« 気が付いたのなら | トップページ | 感じる。響く。生きるとはあらわすこと。 »

「楽しませなければならない。」

わたしがなぜか
勝手に背負い込んでる呪縛

わたし以外のひとを
楽しませなければならない。

で、間違えたんです。
赤ん坊の時分にね

ハラへッタ!と泣き
眠い!と泣き
おむつかえて!と泣き
ほかに伝える手段がなかったもんだから
とりあえず泣く。
そーすると、わたし、一人目の子どもだし
母はオロオロするわけです。予想。

しまったー!
苦しませてしまった!!

そんなこんなで
感じたことを表現することを
抑制するクセをもった子どもが出来上がる。

苦しみあってのヨロコビだし
苦しみにみえるヨロコビもある。
そんな人生の機微がわかるようになっても
言語習得前に身につけたクセはなかなか抜けるものではなく。

たぶん
もしかしたら
楽しませなければならない。
じゃあなくて
単に
楽しませたかった
のかもしれない。

だって人生はたのしいものだから。

ヒトはたのしむために生きているから。

赤ん坊はそのことに、まったく疑いをもっていない。
そんな赤ん坊が
感じるままに
笑い、泣き、わめき、眠り、排出し・・・
その様をみるだけで
ヒトは癒され、振り回され、たのしさを感じる。

それなのに
そのように自然にしていては
苦しめてしまう。と、勘違いして
どうしたら、たのしいのかな?
どうしたら喜ばせられるかな?と、頑張る。

喜ぶのも苦しむのも相手の勝手だし
自然のままに、正直にいたほうが、
最終的にはうまくいく。
頑張る必要なんかない。

って、とっくに知ってるんだけど
三つ子の魂百まで。
基本姿勢になってるから
自分が苦しくなって、はじめて、あ、またやってた!?と気づく。
気づいても、やめるのがまた難しい。
だって怖いじゃないか。
楽しませられないとしても
せめて苦しめないでいたいじゃないか。

慣れたやりかたで、ほんとうに
「苦しめない」ことが出来ているわけでもないんだ。
それなのに、やめるのは難しい。
だって、どうしても、楽しませたいんだもの。
たのしんでいてほしいんだもの。

それがかなわないのなら
わたしが目の前から消えればいい
世界から消えればいいと思うほどに・・・

はい、ここで質問。
「相手がたのしんでない」っていう、その前提は
いったいどこからきてるのでしょう?

なんともシツレイな話。
わたしがそう感じたってだけで
そしてそれはけっこうな確率で当たってるのは
経験からわかっていることとはいえ

相手がたのしんでいるかどうかも、相手の勝手。
たのしくない、を、たのしむ権利だって、相手にある。

それでも
一緒にいるんだから
一緒にたのしくいたいじゃない。

ひとりでたのしいより
みんなでたのしいのが
ずっとずっとたのしいじゃないか。

コーラスみたいに
音と音が重なれば
響きはもっと拡がっていく。

そうやって生きていたいんだよ。

ワガママだとしても
それを味わいたいんだよ。

だからといって、自分が苦しくなってたら本末転倒。
気が付いたら、怖くても、修正。
和音のはじめの音は、自分から出ていくんだ。
笑いや、涙や、怒りや、愛しさ・・・
そこから始まる。

たくさん味わいたいのなら
乗っかるばかりじゃなくて
わたしから始めるんだ。

« 気が付いたのなら | トップページ | 感じる。響く。生きるとはあらわすこと。 »

心と体」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/21960/57149521

この記事へのトラックバック一覧です: 「楽しませなければならない。」:

« 気が付いたのなら | トップページ | 感じる。響く。生きるとはあらわすこと。 »

カテゴリー

無料ブログはココログ

占い by いとうより