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右脳オープンと、「わたし」の定義

「共感能力」といわれるようなもの
あるいは、右脳のちから

これをもっとオープンに
活用していく流れを感じている。

右脳のちから。
自他の境のない世界。

持ってるし
気づいてるし
使ったら気持ちいいことも知ってる。

「感情」が
自分だけのものじゃないこと
「わたし」はイレモノであり、パイプであること

「わたし」という定義をはずすことで
みえてくるもの。感じるもの。

ひとたび自分にそれをゆるせば
過去も未来も
肉体の有無も
関係なく
それを感じられること
バーチャル体感できることを
すでに、体験して、知っている。

「わたし」をあらしめる左脳的な「個」
すべてにつながっている右脳的な「全」

赤ん坊は自他の区別がつかない。っていうけど
共感能力をオープンにしたら
たぶん、そういう状態なんだろうな。

右脳をオープンにするには
枠があったほうがいい。

たとえば、プレイバックシアターだとか
たとえば、セッションだとか

最小化する左脳の代わりになるもの。
区別するもの。
肉体をもって生きていくために
エゴを安心させるために、大事。

オープンにしてもいい。
しなくてもいい。

わたしは
好みの枠があれば
やりたいかなあ。

あれは、一種のストリップだ。

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