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2014年1月の記事

自立。織り成す。ありのまま。

オトナになるとは
親に頼らないとか
甘えないとか
迷惑をかけない
ということではない。
泣き言をいわないとか
心配をかけない、でもない。

ほんとうに思いやるのなら
感謝と
敬意と
愛情をもって
とことんワガママに素直になることだ。

だいすきなひとに
だいすきと言わないことが
どれだけ自分のハートを硬くしているか?
思いつくまま伝えるのはダメだと
自分に禁じていることで
だいすきなひとが
どれだけさみしさを感じているか。。。

自立
自分で立つこと
親や
パートナーに
譲りすぎることなく
踏み込みすぎるでもなく
その時々の自分を、自分で負うこと
相手も自分も責めることなく
ありのままに、任せていること

だいすきなひとに
「だいすき」と言うだけが
思いを伝える術ではなくて

ありのままに
頼り
甘え
迷惑をかけ
泣き言をいい
心配をかけ
黙り込み
くだらない話をする

ありのままであれば
それはつまり
すべて、だいすき、の表現だ。
それ以外の何物にもなりようがない。

子供時代を過ごした「家庭」で
大切だった「正しさ」は
みずからが他人と築く「家庭」では
いさかいのエサになる。

オトナが過ごす「家庭」で
大切なのは「心地よさ」
社会の常識もマナーも横において
とことん人間くさい
それぞれの「好み」だけを基準に
快適に過ごすための
共同ルールを編んでいく。
改訂を重ねていく。

べつべつの身体をもった他人同士
好みが違うのはアタリマエ
経験も、常識も違う。
はじめから一筋縄じゃいかない
折れたり
貫いたり
ぶつかったり
そうしてゆたかなルールを織り上げる
重ねるほどにしなやかになっていく

言葉というイトを紡ぎ
行動にあらわす
その元となる「ありのまま」が
正しいわけでもない。
最終形態ではない。
ときに、じぶんにとって
すでに心地よくない「手法」、パターンを
大事に抱えていることもあって

だいすきなひとと
織り成す過程で
それらに気づき
「イマ」の自分にフィットするものを
編み出し
繰り返し
身に着けていく
「ありのまま」を刷新していく


孤独を癒す

みんなの輪からすこし離れて、みんなの気配のなかで、ぼーっとしてるのが好きだ。
それは元々は、ひとりっ子なオットがよくやる行動だとおもっていたら、
気づけばわたしも、そのスタンスを好んでる。
生来の水瓶座気質でもあるんだろうけれど、
根強い「疲れ」からきているところもあるのを、昨日、明確に自覚した。

ぜんぶの気配を感知しながら
自分に起こる揺らぎや衝動にも注意してるし
つい声を張って発話してしまうし
そんな自分に、もっとラクにしてていいんだぞ、と思ったりもしてるから
複数人の会話に参加するのは、気力も体力も必要で
天邪鬼みたいに、みんながいないほうへ、いないほうへと居場所を移すのは、
わたしなりの、みんなへの甘えでもあって

そういうわたしを、そのままにしてくれて、
でもときどき誰かが何気無い風に、気にかけてくれる。
遠くから口をはさんでも、ちゃんと受け止めてくれる。
なんてやさしい空間なんだろう。
滋味深いスープみたい。
わたしのこわばりに、じんわり、作用してる。
こんな「ゆるし」を奥底で欲していたことがわかり
それに包まれることが、かなってるイマに
しずかに歓喜する。

ひとりでは癒せない。
セラピーでも癒しきれない。
現実をそーっと、幾度も、上書きしていくことで
それを癒そうと、わたしは、決めているのかもしれない。
そうしたやりかたがゆるされていること
実現できるだけのゆとりがあることに
しみじみ感謝する。

きょうもしあわせ。ありがとう。

オトコとオンナ2

提案しても却下される。
好きなカフェ
気になるイベント
おもしろい本
ことごとく、関心もってくれない。
それはつまり
わたしのことなんてどーでもいーんでしょ?

っていうのも
オンナによくある思考パターン。
わたしもやってた。

オトコは見てること
大事にしてることが
オンナとは違うから

いまそれを採用するのは
得策じゃない、と思ったら
問答無用で、排除する。

これが意識的に行われていれば
なんで?ときいたとき
納得いく理由がかえってくるけど
大半は、無意識でなされてるんだなこれが。

だから、だって興味ない。とか
今日は気が乗らない。とか
メンドクサイ。とか
ろくな答えが返ってこない。

オンナはイマココの幸せがいちばん大事。
オトコはライフパスのトータルをみようとする。

得策かどうか、の、判断スケールが
オンナよりずっとおおきい。

そして、なにをもって得策としてるかといえば
「守ると決めたオンナの幸せ」
それが自分の幸せで、プライド。

この感覚はオンナには無いから
理解しがたい。
にわかには信じられない。

感覚ないのはアタリマエ
身体のつくりが違うんだもん

だから、わかんなくていい。
そういうことなの?って
検証を重ねてみて。
そういうことだった!って
言わざるをえなくなるよきっと。
わたしがいま、そう言ってるみたいに。

