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2012年11月の記事

天音らん

らんちゃんのワークショップは
とにかく体感・体験。

やりたかったこと
感じたかった気持ち

欲しかったものを、得ること
居たかった場所に、居ること

直接それに触れるワークをするわけじゃあない。

扱うのはいつだって
「大好き」を伝えること
「大好き」を欲しがること
「大好き」を受け取ること
「大好き」を見つけること
「大好き」を感じること

だけど
ふしぎなほど
過去にやりのこしたあれこれ
いまやれないでいるあれこれを
体験するのに必要な状況が再現される。

そのことに、その場で、自分で気づけなくても
誰かが伝えてくれたり
あとからわかったり
そのために必要な行動をしたり
適切なタイミングと方法で、わかる。わかろうとする。

わからないものを
わからないままにしておくのは
居心地のいいことじゃない。
だからといって、恐怖に駆られて、
立ちすくんだり逃げ去ったり突撃したり、するのではなく
好奇心と勇気で、解消(保留)の動きができたらいい。

そのエネルギーを
これまたちょうどいいときに
ちょうどいい方法でくれるのが
ワークで出会うひとたち。


らんちゃんのワークショップのメインは
安心できる空間をつくったあと
自分の足で歩いてみる。助けて、と言ってみる。練習。

能動と受動。両方の力をもっている
自分と、誰かと、つながりを選び続ける。

ぜんぶを抱きかかえるってことは
ぜんぶを聞き入れることではない。

歩きたい自分も、受け入れたい自分も、
同じだけ大事にする。切り離さない。

何度でも選びなおす。
選びたい自分から、目をそらさない。あきらめない。

絶対にあきらめないらんちゃんがいるからこそ、成立するワーク。
誰よりもさみしがりで、誰よりもやさしい、らんちゃんのワーク。

そして
みんなそれぞれがもつ
自分のなか
自分とパートナー
家族のなか
社会のなか
あらゆるところにみえる
「男性性」とよばれる直線的エネルギーと
「女性性」とよばれる曲線的エネルギーが
交じり合い、螺旋でのぼっていくのを
らんちゃんは祝福する。


ひとは、ひとりでは、自分が見えない。
誰か、のなかにいる自分を見るだけ。
その「誰か」がどんなであっても
らんちゃんは信じてる。
そのひとこそが
自分には見えない
自分の「凝り」を
教えてくれる
流してくれる相手だと、信じてる。
流したいし、流せるのだと、知っている。
その鍵を、相対する自分が、持っていることも。


どこまでもどこまでもどこまでも
自分の身体の細胞のひとつのこらず隅々すべてが
「世界は自分で、自分が世界だ」と納得するまで
らんちゃんは「誰か」を見る。
違和感を見逃さない。
逃げない。

ばかだなあ、と思う。
らんちゃん自身が言うように
それはまるきり「変態」の所業
こだわり。趣味。

であると同時に、
それはご神事。

自分に備わっているその「嗜好」が
どうにも逃れようの無い「欲求」が
世界に必要であること
それに従い、明け渡し、たのしむことが
神様(自分)の思し召しであること
すべてプロセスであることを
らんちゃんは知っている。
そこに驕りはない。


・・・・・たまにあるか?(笑)

でも、それがまた、いいんだ。
だってニンゲンやってるんだもん。

あーあ。くやしいなあ。
オマエなんか!って言いたかったのに
今度こそ尻尾つかめるかと思ったのに
惚れ直しただけか。

あんな顔されたらもう
ゆるすしか、ないじゃんか。

12年前 わたしが、母にねだってつくってもらった
長い長いヴェールをつけて
ブーケをもつMちゃんは
すごく、すごくきれいだった。

お誕生日おめでとう。

結婚式おめでとう。

どこまでも、どこまでも、どこまでも
しあわせを追っかけていってね。

どこまでも行くがいいよ。

カンペキのない、終わりのある世界だからこそ、できるゲーム。

とことんたのしんで。

愛してるよー!!

ちゃんと欲しがる

10月の大阪セクシュアリティワークのとき
とってもわたし好みのべっぴんさんがいた。

清楚で、動きには茶目っ気があって、色気もあって
お化粧もおしゃれも上手で、すこやかそうな身体で

ワークのときも、あとも、そんなにおしゃべりはできなかったけど
メッセやりとりしたり、ブログにコメントしたり
ちょっと仲良しになったら
彼女のマヤ歴の太陽の紋章:黄色い太陽そのままに
まっすぐであったかくて燦々としていて
働き者で、しっかりママさんでもあって
こんな嫁さんもらったダンナさん、いいなああああ!!!って羨むくらい。

その彼女と、昨日のヴィーナスワークで再会。
ああやっぱり好みー!
いいなあ、いいなああ!!!って
しばらく遠巻きに見てて(笑)

ワークの、さいしょのバディ決め。
らんちゃんが、いちばんはじめの選択権を、わたしにくれた。

なんのワークをやるのか分からなかったけど
「彼女がいい。」
即座にそう思った。
思ったけど、迷った。

いつも、みんなのあとがよくて
いつも、一番ほしいものより
場の、その先の、みんなの流れが
もっとも整いそうなものを選ぼうとする

後でいいよ。って言いそうになった。
でも、がんばってみた。
彼女がいい。って指名した。
やっぱり・・・って言いながら彼女が目の前に来てくれて
照れくさそうに目をあわさないようにでも微笑んでて

あああかわいい~~~~~~~!! 悶絶(笑)


このあとのワークは
紙片をつかってお互いの家族構成の
子ども時代と、いまを、
家族それぞれの視点のつもりでシェアしたあと

それぞれの子ども時代が、
ほんとうはどうだったらよかった?
なにを望んでた?っていうのを、
紙片で、パズルのように、カタチにしてみる。

べつのメモに、自分の名前を書く。
それから、子ども時代の理想を実現するには
相手はどうしたらよかった?
なにを持っていたらよかった?なにをあげたい?
相手におくりたいメッセージを
自分の名前を書いたメモの裏に書いて

相手の、理想の家族構成の
「わたし」のうえに重ねる。

わたしの書いた「わたし」は、青のボールペン
彼女の書いた「なまえ」は、黄色のサインペン
青の上に、黄色。
わたしのオーラソーマバースボトル(8番)とおなじ。


わたしの子ども時代の再現は
積み木の要塞みたいだった。
わたしをまんなかに、上に両親、両脇に妹と祖母。

そこに、彼女がきてくれた。黄色い太陽。あったかい光。

要塞はわたしが望んだものだったし
それ以外のカタチがよかったわけでもない、けど
真っ暗で、外が見えないのは、たのしくなかったから

幽体離脱みたいに、精神だけ抜け出して、
高いところからみるスタンスを身につけた。

そればっかりで生きてきて
それしか出来なくなっちゃってたのを、
この何年かで徐々に身体にいることを覚えて、慣らして、
最近はどっちも好きなときに選べてる。と思う。


