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2014年3月の記事

子どもを生きるオトナ

子どもの頃にあきためた自分を、いま、生きること。
よわい自分、できない自分でも、誇りをもつこと。
ハラくくって、自分を生きること。

失敗もする
傷つけたり傷ついたり
いつのまにかズレていたり

そんな自分が、自分だから
ありがとう も
ごめんなさい も
かってにあふれてくる

そんな自分だけど
目の前のひとが
だいすきだから
たいせつだから
嘘をつかずに
自分を生きる

情けない
頼りない
不甲斐ない
気の利かない
みっともない自分を差し出す


もう、親は関係ない
なにを言われても
見下されても
見放されても
自分の面倒は自分でみられて
そのまんまで一緒にいられる
いまの家族や仲間がいて

親や
成功者や
解脱した誰かが
あれやこれやと
「正しさ」を説いたとしても
その通りにする理由は、どこにある?

その「正しさ」が正しいっていう根拠は
どこにもない
科学もだれも保証できない
おなじように
自分の感じたことが正しいっていう根拠も
どこにもない

どっちを選んでも
根拠はない
確証はない
絶対の安全なんかない

だとしたら
なにを選ぶ?


どうせ怖いんだったら
ワクワクする方を

その先の自分がどうなってるか
たのしみに思える方を


そんなんじゃダメだと言われ
もっと◯◯であれと言われ
ほんとうの自分を置き去りにして
「正しい」自分を頑張ってきた

その「正しさ」は
いまの自分にとっても、正しいですか?
その「正しさ」に従った選択の先は
無難ですか?
それとも、ワクワクですか?

無難を選ぶと
もし無難な結果にならなかったとき
なんだよせっかく安全を選んだのに!と腹が立つ

ワクワク、たのしみを選んだなら
嬉しい結果も
かなしい結果も
ひとつの経験になる


無難を選ぶことがあっていい
でもたまには
冒険してみるのも、いいもんだよ


オトナになったからこそ
子どもの自分を生きられる
加減しながら
手当しながら
子どもの自分を遊ばせられる
冒険心や好奇心を、満たしてやれる

弱いまんま
怖がりなまんま
出来ない、わからない、知らないまんまの自分で、生きていける

どうあがいても
いつか思い描いた
ずっと目指してきた
「正しい」自分
ではない
のが、現状だから
そのまんまいこう。
ハラくくって
頭下げて
泣きながらいこう。

自分に嘘のない世界は
自分にやさしい。

うっかり癖で嘘ついても
また、なおして
ゆるして
ゆるされて

「ほんとう」は、気持ちがいいよ。

起きることはすべて、

世界はいつだってシンプル。

誰かが言った
わたしへの
文句
取引
アドバイス
賞賛の言葉も
応援も
ぜんぶ、ワタシ が言わせたこと。やらせたこと。

この、ワタシ を
ちいさな肉体をまとった わたし と混同すると、ややこしい。

わたし が悪いとか、欲深いとか、傲慢とか、
そういうレベルの話ではない。

この世界で起きることは
すべて ワタシ が望んだこと。
出来事も
感情も
衝動も
すべて。
そう考えるのは
途方もなく
虚しく
切ない
がっかりすることでもあるけれど
そう考えることで
救われるところもあるのだ。

起きることはすべて、希望への道しるべ。


(3/20 mixi日記 加筆転載)

腑に落ちるとは

なにかが腑に落ちるって
自分のなかに元々備わってる
なにかが目覚めることなのかもしれない。

あたらしいものが入るんじゃなく。
入ってきたなにかに感応して
呼び覚まされる、自分のなにか。

なにかを受け取っているだけじゃ使えない。
なにかに反応してるジブンを
ゆるしてほどいて解除して
そうなってはじめて使える。
すぐ、あたりまえに、使える。

流れゆく

浄化を促進する、というのは
産婆のようなものか。

破壊、崩壊を見届ける。
おのずと、生まれる。

なにかが還るとき
なにかが孵る。

孵すために
外からつつくために
還るものはやってくる。

新陳代謝。
万物は流転している。
放っておいても、壊れゆく。変わりゆく。

滞りとは、便宜的表現
それでもいい、問題はない
ただ、エゴがある。成長拡大欲求。
ヒトがヒトとしてここに在る。

意識を注ぐ。
意図があらわれる。
それだけのことか。

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