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2015年2月の記事

スピードダウン

結局のところ
飽きているのだ。

髪をブリーチしたところで
なにが変わるわけじゃない。

やりたいことが分からないからといって
やりたくないことをやる理由にはならない。

しかして、ほんとうにやりたくないのか?
自問してもよく分からない…

宇宙が掘れっていうから
掘ってるけどさあ
ほんとに意味あるの?ってぶーたれてる。
宇宙のせいにしてる。

大義を見失ってるかなあ。
見えづらくなってるなあ。

ガスってる。
スピードダウン。
休みながら、遊びながら、いこう。

真面目に掘り続けられないことを
責めなくていいよ。

ワタシも、宇宙も、カンペキなんだから。

焦り

やるべきことを
やっていないのではないか

という焦りが
渦巻いている。

やるべきことなどなく
遠回りも見過ごしも
一面的な評価でしかないことは
承知しているのだけれど。

またチャンスを逃した!と
嘆いていたひとを思い出す。

逃したという幻
自分を責めたいがための
問題捏造

責めていれば
頑張ってる感じがするから。
免罪符のように
「分かってるんだけど、でも、出来ないんだよ」
泣きごとの言い訳を繰り返す。

責められる前に
予防線を張る。

言葉にしてみると
どうもこの焦りは
わたしの肉体由来ではないなあ。
リアリティがない。

やけにおなかがすいたり
やけに眠かったりしている。

…今週中にレインドロップ受けるかな。
それともこうして
言葉に書き出せば
満たされ、終わるだろうか。

仮に、やるべきことがあるとして
やっていないのだとしても
それでも、ゆるされているのだ。
それでいい。
ワタシも、宇宙も、カンペキなのだから
失敗などひとつも起こり得ない。

助けを求め
承認を求め
確認を欲してる

それは、得られないよ。
どこからも、与えられないよ。

どんなに浴びたところで
満たされることはない。

じぶんの裡に育てていくのだ。

理由を見つけてきては
前へ進まない人たち。

進まなくてもいい、
進みたくないなら。

でも、理由をつけるのは、やめなさい。

理由は要らない。
似合わなくても
資格がなくても
嫌われそうでも
妬まれそうでも
恥をかきそうでも
それは理由ではない。

ただ、進みたくないだけだ。

それでいいんだ。

問題は一切ない。
あっさりしたもの。
手持ち無沙汰になるね(笑)