あのころ
お日様の光が
入ってきてくれていたら

ほんとうはいつだって入ってきていること
いつでもそこにあること
自分も、家族も、みんな光だって思えていたら

あんなに苦しくはなかったんだろう。

今後は、思い出しても、もう、苦しくないんだろう。


彼女からもらったメッセージは
おっきくてあったかくて、とにかくおおきくて
受け取ろうとすると
喉が詰まる(笑)

だから、ゆっくり。
ゆっくり溶かしていく。

マヤ歴で、11月27日からの13日間は【青い夜】
わたし(赤い空歩く人)の反対KIN。学びの日々。

福岡ワークせくしゅありてぃ縁日
12/8(土)もばっちり含まれてる。

昨日の月食の満月は、ふたご座。わたしの月星座。

★11月28日の光のメッセージ
一つのテーマが完成し、また新しい道が開けてくる時
双子座の 個人の力が より大きな世界の中で
生かされていくことを 表す
誰かのために 自分の力を使ってみる


欲しいものを、ちゃんと欲しがることも
誰かのためになったりする。

彼女をバディに指名した。
それだけで

わたし
欲しいものを
手に入れていいんだなあ。

欲しかったもの
手に入るんだなあ。って

自分で、選んで、決めて、
声にだして、叶えていいんだなあって、嬉しい。


伊勢の、わたしのアマテラスさま。
てんてんまぁるちゃん。
http://ameblo.jp/tentenmarl/

今度あったら一緒に写真とるんだ!(照笑)

いいよ。

嫌っていいよ。

忘れていいよ。

信じなくていいよ。

居続けなくていいよ。


いまは大嫌いでも

思い出したくなくても

いますぐ信じられなくても

すぐ逃げ出したとしても


ずっと大好きで

ずっと覚えてて

ずっと待ってるし

いつだって迎えにいく。

そうしたい自分から、もう逃げない。

そうしたい自分を、わたしはゆるす。


そんなワークでした。

昨日の、わたしの、ヴィーナスワーク

ほかにも、もらったものがあるので

また書きます。

鏡にみる自分/損してもいい

数日前の殴り書きメモ@風呂
そのまま書き起こし。

----------

わたしのやること、やってること

もやから出る方法・歩き方 ではなくて
もやを一瞬、吹き飛ばして希望をみせる。リフレーミング。
(動くかどうかは相手におまかせ。信頼。待つ。放置。)

自分より若い、自分よりあとにのこる人に
「わたし」を知ってもらうことで
わたしは生きながらえる。
「わたし」が有形無形にのこっていく。
だから、それだけで、ありがたい!

子孫を残すかどうか、という動物的なことではなく
もっと瞬間的なこと。「いま」関わっている、その意義。

自分より上、先のひとには、道をつくってくれて、感謝。

引き受ける:責任
受け取る:恩恵

末端の自分を認めることが
つながるすべてへの敬意、感謝

しがらみという根
先祖が用意してくれたもの
「いま」をつくるのに、
「これから」に、必要なもの

「いま」は未来に必要なプレリュード。過去の結果ではない。

他人という鏡をつかって
わたしは、わたしを知る。
わたしの輪郭がみえる。

ぜんぶ利用する。
荒らして、去る。
それが「悪人」と思えるとしても、それでいい。

わたしに必要ならばやるし
そうでなければやらない。
シンプル。

「悪人」をやらされることもある。

伝えたいことは
がんばらなくても
しかるべき時に
しかるべき人に
しかるべき方法で、伝わる。伝えられる。

がんばって告知、宣伝する必要はないし
伝えたくないことは、伝えなくてOK。

あんたなんか要らない
あんたの世話になんかならない

そう言いたい自分。

無力であるとき
どこかに有力が発生する。
傷つけられ、利用されたように感じるけれど

相手と関わることで
変わってもいい。
変わらなくてもいい。
自分で選べる。

「損してもいい」

とことん、尽くし、貢ぎ、捧げたらいい。

わたしのほうがスゴイ

そう言いたい自分。

わたのほうがスゴイところもある。

それがニュートラル。


特別でいたい自分。

特別である自分。

わたしが、その瞬間、だれかの特別であること。
なんでもない、たいしたことない、取るに足らない、どうってことない自分ではなく
なくてはならない、わたしだからこそ、目の前の喜ばしい状況がある。それを認める。

