« 2016年2月 | トップページ | 2016年4月 »

2016年3月の記事

方法論と不信

わたしなりに
オットが絵でやっていくこと
作品が売れていくということ

そこにどう関わるのか?
関われるのか?
試行錯誤した結果

まっすぐそれを目指して
それに向けて
わかりやすく動くのではなく

それを描きつつ
目の前のことをやる
いまあるものを
あそびたおす

そういう方法論を採用している。

オットにはさっぱり
伝わっていなかった。
伝えてもいなかったのだが
不信の対象ですらあったという。
びっくりした。
そういうものか・・・。

『仕事』

「それはわたしの仕事じゃない」

という
絵に関連した
わたしの発言が
オットには打撃だったらしい

ここでの「仕事」は
役割 とか 適性 とか
そんな意味合いで使っているのだが

オットにとっては

「それでお金を稼ぐつもりはない」

というような
意味合いで捉えていたらしい

ある程度の信頼関係ができていて
意思疎通のベースがあると思っている
身内だからこそ、説明がおろそかになるパターン。お互いに。

この双方の誤解をとく会話となったが
淡々とすすみ、平穏そのものだった。
おとなになったものだ。
以前ならば、感情的になり
あるいは高圧的/卑屈になり
数時間か、へたしたら翌日もちこしだった。

ここにエネルギーをつかわなくて済むというのは
おおきなアドバンテージなんだろうとおもう。

オットに共有

歩が斜めに行くには
斜めを視野にいれつつ
ひとつずつ前に行くのみだ

という話をオットにした。
(ネタ元: これを人は他力と呼ぶのでしょうか。
(この例えはたいへんわかりやすくて重宝!)

わたしはたいてい
こういうことを
オットには直接いっていない。

なんらかの流れで
友人に話すのが最初で
高じればブログに書くが

でもこういうことを
目の前のオットと
共通理念にするほうが
大事なのかなとおもう
今日この頃 。

だってそんなことは
オットのあたまのどこかに
すでにあるはずなのだ
だからわざわざ
わたしが言うことでもないかなと
どっかで思ってきたのだけれど

どうやらオットのあたまの中はカオスで
雑多なことが入れ替わり立ち替わりしていて
引き出しの中がぐちゃぐちゃなので
そうした「いまに有効な」観念は
行方不明になっているようなのだ 。
すくなくとも認識されていないようなのだ。
あるのに!!!

盲点だった・・・

わたしがあえて言語化することで
それは認識され
目につく場所に再設置される
そしてそれを踏まえて
行動選択し始める

そういうことらしい。

人間ってやっかい・・・(そんな結論w)

あえて言語化するのは
野暮ったいような
めんどくさいような
「知ってる!」と言われることへのおそれ?とか
いまさら感があって気が進まなかったのだけれど

今後もひきつづき
どうも似たようなことを話す流れが
続いてるなと思ったら
オットにも共有してみよう。

わたしの管轄

整える
活性させる

どちらもひつようなのだ
好むと好まざると問わず


みとめられたい/かまいたい
みとめられたい/かまわれたい

ないものねだり


ほんとうはなにひとつ
消えはしないのに

だってもともと
ありもしないのだから

それが消えるのか遺るのか
消えたのか遺っているのか
そんなことは管轄外


表面にみえることに惑わされるな

すべては水面下で進行している

春が過ぎ夏がきて秋になり冬がくる

どんなに疑っていようともそれはくる

どこからともなくやってくる


かまってしまう自分を
どうにかする必要もない
かまっていると、気が付いていればいい
気が付いていなくてもいい

かまってしまう理由を探さなくていい
探してもいい
なんでもいい


まだ足りないの?と言いたくなる
まだ不安なの?と言いたくなる
そしてじぶんの力不足だと言いたくなる
じぶんはとるに足りないのだと嘆きたくなる
ない。を見始める。
ない。に執着する。