宇宙空間に浮かぶような心もとなさ。

じきに慣れる。
目が慣れたら星がもっと見えるし
落ち着いたらちいさな音だとか
ふとしたにおいや温度や
ささいなことを存分に味わえる。
味わっていい。

赤ん坊が
カーテン越しのひかりに
手をかざしてたわむれるように

じぶんに100%ひらくとき
宇宙は揺りかごになる。

やるべきことを
探しに行かない。
追い求めない。
いま与えられていることが
やるべきことなのだから。

下手でも上手くても
理想に程遠いとしても
それがちょうどいい。

なにも与えられていないように感じて
退屈で仕方がなくて
取るに足らない存在のようで
必要とされていないようで

仕事を干された窓際族の焦り

きっとやるべきことがあるのに

わたしだからできること
わたしに期待されていることがあるのに

もっとすばらしい
もっと注目を浴びるような
もっとカッコイイなにかがあるはずなのに

じぶんが気が付いていないだけなのだ、ってね。

わたしがだいすきな
ヒトと直につながって
ダイレクトに反応がみえるタイプの
そういうナニカをやりたいって駄々こねてる。

やりたいのだから
きっといつかやるのでしょう。
でも、いまじゃない。
思い描いてる
見知ったルートじゃない。

足元に置かれたギフトボックスに
観念して、手をつけたらどうかな。

いちばんやりたくないこと
それだけは無いわーと思うこと
さみしくて気が狂いそうなこと

何度突っぱねても舞い戻ってくる場所

自分が自分でなくなる可能性

浦島太郎の玉手箱みたい
竜宮城から現実にかえる

瞬時に年老いるなんて衝撃的で
幸せとはとても思えなくて
なにが玉手箱だと
騙されたように感じてたけど

現実にかえるのなら
差を埋めたほうが
結果的に幸せだろう

怒っても
恨んでも
玉手箱の中身は
やっぱり
玉でしかないのだ。

手をつけるしかないのだ。

でも今はまだ嫌だって
思ってるうちは
それでいいよ。

…うっかり、手をつける日がくるのかな。どうかな。

嫉妬されたら

「おかげさまで。」

ひとこと。

ニッコリ。


ハラの底から湧いてくる感謝と

ハラにたぎる自負を湛えて


嫉妬の気持ちは

相手のモノ

栄養にするかどうか

相手の自由


信じて

我が道に戻る


母からの嫉妬/断ち切る

女が同性からの嫉妬を恐れるのは

母親からやっかまれると

くいっぱぐれる可能性のあった

幼少期の名残だろうと思う


母親から嫉妬されるくらいの

シアワセを体現してこそ

命を継いだ甲斐があるってものだろう


代々築きあげてきた土台のてっぺんに居るという自負


命をつないできたたくさんの涙と笑顔を思えばこそ

飛ばずにいられようか?


方法とか、理屈とか、重たいものは置いていけ

真ん中の思いのぬくもりだけ胸に

土台が崩れようと、気にするな

後ろは見ない

前だけを

感知したちいさなちいさな光を、音を、においを辿っていけ

★立つ鳥跡を濁したままに、飛べ!

いつまでも怒っているあのひと

今日も愚痴っているあのひと

いつだってさみしそうなあのひと

どうしてもネガティブなあのひと

しょーもないほどかなしいニュース

先のみえないマニフェスト

過去をあげつらう人々

謝罪できない人々

歩み寄れない国と国

着々と傾いていく地球


ぜんぶほっぽって

ぜんぶ忘れて

飛び立とう。


それだけが、じぶんを生きる手立てだから。

じぶんを生きることしか、できないのだから。


なにも考えない

なにも計画しない

出来るかどうかは関係ない

出来なくていい。やればいい。


空っぽでいよう

クリスタルボウルのように

風に吹かれよう

響くままにしよう


じぶんの器を鳴らすのは、じぶんひとり。

どうやって鳴らすかは、考えない。

空っぽでいたらいい


ぜんぶほっぽって

ぜんぶ忘れて


なにも分からないまま

飛べ!


『図書館ロケット』

友人が教えてくれたNHKみんなのうた
クジラ型 図書館ロケットの乗組員がひよこ…
しかも放送された時期がばっちり東京SWの頃…
https://www.youtube.com/watch?v=EaiRRTMnJI0

歌い出しの歌詞

 “図書館ロケット 世界を変えたいロケット
 図書館ロケット 行くぞ 行くぞ”

は,人間は武器より筆で世界を変えたい決意表明から入ります。図書館ロケットは,宇宙の星々に皮や紙や太古のデータを届けます。宇宙に色々な生命体がいるとしたら,その文化を伝える為に旅立つロケットがあって欲しいという想像です。
 そして,

 “二度とつらい過ちなんて 起こさずに前向いて 進みたいと願うひとへ
 宇宙の記録を届ける使命を持つロケット”

 は,戦争という悲劇を繰り返さずに済むように,歴史を紐解いて皆で手を取り合って生きて行こう。というメッセージを折り込みました。

『図書館ロケット』の作詞・作曲者,畑亜貴さんインタビューより
http://current.ndl.go.jp/e1491


争いを終わらせる方法
だいぶ習熟してきたけれど

地球上のすべての争いを終わらせること
わたしひとりではどうやら出来ないらしい

みんなもそれぞれ
やめてくれたらいいな
そう願っているし
いくらでも手伝うけれど
その気がないんじゃしょうがない

「争っていれば構ってもらえる」
そんなカラクリに付き合いたくはない

さて、どうしようかな。

いや、、、計画無用なのだ。


世界とじぶんをファシリテートするのは
コンダクターみたいでたのしいよ。


日々をかみしめながら
やりたいことをやる

言わなければならないことなどひとつもないし
伝えなきゃならない相手もどこにもいない

地に足をつけて進む。

目の前のことを、ひとつずつ。

はやく!

去年から折々にもらう
リーディングやチャネリングメッセージが
時間がない!はやく!そんなことしてる場合じゃない!
急かすようなものが続いてることが気になっていた。

友人にその話をしたあと
車がらみの事故を目撃するのも続いてる
なんてことを言ってたら

世間はバタバタしてるけど
じぶんは安全ってことの確認だと。

たしかに!