固定的な、永続的な、確約された「特別」を求めるより
いまこの瞬間の「特別」をみる。

それを認めたら、だれかの「特別」も認められる。
だれかが、だれかにとって「特別」である瞬間があるってこと。

わたしはとにかく体験したい。

あのとき、あれを選んだら、あれを体験できたのでは?
いま、これを選んだら、あのひとの味わってるアレを体験できるのでは?
欲張りな思いが、未完了でくすぶってる。

なにかのタイミングでひっぱりだしてきて
今、これなら、体験できるんじゃないかって、こねくりまわす。

誰かの体験をうらやましがる。
それが悲しみや、呪いや、憎しみであっても。
自分のなかに材料を探して、創造して、味わおうとする。

ね、お願い。


離れているときも

悲しい気分のときも

わたしのこと思い出してほしいの。


選ばなかったのはわたしだけど

それでも、思い出してほしいの。


覚えていてほしいの。

あなたが忘れてもかまわないの。

だけど、覚えていてほしいって気持ちはここにある。

ずっとあるの。

あなたが思い出さなくても

ずっとあるの。


わたしはそれを覚えていていい。

抱えていていい。


あなたがわたしを思い出すかどうかより

ずっとずっと大事なこと。


思い出してほしいって、思ってること。

忘れないで。


♪ ひとつだけ / 矢野顕子
 Youtube 歌詞

★母から娘へ

はやく行きなさい。

その先に

ほしいものがあるなら

その先で

笑えるのなら

はやく行きなさい。

歩いたことのない道が怖いと

ここで足踏みをして

いつまでも震えているのなら

いっそ、行くのをやめなさい。

あなたの人生に

笑顔が多くあるように

それだけがわたしの願い。

行ってもいい

行かなくてもいい

笑えるのならそれでいい。

娘よどうか

顔をあげて

ほほえんで

それだけで世界はあなたに恋をする

はじめてのあのときの

花咲くような笑顔に

そう確信した。

片時も忘れることないわたしが

ずっと、ずっと、ここにいる。

だから娘よ

ただひたすらに

一瞬の間断もなく

みずからの笑顔を選びなさい。

心から笑える

花咲くように笑える

それだけを選びなさい。

鉄則を撤去

・遠慮すれば間違いない。
・欲しい物をすべて手にしても幸福ではない。

わたしの人生の鉄則だった。らしい。

長子だから
女だから
いろんな環境的要素で
わたしが編み出した「安全策」「必勝法」

これを使い続けるために
わたしが創りだし続けてきたのは

 わたしの持っていない、出来ない
 あれもこれもも持っていて、やっているのに
 それでも幸せにみえないひと

昨日開催されたセクシュアリティワーク
福岡 第一回に向けて
お祈り枠に「悲しみ」を書き連ねていたら
これがみえてきて、
その日のうちに解消した。

それと連動するかのように
東京ワークゲストをやって
大変だった!と言えないどころか
感じることすら禁じていた
自分に気づいた。

がんばったね!と
どれだけ言われても
いやべつに・・・と思っていた。本気で。
だけど
ほんとうに
がんばってたんだ!と気づいた。やっと。

ちゃんとしてなきゃ
しっかりしてなきゃ
みんないつでもつながれるように
もうさみしい思いをしなくていいように・・・

気を張り続けていた自分。
そしてそれを

分かってもらえない。
じゃなくて
分かってもらおうとしない。

分からない、と決め付ける。
あるいは
分からせちゃいけない、と抱え込む。

いとしくて、守りたくて

でも、わたしが守りたかった
カワイ子ちゃんたちはワークのとき
みんなちゃんと自分の足で歩いていた。

この先、あの子達を守るのは
男の子たちに任せたらいいのだ。

80点で満足して
わたしはこれで十分です。と言ってれば
いい子ね。って褒められた、
居場所を確保できた、おねえちゃん時代。

欲しがりません勝つまでは。
オンナに染み付いたDNAでもあるのだろうか。

なんでも欲しがってみたらいい。
頂点を見てみたらいい。
ハナっからあきらめないで
難癖つけてないで

わたしがおねえちゃんを降りないと
妹はずーっと妹で
それがどんな影響をしてるのか
知るヨシもないけれど
不自由には違いない。

お祈り枠に書いた
「うらやましい」彼女は
「わたしが守るべき女子」の象徴 だった。

わたしが持てないもの
あれもこれも持ってるのに
なんとなく不幸そうな女子たち

そんなの、どこにもいない。

彼女たちが不幸そうでなくちゃ、
守る理由がなかっただけ。

彼女たちを守るんだって自負心で、
維持してきた自分の居場所を、守りたかっただけ。

水色とピンクがあったら
迷わずピンク!と言っていいし

ピンクを手に入れたことに
罪悪感をもたなくてもいい

わたしをだれよりいちばん幸福にすることが
わたしの唯一絶対の仕事で
世界をしあわせにする方法。
あなたをしあわせにする方法。

だれに遠慮することなく
達成をおそれることなく

まっすぐしあわせであっていい。


 関連記事: 
 「とっておき」より「どうでもいいとき」を大事に

わたしの欲しいもの。

昨日は 都内で「せくしゅありてぃ祭」
SexualityWork リアルお祈り枠の集まり。
たのしかった!

以下、あまりに長くて
編集できないので
mixiからほぼ転載。

--------

今朝、目が覚めたらさみしかった。

夢の中で
過去世のなにかに
アクセスしてたような記憶。
過去世でいっしょだったひとたちと
現世でわいわい、過去世共有の体感をもって、あそんでたような。
最近そういう夢を、寝起き頃に、よく見ている。
内容はすぐにわからなくなり、その感覚だけが残る。

それを現実に持ち帰れないさみしさ。
チャネラーさんはいいなあ、いつでもアクセスできて。
って思う自分に気がついてる。

ヒーラーさんたちが
セッションを提供し続ける理由が
わかる気がする。

鏡がないと出会えないの。

ほんとうのだれか
ほんとうの自分
ほんとうの思い

昨日あそびに来てくれたひとの身体に触れていたら
「病気させてごめんね」って言葉が湧いてきた。

それは、ダレカから彼女への言葉であり
それを、身近なヒトに言えないできたわたしの言葉だと
わたしは気がついている。
 

寝起きのさみしさ
はじめは
交通費もちだしで
「天音らんのワークのサポート」のための場をつくった
その、やらされ感(便宜上そう表現するが真実ではない)とか
そのあたりがネックなのかな?と思って
次回は、会費をアップしようかなーと考えた。

ワークのような展開になったこと
その場をホールドしていたことへの自負心
ちゃんと評価してペイしてあげようかなって

でも、ワークに便乗してるからこそ
できたことだし
集まったメンバーだし
それこそ利用してるみたいで汚いなあとか

それならそれで
安価な場を提供するヒトがべつに現れたりして
さらに輪がひろがっていいんじゃないのとか
エゴがあれこれ言ったりしてるなか

まずおなかがすいてるのをなんとかしようと
リンゴと柿を食べ(喉風邪で寝ているオットにも提供)
昨日の残りのせんべいをばりばり食べたら、落ち着いて

わたしが頑張って、値段をあれこれしなくても
(↑お金のことはエゴ暴走しやすい性質)
ちゃんとバランスするように出来てるってことを思い出す。

昨日だって、いちばんわかりやすくでっかいギフトを
持ち帰ったであろう彼女は 図らずも?
それに見合う対価と思われるものを持参、提供してくれている。
みんなが片づけをしてくれているあいだ
わたしは女神と天使にマッサージされていたし
それに対してなにかお礼しなきゃ!なんて考えなくても
あれやこれやで、等価交換が成り立っていたなあと感じる。そう考えてみる。

「ただ働きさせちゃった」とか「損させちゃった」
「割に合わない結果になった」なんてことは
だれひとりとしてなくて
もしあったとしても、そこから次へ続いていく大事なプロセス。

わたしはそれを、信頼できる。

・・・・すごいな。いつのまにそんなひとになってたんだ自分!(泣笑)

昨日、来てくれたひとに多かったのは
「ニートであること」「会社員であること」「お金を得ること」の葛藤で
それは元をたどると、父親や男性(性)との関係性で
(だから男女間パートナーシップの悩みも派生してる)
もっと掘り下げたら、愛を受け取るってこと。自己評価。

