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わたしの欲しいもの。

昨日は 都内で「せくしゅありてぃ祭」
SexualityWork リアルお祈り枠の集まり。
たのしかった!

以下、あまりに長くて
編集できないので
mixiからほぼ転載。

--------

今朝、目が覚めたらさみしかった。

夢の中で
過去世のなにかに
アクセスしてたような記憶。
過去世でいっしょだったひとたちと
現世でわいわい、過去世共有の体感をもって、あそんでたような。
最近そういう夢を、寝起き頃に、よく見ている。
内容はすぐにわからなくなり、その感覚だけが残る。

それを現実に持ち帰れないさみしさ。
チャネラーさんはいいなあ、いつでもアクセスできて。
って思う自分に気がついてる。

ヒーラーさんたちが
セッションを提供し続ける理由が
わかる気がする。

鏡がないと出会えないの。

ほんとうのだれか
ほんとうの自分
ほんとうの思い

昨日あそびに来てくれたひとの身体に触れていたら
「病気させてごめんね」って言葉が湧いてきた。

それは、ダレカから彼女への言葉であり
それを、身近なヒトに言えないできたわたしの言葉だと
わたしは気がついている。
 

寝起きのさみしさ
はじめは
交通費もちだしで
「天音らんのワークのサポート」のための場をつくった
その、やらされ感(便宜上そう表現するが真実ではない)とか
そのあたりがネックなのかな?と思って
次回は、会費をアップしようかなーと考えた。

ワークのような展開になったこと
その場をホールドしていたことへの自負心
ちゃんと評価してペイしてあげようかなって

でも、ワークに便乗してるからこそ
できたことだし
集まったメンバーだし
それこそ利用してるみたいで汚いなあとか

それならそれで
安価な場を提供するヒトがべつに現れたりして
さらに輪がひろがっていいんじゃないのとか
エゴがあれこれ言ったりしてるなか

まずおなかがすいてるのをなんとかしようと
リンゴと柿を食べ(喉風邪で寝ているオットにも提供)
昨日の残りのせんべいをばりばり食べたら、落ち着いて

わたしが頑張って、値段をあれこれしなくても
(↑お金のことはエゴ暴走しやすい性質)
ちゃんとバランスするように出来てるってことを思い出す。

昨日だって、いちばんわかりやすくでっかいギフトを
持ち帰ったであろう彼女は 図らずも?
それに見合う対価と思われるものを持参、提供してくれている。
みんなが片づけをしてくれているあいだ
わたしは女神と天使にマッサージされていたし
それに対してなにかお礼しなきゃ!なんて考えなくても
あれやこれやで、等価交換が成り立っていたなあと感じる。そう考えてみる。

「ただ働きさせちゃった」とか「損させちゃった」
「割に合わない結果になった」なんてことは
だれひとりとしてなくて
もしあったとしても、そこから次へ続いていく大事なプロセス。

わたしはそれを、信頼できる。

・・・・すごいな。いつのまにそんなひとになってたんだ自分!(泣笑)

昨日、来てくれたひとに多かったのは
「ニートであること」「会社員であること」「お金を得ること」の葛藤で
それは元をたどると、父親や男性(性)との関係性で
(だから男女間パートナーシップの悩みも派生してる)
もっと掘り下げたら、愛を受け取るってこと。自己評価。

あのワークや「天音らん」に惹かれて集まるメンバーは
お金を払うことで、それに見合うだけの
「癒し」「気づき」「解放」が得られることを知っている。

それなりの対価(セッション料金や出向く時間と経費など)をもって
1対1で、どっかり、どぶさらいのように、とことん掘り下げる
それだけのコミットをしなくちゃ「出来ない」
それだけのコミットをするなら「向き合ってもいい」と自分が決めている、
自分にとってすごく大事な部分があることを、知っているし
いつかそれをやるんだ!って決めてもいる。

