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2015年1月の記事

怒りをほどく

できるのにやらないひと
動けるのに動けないひと
真剣に取り組まないというやりかたで
みずからを粗末に扱っては
苦しんでいるひとたちへの怒り

わたしの原動力とみなしてきたけれど

その怒りを抱えていること自体が
わたしの負担になっていることは否めず

みずからを粗末に扱っているのは
わたし自身に他ならず

目的のために
無理を押し通してきたけれど
さすがに限界

怒ってるじぶんとの内観対話では
どうにも踏ん切りがつかないので
junちゃんにインチャおはなしセッションを依頼

怒ってたひとと対話して
無事、解放してあげられた。


急がなきゃならないことに変わりはない。
だからこそ、怒りに執着してきた。
しかし、急がば回れ。なのだ。

怒りの奥の、悲しみも嘆きも、消えてはいない。
具体的な指針はなにもない。

それでも、力みが抜けただけで
なにかが流れ出すだろう。
しぜんと次の景色になるだろう。
なにかに出会うだろう。

よくがんばったよ。
やれるかぎり、やりきった。
一掃できなかったのは心残りだし
たのしさもあったし
さみしさもあるけれど
もう、わたしでは届かない。
ひとりで抱え込まなくていい。
より深い関係性に変わるだけ。

次がやってくれば
そんなことを思うヒマもなくなるだろう。
信じて、進め。
流れていこう。

憤懣やるかたない

じぶんの人生だろが!
だれかのシアワセ願うくらいなら
本気でじぶんに向き合えや!!!
おまえがやらんで誰がやるんじゃ!
のらくらへらへらしてんじゃない!
頼むからやってくれ!!!

などと
憤懣やるかたないひとが
わたしのなかにいて
たまに、出てくる。

そのひとを刺激するような他人があらわれる。
リーディングで言われたりとか。

みんないつだって精一杯だってことは知ってるし
分かっていると思っていたのだが
もしかして分かってないのかわたし。

海王星土星スクエアは焦りになるそうだ。
ただし、現実的に決着はつかないとのこと。

Keikoさんブログ
「焦り」を感じているあなたに
http://ameblo.jp/hikiyose358/entry-11982184696.html

すべてを背負いたい!と意気込むわたしと
背負ったところでたかが知れてるし…と逃げるわたし

逃げるには逃げるだけのなにかがあるのだろう
手放したくない痛みがあるのだろう

どんなに焦って喚いても
宇宙のタイミングで事は成されていく

正解を探しに行かない

正解を押し付けない

即効性を求めない

反応を求めない

呼吸に戻ろう。

魂語アワーと集中力

青森のおかき大明神による魂語アワー
http://ameblo.jp/pyon88888888/entry-11980813035.html

この日は寝坊して、遅れ気味で事務所に行ったのだが
夕方まで、やけに仕事がはかどった。

わたしが仕事に集中できないときは
集合意識(?)がうるさいように感じる。

見える聞こえるひとなら
あっちこっちから呼ばれてる感じだろうか。
いろんなものが目に付いちゃって気が散るような感じ。

魂語アワーやってると、それがたぶん静かになる。
みんな、そっちのあそびに夢中で
子守してもらってるうちに、仕事はかどった感。

おかげでコツも掴めたかも。
直接相手にするんじゃなくて、じぶんを通せばいいんだなと。

わたしがわたしのやるべきことに向かうことで
かならずそちらにも影響するのだから安心せよ。
と、どーんと構えていること。
ちょこちょこ世話をするのではなく
仕送りに徹するスタイル。