あのワークや「天音らん」に惹かれて集まるメンバーは
お金を払うことで、それに見合うだけの
「癒し」「気づき」「解放」が得られることを知っている。

それなりの対価(セッション料金や出向く時間と経費など)をもって
1対1で、どっかり、どぶさらいのように、とことん掘り下げる
それだけのコミットをしなくちゃ「出来ない」
それだけのコミットをするなら「向き合ってもいい」と自分が決めている、
自分にとってすごく大事な部分があることを、知っているし
いつかそれをやるんだ!って決めてもいる。

そういう場を、らんちゃんが提供している。
それを知っているメンバーだからこそ
おやつ代だけで他愛のない話ができる場が活きる。

相互補完、なんて言ったらおこがましい?
でもほんとうに、そうなんだと思う。
どっちが上でも下でもなく、先でも後でもどうでもよくて、
ただ、役割の違い。好みの違い。


高額セッションやワークを提供するひとは
儲かっていいなあと思ってたこともあったけど
それを提供するのもラクじゃない。
対価をもらうだけの「なにか」を引き受けている。

ラクじゃない=いやなこと、でもなくて
それをやりたいひと、その方法が適切なひとが、それを選ぶ。

で。わたしは、選ばないんだなあ。


誰かのほんとうを通じて
自分のほんとうに出会う機会が欲しいなら
個人セッションという形でサービスするのもアリ、だと思う。

ヒーリングの勉強もしてないし・・・
昨日はみんながそれぞれの持ち場と本分で
クライアント(みたいなポジションだったひと)に関わったから
結果的に「癒し」「解放」みたいになっただけで
ひとりでも、ああいう「体験」を「させてあげられるか」
わからないもんなあ・・・ってエゴが言う。

そんなの、やりながら自信をつけていくもんでしょ。
勉強、資格、そんなものに頼る必要ないでしょ。
できるかどうか、やってみるしかないでしょ。・・・とも言う。

すごいひとになったらいいじゃん。
ひとり舞台で「キミだけがすごいんだ」って言われたいなら
そういう舞台をつくって立てばいいじゃない。

・・・でもどっかでわたし知ってるんだ。
そういうの、もう、いいの。要らないの。

みんなで、やりたいんだよねわたし。
みんなだから出来るんだよって、言いたいんだよね。
だれひとり欠けても、これは出来ないんだよって
それを見せたいし、やりたいんだよね。

それで、わあよかったね!って分かち合いたい。
想い出をいっぱいつくりたい。


昨日、お友達の参加者さんが、
「場をつくってくれてありがとう!ゆきちゃんだから、出来るんだね。」って
何度も言ってくれてたの、受け取れなかった。

いやいや、らんちゃんのワークありきの会だし
わたしがすごいんじゃないしって
受け取っちゃいけないと思ってた。
調子にのるな。これはわたしの手柄じゃない。って戒めまくってた。

そこ、耐えるところじゃないから!自分。
みんなの場であっても
なにかの光をうけているんだとしても
そこに「ある」ことが大事なの。
受けて、そこにあるってだけで、尊いの。
おこぼれでも
七光りでも
それを受け取るひとがいるってことが
大事なんだよ。

じぶんで光る星もあれば
太陽の光をうけて光る星もある

照らされる役も、また、必要なんだ。

惑星、まどわす星。
エロス!?(笑)


ワーク当初からずっとみていて
WEBサイトつくって
ゲストやって
リアルお祈り枠集会やって・・・

そんなふうにわたしはセクシュアリティワークに関わり続けてるけど
きっとまたいつか立ち去るんだろうってどこかで思ってる。

立ち去る。または、関係を変える。
見た目上は完全に手をひいたようになる日もくるのかも。

そうやって次々にかわっていく自分の生き方を、薄情だと思ったこともあるけど
わたしのデータベースに入った情報はそうそう消えなくて
消えないうちは、ずーっと、つながりが続いていく。
つながり続けている。


幼稚園の先生や保母さんって不思議なもので
むああああし看ていた子どもが大きくなって
道ですれ違うとちゃんと気づいたりする。
姿かたちはぜんぜん変わってるのにちゃんと気づく。

ずっと覚えてるわけじゃない
いつも思い続けてるわけじゃない
でも、なにかのときに、思い出す。みたら、わかる。
そして、いつだって、しあわせを願ってる。信じてる。


保母さんと用務員さんになりたかった。
小学校の卒業文集に書いたこと。
12歳ってことは「いいこ」「好かれるための芝居」を覚えたあとだから
わたしの純然たる意識から出たものじゃないって、ちょっと疑ってたんだけど

でもね、やっぱり、わたし、だれかと関わるのが好きだ。
だれかの世話をするのが、場を整えるのが好きだ。
育っていくのをみるのが好きだ。
育てるのが好きだ。

みんなにとってその場が必要なくなって、立ち寄らなくなっても
その場がなくなっても、形をかえても、
わたしはずーっとずーっと覚えてる。
わたしの一番だいじなもの。


きのう、本郷綜海さんのつくってくれたヒーラーズコミュニティ
解散のおしらせメールを受け取って
ああわたしもずいぶんいろいろ
コミュやらメーリングリストをつくって放置してるなあ
使ってないのはちゃんと区切りをつけたほうが
自分のためかなあって思ったりした。
いつまでもそこに
エネルギーコードつなぎっぱなしじゃ
不健全かな、効率わるいかな、足止めになってるかなって

でもいいや。
みんなが要らないって言うまで
そこに、そのまま、置いておく。
いまはそう思う。
それがわたしにとって心地よいし
それが出来るだけのバランス感覚とキャパシティがあるから
やり続けていようって思うんだろう。


集会の最後にマッサージしてくれたヒトが
身体がずいぶん緊張してた、気をつかってたんだねって
メッセージをくれた。

うん、身体はってるの。
それができるように、わたしの身体は丈夫にできてるの。って思った。
そうだったのか。
知らなかった!(笑)

疲れ知らず
病気知らず
体力バカで
なんでもわりと器用にこなすわたしの身体
もっとつかわなくちゃもったいないーって
たびたび思ってたけど

なるほどね、これでいいんだ。


お友達セラピストmoちゃん
自称ヒーリングのコンビニ。
歌って祈れるセラピスト。

わたしは
「なんでも、あなたの居たい空間つくります」
何年か前にキネシセッションでもらった肩書き。

丈夫な体も
創造性も
知識も経験も人脈も
「なんでも」に応えるためにある。

ほんとうになんでも、つくれる。
お寺めぐりを語り合える仲間も
リストカットを語れる場も
ヒーリングのちからを試す機会も
なんでも、整う。
集まってくる。
なにが欲しいのか?なにをしたいのか?分からないまま
ただ、来てくれれば、だいじょうぶ。
欲しかったもの、みつけられるはず。
もし、見つからなかった!と怒りが湧いたなら
その怒りこそがアナタが欲しかったものだよ。と言える。

