットとのつながりを感じながら
マザーアースと、直接つながる。

みんなとひとしくつながる。

特別だって明示するために
依存を(自覚的に)選んだり
することなしに


それはなんて
すがすがしい。


でも
いまはまだ
さみしさがつよい。


「前向いてるだけじゃなく 前向いて歩くのが大事」

土曜のワークのお土産で
わたしのところにやってきた
らんちゃんお手製チャネリングカード

すがすがしい、と予想する
その心地は
歩いてみないと、味わえない。

男とお金と女と戦

10/14 mixi日記より


男のひとは
ただでさえ
女には勝てないと
思い知っているのに

女が、獲物をとってくるようになったら
そりゃあもう立つ瀬がないよね
草食になるしかないよね

貧しいとき、大変だったけど、家族の結束はつよくて、親密だった
たくさん働けば働くほど、家族はばらばらになっていく
一緒に過ごす時間がなくなっていく

豊かさと親密さが反比例する
経験による、思い込み



わたしがお金持ちになったら
あなたはもう
戻ってこないの?

獲物の必要な
だれかのところに行ってしまうか

獲物をとることをやめて
日がなボンヤリ過ごすのか

あなたを惹き付け
イキイキと狩りに旅立たせるには
弱い存在でいたらいい?
それとも?

男のひとは
どうしたって
女神が好きで

すべての争いのもとは
女神をひとりじめしたいだけ
なのかもしれなくて

女が魅力を発揮したらしただけ
争いの種になる
恐れ



それが
現実化するのは
女の中に
争われるほど素晴らしい自分、だと
感じたい気持ちがあるから、なのか

ケンカをやめて

というときの、陶酔感

いくらでも産めるわけじゃないから
すこしでもイイ男を惹き付けようとする?
本能?



争いは
わたしたちの内にある。



鬼 が 云 と書いて 魂

鬼 の 未 は 魅

字源
会意形声。鬼 + 未(はっきりわからない)
[編集]意義
すだま。もののけ。
みいる。



すっかり開いたときそれは

未でなくなるのか?

もういちど選ぶ

はじめて実体参加した
セクシュアリティワーク

はじめての気がしないひとばっかり
相手からも、そう言われる。

あるいは
「アメブロ読んでると、超個性的なひとっぽい・・・
話がかみあわなかったらどうしよう?と思ってた」 とか

「エレベーターで一緒になったときはなんかツンとしたひと?
だけど、向き合ってみたら人懐っこいね」 とか

はじめまして、は、面白い。

親戚や、これまでにどこかでなんらかの形で一緒に過ごしたひとたちに、
容姿・雰囲気の似ているひとが、ちらほら。
ああ、やっぱり、縁があってここにいるんだなあと。

カミサマは何度もチャンスをくれる。

あのとき出来なかったこと
あのとき気づけなかったこと

今なら分かること。

あのときあきらめたこと
理解を、投げ出したひとと
もういちど、つながりを選ぶ。

置き去りにした自分を見つけにいく。

やり残していること

「まだ話し合うべきことがある」のなら、一生懸命になりましょう。

という、占い師サツキメイさんの言葉に引っ張られて

やり残してることを、思う。

誰かとの関係性におけるそれは
関係性のなかにあるように思えるけれど
相手のリアクションが必要なように思うけれど

わたしのなかのことでしかない。

わたしが決めるだけのことで

それを告げる必要すら、ない。


でもそれを
ひとりで抱えていられないなら

・・・どうしようか。


天音らんちゃんブログより

--------

問題なんか、問題やと思うから
問題に見えるんであって、
ぜーーーーーーーーんぶ
恩恵なんやなって
神様ったらまた私にプレゼントぉ?
んもう好きなのは分かるけどぉ
ちょっと多すぎるんじゃないー?
ぐらい
思えるようになれたら
本当に毎日ハッピー。

--------

このギフトボックスは
どうやったら開くのかなあ

開けられない

待つこともできない

もういやだって

拗ねてるひと。発見。



彼女や、彼女に、言ったことは
わたしのなかの「彼女」に言ったこと。

昨日、「彼女」をしあわせにすると決めた

だから、歩かなくちゃ。

前向くだけじゃなく、歩くのが大事。

わたしはわたしをすみずみまでまんべんなくひとつのこらず幸せにする。


「アナタが火や水が怖いのは魔女狩りの記憶のせい」って
言われただけで、受け入れただけで、
しゅるるーーーーっと、恐れが溶けて消えることもある。

気づけば、とける。


どこから、誰から、どうやって
情報をもらったらいいのか
いまはまだ迷うから

いまはまだ
変化の渦を眺めてる。


痛いものは痛い。
怖いものは怖い。


そうじゃないやりかたでも
イケルはずなんだ。

いちばんしんどいところに
いちばんでっかいヨロコビがある。
だからって、いちばんしんどいやり方でなくてもいい。


いまわたしが思い描くやり方は
一か八か
どっちにしろ
しんどい気がしてて

わたしの欲しいものは
その先にはない、気がしてて


どうしたらわたしは
「じつはもうとっくにゆるしてた」って
気がつけるのかな。

ゆるしたいんじゃない
ゆるしてることを、知りたい。

わたしは、とっくに、ゆるしてるはずなんだ。

だから、いまの、この現実があるんだもの。


天秤座の新月と法王のカード。(占い師サツキメイのブログ)