逆にいえば、じぶんのさみしさから
ちょっかいを出しにいかずに
無関係にみえるじぶんの作業を通して
世界とつながっている感じを味わう。

要練習。

土星いて座の約3年は
海王星うお座とスクエアになりやすいとのこと。


スクエアは軽い天体へ戻る、というスクエアの乗り越え方の法則に従うこと。

海王星は土星より重いので、要は、土星へ戻ること。

しっかりした現実へ戻ること。

夢を見過ぎてはいけない。

地に足をつける方向へ戻る。


【大阪】占星術未来創造カウンセリング 
ウイリアム・D・上原上原さんブログより

海王星のイタズラが起こってる
http://ameblo.jp/gekishi4704/entry-11980918584.html

相信

わたしの言葉を

理解しようと
つとめてくれるひとがいる。

ひとりふたりでなく、何人も。


だれかの言葉や行動を
やさしさに基づいたものだと
疑わずにいられるじぶんがいる。

ふと、疑うことがあっても
信じて見るスタンスに戻れる。

もし世間が疑うのなら
このひとのことだからそんなはずはないと
言ってまわれるくらいに。


わたしの言葉から

動き出すひとがいる。

大事な、大事な、そのひとの
時間を費やしエネルギーを動かす決意がなされる。


誇らしくもあり
こわくもある


このひとのことだから、と、信じるようになったということは
このひとこのとだから、と、信じられているのだ。


いままでもそういうことはあったけれど
このところの反応は、あまりにビビッドで驚く。


(2015.1.19 mixi日記)

没頭解禁

2年前に受けた個人セッションで
「無心で生きる」といったものの

どうしても、「みんな」とのつながりを
一瞬でも、断ちたくなくて

あいかわらず、SNSから離れられなくなるし
フィクション世界にどっぷりはまりこむことも避けてきたし
不妊も、子育てに夢中になるのを回避したかったんじゃないかと、予想している。

ここへきて
没頭する感覚が深まっているのは
「みんな」への信頼
「つながり」の感覚が
深まったからだろう。

なにかを読んでいるときのみならず
だれかと話し込んでいるときや
歌っているとき
言葉を紡いでいるとき・・・

(うまく入り込めないときの散漫っぷりも)
(また、強くなっている。反比例。)


わたしがスッパリ忘れて目を離していても
だれかが、世界にひかりを見出しているだろうし
仮に、だれも見ていなくても
それはそれでなんとかなるのだろうと思えるようになった。

のめりこむ深さと頻度が増したら
現実に戻りきれなくなる可能性は高い。

それでわたしの現実と妄想とフィクションと夢がごっちゃになって
他者とのあいだに記憶の食い違いや、誤解が生じても
そのままにせず、わかろうとしてくれるひとがいる。
落伍者の枠にはめず、個性としてみてくれるひとがいる。
悪しきものだと決めつけず、サポートしてくれるひとがいる。


それならば
存分に没頭できる。

すきなだけ
じぶんひとりの世界に浸れる。

これまで何人にも言われたように
いつか小説なり絵本なりのかたちにするのかもしれないけれど
そんなのはきっとなりゆきのオマケで

とにかく、わたしは、没頭すればいいのだ。していいのだ。

後先考えずになにかしでかして
だれかの大事なエネルギーを使わせ、
だれかの世界を煩わせるとしても、それでいい。

心配無用。

わたしという器のつかいみちは、世界が決める。


関連過去記事: 【波を待つ】
http://moana.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-af80.html

のめりこむ

本や漫画を読んでいる時の
のめり込み方が、深くなった。

週刊漫画を一話、読み終えたところで
小休憩、リフレッシュを要するほど。

全神経をもってその作品世界に入り込むので
読み終えて現実世界にかえるとき
潜水から陸に戻るくらいの落差がある。

その世界を本気で全身でたのしんでいるということなのだけれど
戻ってきて現実世界に馴染むところまで含めると
なかなかたいへんな体験なので
そうおいそれとまとめ読みはできないし
音と動きと時間軸まで包括する動画※には極力手を出さない。
※TV、映画はもちろん、CM程度でも危険。

でも・・・つまらないと嘆くくらいなら
消耗を覚悟でどっぷりはまってもいいかもしれない。

現実世界に再度適応する労力を惜しんで
つまらなくしているなんて、本末転倒だ。

現実とフィクションと妄想と夢の境目が曖昧になり
非現実的で非常識で非社会的になったとしても、それはそれだろう。

流れに思いを馳せることがもたらすちから

困窮するときは、つながりが乏しいとき。

だれかのために…という動機付けがあれば
思い切ったことができたりする。

流れ、循環に、思いを馳せることが、ちからをもたらす。

助ける、助けられる。与える、受け取る。
反対語は同義語になる。

Ayasofya 橋本和泉さんが
実際に体験されたこと、感じたことを書かれた記事シェア。

「与えるということ」
http://ameblo.jp/ayasofya-izumi/day-20131115.html

(抜粋引用)