それが、わたしの創る空間。

「天音らん」「セクシュアリティワーク」ですらも
ひとつのキーにすぎない。
それもまた真実の一側面なんだ。

わたしはなんでもかんでも利用して
わたしの欲しいものを、わたしのやりかたで創る。


だから、誰がきてもウェルカム。だけど
イチオシするとしたら
アーティスト、表現したいひとかなあ。

とくに、言葉ありきのこの世界で
「絵をかきたい」
「歌いたい」
「おどりたい」
言葉でない表現をしたい!と願うひとは
葛藤をかかえやすいのかもしれなくて

自分のフィールド(方法)でも表現するけど
言葉でも伝えたいんだよ!って
なによりも、自分が、自分のために、
それを言葉にしたいんだよ!って願ってる。

言葉にするって、思いを捉えること
自分をたしかにすることだから。

その感性を言葉で掬い上げるのが、わたしの得意技。らしい。

そういえば昨日は
出版関係のひとが多かったのも
不思議だった。

プロセスは、まだまだ続く。

いま、関わっていても、関わっていなくても
見た目はつながっていなくても
ちゃんとつながってるよ。
見えてるよ。

ひとつのこらずつながり続けるって決めてるから。

だからみんな、自分の道を、自分のペースで、歩いたらいい。
どうせ同じところにたどりつくんだもん。
たのしんでいこう。

だいじょうぶ
だいじょうぶ
わたしのプロセスはいつだってカンペキ!

「とっておき」より「どうでもいいとき」を大事に

オットと車で近場に出かけるだけなのに
ニットとスカートにブーツを選んだ。
実家に車を借りに行って、母が玄関に出てきたとき、ひやひやした。
あら珍しいそんな格好してどこいくの、的なことを言われるかと思って。

冷静に考えると、母がそう言ったからなんだって話なのだけれど
なぜかわたしはえらく母のコメントを気にして生きてきた。
服とか、家具や小物のセレクトについて。

なに洒落めかして、とか
ちんどんやみたい、とか
ずいぶん*ちょうちょらしい、とか
(*母語。かわいこぶりっこ的な雰囲気)

これまた冷静に考えると、もうこの何年も
母から 批判的な、否定的な雰囲気のコメントが出たことはなくて
あったとしても、意外!ってくらい。 いつも好意的だった。

母のコメントにショックを受けたり、自信をなくしたりしてたのはせいぜい
小学校か、中学校くらいまでのことなんじゃないか。
それも、時たまそういうことがあっただけ。おそらく。

三つ子の魂100まで、じゃないけど
ほんとになんだってそんなにまで
母のセンスが絶対正解だと思ってきたのか・・・
わからないけど、とにかくそうだった。
最近ではだいぶ減ったが、でもいまだに、
服やらを買うのに迷いすぎると、写メって母の意見を聞いたりする。

ジーンズにトレーナー、無難なセーターにチノパン
考えなくて済む、見慣れた服、ありきたりの組み合わせが
「日常」には【効率的】で【妥当】で

スーパーに買い物、とか。車で。とか。オットと、とか…
そんな場面でたとえばスカートなんかはいたら
「なに気張っちゃって!ばかみたい」と思ってたのも
きっとずいぶん昔にそんなふうに母に茶化された記憶があるからなんだろう。

わざわざ取り揃えているご近所や「どうでもいいとき」用の服は
気に入ってないわけじゃないんだけど、「着たいもの」じゃなくて
「着てもいいもの」って基準で買ってる。

下着や部屋着こそお気に入りを♪っていうけど
普段着はさらに輪をかけて、お気に入りの方が、ぜったい楽しい。

そりゃあとっておきのお出かけ服も
あればまた別の楽しみだけれど
わたしの人生「とっておき」より「どうでもいいとき」の方が圧倒的に長い!
おうち大好き、お出かけどころか、近所にすら出ないんだから。

部屋着や普段着に
きれいな色の服、個性的なタイツ
すてきなデザインなんて【無駄】って声がきこえる。

だからどうした?

なにを前提に
なにと比較して
無駄なのか
根拠はどこにも見当たらない。

たとえ無駄だとしても
わたしがそれで
たのしく気分よく過ごせるなら
ちっとも無駄じゃない。

わたしの人生わたしの時間わたしの身体わたしの服
わたしのために使ってなにが悪い?

「とっておき」を引き立てるために
「どうでもいい」をあえて創ってきた。

普段をセーブして、特別に備える戦法

バカのひとつ覚えで
無意識にずいぶんあれこれ応用してたけど
気づいたものからどんどんやめよう。

新月なので歌を。

今日の新月
オーストラリア北東部では皆既日食

石井ゆかりさんいわく
「新月のすごいの」。



◆泰仙庵・ひまぱ~んさん
11月14日の星の声
10月中に何かやり残したことがある人にとっては
取り戻すチャンス

◆sudhaさん
★11月14日の光のメッセージ
より自分らしい 本来の自分の力を
表現したり 誰かのためになる力として
生かしていく道が
開けてくるかもしれません。

◆秦由佳さん
新月だ!今回は特にこれを意識してみてください。
「自分の世界観をもっと深く形にすることが出来る日」



今日これらの情報をみていたら

「今日こそ自分のやりたいことをやれ!」

と言われている感じがしたので

Ustream で歌ってました。

はじめは
先週あたりから
なんどもわたしの脳内に流れる

「悲しみにさよなら」 玉置浩二 
  ↑歌詞ページにリンクしてます。いい歌!
 *オリジナルyoutubeリンクはこちら

歌ってたんですが
なんど挑戦しても
Aメロでひとりでに
転調しちゃうので(笑)

あきらめて

自由旋律。

くじら辞書によれば
 エネルギーを調律したり、
 チャクラを開いたり、するらしい。
 発信源のゴールデンポイント感覚、  
 「存在をよろこぶエネルギー」が、
 音を介して伝わるものと思われる。


