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2015年8月の記事

自己信頼の回復

自分の欲求に気がついたら
出処と行方を精査するのが
ここ2、3年わたしの基本姿勢だった。

求めているほんとうのところがなにで
それはなにで満たすことができるのか。
満たすべきなのかどうか。

それを繰り返した結果、なのか
いつのまにか、わたしは大丈夫なひとになっていた。
大丈夫だということを自覚できるようになった、というか
これだけやってきたんだもの
そりゃ大丈夫に決まってる、という感じになった。

それにともなって、なのか
バーズ(R)等を提供して
それなりの金額を頂戴することに
抵抗がなくなった、どころか、
いまや喜びでしかない。


相変わらずココナッツの実は好きではないが
ジュースしか要らないとまでは言わない。
(過去記事:ココナッツに喩える

5月末の記事 おかねとしごと で書いていたことが
ようやく肉体をもって出来るようになったようだ。

6月半ばの記事 払う。祓う。では、こう書いている。

自分以外の他者と関わりをもつこと
エナジーの循環をたのしむこと
それをわかりやすくしているのが、おかね。

流れる水は腐らない。
停滞したら枯れていく。

あたらしいエナジーを取り込みながら、いくのだ。
なにかと、なにかがぶつかったところに、それは流れ込む。

ぶつかる勇気は
衝撃を受け止められるだけの
ゆとりから湧いてくる。

この視点でいくと、つまり、
わたしにそれだけの器ができたということか。


自己満足/不安を減らす

不安はなくならない。

けれど
不安を減らすことはできる。
じぶんの思いつく限り
出来ることをやる。
やりきる。

自分を満たすのも、そのひとつ。



無理する必要はないけど
自分の出来る範囲で
ちょっと背伸びしたいいモノ

持ってみるって
とってもいいコトだと思う。

自己満足でいいのよ。

その自己満足が
与えてくれるモノって
結構大きかったりするから。


エイミーさんブログ
『モノのチカラ』より抜粋

背伸びしたイイモノと同様に
奮発したメンテナンスも良いと思う。


わたしはいま
わたしで大丈夫だと
思えている。

そのベースにあるのは

毎月か隔月で
信頼できる整体を
受け続けていることや

こまめなセルフケアや
これまた信頼のおける
ヒーリングやセラピー
アロマトリートメントを
適宜ピンポイントで受けていること
あるいは、受けなかったこと

そこに時間やお金や手間を
しっかりかけている自負と
かけることができている幸運の、自覚。


人前に出る仕事でもないし
感度を求められるアーティストや
純度が重要なセラピストでもない
凡庸な自分に
それだけのケアを
ゆるしてきた。
惜しみなく(ときに惜しみながら・笑)与えてきた。