私は、寄付をすることで彼らを救おうとしたのではなかった。
むしろ、彼らが私を救ってくれていると、そう感じた。
私にとって、自分の罪悪感を癒す方法は、
彼らの力を借りなければ出来なかったのである。
 
---
お金、時間、想い、そして愛、
自分が持っているもので、与えられるものは数多い。
与えても、自らはまた満たされると言う自分自身への信頼。
与えると言う事は、受け取るということへの許可。
 
---
お金はひとつのエネルギー的流れでもあり、
宇宙からの借り物の一つ。
私を通してそれに命を与えるもの。

(引用ここまで)
 
ともかく与えればいい、という話ではない。
いつでも誰でも寄付したら収入がやってくるわけではない。
どこに意識を向け、なにを求めて行動するか?
結果にはそれが如実にあらわれる。

その法則性にあらためて感じ入ると同時に
ああほんとうに、まだまだわたしケチってるなあ!としみじみ思う。
(ケチってる理由はすでに見当がついてる。)

与えるよろこび。
もっと追い求めていこうか。

わたしという病

悪趣味な、しょーもない性癖だと思う。我ながら。

踏み込まずにいられない
見放すことができない
嫌いで済ませられない

見切ったほうが相手だって楽だろうとわかっていても
お節介、エラそう、一面的
思い込み、投影、チャージトリガー
マナー違反、デリカシー皆無
だれも頼んでない
それでも

そうせずにいられない。
オスが命を守るべく余力を最優先するように

ごくごく個人的な嗜好
褒められる要素はない

そんな所業の余波で
だれかの手を煩わせ
本懐に割くべきエネルギーを使わせてしまうのが
いちばん嫌だった

ひとり、しずかに、ひっそりこっそり
やっていくものと思ってきた

でも、巻き込まれたいと願うひとも、いるのだ。
それが、そのひとのよろこびで
それで、そのひとは本領発揮の機会を得たりもする。

みんな、だれしも、役に立ちたい。

それで、だれかの人生が狂っても
それは、相手の望みでしかない。

傷つけることなど、できないし
狂わせることも、できやしない

それを北風と感じるか
太陽と感じるかも
わたしには、分からない

ただ、それが、わたしなりの愛し方で
わたしなりの愛情表現で
わたしという生き物のもつちからであることは
疑いようがない。
疑わなくていい。
他人と違くても
規格外でも
やさしくなくても
ひとでなしでも
理解されなくても
誤解されても
責められても
なじられても
わたし、という生き物は、そういうもので
そのままで、善へ向かう流れの、パーツなのだ。
ワタシごときが、配慮する余地など、ないのだ。

わたしは関係を断たない。
表向きは無接触で
思い出すことがなくても
距離を保とうと努めていても
関係がないとは言わない。
あれはわたしではない、とは言わない。言えない。言わない。

まったく見込みがなくとも
どれほどひどい膠着でも
反吐がでるような繰り返しにも
嘆き、怒り、かなしみ、呆れながら
引き受けるしかない。
傲慢に、貪欲に、我が事にする。

わたしは希望しか見ない

そんなじぶんのサガをゆるす
じぶん本来のちからを
解き放つ
放し飼いにする

それに見合う価値があるのか
それにどれほどの意味があるのか
内なる精査は続くだろうけれど
それを上回る覚悟をもって
可能性を許可する

そこに未知が発生する
有形無形のサポートが巻き起こってくる

渦が大きくなる
余波が深く広がる

現実が動く、変わる
じぶんを起点に変わるのが見える

申し訳なく、ありがたく
いたたまれないような、渾然としたきもちも
ぜんぶちからに変えていく

利用できるものは
なんだって利用する
他人の悩みも痛みもぜんぶ
論破できるまで
証拠を集め続ける
寄せ集めこじつけ真ん中へ戻す

図々しく
したたかに
わたしの望みが
すべてをかなえるのだと
わたしが、信じる。
そこからだ。


(2015.1.17 mixi日記より)