「無を手放すと有になる」

わたしはわたしのおもうわたしを手放す。

なにを為した(とおもっている)か
なにを成せた(ようにみえる)か
そんなものでわたしを定義しない

瞬間、瞬間に、
わたしが、わたしに、
誠実であること
正確であること
わたしの管轄はそこまで。

結果だとおもっている
現状もまた、プロセス

惑わされるな。

It's a small world

はじめてTDL行ったときに
It's a small world にめっちゃハマって
3回くらい乗った

ああいう世界にしちゃいたい。
みんなああやって生きたらいい。

宇宙で生きるとは
子供心で生きること。

子供心。ウニヒピリ。潜在意識。JOY。

それの呼び水となるような
アイテムや
音や
ことばや
エネルギーを
ばらまきはじめた仲間たち。

生きているあいだに
きっと、見られる。


宇宙に生きる

物理的肉体をもったまま

宇宙に生きるには

重たい感情を

手放すことが必要

そのきっかけとして

様々な事象が起きる

ひとつひとつ、向き合っていく

感情はただ通り抜けるエネルギー

発生する理由も条件もない

反応してあれこれ絡めるのは

アタマによる保身パターン

切り離して、それぞれ対処する

想定外の介入

関係構築、分析を経て、
慎重に繊細に介入する心理療法

無意識レベルに直接
ダイナミックにはたらきかける
いわゆるスピリチュアル

それが作用するだけの土台ありき。
ラッキーカラーやおまもり
ヒーリングも、この類


わたしはどうやら
ちまちま地道に
変化したいらしい。

関係構築も分析もなしにもたらされる
正体不明な介入を好まない。

システムを理解するのが趣味。
それがなにに、どう作用するのか、知りたい。


そうやって納得しながら進みたいじぶんと
ぽーんと想定外にとびたいじぶんの葛藤


そんなことはおかまいなしに
突然、手元にやってきたアイテムを
受け入れられずにいた。

しかし。きてしまった以上は
想定外の勝ち、というか
そういう時期になってしまった、というか

観念するしかないのだな。と
やっと、思い至った。


いろいろ言ってはみるが
どうせぜんぶ
じぶんが仕組んでいるのだ(笑)

モヤモヤと、感謝

昨年末から
ずーっともやもやしてた件

いろいろを経て
昨晩は内観がすすみ

今朝おきたら
わかった。

感謝できなかったからだ。

以前にも別件で
この結論に達したことが
何度もあって
知っていたはずなのに
すっかりさっぱり消えていた。

モヤモヤするのは
そのことに対して
感謝できていないから。
受け入れられていないから。

それだけなんだよなあ。

まあしかし
受け入れたくなかったんです。
受け入れることは
変わることだから。

そのことも、わかっている。

安全と危険

ここから先は
アタマでは進めない領域。

納得してから
わかってから
進もうとおもったら
いつまでも進めない。

アタマはこれまで安全確認が仕事で
先行するのが常だった。母性的。
今後は、あとからついてくる。父性的。

やるだけやらせて
フォローとケアと後始末が
アタマのしごと。

もうぜんぶ安全だってことを
体当たりで確認していく。
安全と危険の二元性はすでにない。
それを体験していく。


この数年で父親が亡くなった
友人達を思いうかべてみる。
(ひとりっこ女性率が高い)

