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わたしという病

悪趣味な、しょーもない性癖だと思う。我ながら。

踏み込まずにいられない
見放すことができない
嫌いで済ませられない

見切ったほうが相手だって楽だろうとわかっていても
お節介、エラそう、一面的
思い込み、投影、チャージトリガー
マナー違反、デリカシー皆無
だれも頼んでない
それでも

そうせずにいられない。
オスが命を守るべく余力を最優先するように

ごくごく個人的な嗜好
褒められる要素はない

そんな所業の余波で
だれかの手を煩わせ
本懐に割くべきエネルギーを使わせてしまうのが
いちばん嫌だった

ひとり、しずかに、ひっそりこっそり
やっていくものと思ってきた

でも、巻き込まれたいと願うひとも、いるのだ。
それが、そのひとのよろこびで
それで、そのひとは本領発揮の機会を得たりもする。

みんな、だれしも、役に立ちたい。

それで、だれかの人生が狂っても
それは、相手の望みでしかない。

傷つけることなど、できないし
狂わせることも、できやしない

それを北風と感じるか
太陽と感じるかも
わたしには、分からない

ただ、それが、わたしなりの愛し方で
わたしなりの愛情表現で
わたしという生き物のもつちからであることは
疑いようがない。
疑わなくていい。
他人と違くても
規格外でも
やさしくなくても
ひとでなしでも
理解されなくても
誤解されても
責められても
なじられても
わたし、という生き物は、そういうもので
そのままで、善へ向かう流れの、パーツなのだ。
ワタシごときが、配慮する余地など、ないのだ。

わたしは関係を断たない。
表向きは無接触で
思い出すことがなくても
距離を保とうと努めていても
関係がないとは言わない。
あれはわたしではない、とは言わない。言えない。言わない。

まったく見込みがなくとも
どれほどひどい膠着でも
反吐がでるような繰り返しにも
嘆き、怒り、かなしみ、呆れながら
引き受けるしかない。
傲慢に、貪欲に、我が事にする。

わたしは希望しか見ない

そんなじぶんのサガをゆるす
じぶん本来のちからを
解き放つ
放し飼いにする

それに見合う価値があるのか
それにどれほどの意味があるのか
内なる精査は続くだろうけれど
それを上回る覚悟をもって
可能性を許可する

そこに未知が発生する
有形無形のサポートが巻き起こってくる

渦が大きくなる
余波が深く広がる

現実が動く、変わる
じぶんを起点に変わるのが見える

申し訳なく、ありがたく
いたたまれないような、渾然としたきもちも
ぜんぶちからに変えていく

利用できるものは
なんだって利用する
他人の悩みも痛みもぜんぶ
論破できるまで
証拠を集め続ける
寄せ集めこじつけ真ん中へ戻す

図々しく
したたかに
わたしの望みが
すべてをかなえるのだと
わたしが、信じる。
そこからだ。


(2015.1.17 mixi日記より)

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