« 2013年2月 | トップページ | 2013年4月 »

2013年3月の記事

気が付いたのなら

流れがみえる。
つながりがみえる。
しがらみ、愛情、義理、マナー、常識、
いろんなものでがんじがらめになっている、
身動きのできない状況がみえる。
その、いろんなものが、
ぜんぶ愛でしかないってわかってるから、
それを大事にしたいから、
動けないんだってこともわかる。
自分の手のなかにある、次の一手を、
できるだけダメージのすくないところに置こうとする。
誰もが痛くないように、
あるいは、みんながちょっとずつ痛いように、
さもなくば、自分以外は痛くないように。
だけど、ねえ、その痛みを先送りしたところでなんになるの。
動きのないものは朽ちていく。
気が付いちゃったんでしょう。
ぜんぶ愛だった、でも、手詰まりだ、って。
気が付いてしまったのなら、もう、それは終わったこと。
言わなければ?やらなければ?
いやいやいや、手遅れです。
気が付いたのなら、それはもう行き着いたのと同じ。
朽ちるにまかす?いっそこの手で?
お好きなように。
そう、好きにしていいんだよ。

原罪

怒らせるのが好きだ。
相手が怒るとほっとする。
やっと話ができる、と思う。

しょーもない悪癖だって自認してる。
わたしがほっとしたくてやってるのか
相手が怒りたくてそうなっていくのか
そんなのは、でも、どうでもいいことだ。

と、言えるようになったのは
いいことなのかわるいことなのか・・・
それもまた、どうでもいいことにしよう。
(いいのかそれで!)

やらずにいられるようになるといいなあと
思っている、と、おもう。←自信ない(笑)

自分が呼び起こしているその展開に
気がつけるようになるといい。

いまのところは、みずから翻弄されて
とことん苦しんで、手放して、相手が怒って
ああまたやってた!となるまで、わからない。

このしょーもない悪癖を
やらずにいられる関係性だってある。
相手がするりと罠から抜けてくれたりもする。
ありがたいことだ。ほんとうに。

そこで安穏としていられないのは
やっぱり、ヒマだから?
それとも、性質?
それも、もう、どうでもいい。

わたしはいつだって本気で
精一杯で、真剣で、
やさしくあろう
誠実であろう
そうやって頑張っている。
頑張らなくてもいいのに
頑張っている。
破壊力を自分に向け続けている。
そして誰かを巻き込む。

こんなやりかたを
しなくて済む日がくるといい。

ありがとう
ごめんなさい
ゆるしてください
あいしてます

「人間はみずからおのれを深く考え過ぎる。つまりこれが原罪である。」
オスカーワイルド
 ↑
友達のつぶやきより。

希望

信じるべき希望は、自分のうちにある。

魔法を編み出すのはいつだって執念だ。


いのち単体が永らえるための生命力

プラス、つながりを求めるちから。


どんな状況にも、どんな現実にも

希望はある。必ず。そこにヒトがいる限り。


覚悟

このところかかりっきりの
請け負い仕事をさせていただきながら

男性(性)が、ではそれでいきましょう。と言うとき、
女性(性)には到底およびもつかない、
でっかい覚悟のもとに成されているのだなあと、
しみじみ感じている。

まさかそんなことだったとは、とか、
思ったのと違う、とか、
自分を正当化して、どんなにあがいてみても、
そもそも事を起こしているのは自分なので、
自分で片をつけるしかないんだ。

今回ばかりは年貢の納め時と、
生き恥さらすような選択を何度も重ね、やり続けてる。

身の程知らずはほどほどに。
なにごとも謙虚に。
敬意をもって、感謝の心で、つながらせていただく。。。

そんなでっかい教訓を、身に刻むかのような、今回の仕事。

こんなことは、これで最後にしたい!
ならば、
とことんやるだけだ。

あきらめたらそこでおわる。

胸を借りてやらせてもらっているだけに
(本来すべてのことがそうであろうと思うが)
いつまでもだらだらとするわけにいかない。

温情が申し訳なくて心地悪くて焦って・・・
だからこそ、踏みとどまってみる。
回避策は提示しつつも、
何度も揺らぎながらも、
やり続ける自分に戻る。

うっかりすると
相手に音をあげさせるような
常套パターンを持ち出しそうになるけど
なんども踏みとどまり
なんども選びなおす。

これで逃げたら女が廃る
なんてかっこよく書いてみたけど
実のところもう廃りまくってるわけで。

これ以上、あきらめるな、自分。

見ないふり

愚痴をききたくない

つっけんどんな物言いもききたくない

せっかちで
荒っぽくて
非難めいている
そんな言葉はききたくない

そう感じるのは

だれよりわたしが
それを抱えているから

見たくないそれを
思い出させるから

吐き出しちゃいけない
自分のなかで
愛に還すんだって
がんばってるそれを
アナタは
なんでそーやって
撒き散らすのよ?!
自分でやんなさいよ。

そう思ってるんだな。

わたしのなかにないモノは
わたしのそとにはあらわれない

逃げても
切り離しても
無関係をきめこんでも
それはやっぱりわたしで

分かったような顔で自他を諭して
超然としてみせる
お決まりのやりかた

もう限界みたい。

さてはて。

ぎりぎりに追い詰まると
いつもはやりすごせてること
見過ごせてることが
浮き出てくるね。

願いをかなえるちから

どんな状況にも
希望をみつけだし
ギフトを探りあて
経過による変化を感知し
味わい続けられる

それはわたしの特性だけど

おかげで
変化を望む気持ちを
後回しにしてしまう。
すぐうやむやになってしまう。

願望を現実にする方法は
とっくに思い出していて

だけど、おそろしくパワフルなそれを
意図的に使うとは
真の孤独を選ぶこと

だから、ずっと「使わない」を
選んできた
つもりだったけど
無意識ではどうしたって使っていて
自覚せざるを得ないところまできていて

それに、そんなふうに使ってたんじゃ
ここから先は行かれない。
わたしの見たい景色は見られない。

道しるべはすべてたどってしまった。

先日よんだ
「すべての美しい闇のために」の
最後の章に出てくる
ヴィジョンをみた彼のように

ここから先はひとりで行くしかないのだ。

孤独も幻想
いつでも戻れる
わかっちゃいるけど
ぜんぶが愛しくて
ぜんぶ抱えていたくて
振り返ってばかりいる。

--------------

16. 稲妻 (OSHO禅タロット

今、まるで大 地が足元で揺れ動いているかのように、とても動揺しているに違 いありません。
大火の後、大地は再び豊かになり、嵐の後、空気 は澄みわたります。
その破壊を、まるで誰か別の人に起こってい ることでもあるかのように、超然として見守ろうとしてみましょ う。
それを途中まで出迎え、そのプロセスに「イエス」と言いま しょう。

愛の反対

愛の反対は無関心、でもなくて

無関心すらも愛なんだ

ストーリーから離れてみたら。

すべてを信頼するならば。


不在という愛をかみしめる。

わいてくるのは感謝だけ、

なんて綺麗事は言えない。

このジューシーな体験もまたギフト。

« 2013年2月 | トップページ | 2013年4月 »

カテゴリー

無料ブログはココログ

占い by いとうより