気になる方は、
以下のリンクからきいてみてください。

  soul body tuning @Ustream

  soul body tuning @YouTube


これまでにも
くじらチャンネル @YouTube
PCローカル録音した
J-POPオケなしカバーを
アップしてましたが

ほんとうは
ライブ放送のが
わたしのやりたいことに近く

じつをいえばそれも
すでにやったことが
あった
のだけれど
なんとなく
うやむやにしてて・・・

さすがに?
躊躇する理由も
なくなってきたから

定期的にやろうかなあ・・・

歌ったり
しゃべったりの
ラジオ番組みたいに
していけたらいいなあ・・・


もっとも望ましいのは

いつでもいろんなヒトが
ふらりと遊びにこられる

縁側みたいな
お店屋さんみたいな
ギャラリーみたいな
おうちで暮らすこと

なんですが。 

もうすこし
時間かかりそうなので

セクシュアリティ祭のように
場所を借りてやったり

インターネットという
仮想空間であそんだり

という活動を
定期的に
やってみよう。か、なあ~~~・・・・・・

別々であることの醍醐味

ワークの打合せのとき
らんちゃんがたびたび言ってて
ブログにも何度か出てきてるけど

 自分をなくして
 ゲストの鏡になる
 でも自分のまま

この感覚は言葉にしづらいんだけど
ワークをやっていて
すごく実感としてわかった。


らんちゃんが誘導してくれて
わたしはみんなの輪のなかで
バディと手をとっていたけれど

どっちが上でも下でもなくて
ただ役割が違うだけ
らんちゃんが2人いるのと同じ

ひとりではできないことをやるために
わたしたちは一緒にいるんだなあって

全体のなかの
パーツとしての自分

それは、らんちゃんとわたしだけじゃなくて
ワークで、エゴ役と光役と選択する立場と見守る立場
それを指揮する立場に、それぞれあっても

みーんな自分。

いつだって入れ替われる。
でも、選んでる。
好みの場所、立場、役割。
いつでも選びなおせる。

それやりたい!
そっちもやってみる!!
ここ飽きた!

なんでも自由なんだ。

わたしがここをやらなかったら
あとはどうなっちゃうんだろう

わたしよりうまくできるひとなんて
いるはずがないのに

せっかくいい感じにやってきたの
やめちゃうなんてもったいない

わたしにはあんなこと
できっこない

--そういうの
なーんにもなかった
ワークの空間

みんなそれぞれカンペキで自由自在って知ってた。

あなたがわたしで、わたしもあなたで
その声も、その思いも、みんな共有してた。
他人事なんてどこにもなかった。

ちがう場所で
ちがう身体で
それぞれ選んできた
ここで、これをやる!って。
そして、あの日、みんなであれをやるってことも、きっと決めてた。

ワークの場にいても
お祈り枠でも
翌日のセッションでも
まったく無関係にみえても
どんな関わり方でも
みんなつながってて

抱えている量も
抱え方も
それぞれ違うけど
みんな自分が選んだことで
損も得もなくて

みんなみんな貴い「個」で、「ひとつ」だった。

これからも
そうやって
それぞれの場所で
それぞれの身体で
やっていく。
やりたいように。

それが「全体」につながる方法。

あとは余生!

わたしの右手の運命線
35〜37歳のあたりで
下から伸びる線と
まったく交わらない
上へ伸びる線が
しばらく併行したのち
左から右へ
シフトする

ずっと抱えてきた
ずっとあたためてきた
こつこつ整えつながり築いた
壮大なプロジェクト
ながいながいながいものがたり

時は来て
そして過ぎた。

ワーク参加シスターがコメントレスでくれた
『女に産まれてくれてありがとう♪』 
これが、卒業証書。

それから、洗い物をした。
オットが昨日の夕方ゆでて食べた
インスタントラーメンの鍋と器。
夜、買ってきてふたりで食べた惣菜の容器。
まるでいつかのやり直しみたい。

ここから先は
余生です。

ばんざーーーーーーーーーーーい!!!!!!!!!

ながいながいながいものがたり

調和と秩序の記憶を守るため
おもいを重石に
水底をただよい続けた人魚たち

そのときがきたら
愛と叡智を天へ地へつなぐため
じっと時を待ち続けた龍神

惹き合う鍵でふたたび出会う・・・・


あのひとも、あのひとも、あのひとも
みんな龍の化身だった。

どうしたって大好きなあのひとは
きっと人魚仲間だった。

もしかしたらこれは
今世かけて
整えてきた
一大プロジェクト

ながいながいながい助走だった。
徐々に徐々にスピードをあげてきた。


8月のビーナスワークの日
空が割れるような雷のなか
神楽坂で瑠美と一緒にいた

誰をも上回る力をもってこそ
相手の全力を引き出せる
貢献的アシストを選ぶひと


10月の大阪ワークの日
抜けるような青空のもと
お日様を見つけにいった

まぶしすぎるほどの
まっすぐな光で
前後左右上下すべて照らすひと


わたしの誕生日は210
最後の鍵は 123

父と、妹と、義父と・・・・・・
6人目の 123
ちゃんと間に合った。

終わらせるのはいつも簡単
だけど
はじまりの確信がなくちゃ
壊すことなんて出来なかった。


生き写しのような末娘ゆいちゃん
見つけてくれた、カンペキなシナリオ

母親。「女性性からの攻撃」
父親。「男性性からの攻撃」
こども。「おとなからの庇護・攻撃」
少女、あるいは女性。「パートナーとの共依存・自立への恐怖」
おとな。「社会的自立の恐怖・人間関係への不安」
成功、あるいは認知。「社会的成功・女性の幸福への恐怖」

やり遂げた。
みんな、名女優だったね。

京都
出雲
石垣島
伊勢
香川
福岡・・・・・
もっともっともっとたくさんの各地の
女神が響かせあう祈りのうたが
やさしく世界を守ってくれていた。

カンペキだった。

いま、はじめて、認める。


わたしは
世界は
完璧です。


カンペキは不可能じゃなかった。

あきらめないかぎり
終わらなかった。

ほんとうに
そうだったね。

天音らん
生き様で導く
ど真ん中の愛のひと


誰一人欠けても出来なかったの。

知ってるひと、知らないひと
ご先祖様、未来の子
ありとあらゆる愛の記憶

生かしてくれてありがとう。


ありがとう。


追伸:
人魚も竜も動き出したから
きっと結魂が加速するよ。
ね、らんちゃん。

★愛は花、君はその種子

やさしさを 押し流す
愛 それは川

魂を 切り裂く
愛 それはナイフ

とめどない 渇きが
愛だと いうけれど

愛は花 生命の花
きみは その種子

挫けるのを 恐れて
躍らない きみのこころ

醒めるのを 恐れて
チャンス逃す きみの夢

奪われるのが 嫌さに
与えない こころ

死ぬのを 恐れて
生きることができない

長い夜 ただひとり
遠い道 ただひとり

愛なんて 来やしない
そう おもうときには

思いだしてごらん 冬
雪に 埋もれていても

種子は春 おひさまの
愛で 花ひらく


原詞作詞 /Amanda McBroom
日本語訳詞/高畑 勲
作曲   /Amanda McBroom
http://homepage3.nifty.com/RuiRuka/Prv/Midi/TheRose/TheRoseText.htm

