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2015年5月の記事

わたしの担当

整体は
整体師へ

愉氣は
日々つかっているひとへ

ストイックな取り組み
シリアスな切り口も
それを好んでいるひとへ


わたしはどんどん
変わっていっていい

調子に乗って
飽きっぽさにまかせ
がんがん切り拓く

あたらしく思いついたものに飛びつき
新鮮味がなくなったらやめる
がんがん捨てていく


ゆき整体は
「説明しなくても興味をもってもらえる」
「老若男女にハードルが低い」
そんな「問題」を前にみつけた抜け道だった

それらが問題でなくなっているのだから
もう、それでなくてもいい。
バーズも見つけたし。

ゆき整体、と言い始めたときからずっと
どこかでひっかかっていた。

整体、という言葉
そこに集められてきた熱意に対して
不遜じゃないだろうか。

そんな利用のしかたは
失礼じゃないだろうか。

それくらいで揺らぐほど
肝の小さい言葉ではないのは
わかっているけれども。


こんどはバーズを利用する。
やどかりみたいだなあ。

掛け合わせて
あたらしいものをつくる。

おいしいとこどり?
鍛錬が必要?


バーズを始めようとして
止められている彼女や

じぶんのやっていることに
確信をもてない彼女と

同じテーマなんだなあこれ。


冥王星と天王星ガチンコの後始末。


あかるく、かるいものが好きだ
うっかり、ひょい、と手を出せるものがいい

それを、ストイックに追い求めている

だいじょうぶ。を伝えることも
カウンセラーに任せてしまおう。
未来は明るいと、説くことも、もう要らない。

それは大前提。
当たり前のこととして
織り込み済みで話す。

わたしは
たのしいことや
おもしろいこと
あかるくかろやかなこと
その感触を渡していく。

JOY

それだけが
わたしの担当。

Lちゃんがあの日もっていた
唯一のアロマオイル。


バーズをやるたび
わたしは
わたしを
手放していく

やりたがりで
マルチでいたがる
わたしが抱えてきたものを解き放つ


誰かがやれることは
わたしはやらない。

それはわたしがやりたいことじゃない。

ただの負けず嫌いでも、それでいい。

うつくしさを

やっべーせかいがきょうもきれいだ…
そうしてなみだがにじんだあとで

せかいはきょうもこんなにきれいだ。
といいながら
いきていられることが
うれしくてなみだぐむ。むねがいたいくらいに。

おめでたいなあ、なにほざいてんのかなあ、
そんなこともあたまをよぎる。
むねがふさぐようなことがたくさんあるのもしってる。
だけど、そうしたことのおくにも
まちがいなく
うつくしさがかくれているんだ。

ひどいことがおきているなかでも
うつくしいものをうつくしいと、かんじていたい。
ひどいことがあるからといって、
うつくしさはなくなっていないし、
めでてはいけないわけじゃない。それはそれ、これはこれだ。

そんなことしてるばあいじゃない。
なんてことばで、
うつくしさをかんじることを、あとまわしにしたくないんだ。
いまここにあるうつくしさをかんじられるのは、
いまここのわたしだけなんだ。


(5/24夕方のtwitterより)

おかねアレルギーと貯蓄

おかねのはなしが続く。


長らく、口にすることが
はばかられてきたけれど

わたしはおかねアレルギーである。

そう自覚したら
いろいろ便利だった。
なにより、ラクになった。


花粉アレルギーに
杉やらブタクサやら種類があるように
おかねアレルギーにも種類がある。

わたしが反応するのが
なんの種類なのか
いまはまだ特定しきれていない。

過去記事『ココナッツに喩える』で書いたのは
このアレルギーについてである。

好み、とも言えるが
わたしの体感的には
アレルギーに近い。
(いわゆるアレルギーは持っていないけれども)