それでいくと
はやく!と急かしてるのは
集合意識の一部で

それはそれとして
わたしは日々地道に着実に
いればいいし
いられることを
ありがたく思っていればいいのかなと

ようやく結論らしきところに落ち着いた。

はやく、行くとこまで行ってしまいたい
はやく、結論を出したい
そんなエネルギーが渦巻いている。

これも友人から聞いた話
ネイティブアメリカンのひとりによれば
日本のもっている
たかい霊性と
たかい科学技術力を
統合する必要がある。


女性の夢見る力
男性の実行力


女よ、夢を見よう。

ほんとうに欲しいものを思い描こう。


方法は考えない
理屈も要らない
計画は立てない

過去の地続きじゃない
未知にひらけ

厳しさという、弱さ。

友人・銀ちゃんこと雨縞 銀太龍氏
facebook投稿が素敵だったので
了承をもらって、以下にコピペしておく。



いろいろありすぎなんで一番俺にとって大事なことだけ書くけど。

昨日まで厳しさみたいなものを大事に持っていたんだけどさ、
それってなんかこー回りまわって自分の首絞めてるだけだってことが、
なんかすごくはっきりわかったよ。

なんとなく無意識のうちに、厳しく言う、きつく言うってことを、
なんか必要なことだと思ってきたんだけどさ。
それは単純に自分がそうされて痛かった傷について、
これはおまえのためなんだと正当化されたことを再演しているだけなのさ。

何かを伝えたい時でも、正直でいれば十分なの。
別に痛みを与えようなんて意図する必要はさらさらないわけ。
それをしたいときは要は自分が怒りや恐怖を感じているってだけ。
それに気づいたし、それをしたりされたりしたことも、もう赦せると思う。

で、それは人のために赦したほうがいいとかじゃなくてさ、
そのやり方・見方を維持してると、
うまくいくためには痛みが必要なんだって自分に対しても思えてしまう。
傷つくことの対価として何かが手に入るはずだと思ってしまう。
痛みなく何かを手に入れることが、ずるをしているような気がしてしまうわけ。

そんなん馬鹿馬鹿しいだろw
世界はもっともっとずっと、優しいんだからさ。


済ませようとする

“こういう人が殺される世の中に僕らは住んでいる。
このことを受け入れられなくて彼のあら捜しをしてつじつまを合わせようとする。
犠牲者を貶めて済ませようとする誘惑は強い。”

後藤さんの事件について友人のコメント。
はっとした。

彼のブログでは
さらに洞察が深められている。

プロセスワーク関連のおぼえがき
【異変への不安が犠牲者に罪を着せる 2/4/15】
http://processkamakiri.blog109.fc2.com/


済ませようとする
それはそれと切り離す
割り切る

そうしたことは
日常でほんとうによくある

それらを抱えていけるだけの
時間的、スペース的ゆとりを
保っていようと、改めて思う。

そして、それらを持っていられなかった頃のじぶんや
保ってなどいられないと思っている人たちを思うと
なんともやりきれない気持ちになる。


などと思ったそばから
この数週間の暴飲暴食傾向は
落ち着かなさをごまかすためだったと気づく。

日常のあれこれを
きちんとこなしていくために
わたしの自律神経はずいぶん頑張っていたようだ。


済ませる。やりすごす。という言葉は
なんとも感じが悪いものだけれど
精神安定を保つための知恵だろう。

反射的にそうした誘惑に陥ることを
責めたり、悔いたりするものではない。

ただ、そういう傾向があると知っていること。
状況が変わってきたときに
違和感があれば、見直すこと。


わたしたちはいつだって最善を生きている。
最善であろうとしている。無意識に。

それを信じていいと思う。


チャネリングについて

チャネリングを使いすぎると
共感や想像を忘れてしまうのか

チャネリングした内容を
尊重しすぎるのか

それはつまりおのれの能力に
あぐらをかいてしまうのか
または、自信のなさゆえか

チャネラーはその内容を
第三者の意見的に扱うのが
ぎりぎりの範囲ではないかと思うのだが

クライアントとの関係性や
チャネリング頻度、量によっては
混同しやすいかもしれない

ハイヤーセルフも天使も神様も
高名な先生もベテランヒーラーも
わたしより偉いわけじゃない。
間違わないわけでもない。
ただ、視点が異なる。
それだけのこと。

外側のナニカは口先だけ。
ギフトを運ぶだけ。
決めることはできない。
動くのはいつだってじぶんだ。

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