宇宙くじら∞由紀

わたしにとって
感情が重たくないのは
海のなかは重力がすくないからで

わたしにとって
海も宇宙も、イマココも、
おんなじひとつの場所なんだな。

わたしにとっては
なじみの世界

広かったね!
すごかったね!
そう言われてもピンとこないけど

あんなでっかい女神たちが
のびのびきらきら泳いだのだから

どこまでも、どこまでも、広いんだなあ。

ひとりじゃ、わからなかったこと。


「くじらららん♪」

らんちゃんと出会う何年も前から使ってる
ブログタイトル、アカウント

くじら ら らん。

まるでワークのためにつけたみたい。 
そうか、そんなに前から、わたしは知ってたんだ、この計画。

広大なセットを、つくってたんだなあ。

ワークの途中、龍にふれたとき、
外でぶぉーんとバイクのエンジンふかす音がした。

バディ・瑠美も、わたしも、ライダー。バイク好き。

いつかどこかで
おなじ龍を
御世話してたのかもね。なんて。


ワークでなにか歌いたいなあって
打ち合わせ初期から何度か言ってた。

海の底から宇宙の光へ
らんちゃんの賛美の歌につられて
音を出してみたけれど

出しても
出しても
BGMのイルカの声と
もののみごとに重なって
なーんだ、あそこでは用無しだった。

言葉も、音も、要らなかった。


大好きだった海の暮らし。
調和と秩序のおだやかな世界。

なつかしくて
なつかしくて
いつまでも抱えていたかったけど

カナシミの鍵をなくしても
きっと、かならず、つながれる。

つながっていられる。

つながりの記憶は
息の続くかぎり消えない。

わたしから、子どもへ
子どもから、その子どもへ
つながるリレー

「由紀」
由を紀す
それが今この時
ヒトとして生きる
わたしの選んできたこと

はるかかなたから続く
この息遣いを
伝えていく

存在という 宇宙の音とともに
私は 空間の出力を 確信する

月に
海に
響く
身体

わたしたち、そのものが、音。

謳歌

うたおう

それだけで、いつだって、つながれる。

ハーモニー
輪唱
こだま
世代を超えて歌い継がれる歌

Thank you for your everything

わたしは、わたしを

あなたは、あなたを

さあ、うたおう。


★My name is Woman

自分のうちから聞こえてくる
心配の声
あざけりの声
悲痛な叫び
痛み
かなしみ

断ち切るのでもなく
逃げるのでもなく
受け止めながら
歩き続けるとき
いつかそれは愛にかえる

罪悪感も
自己嫌悪も
ぜんぶ、感謝にかわる

そのプロセスは
まるで
出産のよう。

産みの苦しみ
うみのよろこび

カナシミを身ごもって
優しさに育てる
女なら、耐えられる痛み
女だから、感じられる恍惚

光の届かない海の底で
しずかにしずかに暮らしてた
あの頃の名残

海の底に
とどまるため
抱え込んでいた「おもい」

お気に入りだったドレス

海にかえして

それは地球の肥やしになるの
くらいしずかな海の底
あたらしい命のねぐらになるの

ありがとう
ありがとう
ありがとう

不妊とエロス

明日11月3日午後、いよいよ
セクシュアリティワーク@東京・目黒

直前まで申し込みOKです。
http://form1.fc2.com/form/?id=796115
お祈り枠(遠隔/無料)
http://form1.fc2.com/form/?id=751232

満月の翌日に言語化された
東京ワークのテーマ

「エロス」

きっかけは
不妊治療の話でした。

わたしがPCOS(多嚢胞性卵巣症候群)と
診断されてから、、、もう8年くらい経ったかな。

一通りの検査をして
オットもわたしも自然妊娠できる
可能性はあるとわかり

PCOSには排卵誘発剤などで
ホルモンを調整する治療が
必ずしも有効にはたらかないこと
体外受精(IVF)も絶対ではないこと

なにより、不妊専門クリニックの
沈鬱な空気に耐えられなくて

自己流で体質改善に取り組んだり
(冷え取り、食事療法・・・)
漢方薬を処方してもらったり
ヨガに通ったり

タイミングをとるとか、とらないとか
オットとの関係性にも
ヒビが入ったり、また補強されたり

ずいぶんいろいろあったなあ・・・

わたしがスピリチュアル系の情報に
触れるようになったのも
恩人とよべるほどの
セラピストさん達に出会ったのも
不妊について調べていたのがきっかけ。


不妊(未妊と称した時期もあった)の理由は
身体面、精神面、スピリチュアル面、
いくらでも考えられる。

子宮が緊張してるとか
産み育てる自信がないとか
歴代女性の悲しみを体験するとか

でも、大事なのは、理由よりも
わたしがどうしたいのか?ってこと。

わたしは
したいことを
したいように
していいんだってこと。


らんちゃんのブログ
こうありました。

赤ちゃんの自分まで愛して
赤ちゃんだった頃のように
何の制限もなく自分を開く。

赤ちゃんは元々開いてるの。
そこに「エロス」はない。
「開く」に「エロス」があるんだよ。


開くには
閉じていないと
開けない。

山口百恵さんが
あんなにも人々を惹きつけたのは
閉じると開くの絶妙なバランスだったのかなと
秋桜をうたいながら、考えてました。

みんなに向かって
開いて、開いて、開いて
でも一番大事なところは
きゅーっと閉じていて

いつ開くのか
どんな花が咲くのかと
みんながハラハラ見守っていたそれを

開く、と決めたら
「幸せになります。」と
表舞台を去って、それっきり。

彼女が暮らしているという、国立の
アートイマジンギャラリーで
明日、オットは、ギャラリートークに挑みます。


かつて
傷ついて疲れ果てているヒトを
子宮に抱きかかえたことがある。

そうするしかできなくて。
そうするのが必然で。

だけど
そんな風にしか出来ない自分が
ほんとうに歯がゆかった。

これじゃあ、癒しきれない。

たとえ一時的に癒せたとしても
いつまでもそのままではいられない。

赤ん坊は十月十日過ぎたら
へその緒を切られるのだ。

そこからニンゲンとして生きる
孤独と、自由と、ヨロコビが始まる。

わたしの子宮はひとつしかなくて
ひとりを延々抱え続けるわけにはいかない。

傷ついて、守られたくて、
安心できる居場所を求めて
さまよってるヒトがこんなにもいるのに!