彼らは、肉体を脱ぐことで
無意識エリアのサポートを
引き受けてくれているように思う。

父性のでっかさに
じわじわ感涙する。

泣くとき

Mちゃんとの立ち話
社会とのズレ に言及したとき
ハートが反応して泣いていた

河合隼雄さんの「ケルト巡り」おわりに
音声スタッフにそっと近寄り
代わるから休めと言った
現地女性のエピソードを読んだとき
いきなり泣いた

Rの言霊出産で号泣したのとは
どちらも、違う気がする


過去にじぶんが体験した痛みが
共鳴して泣く場合には
ハートに反応がある

前触れなしに号泣するのは
ゼロポイント(本人にとっての絶対値)に触れたとき

ケルトのはどっちだろう
どっちとも違う気がする
思いやり、があらわれていること
それがゆるされていること
ひとのうつくしさに感動しているのかもしれない

権威への執着

できることは
やらない

先生役が得意なのは
重々承知してる

自然とやれてしまう
得意満面でやっている

でも、やれてしまうだけで
それはつまり、反射レベルだ

それも、やらない

やらなくていい

エネルギーを注ぐべきは
そこではないのだ、おそらく

わたしがみたいのは
その方向ではないのだ



わたしたちの魂の中心には自我があり、常に自分の人生を「より良くしよう」「より成長させよう」「いまよりもさらに進化しよう」と強く働きかけています。

しかし、わたしたちのなかには同時に動物的な欲望や感情も存在していて、それらは常に自我と対峙して、内なる葛藤を起こしているでしょう。

「これをやれば、自分のためになる」とわかっているのに、なかなか集中して取り組むことができなかったり。

「この習慣が自分を妨げている」とわかっているのに、やめられない衝動があったり。


小泉マーリさん
2016春分☆信念を貫き、実現する
http://ameblo.jp/light-side/entry-12140067321.html



自我 と 欲望や感情の葛藤を
OJTで学んできた。

それを伝えたいという
気持ちはあるけれど

個人に、言葉を介して、伝えるなんて
おもしろくないんだ。

誰しもその葛藤をこえて
自我につながる
そのつもりで生まれてきている

その時に向けて
万全の体制を
無意識に築き上げ
その時を待っている
それぞれのやりかたで
その時を迎える

わたしはそれを知っている

それで十分なのだろう


伝えたい気持ちは、ただの「欲」
権威への執着

じぶんが得意になりたいがために
他人をつかうのは、違う。
他者でじぶんを満たすのは、違う。
そんな使い方をしたらもったいない。

だれかに満たしてもらおうとするなら
それは、違うのだ。

夫婦間ではずいぶんとクリアに
保てるようになったと思う。

他者には、まだ、甘かったなあ。
反省。

それを必要とするひとがいたから
そうしていたのだ、という側面もあるけれども。
止めようと思ったときから、止められるのだ。
止めていい。

「思い」のない言葉

学生時代のいざこざから
わたしは、ひとでなしだ。
感情がわからないんだ。
傷つけてしまうんだ。
そう学んで(意味付けて)

それからずいぶん
「思い」というものを
理解しようと努めてきた。

ここ数年かけて
すこしずつ
時と場所と相手を選んで
慎重に
「思い」のない言葉 を
放てるようになった。

無意識に使うとそれは
武器でしかない。

意識的であっても
諸刃の剣。

この剣を携えて
わたしはどこに
向かっているのだろう?

剣をふるったあとに
巻き起こる
「思い」のプロセスを
研究対象として
興味深く見てきた、これまで。

もう十分かもしれない。
引き継ぎは完了している。

プロセスや方法を
事細かに説明したがる
わたしの「欲」

本来むけるべきは、どこだ?

宇宙ゲート

ど真ん中にはいり
真理を両手から放つと
宇宙ゲートがひらく

外宇宙とのパイプ開通

重力を断ち切る
無限とつながる

思いは重力
真理に思いは無い

いちばん言っちゃいけないこと
恥ずかしくて恐れ多くて
とても言えない

ありきたりで
ありふれてて
たいしたことなくて
こんなんでいいの?って拍子抜けする

それこそが、そのひとの鍵。




自我が強く目醒めていくほどに、わたしたちは自己存在の中心と強く深くつながって、「こうでありたい」と魂が求めている、自分に近づいていくことができます。

(中略)

もし、すべての人が自我に目醒めて、自己存在を中心においた生き方をはじめたとしたら。

世界から戦いがなくなり、共存共栄の道が拓けるかも知れません。

奪い合うことよりも、分かち合うこと。

支配したりされたりする力の世界ではなく、全員で紡ぎ上げていく共同創造の世界。

そういったものがやってくるのかも知れません。


小泉マーリさん
2016春分☆信念を貫き、実現する
http://ameblo.jp/light-side/entry-12140067321.html

引き継ぎ

去年の今頃から
始まっていただろうか

引き継ぎの確認、というか
引き継がれていることを
この目でたしかめに行くような
そんな流れ

対・個人 へのテコ入れ完了

そしてこれからどこに行くんだろう?

