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2014年8月の記事

全力も、それなりも。

全力を尽くすことが
誠意だと思ってきた。

思いつくかぎりの
良いと思われるアイデアを
ぜんぶ実現しなくちゃ
ダメだと思ってた。

そうできないじぶんをゆるせなかったし
そうさせない環境に怒ってた。

だけど
そうできないじぶんのまま
ずるずる不承不承やってみたら
拍子抜けするくらい
心地よい場所ができた。
わたしの欲しかったものが、そこにあった。



いまできること。
いま、無理せずに
ちょっとがんばるくらいで、出来ることを
胸はってやれば、いいのだと思う。

力が入らないときは
力が入らないなりに。

それが、最善。だから、力が入らない。
それで、いいのだ。

「やれることはぜんぶやりました!」
この、「やれること」とは
○○だったら、やれること。ではなくて
いまのわたしが、やれること。

こんなもんでいいのか。。。
ちょっとさみしい感じもする。
ほんとのわたしはこんなもんじゃないし
もっともっと、すてきにできるのに!

そうやって
エネルギーが余ってるなら
ほかのことに使えばいいんだろうな。

全力投球したくても
できない
させてもらえない
身体がついてこない
そんなときは
そこにはそんなに力がいらないってこと。



逆に、生命力(衝動。魂の快楽)まかせにしたら
肉体が壊れるんじゃないか
動けなくなるんじゃないか
という、エゴの恐怖もある。

「肉体を思いやるあまり、無理できない」
「肉体のせいで、本気になれない」



そんなのはでも
余計なお世話で

生命力や
いのちのながれに
明け渡してしまえば

そんなもんでいいときは、そんなもんに
全力投球のときは、全力に
導かれるのだ。

なすがまま。。。

成し遂げるための

男を切り捨てて

進んでいくのは

簡単だ。

とてもはやい。

でも、いつか、行き詰まる。

男は、じぶんの一部だから。

じぶんから見えないじぶんだから。



女性同士でも

内なる男性性と女性性の掛け算で

相乗効果は生まれるけれど

肉体をともなう男性と女性の比ではない。

女にとって

男や、子供や、老人や、、、

じぶんと波長のあわないものを

排除することなく

呼吸をあわせて進むのは

じつに骨がおれる。

心も折れる。

切り捨てないからといって

いつも、いつまでも、待てばいいわけでもない。

細心の注意と、思い切りをもって、扱わなければならない。

わたしの経験からいえば

男や、子供や、老人や、組織や、、、

なにかに足止めされるように感じる時は

じぶんの内側のどこかに無理がある。

まだ歪みにもならない

ちいさなブレが生じている。

これくらいどうってことない!

気づかず、あるいは、無いことにして

突き進める程度のものだ。

それでいいこともある。

進む、止まる、戻る、、、

さじ加減は

じぶんの直感が頼りだ。

脈々と受け継がれた細胞の記憶から

叡智は、ふと、たちのぼる。



じぶんのうちがわに

意識を向ける。

その時間と手間を端折ったら

遅かれ早かれ

苦境がやってくる。



はやる気持ちを

内にとどめ

情熱に変換する。

長持ちする、しなやかな動力を、蓄えていく。



女のうちにある業火を

女の望む世界につなぐ方法

ほんとうの望みを成し遂げるための錬金術


母娘。女の業

母親を癒すことが
娘の第一の任務になったのは
いつからなんだろう

祖父母世代?
もっと前?

なんにしても
もう、終わってよい

母親はじゅうぶん癒されたし
みずからを癒すだけの
スペースを持つことも
できるようになった

娘たちは解放されている

細胞に根強く残る
条件反射のような痛みにひるむけれど

なだめながら
慣らしながら
ほんとうの任務へと
階段をのぼる
へその緒を切って
我が道をゆく

表面上、どんなかたち、関係になろうとも
ぜんぶ愛でしかないとわかっているから

痛みは、まやかし。

ほんとうの純潔を守るため
泥をかぶってでも、進む

どこまでも貪欲に
なりふり構わず
求めることを
じぶんにゆるす

なにひとつ切り捨てずに
あきらめずに、進む

わたしを知る旅

わたしが潜在意識からあたらしい(眠っていた)意識をのぼらせるのが得意なのは

わたしが産婆なので、そういうタイミングのひとを目ざとく見つけるし
わたしが産婆だから、そういうひとが嗅ぎつけるから。

(得意=成功率が高い。当社比w)

わたしが産婆なのは
ただ、そういう性質、機能だから。

こんなふうに、すっきり「わたし」を語っていると
わたしが特別なのかと思うひともいるけれど

ただ、すっきりさせてきただけ。

「わたし」以外の“わたし”→憧れや、理想や、期待を
ことごとく、崩してきただけ。
泣く泣くあきらめただけ。
捨ててきた。

あたらしい遊びに夢中になってるうち
うっかり捨て去ってることもあるし

あたらしいことがどうしてもやりたくて
まあいっか!で、あっさり手放すこともあったし

最近は、軽いノリでいけることが増えているけれど
いずれにしても

これから先も
見つけて、焦がれて、抱えて、
また捨てるのだろう。

憧れや、理想や、期待
いろんな出来事
身体の調子
すべてはわたしを導くガイド。

めくるめく「外」と
はてしない「内」から
わたしは、わたしを見つけ、進む。

わたしを知る旅。

回路をひらく

ゆき整体は

回路をつくる。

旧いパターンをほどいて

あたらしい方へ、ほんとうの願いへ、筋道をつくる。

ゴールを設定する。可能性をひらく。

潜在意識からひっぱってくる。

なにかつっかえてるものを、ひっぱりあげる。産婆。

それを確固たるものとして

意識におくために

習慣にすることを、ミッションにする。

ひまだと、ろくなこと考えないから。

アタマにエサをあげるのだ。

チャレンジしがいのある、たのしいパズルを与えるのだ。

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