わたしひとりが
先に幸せになるわけには
いかないと

どれだけ
先送りしてきただろう。

右に曲がれば幸せになれるところを
左を選んで、選んで、選んで

行ったことのない場所は怖い
誰もいないかもしれない
自分が消えるかもしれない
なにも出来なくなるかもしれない

わたしには
幸せにしたいヒトが
たくさんたくさんいるのに!

幸せ、そこにあるよって
伝えたいのに

終わっちゃ困るの。
困るんだよ。


ほんとうは
もう限界だってことも
とっくにわかってる。

いままでのやり方では追いつかない。
わたしのやりたいことは出来ない。

わたしが世界を創っているなら
わたしが幸せにならなくちゃ
わたしが守られて安心してなきゃ

みんなが安心できる世界はやってこない。


ひとりで安心してたいわけじゃないの。
みんなで安心していたいの。

必要なものは必死で集めた。
過去現在未来
人々が培ってきた知恵
世界が教えてくれるサイン

みんなを安心させたくて
みんなを安心させられるわたしでいたくて


やれそうなことはだいたいやった。
あと、やっていないのは
「やらない」ということ。

自分の身を守るために
身体で覚えてきた
透明人間になる方法とか
周囲の快適を保つ方法とか

そういうの
ぜんぶ
捨てて

感じるままに動くこと。


イメージのなかの
くじらの縁側に
いるときと同じように

身体をもって
動けたら
そこに
イメージが再現される。

わたしの欲しかった
わたしも、みんなも、安心な場所を
再現できる。


生み出すちから
クリエイティビティ
子宮エネルギー

そこにエロスがあろうとなかろうと

ひらけ、ゴマ。

わたしは欲しいものを創り出す。

もしそれで地球が壊れても
やらないで終わるより、ずっといい。

わたしは、わたしの欲を満たす。


そのために身体をもってここにいる。

この身体はそのためにここにある。

感謝。


うつろいゆくもの

感情も
身体も

物質も
空気も

一瞬たりとも
同じものはなくて
すべてうつろいゆく

それを理由に
すべては信じるに値しない、と
言い続けてきた。

あきらめるしかないのだと。

誰かが大切に思ってくれても
それに応えることをしないで
誰かを傷つけたとしても

あきらめていないあなたがわるい。

そう思ってきた。と、思う。

こんな小春日和の・・・

山口百恵の秋桜

ふと口ずさむだけで
きまって涙ぐむわたし。

縁側でひとつ咳をする
母をおいて娘は巣立ち
あたらしい巣をつくる

誰かを置いて
自分だけ旅立つことに
ものすごい抵抗を感じる。

そのひとが好きで、選んで、
そこにいるってわかってても
さみしくないわけないでしょう?って思う。
そこにはきっと、誇りもあるのに。

感傷
同情
憐憫

これもきっと
信頼で乗り越えて
いけるんだろう。

一期一会。
いつだってせつない。
全部なげだしてしまいたいくらいせつない。

目に見えるものがすべてじゃなくて
わたしたちは片時の例外もなく
おなじ大地に立っているって
どうしたら信じられる?

わたしが離れていったあとも
わたしのことを覚えているって
要らなくならないって
いつでもつながれるって
信じたい。
信じさせてよ。

・・・そうか。
「母」をやってみるときが
きたんだ。

わたしは未知を既知にかえる。
体験したことだけを糧にする。
体験してないことは信じない。
赤い空歩く人の特徴。体験・経験に固執する。)

だから、やってみるしかないんだ。

やってみようと思えないのは
ただ、未知の怖さだけなのかなあ・・・

くじらの縁側

母子についての考察(?)を
mixi と アメンバー記事 にはアップしたのだけれど
こちらにもってくる余力のないまま
昨晩の打合せから
よれよれと
つれづれ

宇宙クジラ
ついに
天音らんに
とっつかまり  
みっちり尋問され
とくとくと説教され

・・・・ウソです(笑)
いや、そうね、そういう受け取り方をすることも
出来なくはないかもしれないけれども(爆)

ごめんなさい
みくびってました
てゆーか
勝負になってました
わたしのなかで

それは気づいてたけど
降り方がわからなかったの
ほかにやり方知らないから

わたしね
自分のことは
話せません。

は?
こんだけあちこちにぐだぐだじゃかじゃか書いといて?
会えば延々おしゃべりで日が暮れるくせに?

うん。
相手の話を聴くのは得意なの。
未開の地をならした武勇伝話すのも得意なの。

それ以外は
語る言葉をもちません。

かろうじて
比較対象があれば
そこを足がかりに描いていくことが出来るけれど

わたしの戦車の体についてる装備のこと
停車中の「接近注意」エリアがなんで○mなのか?
そのエリアがほんとうに必要なのか?
みたいなことを
きかれても
自分が戦車であることも
装備をあれこれしてることも
意識しないで暮らしていたから

まるで2歳児の気分。
相手の日本語は理解できるけれど
説明するための言葉がまったく見当たらない。

こ、これは
ワークでも
だんまりか?!

ま、それならそれで・・・

らんちゃんいるし。
いいように、料理してくれるはず。
宇宙クジラのフルコース

なにに怒ってるのか?
なにが欲しいのか?

なにと、なにが、分離してて
なにを、どうしたら、ラクになるのか?

なんてこと
ほんとうはどうでもいいのです。

ほんとうは
言葉で語るなんて
野暮なことはしたくない。

お、エロスっぽいね(笑)  ←ワークテーマ

宇宙クジラは
音波で会話するのかもしれません。

天音らんは
それをキャッチして日本語にできる
希少なひと

ワークのあいだ
わたしはただひたすら
泣いているかもしれないし

ただひたすら
笑っているかもしれないし

いつもどおり
しらーっとしているかも。

なんにしても
らんちゃんは
あきらめてくれない(笑)

「なぁなぁ。あそぼー。おもろいでー」

自分はかならず
通信できると
信じてうたがわない。

つながりを
うたがわない。

招待した覚えがないのに
ちゃっかり縁側にいる。

でも、縁側って本来そういう場所。

そういうことができるようにつくったの。

らんちゃんはぴかぴかとてもきれいに光っているから
いまなら、みんなも迷わず来られるかもしれません。

縁側で、遊べるのかな。

鬼ごっこの次は
なにしよう?

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