引き受ける

「わたしとつながったんだから
そこはわたしが勝手に担うから
安心して、狂っちゃいなよ。」

ここで言う「狂う」は
社会性をかなぐり捨てて
生身のじぶんで居ること。

なぜわたしがそれを担保するのか?
その先に、わたしがみたいものがあるから。
なんだかわからないけれど…
これだけ、そこに執着するってことは
そういうことだろうと、予測。

舞台裏。楽屋。
スペース風来房はそういう場所。
それがあればこそ
使い、使われる世界で
じぶんを保っていられる。

わたしはあきらめないし、耐えるのだろう。
もう、それについて、疑って、叩いてていい、段階じゃない。

表明してしまえ。
よろけたり、最悪反故になったり、することを恐れていては
これ以上、増やせない。広がらない。

どこまでもつのか、わからない。
どこまで耐えうるのか…
わからないけれど
人並みはずれているようではある。すでに。

ゆるしてしまえ。
底知れぬスペースに預けてしまえ。
もし底が抜けていても、破れていても、なんとかなるさ。
それでだいじょうぶなように、なっているから

たしかめずに
放り込んでしまえ。

その結果、浮力は増すだろう。

ちいさく、ちいさく、していくことで、おおきく響く。
じぶんではないものを、そぎ落としていく。
響かせることが本懐だから。
ほかのことにかまけていられない。

という段階を経て。
こんどは、引力を増やすのか。
入り込み、沈み込むちから。集中力。

「時間」の整備の次は
真空のような空間をうみだす。

じぶんのなかの自閉的なところを背負い
抱えて走ることができるようになって、次へ。

甘んじて、他者を引き受ける。
見境はなくさない。
でも、躊躇も遠慮も要らない。
おそるおそる試す猶予は、もうない。
過信して、見切り発車でいく。

もう、じゅうぶん試した。
キリがないよ。

他者という自分の未知を、引き受けていく。
わたしの影のなかに、取り込んでいく。


(2015.1.15 mixi日記より)

メスぢから

この3次元世界でイルカのような
無邪気な遊び心で生きるには

キツネの小賢しさ、計算高さ、
身も蓋もないえげつなさが必須

なんとしても
かなえたいこと
みたい世界
望む未来があるから
そんなちからを使うことだって、じぶんにゆるせる。

無力を装い
かわいく立ち回る
頭を下げてお願いする

他者への敬意と感謝を感じているなら
そんなに難しいことじゃない。

ほんのすこしの意図で、あっけなく演じられる。
表現の仕方を、変えるだけのこと。

真心はいつも変わらない

ほんのすこしの手間
ほんのすこしの工夫

気持ちよく騙してあげる
嘘も方便
サプライズパーティー

仕込み、がんばってるよ!って励ましあって
こんな世界をつくるんだ!って心新たにして

みんなそれぞれの持ち場に戻っていく。

嫁ぎ先の姓を名乗ること

嫁ぎ先の父性との、魂の談合。

異分子を受け入れ
しなやかさを増すことで
生きながらえようとする
血脈を守るもの。

嫁ぎ先で異分子となることで際立つ
生まれ持った女の特質

嫁ぎ先の姓を名乗ることで守られ
のびやかに動く、生来の気質

嫁は、異分子として在ることが最大の貢献。

それは、嫁自身の野望をかなえるための方策に合致する。

表向きはどんなかたちであってもいい。
婚家なしに生きることができる、対等な心をもって、はじめて活用できる。

キツネの計算高さ。メスぢから。

現状が、答え。

行きたい、やりたいけど
おかねがないから、出来ない。
時間がないから、予定が合わないから、反対されたから、行けない。

どうしたら行けるか?
どうしたらおかねが手に入るか?
なにをどう調整すれば実現できるか?