逆に、どんなに心惹かれても、
要らないと感じたら、与えなかった。

心地よい状態で在れるように。

その積み重ねでいつのまにかじわじわ
底上げ出来ていたんだなあと、思う。

自己価値や自己肯定感を上げたくて
やっていたわけではなく
いまの自分のまま
この身体と共に
もっと心地よく在れることを選んだ。

継続は力なりって、ほんとうだ。

一見するといつも違うことをやっているのだけれど
本質的にはいつも同じことをやってきたのだ。

気づけば、こんなところに居た。

内側と身体を整えて、整えて、整えて
ふと顔をあげたら、景色がかわっていた。

これからもきっと
こんなふうなんだろうな。


わかって

今回の件で行き着いた

ほんとうのところを
わかってもらえない

たとえ言葉を尽くしたとしても
わかってもらえるとも思えない

わかろうともしてくれない

というのはきっと
わたしの根強いパターンで

母に対して思っていたことなんだろうなあ

さらに言うならば
わたしが、わたし自身に
思ってきたことなんだろうなあ

 
わたしはすぐに
ほんとうのところから
話を進めてしまう

じぶんのうちに
シンプルな願いが
あらわれるやいなや

どうすれば実現できるか
どうすれば受け入れられるか
考え、動き始める。
待つことをしない。

 
出かけたい。と思ったとする。
そうしたら即座に、
どこへ?どんなところへ?
どこがいいかなあ?
あれこれ、考え始める。

そのまえに
ああ出かけたいのか。そっかあ。
ひと呼吸あってもいい。
その感じ、衝動を、受けとめ、味わう時間。

解決策より
共感を。
じぶんに。


子宮の冷えと人間嫌い


女性においては、生理的にうけつけないと、子宮の血行が悪くなってくるのです。

嫌な人の声を聞くだけでも、子宮の血行というのは悪くなってくるのです。

それだけ、女性というのは、体で感じているものなのです。

そうした事からも、生理的な相性

あるいは、子宮の相性というのは大事な事なのです。

冷える

女性においての冷えるという現象は、必ずしも外気が冷えているから冷えるわけではないのです。

嫌いな人が側によるだけでも、冷えてくるものなのです。

整体ヨガ道場 悠遊塾のブログ 
『女性においての蕁麻疹 生理的変動』より引用


最近になってまた
不妊にまつわるリーディングを受けたら
子宮が冷えていると。

物理的にはだいぶ改善しているはずなんだけど…
(整体などでも指摘されないレベル)と思っていたら
引用した記事で納得。

わたしの奥底の意識は
いまだに世界をこわがっていて
人間が嫌いで、こわくて
だから冷えている。

人間が嫌いで、こわい。
つまりわたしは、自分のことがこわい。

これについて
やれることはやったので
もうあとは、お手上げでいいと思った。

どうにかしようとするのは、もうおしまい。
わたしは夢見ることに専念する。

あとのことは
かみさまほとけさまだれでもいい
どうぞよろしくお願いします。

いいなあ、つかまえた!

「・・・いいなあ。」と、思った。

思ったことに気づいた。
ほほう?と、ながめている。

いつもならば即スルーする「いいなあ」

するりと無かったことにするか
ひっかかる場合には
理屈や理想論や
エンパスでなにか拾ったとかで
片付けてしまう。

だいたい、いつもそうだと思う。

今日はそのまま、ながめることが出来ている。
デトックスで、スペースができたのかもしれない。

いいなあ。
それ、わたしも欲しいなあ。

そう思うことを自分にゆるしてみる。
じゃあどうする、でもなく
そうじゃないでしょ、でもなく

いいなあ
いいなあ
欲しいなあ

そう思ったじぶんとこのまましばらく過ごしてみよう。

要デトックス

今日はヘッドデトックスを受けた。
ひさびさにお酒なしで過ごせている。
毎晩飲まずにいるのが難しいと感じる日が長らく、
ほんと、かなり長いこと続いていたので、とても嬉しい。