このアレルギーを抱えたまま
市場経済の輪とどう関わればいいのか
ずっと考えてきた。

そのひとつが、チャリティ。
無理、ダメ、嫌!に囲まれた中から
ほそーーーい道をかけあわせて
ひょいと生まれた抜け道。


たとえば
なかなかおかねを
貯められないひとであれば

どんなおかねなら
貯められるのか
どんなふうにだったら
そばに置いておけるのか
考えてみるのは有用かもしれない。

だれから
どこから
どんなふうに
手元にきたおかねならいいのか。

どんなかたちで
どんな場所になら
おかねを持っておけるのか。

おかねをひとくくりにしない視点。


入ったら使いきるほうが
気楽でいい、身軽でいい。
それで心底平然としていられるならば
それもまたすてきだし

『じぶん』を拡大して
たとえばキャッシング枠や
家族や親戚の名義になっているものを
いつでも自由に使える。と考えるのも、ひとつの手。

おかねが手元になくても
人脈と胆力があれば大丈夫。というのも
ひとによっては、最適だろう。

心地よく、心やすらかに、過ごせるならば、なんでもいい。

『おかねください』

おかねください。
カンパしてください。

SNSなどで
そういう風に書いている
友人知人を見かけると

はて・・・
余裕がないわけではないのに
ださないじぶん
だせないじぶん
疑問だった。

こじつけ予想。
おそらく
そのひとの本懐
いのちのながれに
合っていないんだろう。

おかねに困ったところで
とるべき選択は
くださいって言うことではない。
いまの、あなたの場合は・・・

そういうことだったり
単に、わたしが関わるべき流れではなかったり


宇宙銀行の融資条件が
わかってくると
困ることはそうそうなくなると思う。

困ることが必要だったり
好んでいることもあるので
その場合は、困り続けるだろう。


起きていることの
奥にあるもの。
それによって
得ようとしている
体験、感覚、感情。

それをつかめるようになると
やりすごしやすくなる。

ピンチは、いつだって、チャンスとして訪れている。

おかねとしごと

おかねをもらうこと
そのものが
じつは
あそびなんだな。

以前からときどき
思っていたことだけど
やっとわたしのなかにおさまった感。


おかね は
信頼と共通認識に基づく交換券
ぐるぐるまわってるだけ。

しごとはしごと。
宇宙キャストとしてやるべきことは
いつだってちゃんとやっている。
おかねになってもならなくても
わたしはいつだってはたらいている。


信頼できる筋からくる以外のお金は
摂取できないことや

蓄えから、渡せないことも
気にやむ必要はない。

シリアスにならなくていい。

欲しがっていいし、
溜め込んでいいし、
だれかにあげてもいい。

わたしが心地よくいられるなら
ジャイアンでも
極悪非道でも
なんだっていい。


わたしは
心地よさを
間違わない。

宇宙は
わたしを
歪めたままにしない。


代理母のようだ

アメブロに、あらためてアップした。
http://ameblo.jp/kujirararan/entry-12023197792.html

:::::
これって、それだよ!
って伝えて
相手が芯から「そっか!」って思ったら
書き換え完了。

<中略>

書き換わるまでに
半年、1年、もっとかかる場合も
あるけれども

でもね
頭の隅に見出された可能性は
消えないで
着実に育っていくのです。

相手が忘れても
わたしが忘れないからね。

<中略>

ヒトのなかには、もうすでに
たくさんの種があり
肥料も水もお日様もたっぷり得ていて
あと足りないのは根をはる場所だけ。
なんてことがあるのだろうな。

それがなんの種か
わたしにはさっぱりわからない。

ただ、そこに意識を向け、
わたしが動きたいように動き、
話したいことを話す。

芽がでるかもしれないよ、くらいに思って
ほんのすこし手をかけたら
ジャックと豆の木みたいなでっかいのが
にょーんと伸びて、花まで咲いちゃったりする。
::::