蠍座太陽の時期は、とにかく命がけで退路を断ち切るような覚悟のもと、
思い切ってダイブしてゆくことになるため、その対象に、行為に、集中しなければなりません。
かなり責任重大で、そして勇気がいる状態に入ります。
この時期は、「なんのために」「誰のために」というのが、覚悟を決める勇気をくれます。
そうした自分に対する徹底した誠実さ、というのを手に思い切りましょう。
多くを語らなくとも、真摯に向き合い、腹を割ることで、出会える誰かもいます。
なお、こういうときは、不安なので拠り所が欲しくなりますが、この時期は、依存心を捨てて、ひとり命がけでやるんだ、という覚悟がしっかりと定まらなければ、自然とそっとサルベージに向かうあなたの命綱を握ってくれるひととは出会えません。
命綱を握るということは、相手にも相当な覚悟が必要なのです。

----------

あ、みつけた。

遠慮してるひと。逃げてるひと。

いつものパターンにはまってた!


ふー。やれやれ。


さて、どうしようか?

いとしさ、せつなさ、

昨晩からなんだか

せつなさ がやってきている。

トリガーされた火種は

たしかにわたしの記憶だけど

引火したのは、たぶん、わたしだけのナニカではない

という感じの。


せつなさは

ただただひたって

つらつらしてると

いとしさにたどりつく。いつも。


無理やり言葉にするならば

せつなさ は

かなわない願い 

正確にいえば

現時点では、かなえる道のないように感じられる、願い


その願い、欲を、抱えている自分を

ひたすらながめていると

いまは叶わない、の影に、もっと大事なものが潜んでいて

ああわたしは、自分を、人生を、愛しているんだなあと思う。


肉体をもっているゆえの有限性

だからこその、よろこびと、せつなさ


わたしには願いがあり、欲があり、

それを抱えたまんま

それに動かされて

生きていく


いとしさ、せつなさ、その次はやっぱり、心強さ、なのか・・・

なんか悔しいな(笑)

★だいすきバトン

「だいすき」ってことばを

はじめておぼえたのは

いつだろう?

きっと、わたしのちかくのだれかが

「だいすき」っていってたんだ。

そうやってわたしは

「だいすき」ってことばを

おぼえたんだ。

わたしの「だいすき」が

だれかの「だいすき」を

カタチにすることもあるのかも?

どんどんふえる

だいすきバトン

とおいむかしも

とおくのひとも

いっしょくた

だいすきだいすき

だーいすき

バトンでつなぐ

おわりない

とだえない

だいすきリレー

いのちのリレー

見届けたかった

最近、よく、あちこちで言っていた。

「ひとりじゃないから大丈夫だよ」

ヒーラーズ・コミュとか
きつねさん講座だとか
セクシュアリティワークだとか

リアルを起点に
普段はネットをつかって
つながり続けている

こうしたグループは
集合無意識の具現化みたいに思える。

人類が、ながーい、ながーーーーーーーーーーーい歴史のなかで
抱え込んできたもの、手が届かなかった埃、大事だったガラクタ

ひとりで片付けているわけじゃない。

みんな、自分の持ち場で、
得意なところを、
好きなときに、
好きなように、
浄化
blessing

時には、自分の担当エリアを外れて
だれかのエリアに手をのばしたり

自分ひとりでは
気持ち的に、物理的に、難しくても
誰かが横にいてくれたら、出来ることだったり

ぜんぶお膳立てされている

だから大丈夫。って・・・


そう、大丈夫だったんだ。

依存されるのも
依存しているのをみるのも
苦手だったのは
応えなくちゃいけない気がしてたから。

なにかしなきゃいけない
やさしくしたり
厳しいこと言ったり
その在り方は違うよって正したり(!)