いまきているキーワードは
「はぐくむ、はぐくまれる」
「配置転換」

それがなんのためか
なににつながるか
わからなくても。

目の前のこと
やりたいこと
こころがよろこぶことを。

引き換え意識

ピグライフをやっていて

ちょうちょが来てるといいな
また来ないのかな
アイテム使うべきかな

それはさておき
こっちのこれをやっておこう
(来る来ないにフォーカスしていると流れが滞るしね)

ああやっぱり来てないな
もう一回だけチャレンジしよう
これでダメならあきらめよう
(そしたら叶う率が上がったりしてね)

この( )の中の意識が
あまりに自然に瞬時に湧いてくるので
我ながらおかしくなってきた。

なにかと引き換えになにかが得られる。
という発想

根深い!!

花粉

外を歩いていて
口の中や喉が
いがいがする

帰宅すると顔や
口周りがかゆい
まるでなにかに
かぶれているみたいに

去年も多少そんな感じはあったが・・・

花粉症ブームにひきずられているのか?!

ここ数年はほぼ症状の出ていなかったオットも
おとといあたりから、急激にきている。
ことしは多いのかなー。

チームで考える

なにかがざわついていて
ちっとも入力業務に集中できない日

今日はちょっとひどいなあ
らちがあかないなあと思ってたら

おひるにチャットした会社員Yちゃんも
集中できないとは感じているという。

Oちゃん魂語アワーやってくんないかなあ。
リクエストするか?なんて言っていて

ふーむ。
Sちゃんを見習って
がっつり愉氣の時間をとるか?
はて・・・・ と考えたら

そーだ。
たまたま今朝
ひさびさにメッセしたRが
鎌倉にぷらっと行ってくると言ってたぞ。

そーか、そういう配置なのね!
勝手に解釈して
Rに向かうように意識したら
ほんとにしずかになった・・・

チーム単位で考えると便利だなあ。

いままでわたしが
ぷらぷら時間を確保されているのは
ヘルプデスクポジションだから。
だから遠慮なくいつでも声かけてね。
って思ってたけど
わたしも、使っていいんだよなー。