こういう順序で物事を考えていたときは苦しかった。

行けない、出来ない理由があるなら
行かなくていい、やらないのが宇宙的には正解。

そう考えるようになったら、悩みも迷いも減った。
「現状が答え」なのだ。

いやでもやっぱり・・・!と頑張ることもあるし
あきらめていたら、諸々の変更が起きて、実現することもある。

まず現状を受け入れること。
すべて、宇宙が善いように計らってくれていることを知る。
そのうえで、あがくのなら、それもまたよし。

準備完了

ひとりでは進めなかった。

今や、ひとりではないから、進まずにいられない。

さみしさとよろこび。繰り返し、繰り返し、感じ入っては涙する。


世界から、ちからをもらう。

じぶんがもたらす影響を 、ちからに変える。

錬金術がはじまった。


無我夢中になることも

調子に乗って間違うことも

ゆるしてあげよう。


龍涎香、旅に出る。

解体を決めてから
しずかにしずかに
潮の流れにまかせ

スペース風来房と名づけ
人を招き、差し出し
財産分与
リサイクル

皮がはがれ、肉がこそげ
風通しがよくなり

吐き出せずに抱えてきた
龍涎香は、旅に出る

のこった骨格には
海藻が巻き付き
イソギンチャクがそよぎ
滋養たっぷり

魚たちが骨休めにおとずれる隠れ家
冒険からかえり
冒険にでる

くらく深い海の底から
南の海にいこう
カラフルな珊瑚をみにいこう
ペンギンの泳ぐ氷の海にいこう

思い出がいっぱいつまった
ふるさとをあとに
旅に出る

心はいつでも、あの時空につながる
呼べばいつでも、誰かがこたえる

つながったまま
ひろがっていこう




【龍涎香 by wikipedia】

灰色、琥珀色、黒色などの様々な色をした
大理石状の模様を持つ
蝋状の固体であり芳香がある。
非常に貴重な天然香料。
また、神経や心臓に効果のある漢方薬としても使用されていた。

龍涎香にはマッコウクジラの主な食料である、
タコやイカの硬い嘴(顎板:いわゆるカラストンビ)が
含まれていることが多い。
そのため、龍涎香は消化できなかったエサを
消化分泌物により結石化させ、
排泄したものとも考えられているが、
その生理的機構や意義に関しては不明な点が多い。

マッコウクジラから排泄された龍涎香は、
水より比重が軽いため海面に浮き上がり海岸まで流れ着く。

責任と絶対的安心感

友人Kちゃんからの質問メールに返信したら
じぶんの脳内棚卸になったので
了承をもらい、抜粋編集して、記事にしておく。

> 世界の一部であってこの世界のすべての責任をおう必要があるのかがどうしてもわからない。

責任をおう「必要」はないと思っている。
ただ、わたしは、責任を負っていたい。

それがわたしの愛し方であり
みんながそうやって愛したらいいとも思わない。
みんなそれぞれのやりかたがあるんじゃないかと思う。

> 自分にすべての責任があるとわかったとしても
> 「絶対的安心感」にどうつながるんだろう。

すべてがわたしに起因しているのなら
すべてわたし自身がどうにかできるということ。
なんとでもなる。
胸先三寸とまでは言わないが

わたしは、そのことに安心する。
わたしにすべての決定権がある。
この世には、ほんとうのほんとうの意味では、
ままならないことなんて、ひとつも無いのだ。

そう考えているおかげで
(ひどいニュースを見たりで)胸が痛むことも
ふがいなさに打ちひしがれることも、たくさんあるけれど

そういうときは衝撃や痛みを癒して(抱えて、感じて)
ふんどしのひもを締めなおして
じぶんの設定を見直す。

ひどい、と感じる、肉体をもつわたし
それも完璧、という見方をもつおおきなわたし
その出来事によって調整されたであろうおおきな流れの行方

「犠牲」になった関係者、物事への感謝をもって
これから先どうしていきたいか
わたしはどんな世界を見たいのか
意図を新たにする。

「そのときの最善」が起きたことを認める。
「もっとやさしい最善」が起きる可能性にひらく。
もっともっと、心根とブレのない言動をとれる自分でいようと思う。

つまり、わたしは、痛ましい出来事が起きるのは
わたしがほんとうに願っていることを見逃したり、ごまかしたり、遠慮したり…
わたしの表現がブレているサインだと思っている。