そういう場を、らんちゃんが提供している。
それを知っているメンバーだからこそ
おやつ代だけで他愛のない話ができる場が活きる。

相互補完、なんて言ったらおこがましい?
でもほんとうに、そうなんだと思う。
どっちが上でも下でもなく、先でも後でもどうでもよくて、
ただ、役割の違い。好みの違い。


高額セッションやワークを提供するひとは
儲かっていいなあと思ってたこともあったけど
それを提供するのもラクじゃない。
対価をもらうだけの「なにか」を引き受けている。

ラクじゃない=いやなこと、でもなくて
それをやりたいひと、その方法が適切なひとが、それを選ぶ。

で。わたしは、選ばないんだなあ。


誰かのほんとうを通じて
自分のほんとうに出会う機会が欲しいなら
個人セッションという形でサービスするのもアリ、だと思う。

ヒーリングの勉強もしてないし・・・
昨日はみんながそれぞれの持ち場と本分で
クライアント(みたいなポジションだったひと)に関わったから
結果的に「癒し」「解放」みたいになっただけで
ひとりでも、ああいう「体験」を「させてあげられるか」
わからないもんなあ・・・ってエゴが言う。

そんなの、やりながら自信をつけていくもんでしょ。
勉強、資格、そんなものに頼る必要ないでしょ。
できるかどうか、やってみるしかないでしょ。・・・とも言う。

すごいひとになったらいいじゃん。
ひとり舞台で「キミだけがすごいんだ」って言われたいなら
そういう舞台をつくって立てばいいじゃない。

・・・でもどっかでわたし知ってるんだ。
そういうの、もう、いいの。要らないの。

みんなで、やりたいんだよねわたし。
みんなだから出来るんだよって、言いたいんだよね。
だれひとり欠けても、これは出来ないんだよって
それを見せたいし、やりたいんだよね。

それで、わあよかったね!って分かち合いたい。
想い出をいっぱいつくりたい。


昨日、お友達の参加者さんが、
「場をつくってくれてありがとう!ゆきちゃんだから、出来るんだね。」って
何度も言ってくれてたの、受け取れなかった。

いやいや、らんちゃんのワークありきの会だし
わたしがすごいんじゃないしって
受け取っちゃいけないと思ってた。
調子にのるな。これはわたしの手柄じゃない。って戒めまくってた。

そこ、耐えるところじゃないから!自分。
みんなの場であっても
なにかの光をうけているんだとしても
そこに「ある」ことが大事なの。
受けて、そこにあるってだけで、尊いの。
おこぼれでも
七光りでも
それを受け取るひとがいるってことが
大事なんだよ。

じぶんで光る星もあれば
太陽の光をうけて光る星もある

照らされる役も、また、必要なんだ。

惑星、まどわす星。
エロス!?(笑)


ワーク当初からずっとみていて
WEBサイトつくって
ゲストやって
リアルお祈り枠集会やって・・・

そんなふうにわたしはセクシュアリティワークに関わり続けてるけど
きっとまたいつか立ち去るんだろうってどこかで思ってる。

立ち去る。または、関係を変える。
見た目上は完全に手をひいたようになる日もくるのかも。

そうやって次々にかわっていく自分の生き方を、薄情だと思ったこともあるけど
わたしのデータベースに入った情報はそうそう消えなくて
消えないうちは、ずーっと、つながりが続いていく。
つながり続けている。


幼稚園の先生や保母さんって不思議なもので
むああああし看ていた子どもが大きくなって
道ですれ違うとちゃんと気づいたりする。
姿かたちはぜんぜん変わってるのにちゃんと気づく。

ずっと覚えてるわけじゃない
いつも思い続けてるわけじゃない
でも、なにかのときに、思い出す。みたら、わかる。
そして、いつだって、しあわせを願ってる。信じてる。


保母さんと用務員さんになりたかった。
小学校の卒業文集に書いたこと。
12歳ってことは「いいこ」「好かれるための芝居」を覚えたあとだから
わたしの純然たる意識から出たものじゃないって、ちょっと疑ってたんだけど