不純物はいつも、すこしずつ蓄積していくので、
なかなか自覚ができない。

このヘッドデトックスの情報をみたとき
直感的に申し込んだのだから、大したものだと思う。我ながら。

現実の停滞感は日々増していて
いろいろケアをしてみたし、とっておきも投入したけれど、
それでは追いつかないレベルだった模様。

個人サロンなだけで、カットやカラーもしてもらえる。
次回はぜひ!と、予約してきた。
おまかせできる美容師さんを
近くでは見つけられずにいたので、嬉しいなあ。

続【おかねください】について考察

先日から考察していた
【おかねください】の違和感。

カンパ募集にもやっとするときと、しないときがある件。

過去記事) 【おかねください】について考察

・情報過多になっている、休めのサイン
・わたしの美学に合わない
・わたしがなにか自分の美学に反したことをしている

ここまで見えたところで、保留にしていたら
友人とのメッセージをきっかけに
ようやくハラ落ちする仮説がみつかった。

・相手の深層にあるネガティブを拾っている可能性。

つまり、カンパを募っている相手自身が
募りたくない気持ち(葛藤)に無自覚なため
それが漏れているということ。


わたしのエンパスはそういう作用をすることがある。

不思議なほど嫌いだったり
不思議なほど咎めたい感じがするときは
相手の潜在意識に共鳴しちゃってる

そう考えると、すごくしっくりくる。


エンパス仮説なぞ持ち出さずとも
嫌なもんは嫌!でスルーできればいいのだが
残念ながらわたしはスルースキルが低い

わたしはなにも嫌いたくないのだ。
できるかぎり、嫌なものは減らしたい。

そうやって書くとなんだかきれいごとみたいだけれど、
ただ単に、嫌いなものに煩わされて生きるのが嫌なだけで
自分のためでしかない。

相手を咎めようとする意識を抱えているのは
咎めたい気持ちのはけ口がない状態なので
地味にストレスになるのだ。

出処不詳、行く先不明、得体のしれないエナジーは処理に困る。
なにに反応しているのか分からないので、気持ちが悪い。

アレルゲンを特定しておけば
あとは避けるなりすればいい。

じぶんの特性を認識することは、
快適を保つのに必須である。わたしの場合。

我ながらたいへんめんどくさいのだけれど、
そのための時間や環境はいつも用意されているので、
ありがたく探究している次第。

見捨てられ不安

窓からさらさらの風と
蝉時雨がはいってくる。


8月6日。

KIN125 赤い銀河の蛇。


最終的なミッションって、最期まで生き抜くこと。
本能の声に耳を傾け、生き抜くために必要な調和を取る。

マヤン・ライフエネルギー☆宮下來未 さん記事より
http://ameblo.jp/lanikai-breeze/entry-12058547529.html




ここ数日やたらと
「見捨てられるんじゃないか…」
ぐるぐるしていました。

見捨てられ不安って
見捨てる可能性なんだと思う。

他人のことを疑って
恐れているようだけれど

自分の中にその行為の可能性がなかったら
相手がそれをするかもしれない、なんて思わない。


いざとなったら
近しい人であれ
ばっさり切り捨てるのではないか?

わたしは、じぶんのことを
そう、思っているのだろう。

じぶんのなかにある
一種の狂気のようなものを
恐れているのだろう。


ほんとうにほんとうに生き残ろうとするならば
目の前の相手を切りつけるより
抱きしめたほうが
ずっといい。

だけど抱きしめたその手に
ナイフがあったら?

わたしのこの身体は
どんな反応をするのだろう?

【おかねください】について考察

昨日のtwitterより、まとめコピペ


自分の担当業務が終わってしまってヒマなので【おかねください】について考察してみようと思う。いくつかのパターンがあり、違和感があるのと無いのがあるので不思議なのだ。

続1)FBでたまに見かける、支払が間に合わない(かもしれない)のでカンパ募集とかお仕事くださいとか。次に、いわゆる寄付。それから、クラウドファンディング。それぞれに感じるものが違うんだよね。

続2)わたしが気になってるのは、じゃあ差し上げます。と思うときと、思わないときの違い。なにがそれを分けているのか。好みだったり感覚的なことなのでわざわざ考える必要はないのだが、いかんせんヒマなのでほっといてください。

続3)まず違うのは距離感だな。その人となりを知っているかどうか、というのは大きい。良いほうにも悪いほうにも作用する。(良し悪しの基準はいろいろだが)・・・・これtwitterだとやりづらいな。場所かえるか。

続4)そもそも。当面の困難(と思われる状況)をしのぐため。というのと、計画的なものでは、全然ちがう。寄付・クラウドファンディングは後者。具体的な夢に加担するたのしさがある。前者は、そりゃあそのひとの笑顔は確保できるかもしれないが…仲間意識、連帯感、共同責任、おや?風向きが…

続5)おかねはあくまでも手段のひとつなので、おかねでない方法で解決できることも多々ある。関係性がちかい場合には特に。○○のためにお金が欲しいというのは効率的で短絡的な感じ。困窮したならばそれは見直しのチャンスだったりもするのに。わたしが真面目すぎるのか。それは否めない。

続6)どんな理由であれ他人と関わりあうのはいいことだよな。行き詰るときはさみしい(流れが悪い)ときなので動くのはいいと思う。お金のことだからと深刻になりすぎずにライトに、きっかけのひとつにすればいいだけのことかもしれない。

続7)ここで一度書いておきたいのは、他人にモノ申したいことは自分に言いたいことだという基本原則であるw つまりわたしはこの違和感を追うことで、自分の歪み(偏り)を認識できるかもしれない。正す必要はないが、認識しておいたほうがストレスがすくなくてよい。

続8)承認欲求を全面に出してくるひとがいて、わたしはそこに餌をやらないようにいつもすごく気を付けるのだけど(そうしないと思ってもいないことまで相手のご機嫌のために言ってしまって自分が不快になるから)おかねくださいに関与したくないのはそれに似ている気がする。