ちいさな波紋が、津波にもなりうる。
そういう世界だと思って生きている。


そんなふうに、シリアスに考えている一方で、実態は

そのことを知っていながら、
しょっちゅう忘れながら、
多少の失敗を許しながら、
たまに羽目はずしながら、
そんな世界をたのしんでいる。

なにか良い兆候と思われる出来事やニュースを知った時には
「よっしゃ、わたしの手柄!よくやったじぶん!
いい世界になってきてるぞ!!」って
自画自賛しまくる。

日々、毎瞬、じぶんにまっすぐにあろうとしている
その意識のちからが、報われた気がするから。

宇宙公務員の報酬。
ちゃんと物質やお金でもやってくるけれど
わたしにとっては、こういうリターンもすごく大事。


ライトマネー

スピ業界でたまに見かける
ライトボディという言葉が
なにを意味するのか
よくわかっていないままに倣ってしまうが

ライトマネーとでも呼びたいような
かろやかで気持ちの良いお金があるように思う。
重たいエネルギーの含まれていないお金。

じぶんの心に不誠実なまま
社会的な慣習や評価に基づく
右へならえな扱いをしていると
お金には、ネガティブな感情が付随してまわる。

〜ねばならない。という思い込みや
等価交換だとか見返りだとか
奪われるとか騙されるとか
損とか得とか

自分以外を指標に
使ったり受け取ったりすると
奥底の自分が
ちいさく、たしかに傷ついて
その痛みが一緒に流れていくのだ。

それが嫌で
その違和感を無いことにできなくて
わたしはお金とどう付き合うべきか?
だいぶ試行錯誤した。
そのおかげか
最近はお金と感情がほとんど結びつかない。

ライトマネーは、かろやかだ。
なくなる恐怖と無縁だから
大事にしすぎて苦しくなることもない。

ポテチあけたから一緒に食べよー。というくらいの感じ。
一緒に食べたほうがたのしいし
はやく食べないと湿気っちゃうし
いま気分じゃないなら、強制もしない。

わたしの所有ということになっている額面は
そう変わっていないのだけれど
可能性はぐっと広がった。
自由になった。

お金が理由にならない。
言い訳にできない。というのは
飾りなしに、身のまま、物事に対峙することなので
刃物にさわるかのような場面ではヒヤヒヤするけれど
その緊張感が、これまでのあれこれの有難さを教えてくれる。
いまこうしていられる自分を絶賛したくなるし
これまでのすべてに感謝があふれてくる。

生身で暮らす世界はビビッドだ。
良いも悪いもズバンと響く。

重たいものが持てなくなる。

振り返ってみれば
お金を大切に扱い過ぎていたのだ。
過剰包装もいいところ。
いまは、気心知れた仲良しみたいだ。
機嫌を伺うこともないし
融通もきくようになった。

遠慮がないのは気持ちがいい!


安直でいる。

ラクを選ぶ。
無理のないほうを選ぶ。
りきみのない
さかしさのない
安直なじぶんでいる。

やってるつもりもなくやってることばかりがのこる。

いろんなことが軽やかにまわりだす。

流れるままにいる。

北風と太陽

北風と太陽。
北風をつい選ぶけど、太陽のほうが無理がない。

心を鬼にする、なんて、しなくていい。
優しさは、優しさのまま、表していい。

それそのもののイマの有り様を受け容れさえすれば
変わるべきものは変わるべき時におのずと変わる。

ということを、信じて、ただ、見てる。
それだけでいいんだ。

すぐぶれる。
何度でも、ここへ立ち返る。

責任を負いたい

「責任、おわせてよ」

ふとじぶんのうちから湧いてきた言葉に号泣。

2011年4月の合宿WSのときに出てきた
「オレにやらせろ!」に通じる。

うねるように大地からこみあげてくる
とらえきれないくらいおおきなちから

わたしの世界に、わたしはきっちり責任を持っていたい。

ここはわたしがつくっている世界だと言い切りたい。

コントロールしたいわけじゃなくて
コントロールできると思っているわけでもなくて

愛させてほしい。

大学進学のときに学費のことで
父と揉めたのを思い出す。
新聞配達の奨学金を受けたいと言ったら
「学費くらい払わせろ」と言われたのだたしか。
その当時はまったく意味がわからず、
釈然とせず、出鼻をくじかれただけで
大学進学への意欲はますます低下した。