代理母のようだなーと思う。

いっぱいいっぱいで
本人が抱えきれない
面倒みられない
関心を注げない
可能性を
わたしはひそかに、あっためてる。

そのひとに
スペースができたとき
それは、ふっと芽を出す。

感受性と精神力

感受性の高さと精神力の強さの両立は
じぶんを甘やかす気概から始まる。

なにかを感じるチカラってつまり
じぶんの勘違いかもしれないことを
堂々と信じるチカラ、だから。

あきらかに他人より疲れやすかったりして
ダメージを受けているじぶんを
信じて、認めて、
ケアのために時間空間を確保する。
他はさておき、ご機嫌をとる。

精神力の強さってつまり
ふてぶてしさなんだろう。



参考:
『聖なる母「自分を甘やかしてはいけない。」』
http://amba.to/1dhGfPN

はづき虹映『大いなる勘違い』
http://amba.to/1F1pGNV

不具合

なんだかセカイとかみあわない。

男性たちを、また、ちいさく見てるかもなあ。

支えなきゃいけない
手伝わなきゃいけない
助けなきゃいけない

出来ないひと
弱ってるひと
足りないひと

そんな設定にして
がんばっちゃってる気がする。

大変なんだから
苦しいんだから
煩わせないように
面倒なことはさせないように

相手の意向を優先しちゃってる。
あっさり、わたしが折れちゃう。

身近な男が苦しいときにするべきは
負荷を減らすことじゃなく
負荷を気にしないことだ。
イイヒトにならないことだ。

そっちをがんばれ、じぶん。

隣のコート

いくつか並んだテニスコート

道具やコート
見た目は同じスポーツだけど
ルールはぜんぜん違うようだ

基本的には干渉しない
たまに、どんなルールかなあって眺めたり
コートを越えて球が飛んできたら
投げ返したり、スルーしたり

観客席から
ここはどんなルール?って
質問がきたら
こたえます。

面白そうとおもったら
参加してみてね。

いつでも入退場OK
渡り歩くのもいいと思うよ

わたしはここが気に入っているから
誘われても、行かないけれど

隣のコートも、隣なりに
たのしいのだろうと思っているし
たのしいといいねと思っているよ

ココナッツに喩える

ココナッツ

わたしが好きなのはジュース。
すぐ飲めて、すぐ体に馴染んで、かるい。

ココナッツの白い部分も
食べられるのは知ってる

嫌いじゃない
美味しいと思う
でも、めんどくさい

削り取ったり
乾燥させたり
刻んで揚げたり
消化にもエネルギーをとられる

白い部分が大好物なひとたちをたくさん知っている
その手間を厭わず
時に、よろこんで手間をかけることも
腹持ちの良さが大事なことも

そんななか
ジュースだけ飲んで
実ごと捨てるのは
気がひける。

ジュースしか要らない。
と言うことも
はばかられる気持ち。

でも、それがわたしの好み。

★騙されてしまえ

能天気に
バカみたいに
調子に乗って

生きていたら

騙されても
バカをみても
後ろ指されてても

笑い飛ばせる?


