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見届けたかった

最近、よく、あちこちで言っていた。

「ひとりじゃないから大丈夫だよ」

ヒーラーズ・コミュとか
きつねさん講座だとか
セクシュアリティワークだとか

リアルを起点に
普段はネットをつかって
つながり続けている

こうしたグループは
集合無意識の具現化みたいに思える。

人類が、ながーい、ながーーーーーーーーーーーい歴史のなかで
抱え込んできたもの、手が届かなかった埃、大事だったガラクタ

ひとりで片付けているわけじゃない。

みんな、自分の持ち場で、
得意なところを、
好きなときに、
好きなように、
浄化
blessing

時には、自分の担当エリアを外れて
だれかのエリアに手をのばしたり

自分ひとりでは
気持ち的に、物理的に、難しくても
誰かが横にいてくれたら、出来ることだったり

ぜんぶお膳立てされている

だから大丈夫。って・・・


そう、大丈夫だったんだ。

依存されるのも
依存しているのをみるのも
苦手だったのは
応えなくちゃいけない気がしてたから。

なにかしなきゃいけない
やさしくしたり
厳しいこと言ったり
その在り方は違うよって正したり(!)

なんにも「してあげなくて」いいのにね。
わたしが、したいように、するだけでいい。
重たいと感じれば、やめて、と言えばよかったし
見たくなければ、見るのをやめればいい。

ぜんぶ見届けなくちゃ
ぜんぶ知っていなくちゃって
思っていた。

「ケアしきれない」っていう
罪悪感があった。


でも、ちゃんと、届いてた。
昨日それがしみじみわかった。

がんばらなくても
がんばりきれてなくても
大丈夫だった。

これでは届かない!と
焦ったり、自分を責めたり
最善を尽くしているとは言いがたいと
ジャッジしていた自分の言動、
響くとこには、ちゃんと響いてた。


音が大きければ、聞こえるわけじゃない。

数が多ければ、受け取れるわけでもない。

わかりやすくなくても、言葉に乗りきってなくても、

伝わるひとには伝わるときに伝わる。


生身で会ったときの情報量には
とうてい及ばなくても
生身じゃないからの、よさもある。


体はひとつしかなくて
同時に出来ることには
どうしたって限界がある
物理的なものに頼っている以上は。
自分ひとりでやろうとしている以上は。

SNSをチェックするのも
だれかに会うのも
イベントに参加するのも
電話するのも
自分をケアするのも

わたしの体はひとつしかない。

で、あれば
自分以外の力を
もっと上手に借りること

それから
物理的でないものを
もっと信じてみること

なにをするか、なにをしなかったか、ではない
存在そのものから、響くもの
響きあうこと


かわいくてかわいくて
ずっとみていたかった

でも、そこに目をとられていると
わたしは足が止まってしまう

応えようとしている限り
道を拓くことに注力できない ・・・


あたらしい遊び方を、はじめる季節になったみたい。

風にのっていこう。

風になるんだ。

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