責任を負うことは
愛のあらわれだ。

世界のきれいなところだけじゃなく
戦争も
原子力発電も
自殺も
イジメ虐待も
ぜんぶわたしとつながっている。

重荷であることは歴然としている。
それでも、それを負っていたいのだ。

それは、わたしを下から支えるちからになる。

どんな暗い事象にもたしかに本質のひかりは宿っていて
ひかりが強すぎるあまり、影が目立つだけなのだ。

影の出来ない角度。真上。
そこからみることができるまで
わたしには影しか見えないとしても
それはひかりだと、言い切っていたいのだ。

それらの影を、無いことには、したくないのだ。


影響力

本気になればなるほど
ちいさくちいさく、したくなる。

すこしも特別じゃない
まったくもって日常の
些細なひとつでありたい。


影響力とは共鳴をおこす力。

意識と比例する。

過去や未来にのがさず
イマココに込めることで高まる。


蝶の羽ばたきがいつか嵐を起こす。

家系のもつパターンとギフト

家系で代々もってる癖。
感情的な反応。パターン。

それは「ちから」と、セットなんだ。
表裏一体。おなじもの。

そこにすごく「ちから」があるから
抵抗(クセ)も同時に存在する。

ちょっとぶれた使い方をすると
すごく大きなゆがみ(違和感、反発)になってしまう。

クセのほうを見ちゃうと厄介ものだけど
それはギフトでもある。

女が男を目指したワケ

男女平等が
なぜ、男女同等になってしまったか

男と同じように
女も自由にして良い

それがフェミニズムだっただろうに
なぜ、男と同じことを為すようになったのか

ひとえに、父親への憧れかもしれない。

同じことをしたい。
同じようにやりたい。

純粋な興味。真似。

それが拡大して、
認められたい。だとか
父親やきょうだいとの間にある
母親の愛情争奪戦に勝ちたい。に
なっていることもありうる。

(2015年1月2日 mixi日記より)

きせきなまいにち


ひとがいきているというのは
なんて微細な重なりなのだろう

なにかの拍子に
そのひかりに触れては
滂沱するまいにち

いのちのひかり

これさえあれば
あとはなにもいらない

これをみていられる
これもまた、きせき。

波を待つ

もっと、しゃべるのだ。

わたしの価値観
わたしにみえるもの
わたしがみつけた物語
わたしのおもう「わたし」の定義

書くことも同時進行。
どこに(既存ブログかSNSかそれとも…)
どんなスタイルで(風来房かサンディかゆきか…)
まだみえてこないから
固めずにいく

しゃべるのも
ただ、それだけを意図する。
だれに、どんなふうに、どうやって…
そんなのは置いておく

舞台に立つためにまず
じぶんで舞台をつくる。
ということを
やってしまいがちなので
ほんと、気をつけよう。

イベントやセミナーに乱入、招致
おはなしかい、友人の集まり、女子デート…
わたしが思いつく範囲に、制限しない。
アピールも要らない。
わかりやすく求めるのも、知らせるのも、必要ない。

怠慢でも怖じ気でもなくて
いまは、開いていたい感じ。ってこと。

日々が満ち満ちていて
アプローチにまわす余力がないのは
それでいい。ってこと。

無心で生きる時間を増やす。

遠慮せず全力で寄り添い
くんずほぐれつ
反応、応酬
お互いの創造をあそべる
幼児との時間みたいな

ibマッピングで
心地よい距離で
適度な関心と反応を得ながら
完全にお構いなしに
ひたすらじぶんを語った時間みたいな

感性と脳みそを存分に注ぎ込む
集中砲火のような
あの感じ

ココロとカラダとアタマが
完全一致した状態

純正音を奏でる音叉になったような
あれが、わたしの器の本領。

遠慮せずに放つには…?
考えて、整えて、動いてきた。
土台はもう出来たのだと思う。

模索も、段取りも、存分にやった。

あとは波を待つだけ。


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