分からないことや
勘がはたらかないこと

信じる根拠はないけど
疑う根拠だってない

疑いの気持ちで
きゅうきゅうとしてるより

きっと大丈夫。

まるっと信じて
行き当たりばったり

手間暇おしまず
対処させていただく


損したら
どこかで誰かが
得している

その損は
ほんとうに
損なのだろうか


遠回りだった
無駄だった
バカをみた
それがどうした

機嫌よく居るなら
どこ吹く風

そんなにちいさくみつもってたら
なんにもできやしないよ

じぶんの人生
好きに使おう


しょんぼり。のち

ひさびさに
コウノトリ待ちの話。


このところ周期が安定していたのが
たった3日おくれた、それだけで
けっこう期待していて

昨晩、トイレで赤いものが混じるのを見つけ
今朝、胸の張りがゆるんでいて

なーんだなーんだなーんだ!!
がっかりだ。
しょんぼりだ。

ほしいほしいと気にかけるより
他に夢中になったほうが・・・
なんて考え始めたところで

いやいや
なんだっていいはずだ

なるため、得るための方法論を
考えようとするときは
痛みから逃げたいだけ。

おとなしくションボリしよう。そう思った。

ごはん作るのをあきらめ
オットにコーヒーを淹れてもらい
実家に送ってもらい

母のごはんたべたり
家事を手伝ったり
しょんぼりを抱えたまま
気ままにしていたら

ラックちゃんのGW企画の記事
なにかが反応した。

数日前にも
読んでいたはずなのに
そのときは、反応しなかったなにか

しょんぼりしてたから、わかること

それで、一気に動き出して
給付金の許可をもらい
お知らせ記事をかきあげた。

まだ、残念感は残ってるけど

じつのところ
そのうち出来るのだろうとは
思っているのだ。

以前のように
思い込むわけでもなく

しかるべきときに
出来ないわけがないだろう
という感覚。

そうはいっても
まだかな、まだかなーって
なってしまうのも
仕方のないことで

やれやれ。

ウエサクの満月
さそり13度
変容、変容、変容

ひとつ満ちて、次へ。

拡張していく。

分水嶺/果報は寝て待て

このGWは、根源的な断絶と疎外感、
そこからくる被害者意識が
フィーチャーされている模様。
よりクリアな自己肯定に立つための土台整備。

わたしはこの風向きには
影響を受けにくいつくりなのか、
波立ってる感じはない。

影響を受けない定義に
いつの間にか、なってたのかもしれないし、
影響に気がついていないだけかもしれないが、
わざわざ掘ろうとも思わない。

なんかしらんけど気分が落ちてたり、
ふさぎこんだり、イライラしたり、
事がうまく運ばないひとは、
ただただ、やり過ごしていればいいと思う。

ここをクリアにする役割のひとたちが
各々の配置についている。
わたしの知る範囲でも、複数同時進行。

だから、大舟に乗った気分で、
新緑を眺め、うとうと眠り、
他愛ない話をして、じぶんと共に在ればいい。
動かしたくとも動かないときは動かなくて良いのだ。

この世の中にはやるべきこともなすべきこともなく
それでも誰かがうっかりなにかをする。
その奇跡的な配置!
複雑に噛み合う歯車、動くべきは動き、止まるべきは止まり
ヒトにとってはまるで不可抗力のよう。
おおきなおおきな意図をはらんで、
軋みながら粛々と変わっていく。
もっとうつくしいあしたが見えるよう、まわる万華鏡。

いま、何度目かの、分水嶺。

生きやすいように
苦しくないように
じぶんに都合のいいように
じぶんのなかの前提、定義を変えてしまえばいいと
どんなに分かっていても出来ないときはある。

なにかの拍子に、出来るようになる。
それは、痛みを直視するワークでなくても
辛い身体症状でなくても良い。

どうしても信じられず
どうしても疑いが消えず
どうしてもどうしてもそう思えなかったのに
そうなのかも…と思わされる現実が
やってくるときだってあるのだ。
なんどもなんども。
どんなに疑っていようとも。

意識のもちようで現実の見え方は変わる。
ならば意識を変えればいい。
簡単な話だけれど
簡単にいくとは限らず
意識を変えたつもりがなくても
現実がかってに変わることもある。

あたらしい定義のエネルギーが一定量を超えれば
それに便乗することができたりもする。

いま動けないひとは
今回は動く役割ではない
それだけのこと。
果報は寝て待て。

そう遠くないうちに
いまの状態を懐かしむ日がくるよ。



そうは言っても落ち着かないならば
junちゃんの心体軽楽、お試しあれ。
メールやりとりだけで、心身エナジー整えてくれます。
15分通話つきバージョンは本日限定。
http://ameblo.jp/avrilkawaii/entry-12021502055.html


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