オトコとオンナ

オンナがオトコを否定するのは
オンナがやさしいからに他ならない。

でも、そのやさしさが
そろそろ手狭になっているのです。

もうひとまわりおおきなやさしさに
書き換える時期なのです。

心配や
愚痴が
愛情表現として
通用したのは親世代まで

ただひたすらに
黙って従うのが
功を奏したのは祖父母世代

いまの自分に
相応しいスタイル
つくっていいんだよ

オトコに同情しない
ただ見守り応援する

「そんなこと、しなくていいのに」
「これで十分なのに」
「こっちのほうがたのしいのに」
余計なお世話、心配無用、遊んでるだけですから。
そういう遊び方が好きなんです。
ほっとてあげてください。

それじゃさみしい
つまらない
つながってる感じがしない
一緒にいなくてもいい気がする

まあいいからちょっと離れてみなよ
広々としたところで
好き勝手に歌い踊ってみなよ

オトコはちゃーんと、元気になるから。

付き合います。
一緒に暮らします。
結婚します。
そう決めて、そう動いて、そのままその関係性を続けている以上
オトコは揺らぐことなく、前に進むことしか考えてない。

オンナとは違うのだ。
いちいち、これはなに?
ほんとに、いまも好き?
嫌われてるのかも。
なんてところに
エネルギーを使わない。
自分がそうだから
相手もそうだろうと思い込んでる。
そのうえに、アグラかいてればいいのだよ。

オトコは
不安になったら
さみしくなったら
ちゃんと声をあげるから
サインを出すから
それまで
ほっといて大丈夫。

「はじめてのわくわく、どきどき、一緒にたのしみたいのに」

オトコはかっこつけたがり。
好きなオンナに、いいとこ見せたい。

それよりなにより
身の安全がいちばん大事。
好きなオンナ守れなかったら、本末転倒だからね。

こいつの前では
どんなアホやっても
笑ってもらえる、よろこんでくれるって
安心感が育つまでは
なかなか一緒に冒険してくれないけど
育っちゃえば
けっこう一緒にあそべるよ。

動物の寿命と
鼓動の速さは反比例

オトコの平均寿命は
オンナより短くて

てことはもしかしたら
時間の流れが違うのかも。

ペースがちがう
大事なこともちがう
見てるとこもちがう
そんなオトコとオンナが組み合わさったときの
化学反応
それこそが
エクスタシーかもね。

お金と時間とコミットメント

金銭授受のあるスペース、セッションやワークでしか
なし得ないことがある一方で

それのないところでしか受け渡しのできないこと、
響かない、届けられない場所がある。

受け取る準備
受け取れるだけの器が
育っているひとにだけ渡せる「鍵」が
わたしの抽斗にはたくさん入ってる。

まだ、取り出しに時間がかかる。
準備、下ごしらえ、導入に
いろんなものを必要とする。

今後みじかくなるのか
シンプルになっていくのか
いや、ならなくてもいいんだな

時間 というものでしか
築けないところがあるんだろう。

お金はターボ、レバレッジになるのとは別に、
お金や約束でしか、築けないところもあるんだろう。

それでいい。

コミットメントは、高ければいいわけじゃない。
それをはかる物差しも、高め方も、いろいろあっていい。

のだ。

メインストリームと裏通り

メインストリームに行かないことを
後ろめたく感じることがある。あった。。。いや、いまも時々、まだ、あるな。

本当はメインストリームに行ける自分、
行こうとすれば行けるはずだという、驕った考えからきてる。
メインストリームがヨイという価値観に踊らされてもいる。

気の向くままに動いてきた感触から思うに、
わたしが伝えたいこと、分かち合いたいことを存分にあらわし、
わたしの願うかたちで届けられるのは、メインストリームではない。
それが実現できた!と感じるのは、裏通りみたいな場所だ。

いまはそうだというだけで
いろんな条件や器量が整えば、また、変わることもるのだろうけれど
いま自分は場所を変えることに力を注ぐ気は起こらない。

すんなり通れるミチを、通って行けばいい。
その先がどこへ続くかは、知らなくていい。

わたしがいまメインだと思ってるステージは
次のバージョンに変わろうとしているところだし、
しかもそれがメインとは限らないし。

そんなふうに、
メインストリームをすこし離れてながめながら
自分のミチを歩いているのだけれど、
時々、世間の風のようなものに煽られるのか
あっちを歩かなくちゃいけないかなあ、と思い
大事なのはどこでやるかじゃないな。ってところに戻る。

いつだってわたしのミチが
そのときいちばん適切なところに運んでくれるから、
なーんも考えず、歩いていけばいいのだ。

いよいよ

本気で

妊娠出産

してみる気になったようです。


長かったねえ!


その気になった、というだけで

できたわけでも

できるわけでも

ないですが。


次なる探求は

コドモの世界☆


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