なんにも「してあげなくて」いいのにね。
わたしが、したいように、するだけでいい。
重たいと感じれば、やめて、と言えばよかったし
見たくなければ、見るのをやめればいい。

ぜんぶ見届けなくちゃ
ぜんぶ知っていなくちゃって
思っていた。

「ケアしきれない」っていう
罪悪感があった。


でも、ちゃんと、届いてた。
昨日それがしみじみわかった。

がんばらなくても
がんばりきれてなくても
大丈夫だった。

これでは届かない!と
焦ったり、自分を責めたり
最善を尽くしているとは言いがたいと
ジャッジしていた自分の言動、
響くとこには、ちゃんと響いてた。


音が大きければ、聞こえるわけじゃない。

数が多ければ、受け取れるわけでもない。

わかりやすくなくても、言葉に乗りきってなくても、

伝わるひとには伝わるときに伝わる。


生身で会ったときの情報量には
とうてい及ばなくても
生身じゃないからの、よさもある。


体はひとつしかなくて
同時に出来ることには
どうしたって限界がある
物理的なものに頼っている以上は。
自分ひとりでやろうとしている以上は。

SNSをチェックするのも
だれかに会うのも
イベントに参加するのも
電話するのも
自分をケアするのも

わたしの体はひとつしかない。

で、あれば
自分以外の力を
もっと上手に借りること

それから
物理的でないものを
もっと信じてみること

なにをするか、なにをしなかったか、ではない
存在そのものから、響くもの
響きあうこと


かわいくてかわいくて
ずっとみていたかった

でも、そこに目をとられていると
わたしは足が止まってしまう

応えようとしている限り
道を拓くことに注力できない ・・・


あたらしい遊び方を、はじめる季節になったみたい。

風にのっていこう。

風になるんだ。

グラウンディングで煤払い

お友達あむりた屋 じゅねちゃん主催
グラウンディング・グループワーク
昨日は同期のマリアさんも参加する
スペシャルバージョン

 cute あむりた屋9~11月の予定
 cute グラウンディング・イン・ア ボディ・セラピスト マリアちゃんブログ

ちょうど予定のあった友達と一緒に
高尾まではるばる行ってきました。

肉体、感情、生命力、そして魂の本質につながり
それらを統合する、グラウンディング。
現代生活ではなかなか難しいそれを
いろんなワークで
体を動かし声を出しながら深めていく。

ここ1年くらい
いろんなお友達の個人セッションは
なんどか受けていたけれど
初対面含む、複数人でやるのは
ヒーラーズ・インテンシブ合宿以来で、たのしかったな。
場のちからが作用するのって、わたしにすごく合うみたい。

昨日は、女神とマリアに護られた
ものすごくやさしい
泣けるほどホっとする
場が出来てました。


グラウンディングとひとくちにいっても

場の雰囲気
自分のタイミング
セカイの流れ・・・

その構成要素によって、起きること
自分にもたらされるものは、はずいぶん違う。

「起きる」というより
それを許可する、という感じだろうか。
どこまで自分にゆるすのか
受け止められる範囲、エネルギーの大きさ、深さ・・・


昨日は、魂うたのときみたいに
がっつりもぐる気満々でハラを決めて
行ったわけじゃあなかった。
ほとんどイキオイ
一石四鳥くらいのベストタイミングと構成だったから。

そのうちの一羽。
あわよくば・・・と、無意識に近いところで
期待半分、恐怖半分で思っていたことが
とてもとてもやさしいプロセスで起きて
てんびん座土星おおみそかに、宿題を片付けられた気分。

身体の奥ふかくに放置してた、
気がつかなかった感情の記憶を、体験しなおして

停滞していた、留まっていた、動きのなかったものが
息をふきかえして、ふわふわ舞っている

あとは風がさらっていくにまかせればいい。


今日の予定はキャンセルさせてもらい
のんびり、つらつら、内観アウトプット。


昨日はけっきょく
一石七鳥くらいになった、というか
石が当たって仕留めた鳥をとりに行ったら
すぐ横にハーブが茂ってた、というか

たくさんのギフトを受け取ったので
また、べつの記事にします。

星の動き、日々。

3日、金星が乙女座へ
5日、水星が蠍座へ
6日、土星が蠍座へ
7日、火星が射手座へと
それぞれ、大移動
石井ゆかりさん週報 全体の空模様より

ギリギリ星人なわたし
土壇場になって
あれこれ
片付けまくっている、ような

部屋の中も
人間関係も
コミュニケーションスタイルも

がらりと意図的に変えるのではなく
少しずつ整っていく
気がついたらそうなっていた
というような


目覚ましがなる前に
目が覚めた今日

そのことが
なんだか不思議だった。
眠る。
起きる。
眠り続けない身体。
生かされているわたし。

悠久のときのなか
星星が
まったく同じ配置に
なることは、あるのだろうか?

こちらもゆかりさんの言葉、
9月29日のツイート

同じではいられないから
大好きなひとに
大好きと言える今も
大嫌いとしか言えない今も
なんだか愛しい。

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