今日のざわつきは
冷たい雨から一転しての
晴天にくわえて
確定申告締め切りの日ってのも
もしや関係してるんだろか・・・

居場所

ともだちの家で
ともだちのつくった
ぬいぐるみたちと戯れる

お人形あそび
すべてが生きている世界
意識を向ければ
石も、水も、
変化をみせる。応じる。

意識さえ向ければ。

そんな世界を共有できること
そんな世界に浸っていても
迫害されない
見守ってもらえる

このまえひとつ
そんな場所を
見つけたとおもったら
今日もまたそんな場所だった

ほんとうに、しみじみ、なんども、うれしい。


4年前は、この家にわたしの居場所がないと思っていた。

腹をきめて、目の前のものを受け入れ
精査して求めて、駆け引きなしに貪ることもゆるし

いまや我が家には、
わたしの管理するギャラリーがあり

そうしたら我が家でない場所でも
わたしの世界を展開することができるようになったらしい。


そのことにしみじみとじわじわとぎゅんぎゅんと
よろこびを感じるにつけ
わたしはどれだけこれを求めてきたのだろうとおもう。

遠慮なく風呂敷をひろげられる場所
求めていることすら、知らなかった。

知ってたら、もっと、しんどかっただろうなあ…

それらをつなぐ

LOVE & JOY
ゼロ と 1
螺旋と直進
創造と破壊
宇宙と個体
ホールネスとエゴ

JOYはうまれたての子どものエネルギー
わくわく、ときめき、きゅんきゅん
にぎやかで破壊的

LOVEはしずかな受容
すべてを土にかえしていく
成熟した深いエネルギー

ゼロを1にするひと、下ろして形成
1をゼロにするひと、整え収束

天 地 人

仕事と収入と税金


税金をおさめるのが苦痛だった頃は
じぶんのなにかを犠牲にして
引き換えにお金をもらっている
そういう感覚だった

いまのわたしにとって
仕事はひまつぶしのひとつ

仕事によって満たされる、満たしてもらうじゃなくて
自分で自分を満たすためのツールのひとつ

たのしく過ごせて
お金までもらえて
ラッキー!!!
そういうものになった。

頼まれて始めた仕事たち
100%どころか
7割の確信すらなくて
イチかバチかでやってみた。
すくなくとも好奇心は満たされた。

結果。飽きたりもしながら
いまのところ続いている。

たのしいかどうか
長く続けられるかどうか
やってみなきゃわからない

いつなにが起こり
いつなにが変わるかわからない

いつまでも同じではない

仕事そのものがたのしければ
それ以外ではちっともお金をつかわなくなることもある。
それでも欲しいモノはどっかから好条件でやってくることもある。

ひとつの仕事ですべてをまかなおうとしない。

いくつもの仕事をしてもいいし
棚ぼたギフトや臨時収入や
いろんなことでまわっていけばいい。

生命線はいっぱいあることを知っているほうが自由でいられる

両手を空にする

結果を出す方には、こうした集注力があるのです。 

集注力の源泉は何か?と言えば、他を止める捨てる力なのです

片手間にやったらば、片手間程度の物しか手にできないのです。
両手で取りに行けば、取りに行った分だけに手にできるのです。

何を手にするか、どれだけ手にするかは、
いつも自分だけが決めているのですね。
健康や技術に限らずに。

『結果を出す人々』 http://amba.to/1RU0W3k   
セルフ整体道場~新宿天心会 吉田直樹さんブログ記事




悲しかったのも苦しかったのも、嬉しかったのも、ぜんぶぜんぶ忘れちゃっていいよって。何もかも全部失ってもいいよって。


すぐに新しいひかりがくるから。見たことのないあたらしい喜びが来るから。

苦労して手に入れたあれやこれやなにもかも、全部無駄になってしまっていいよ。

全部全部入れ替えてしまっていいよ、想像もつかなかった、あたらしい、美しい、すばらしい、そういう場所に、たどり着くから。


 
naomikoブログ
http://seecandle.hatenablog.com/entry/2016/03/11/142104






過去をにぎりしめたままでは、片手間である。

過去という幻想を手放し

両手をカラにして取りに行け。


自分自身に報いてやりたいとおもうなら

味わったことのない豊かさを与えようとするならば

未知にひらくことだけが、それを叶える。




今日はキロンリセット

13:26あたり、太陽に目を向けてみましょう。

それを機に自分にとって不安なことや
自信がないところに対して
別の見方が湧いて出て来ると思うのです。

泰仙庵 ひまぱ~んさんブログ記事より
http://ameblo.jp/tai-sen-an/entry-12137867225.html

わたしのキロンは6室牡羊座で木星とコンジャクション
なので、こつこつ具現化&拡大に苦手意識があるのだな。
仕事、他人への奉仕、病気、ペット(!)

おうちギャラリーをやるにあたって
ずいぶんと癒されてきたその象徴として
苦手だったAちゃんとの関係性が刷新された。

オットの連続バーズは
わたしの苦手意識のクリアリング仕上げなのかもしれない。


当のオットは4室牡羊座で
やっぱりキロン木星コンジャクション
ホームの感覚、家族についての意識刷新

肉体という共通言語

オットに連続バーズ4日目
24時間ぶりの就寝前だけあって
抵抗がすくない。深く入っている。
存分にやってみたら、100分経過してた。過去最長。

バーズをしながら
肉体は共通言語なんだなと
思い当たった。

子供の頃
誰とでも
話せたらいいなと
ゆめをみて
英語をマスターしたかった

わたしは設明が得意だけれど
それは、わかりあえたときの
ヨロコビを欲しているからだ

誰とでも
おなじ感覚を
分かち合える

汎用的な
普遍的なものを
探していたのかもしれない

そして行き着いたのが肉体だった。

肉体があってよかった。
受肉できてよかった。

2012年5月からの年月かけて

今日はよく泣く。

ときどきこういう日がある。

かなしいとか
うれしいとか
判別はつかない

達成感や充実感
過去を讃えるような
色合いがつよいかもしれない

あしたは2012年5月以来の
日本でみられる部分日蝕(新月)

