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死にたい気持ちについて

「死にたい」
「早く終わりたい」
そう思ってしまうことについて。

まず。わたしの基本的な考え方として
「思っちゃうことに是非はない」

思っちゃったこと、出てくる思いは、
道徳も倫理も関係ない。

「死にたい」だって
「あいしてる」の同義語だ。

でも、それ認めるわけにいかない「なにか」も
わたしのうちがわに歴然と在って、
それもやっぱり「愛」でしかないから。
ジレンマなのだ。

(なぜ同義語だと思ったか?)

すべてわたしの感覚と経験に基づく推論ですが・・・

「ヒト」という生き物が発するエネルギーは「だいすき」だけ。だと思う。

それがどんな言葉になっても、態度や行動になっても。
戦争だって、
こどもが癇癪おこして暴れてるのと、
本質的にはおなじだと思っている。

殺し、殺されることですら
「体験」を求めている「本質」にとっては、
需要と供給があっただけだろうと。

「生命」としての「わたし」にとっては
ちっとも嬉しいことではないけれど。

それから、ひとが「おもうこと」というのは
とくにエンパス気質のつよいひとであれば尚更、
集合意識と判別がつかないものだと思っている。

つまり「死にたい」という気持ち(衝動、エネルギーの方向性)は
「ヒト」という生き物の集合体が抱えている「要素」であり

一個人のなにか(生育歴だとか環境だとか)に依るものではない。
(それを「体験しやすい」器(肉体)や役割は、あるだろう)

すべての要素は、表現されるのを待っている。
表に出たがっている。
すでにそこに「流れ」が生じていて
それを感知したひとがパイプとなり、表に出す。
いや、もしかしたら、流れのほうが、
ヒトを選んでいるのかもしれないけれど
ともかく、それを表現せずにフタしてしまうと、歪んでしまう。
エネルギーの便秘のようなもの。

なぜ同義語か、といえば。
そう考えるといろんなことのつじつまがあうから。

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