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常識とか、ルールとか

くそくらえ、と思ってきた。

自分が他人からされて嫌なことをした覚えは無い。
だけど、わたしの、他者へのリクエストは、オカシイと断定された。
わたしの常識は、常識ではなかったのだ。

そこから、わたしの自己否定が始まる。
それまでに築いてきたやりかたを全部捨てた。
捨てないと、仲間に入れてもらえないんだと思った。

必死で捨てて、必死で合わせて、作り変えた。
これで大丈夫?って顔色を伺いながら、一緒に笑ってた。

だけど、納得なんてしてなかった。
わたしが間違ってるなんて、根っこの根っこでは、ちーっとも思ってなかった。

ルールやら、常識やらにしばられてる人たちが
ものすごく窮屈にみえて、かわいそうだと思ってた。

ルールやら、常識やらを盾に身を守る人たちを
意気地なしだと嗤ってた。


いま、社会性の土台をやりなおしてる。

自分を殺しながら、世界を恨みながら、ではなくて
自分のままで、世界も大事にする方法。

常識もルールも、ほんとうは、やさしい。


マイノリティを気取らずに、等身大の自分で、等身大同士として、かかわること。

あのとき批難されたわたしの「質」が、最大のちから。

それを武器にするのではなくて
隠すことも、合わせることも、矮小化もハッタリもなしで。


常識とかルールとか、社会とか
大嫌いだった。
憎んでた。
みんなを苦しめるものだって
その枠にはいった途端、みんなおかしくなるって

わたしはそんなもんに迎合しないってつっぱねてきた。

「普通じゃない自分」というアイデンティティを保つために
「普通」を創りだし続けた。


だけどさ。よくよくみたら、やさしいの。
常識とかルールとか
使えばいい。

それでつながれる場所があるなら
それで守られるものがあるなら
使えばいい。

軸は、わたしの欲と、心地よさ。
それと、他者の大事にしているものが
するりと共存できる「選択肢」がそこにあるのなら、それでいい。


わたしの欲は、他者を不快にさせる。という観念を、うすめていく。
建設的に、現実的に、柔軟に。

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