2012年6月の満月に
DAYBREAK aikoさんからもらった
アファメーションを読み返す

当時のわたしは、日本でみられる月蝕が
2012年5月の次は、あしたなどとは知らず
その間おなじテーマが展開されるなどとも知らず

しかし読み返してみればもうそのまんま
4年ちかくかけて、わたしがやってきたことなのだった

わたしが信じても信じなくても
わたしの中にある無限の可能性

与えられている恵みを
そのまま受け取ること

4年ちかくかけて
それらをじぶんのものにしてきた。

やっと、ゼロポイント。

反転する。

合唱/歌う自由

ニコ動の作業用に
合唱曲が混ざっていて
それで思い出した

小中学校のPCサポートをしていたとき
卒業式間近の夕方の職員室で
先生方から卒業生への歌を練習する時間に居合わせた

先生方は各自の椅子から立ち上がり
楽譜をみながら
はいではいきます。の指揮に従って
すぐに、けっこうな声量で、歌いはじめた

びっくりした

わたしは合唱練習といえば
最初はうだうだもぞもぞ
囁くような声で
探りあいながら歌う場面しか知らなかった
(学生時代の記憶)
(合唱部とかなら違うんだろうけど)

世の中には
さあ歌いましょう、で
気持ちよく声をあわせて歌える大人と
そういう職場があるのかと
新鮮で、嬉しくて
そしてそれが当たり前だと思っている風な先生方が
ちょっとうらやましかった

去年秋、たまうたミニワークに参加したとき
「ほんとうに歌が好きなんだな、と思った」
というフィードバックをもらった。
ひとりでカラオケ何時間も歌うくらいなので
うん好きですよ。と思っていたが
そういうレベルじゃなくて
そういうところじゃなくて
しいて言うなら
歌うことのできる自由が好きとか
自由に存分に歌えるのが好きとか
そのあたりが重要なのかもしれない。

しばらく前にフラを習い始めた友達が
動画を送ってくれたのを見ていたら
なんだか嬉しくてほっとして泣けてきた。
あの時も、そういう感じだったなあ。

つかいみち(循環)

他人が
なにに
どのくらい
お金や時間や気力体力エネルギーを使うか?

そんなことは
考えてもわからない
わかる必要もない

与えてくれるひとが
いるか、いないか
わからなくても
欲しいものを、欲しいということ

手に入るならば
遠慮なく
手に入れること

いますでにあるものを
きっちり使うこと

見返り(未来の出来事)を含めず
その場で発生する体感でバランスするように

じぶんは
なにに
どのくらい
お金や時間や気力体力エネルギーを使うのか?

慎重に感じ取り
大胆に行動する

そうして循環していく
循環の流れにはいる

じぶん

じぶんが思っている「じぶん」とは
親や社会を鏡に、形作ってきたもの。

これからの時代は
そういう、相対的なじぶんではなく
本来のじぶんで生きることが求められているし
そうやって生きたくて、いまの時代を選んできている。
やりたくてもできなかったご先祖さまたちの代表でもある。

あるものに当てはめるのではなくて
うちから湧いてくるものだけが答え

湧いてくるきっかけとして
他人や情報は有用


「本来のじぶん」を知るプロセスは
型抜きのようである。

まわりからちょっとずつ削っていったり
自然と欠けていったり。

完成品があまりにも見当違いなサイズや形だと
まわりのつもりで、実体を突っついてしまう。

だから、それについては
なにもしなくていい。
考えなくていいし
探しに行かなくていい。
いつかおのずと見えてくる。

かってにやってくる
(必要な)プロセスに
愚直に取り組むだけ。

そのプロセスは
日々ふと湧いてくる
「こうしたい」から始まる。

それを大事にできる環境を
死守するくらいしか
「じぶん」に出来ることはない。

いつ出てくるか
なにが出てくるかわからない
「こうしたい」を
どれだけ拾えるか。

願いのとおりじゃないとしても
どれだけ叶えてあげられるか。
どれだけ叶えようと思っているか。

その覚悟のぶんだけ
「じぶん」を生きることに
なるんじゃないだろうか

それがほんとうの
「自己責任」じゃないだろうか


(友人へのメールから抜粋編集)

あいかわらず

あいかわらず

蕎麦やうどんを茹でるときの

水やお湯のつかいっぷりに

罪悪感がわく

なんでだろう・・・・

まあいいや

クリアリング!