でもね、やっぱり、わたし、だれかと関わるのが好きだ。
だれかの世話をするのが、場を整えるのが好きだ。
育っていくのをみるのが好きだ。
育てるのが好きだ。

みんなにとってその場が必要なくなって、立ち寄らなくなっても
その場がなくなっても、形をかえても、
わたしはずーっとずーっと覚えてる。
わたしの一番だいじなもの。


きのう、本郷綜海さんのつくってくれたヒーラーズコミュニティ
解散のおしらせメールを受け取って
ああわたしもずいぶんいろいろ
コミュやらメーリングリストをつくって放置してるなあ
使ってないのはちゃんと区切りをつけたほうが
自分のためかなあって思ったりした。
いつまでもそこに
エネルギーコードつなぎっぱなしじゃ
不健全かな、効率わるいかな、足止めになってるかなって

でもいいや。
みんなが要らないって言うまで
そこに、そのまま、置いておく。
いまはそう思う。
それがわたしにとって心地よいし
それが出来るだけのバランス感覚とキャパシティがあるから
やり続けていようって思うんだろう。


集会の最後にマッサージしてくれたヒトが
身体がずいぶん緊張してた、気をつかってたんだねって
メッセージをくれた。

うん、身体はってるの。
それができるように、わたしの身体は丈夫にできてるの。って思った。
そうだったのか。
知らなかった!(笑)

疲れ知らず
病気知らず
体力バカで
なんでもわりと器用にこなすわたしの身体
もっとつかわなくちゃもったいないーって
たびたび思ってたけど

なるほどね、これでいいんだ。


お友達セラピストmoちゃん
自称ヒーリングのコンビニ。
歌って祈れるセラピスト。

わたしは
「なんでも、あなたの居たい空間つくります」
何年か前にキネシセッションでもらった肩書き。

丈夫な体も
創造性も
知識も経験も人脈も
「なんでも」に応えるためにある。

ほんとうになんでも、つくれる。
お寺めぐりを語り合える仲間も
リストカットを語れる場も
ヒーリングのちからを試す機会も
なんでも、整う。
集まってくる。
なにが欲しいのか?なにをしたいのか?分からないまま
ただ、来てくれれば、だいじょうぶ。
欲しかったもの、みつけられるはず。
もし、見つからなかった!と怒りが湧いたなら
その怒りこそがアナタが欲しかったものだよ。と言える。

それが、わたしの創る空間。

「天音らん」「セクシュアリティワーク」ですらも
ひとつのキーにすぎない。
それもまた真実の一側面なんだ。

わたしはなんでもかんでも利用して
わたしの欲しいものを、わたしのやりかたで創る。


だから、誰がきてもウェルカム。だけど
イチオシするとしたら
アーティスト、表現したいひとかなあ。

とくに、言葉ありきのこの世界で
「絵をかきたい」
「歌いたい」
「おどりたい」
言葉でない表現をしたい!と願うひとは
葛藤をかかえやすいのかもしれなくて

自分のフィールド(方法)でも表現するけど
言葉でも伝えたいんだよ!って
なによりも、自分が、自分のために、
それを言葉にしたいんだよ!って願ってる。

言葉にするって、思いを捉えること
自分をたしかにすることだから。

その感性を言葉で掬い上げるのが、わたしの得意技。らしい。

そういえば昨日は
出版関係のひとが多かったのも
不思議だった。

プロセスは、まだまだ続く。

いま、関わっていても、関わっていなくても
見た目はつながっていなくても
ちゃんとつながってるよ。
見えてるよ。

ひとつのこらずつながり続けるって決めてるから。

だからみんな、自分の道を、自分のペースで、歩いたらいい。
どうせ同じところにたどりつくんだもん。
たのしんでいこう。

だいじょうぶ
だいじょうぶ
わたしのプロセスはいつだってカンペキ!

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