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無と空(くう)

おなじみ、終わりたい願望は
いまだに、どんなにたのしくしていても
ふとまたやってくる。

それがやってきたときには
なにか自分を誤魔化してるサインだと
思うようになってから何年か経つけれど

無と空をごっちゃにしてた、だけなのかもしれない。

ジェムリンガ制作者 須佐巌さん
話をしていて、気がついた。

ヒーリングジュエリーをもつ予定はないのだけれど。
そう前置きしたうえで予約させてもらったカウンセリング

住所氏名生年月日などのほか
「叶えたいこと」を書いてください
彼氏でもお金でも呪い殺したいでも・・・と言われ

「無心で生きたい。」

こう書いた。これしかない。
1月のそみさんセッションで導きだされた
わたしの、ブレない本心。

禅問答でもするつもりですか?と言いながら
無 なのか 空 なのかを問い質してくれて
その違いも説明してくれて

わたしがいう無心は、没頭。
なにものにも気をとられず
自分のためだけに、いたい。
そういう時間をもちたい。

それは、無 ではなく 空(くう)であって
それはヒトとして、とてもとても
「ただしい」欲求なんだと
誰しもそうなんだと、断言されていた。


無にしても
空にしても
わたしがそこに
ものすごい希求と
(これを言葉にすると泣かずにいられない)
ものすごい抵抗を感じているのはたしかで

そしてこの抵抗は
未知への恐れでしかない。

わたしが、わたしに、それをゆるしてはならない理由は、どこにもない。

まずわたしがゆるさなくては
そして、そのように動かなくては
周りだってゆるしようがない。

あれこれと理由をつけてやらずにいながら
お酒のちからで「閉じた世界ごっこ」をしている限り
オットは「酔っ払いは嫌いだ」と言い続けるだろう。

閉じた世界(時空)をもつことは
生命体本能としては、休止・停滞=危機と錯覚するし
嫁としては、(オットの命綱である)炊事が疎かになるだろうし
採算や他者との関わりを無視する非社会人的行為だし

家族を養うため、食べていくため
働かざるを得なかった世代からすれば
悲願ともいえるかもしれない。


元来オンナという性は
生活のなかにこまめに
創造の時間をもつことが上手で
料理、裁縫、ちょっとした大工仕事・・・
たとえばキャラ弁をつくっているあいだには
没頭する瞬間があるだろう。
しかし、その瞬間に対する執着はなく
いつでも子供の気配を察知している。
つまり、100%の没頭ではない。

わたしはこれをかぎりなく100%に近づけたい。
100%でなくちゃ嫌だ、意味がないと
ダダをこねている。
そのためにはまずアレだコレだと条件を設定して
それが満たされないなら手をつけない、と。

しかしおそらく現実は
肉体をもっている特性からしても
即座に100%になれるとは思えない。

慣らしながら、探りながら、
純度をあげていくプロセスが必要だろう。
わたしの苦手な長期戦。

そしてもうひとつ
閉じた世界のなかは静かだけれど
その在り様はおそらく粗暴で

100%に近づけるのならば
わたしはそれを感知しようがない。
仮に感知しても、関与を選ばない。
周囲との断絶。

それらの可能性を前にして
ずっと立ち止まっている。
立ち止まってきた。


子供の頃からの器用貧乏が長じて
不慣れなことには手を出さずに
やりすごすしてきたというのに

こればっかりは、やるのだろうなあ。。。

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