個人と全体

じぶんの役割を果たすのは
全体として生きる為

ここでいう「役割」とは
誰かや社会やなにかに規定されるものではなく
じぶんのうちから湧いてくるものに依る

成長ではなく
調和をめざしたとき

それはすでにあり
変わり続けていて

自由に枝葉を伸ばせる
樹木のようなものだとわかる

ゆめをいきる

ピグライフで
Yちゃんとあそぶ

うれしくてたのしくて
うっかり泣けてくる

ちいさいころの
お人形あそび感覚

なんでもありの
非現実な世界

また、味わえていることが
たまらなくうれしいみたい

わたしは事務所で
Yちゃんは会社で
仮想空間を共有して
おなじものをみて
他愛ない話をする
あんまりしあわせでくらくらするほど

おなじ空間を共有することに
わたしはどれだけ飢えていたのだろう

おなじ夢のなかで
共に生きられる
おなじ夢をみて
いっしょに笑う

わたしはずーっと
そんな世界で
生きていたかったんだなあ

戻ってこられた。

現実と非現実のあわいで
夢をみたまま生きていく。

物語を生きていく。

じぶんの奥にある感情をみること

昨晩、友人に話したことや
それから考えたことと
リンクしている。

メモかねてシェア。

・・・・・・・


見たくない感情に蓋をするということは、
対極にある歓びの感情にも蓋をすることになるのです。

その結果が、
生きがいを感じられない、
充実感を感じられない、
人生の奴隷のような感じがする、
幸せが何かわからない、
わくわくする感覚もわからないと、
人生の歓びからは遠ざかった状態になるのです。


(中略)


大人の特権は、自分を自分の手で育てることができること。

人生の中で、なぜか上手くいかないことや、
なぜかいつも困難なことを引き寄せる場合、
無条件に愛されているとは思えていないことが原因なのです。


大人は、自分を自分の手で育てていくことができる特権を持っているのですから、
自分を感じ、向き合い、怒りのさらに奥にある自分を見つけていくことは、
実は、自分を愛し育てるということなのです。

怒りが、自分の外側にある出来事や人によって引き起こされたと思うのは、
自分を観れていない証拠なのです。


人生を変えていける人は、
自分の外に原因があるとは捉えていません。

自分の中にあるから外側に現れていると捉え、
自分を変えることにエネルギーを注ぐのです。

その結果が、望むものが現実化するという現実になっているのです。

怒りの大元は、
自分に怒っているということ。

自分が望む人生を選んでいないことへの、
自分が自分に怒っているということです。

http://www.gracegrow.info/2016/02/29/怒りのエネルギーも大元/


・・・・・・・

わたしの実体験からしても
自分の怒りとその下の感情をみて
自分を変えることに
エネルギーつかうのが
大事なのは、間違いない。

しかしどんなにアタマでわかっていても
ずいぶん長いこと、出来なかったり
やってるつもりで出来ていなかったりした
(いまだって、100%できてるわけじゃないが)

