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2014年7月の記事

プライドを預ける

同情ではなく

共感をするなら

個の殻は邪魔になる

「わたしがわたしだからこれが起きている」

そう考えているあいだは共感ができない

その体験を、まっすぐ全面的に体験することができない

個のフィルターを取り外すことは、しかし、致命的だ

ぐずぐずと溶けて跡形もなくなるような

わたしをわたしたらしめることが出来ない

わたしがわたしを認識することが出来ない

そのフィルターを投げうっても

相手を分かりたい、同化共感したいと願うとき

支えになるのは隣接する個への信頼

わたしがわたしを保持することを一時的に手放しても

隣接する個が確固としていれば、それは保たれる

満員電車で隣にもたれてしまえば自力で立たなくて済むように

周囲の個の存在、そこからの視点によって再生できる感覚

たとえ消えて溶けても他者からの意識と記憶があればおのずと再生する、そうした意識が注がれているという確信

それがあってはじめて、個の壁を超えられた。

うお座太陽が目指すところを体感共有できた。

あれはエポック・メイキングだったと思う。

わたしたち夫婦に子供がいたら

おそらくこの壁は超えることがなかった。

超える必要もなかった。

別の形で、別のことを、成しただろう。

子供を授からなかったわたしの叔母や、祖母の叔母は

この壁を見ただろうか。超えたのだろうか。

余談だけど、月がうお座のひとは

「個」の感覚がうすく、いわば最初から形をもっていないのだろう。

そこから見る世界はカオスだろうなあ。

わたしは身体がかたい。 (身体は潜在意識のあらわれ)

わたしは身体がかたい。

どれくらいかたいかというと
床に膝を伸ばして座って
足首をつかむのがやっと。。。

子供の頃、基本的な運動能力が高かっただけに
身体測定のたびに立位体前屈の数字だけ
がくっと低いのがものすごーく悔しかった。情けなかった。
(後ろに反るのは得意で、立位からブリッジが出来たのだけれど。)

大人になって、ヨガをやってみたら
前屈系は笑っちゃうほど出来なくて泣けた。
腰の下の方、仙骨のあたりがまったく伸びない。

先週の月曜日、朝、起きたら
頚椎から後頭部と、腰が異様に凝っていた。
ばりばりガチガチ。ここまでひどいのはそうそうない。
あんまりひどいので予約いれてたロミロミを早めてもらい
その日は自動運動や手当でしのいだ。仙骨にうずき。

火曜日、気道協会のヨガ&自動運動で
「やだやだやだやだ!」という感情?衝動?と共に
仙骨まわりを震わせるような動きが出てきた。

前屈って、腕が長く足が短い身体のほうがやりやすいのでは?
ということに、はじめて思い至った。

水曜日、ごほうびロミロミ。
右肩甲骨と、左肩に、しぶとい凝りが出てきた。

木曜日からこっち、低空飛行。不安定。
深層筋がほぐれると今まで固めてやり過ごしてきたことが
やり過ごせなくなるのだ。一種の好転反応。
じつは無理してたところで、無理がきかなくなる。日常の見直し。

なにかを守るために固めていたものを
ほどいてしまったわけなので、不安定になるのは当然。
その恐れを感じながらなだめながら、
これからのじぶんにもっとやさしい日常に、作り替えていく。

いわば、安全バーなしで、ジェットコースターに乗るような恐怖。
いままでと同じカート、同じコースだけど、安全バーがない。
腕で、足で、腰で、身体ぜんぶで衝撃を受け止める。
安全バーに頼っていた部分を
身体の使い方や、隣の席の人との共同対応に切り替える。

自由になるって、そういうことだ。

じぶんの器がひろがる時期には、こういうことが起こる。


先週の月曜日の朝、がちがちになった理由(目的)は
いろいろ考えられるけど、おおきなところで言えば、
それがゆるむタイミングがきたのだ。限定解除。

おそらく、とつぜん凝り固まったわけではなくて
いままで気付かなかっただけ。
それに気付けるだけのスペースができて、浮上してきたのだと思う。

前屈が苦手なのは、腰の可動域の狭さだけじゃなく
腕を前に伸ばす=肩甲骨の可動域や
膝裏の柔軟性がよわいことも、関わっている。

そうやって体を固めることで
わたしはなにかメリットを得ていた。
たとえば、感じなくていいものを、感じないように
過敏に反応しないように
「人並み」でいられるよう
衝動を押さえ込む機能。

金曜日、話し相手が抱える「振動=怒り、嘆き」に
共鳴するかのように、震えがとまらなくなった。
相手自身はその振動に、無自覚に過ごしていた。
無意識の自衛、自助作用。

ひさしぶりにトラウマ解放エクササイズを
やるといいかもしれない、と思いながらやらずにいたら

昨晩、日曜の夜、呼吸が浅くて、水も飲みたくないほど。
目に見えてわかるほどではないが、細かく身体が振動し続けていた。
布団で横になり、身体から起こる動きに任せる。
痙攣のように、しゃっくりのように、丸まる。
ひとしきり繰り返して、おさまった。熟睡。

夢の中で、島から島へ、渡っていた。

「革新的なことを、もっとでっかくやってみたい!」
土曜の夜中に、そう思ったのだ。
昨晩のあの動きは、それへの応えに思える。

逆に言えば、身体の準備ができたから、そう思ったのだし
その流れにのっとって、さらに身体が整っていく。


わたしの人生のプログラムはぜんぶ
身体に入ってるのかもしれない。
時期がくればかってに動き出して
かってに準備を整え
次のステージが始まる。
中身はついていくだけ。
(変化に気づけば、よりスムースに加速する)

じぶんを整えるのに必要な「他者の手」や
関わりや、情報やなんかもぜんぶ
体は知っているし、引き寄せる。
それを選ぶよう仕向けられる。

身体に引っ張られて(導かれて)生きていくのは
抗ってもどうにもならなくて
唯一できるのは、「決める」こと。

「その流れに乗ります」と宣言することで
意識のストッパー(抵抗)が弱まり
より気持ちよく身体は動いていく。
最適なペースで。
最適なところへ。


7年くらい前だろうか
鍼灸師・田中美津さんの著書に
「身体は潜在意識のあらわれ」とあった。
それからずっと、わたしはその確認をしている気がする。
いまやほとんど確信だ。

身体をケアする。意識を向ける。
身体を整えるのは、潜在意識を整えること。

「変える」のではない。
すでにそこにある動き(流れ)をゆるすのだ。
流れが滞ることのないように「整える」。

意識のちからは、とてもささやかだけれど、
あるとないとでは大違い。
意識的でない場合はどうしても、抵抗するから。
(それもまたスピード調整なのだけれど)

そんなふうに身体に向き合っているとき
じぶんの人生をクリエイトしている感覚と
おおいなる流れに委ねる感覚が同時にある。

投げやりでなく、コントロールでもない。
身体(潜在意識)との共同作業。

きっとまた、あたらしいコースが始まるんだなあ。
この身体はわたしをどこへ連れていくのだろう。
わくわくドキドキ。心臓に悪いねw

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