続9)無言の承認欲求については自撮が横行したときにかなり考察をして友人ともさんざん意見交換してある一定の見解ができたはずなのだが…お、思い出せない…w だめじゃんww 一種の横柄さのようなもの。気にならないひとは、ならないようなんだが。わたしの心もまた横柄なんだろう。

続10)ああそういう遊びをしたいんだねえ、プロセスなんだねえ、かわいいねええ、で済ませればいい話なんだよなきっと。済ませられないってことはわたし自身がささくれだっているのだ。8月に入ってすこしは持ち直したかと思ったが。しょうがない引きこもるか…(触れる情報量を減らす

というわけで早速FBのフォローを減らしました。どこへゆくんだわたしよ…ネットの、しかも狭い範囲の情報でヒマをうめず、他に使えばいいんだろうけどな。なにに使うんだろうな。いったん止めて、うがーーー!ってヒマにならないと、次のものは入ってこないのが通例。


置屋のおかみ/妊娠をのぞむこと

『親なるもの 断崖』

という漫画が
たびたびWEB広告にあらわれる。

はじめて縄文温泉に行くことになっていた日に
ふいに無料分を読み始めてしまい

望郷。のキーワードを拾った。

それからなおも気になりながら
スルーしていたら

くさくさしていたおとといの晩
コンビニで発見。立ち読み。


4年前の夏
知り合ったばかりだった
そみさんつながりの人たち中心に
浴衣で赤坂を歩くって企画をやった。
さいごはみんなでカラオケに。

浴衣をきて並んでいる
彼女たちをみていたら
なんだか、不思議なきもちだった。
ああ、平和だなあ。良かったなあ、というような。

薄暗いちいさな部屋で
女たちが浴衣でくつろいでいるのは
なんだか置屋の休憩時間みたいで
それを眺めるわたしは女将な気分で


体外受精の成功例を
続けざまにきいていたところに
対面でその熱をうけて
ふと、その気になった。

技術を買う。
文明を享受する。

そんなことにお金をつかうくらいなら…
不妊クリニック待合室の、あの雰囲気がいやだ…
通うのが大変、のんびりしていたい…
などなど
デメリットのほうが
大きく思えて
ちっともやる気にならなかったのだけど

退屈もここまで極まると
そんなことに手を出すしかない。
(などと言うと、オットは顔をしかめる。繊細だなあ。)

オットと相談のうえ
まずは排卵チェッカーを2周期。
つかっていた友人にきいて、即購入。

唾液をとって覗き見るタイプのは持っていて
使ったこともあったが
忘れたり、結果が曖昧だったり、
わたしには向かなかった。

その、腕のたしかな、結果重視の
都内のクリニックは予約いっぱいで
早くても秋になるようなので
それくらいがちょうどよさそうだ。


過去何年も
ことあるごとに
妊娠出産について
セラピーやヒーリングの
テーマにしてみて、思うに

わたしにとって
妊娠出産を望むことは
どうやら
贅沢な我儘なのである。

地球を見捨てるくらいの
覚悟がなければ
子どもを産み育てることに踏み切れない。

命をつなぐことは
欲というより
本能だろうに

わたしにとっては
それは欲なのだ。
しかも、もつべきでない欲だと認識しているらしい。


置屋のおかみは
女郎たちが身ごもれば無理に堕胎させ
出産したら即亡き者にし
一晩に十人以上でも客をとらせ
病にかかっても気がふれても
まだそれでも客をとらせた

狂気の世界に思える。

奴隷解放イベント
女王がみずからに表現をゆるしたという欲に
それは、通じるのだろうか。


時代背景
役割
正当化できる状況

借金のカタだとか
産み/育ての親による身売りだとか
国によって保証された仕組みだとか

経済発展を支えた事実

求める
応える

応えるものがいれば
さらに求めていく

無力なものを目の前に
わたしは正気を保てるのか

もし無心になったとき
あやめずにいられるのか


「忘れるな!新しい時代を生み出すのは女性であることを!

 どんなに苦しくても耐え抜いて生きた人間がいたからこそ
 次の時代と文化が生まれてきたんだ!

 その本流は女性だ!」

『親なるもの 断崖』より
http://norizi.jugem.jp/?eid=235


女性が、その強欲さを
あらわすことができる
それがゆるされる
なおかつ、それが安全である
だれかの命をおびやかすことがない

それを試されている気がする、この時代。

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