理由のひとつとして
じぶんを観て、受け入れるだけの
エネルギーがなかったような気がする。

いま思えば、消耗していたのだ。
あちこち痛くて、
どこが痛いのかもわからなくて、
身を縮めているしかできなかった。
不用意には動けなかった。

なにをしたわけでもない。
みんなが普通にやってることを
していただけだった(と思っていた)から

なんだってそんな状態になっているのかわからないし
そんな状態だなんて思いもしないし、認めたくもなかった。

そこから徐々に回復していったのは
いろいろなボディワークを
受け始めたことが
大きかったように思う。

いまはずいぶん
したたかになって
おとなの特権として
子供でいることを
たのしんでいる。

自分のせい

あのとき
ああしていれば
もっとやっていれば
あんなことをしなければ
あんなふうに思わなければ
こうはならなかったんじゃないか。

いまこうなっているのは
ぜんぶ自分のせいだ。

そんな自分なのだから
この先だってたかが知れている。


・・・・そんな風に思っていた時期があった。
なにかにつけ、そういう考えかたをしては自分を責めた。

いまは、おなじ「自分のせい」でも
違うとらえ方をしている。

いまこうなっているのは
「わたしが、わたしだから。」
わたしが、わたしであるがゆえに、そうなっている。

正解も、間違いもない。

思うとおりになっていないなら
思いのほうがズレているだけ

いまこうなっていることを材料に
「わたし」を再認識して
思いを、仕切り直す
「わたしの思う、わたし」をフラットにする

これからあらわれてくる
未知の「わたし」に開いていく


つまり、行動の結果ではなく
意識の結果である、ってこと

結果、どんな現実がやってきても
そこにはギフトが含まれているから

「良い現実」を意識する必要などなく
ただ、可能性に開いていながら
すべて受け取る覚悟をもっていること

家族を亡くすこと

ひとりっこのオットにとって
親を亡くすことは
最大の恐れ

同じ記憶を分かち合う
きょうだいがいない

じぶんひとりの記憶では
じぶんの輪郭が揺らぐのだろう


奇跡は余白に舞い込むけれど
奇跡という想定外は
良いものとは限らない

あれよあれよというまに
家族が亡くなる経験は

余白を抱えていられるだけの気力を
そのひとから、奪うかもしれない

その傷をかばうように
想定外が起こらないように
用心に用心を重ねて
身動きできなくさせるかもしれない

そのプロセスに関与した
あらゆる物事を恨むかもしれない


それでも
それは基本的に
だれにもひとしく起こることで

それぞれが
それぞれのやりかたで
滋養に変えていくしかないのだ

変えていくちからが備わっているのだ

猫を

猫を飼おうか
かんがえちゅう

子供の頃
金魚やミドリガメを
飼ったことはあるが
世話は親がやっていた

オットは生き物を飼ったことがない
そもそも、じぶんより
早く逝ってしまうのが嫌だと
言い続けていた
けれど
最近ちょっと風向きがかわってきた


猫と違って
ケージで暮らす
つまり生活への影響のすくない

ちいさなハムスターあたりに
まずは手をだすべきか

ウサギやフェレットがいいのか

さいしょから憧れの猫がいいのか

オットは猫以外、愛せないという(笑)


猫をかう
たとえば子猫が
わたしの足元で
たどたどしく
水を飲むさまを
思い描くと
泣けてくるのである

なんでだ?


家を片づけて
ずいぶんすっきりして
心地よい
じぶん仕様の
空間になったら

なんだか
生き物の気配が
ほしくなったのだ

スペースのいろどりのように
それがあるべきだとおもった

絵や家具をレイアウトするように
ここにそれがあるといいと思った

日常の想定外

子どもか
猫か

あいかわらず
妊娠しないので
じゃあ猫かなと


もちろん家具や植物ではないから
たくさんのことが付随する
だから慎重に、検討している


昨年末にみた舞台の
舞台挨拶で
生きてた!と号泣した
あれが転機だったのだろうか

子猫を思い描いたときに
泣けてくるのと
おなじ感じがする

生きている
それだけでいい
いのちあることのキセキ

ふしぎと
そのいのちが
息絶えた時のことは
心配していない

いつか終わってしまう
そのことよりも
それまでにどれだけ
きらめきを味わえるか

終わるとわかっているのなら
それは、逆に、こわくないのだ

終わりがあるから
愛おしむことができる
出し惜しみせずに
ペース配分もなしに
ただ、いまを、過ごしていく

どんな終わりを迎えようとも
万が一死ぬほど苦しくても
それすらギフトだろう

そんなことよりも。
いや、いつかのそれも含めて
ちいさな生命体に居てほしい。


これはエゴだ、
それがどうした。
わたしはわたしにそれをゆるす。


じぶんのいえに
ちいさな、無垢な、いのちが居て
それをともに愛でる
オットがいて

どうしてそれを思うだけで
こんなにも泣けるのだろう
左目ばかりが泣く
(これわたしのかな?)

箱庭にいのちを吹き込む
宇宙がうごきだす
ひろがりだす

無垢の存在と暮らせたら
それはどんなに素敵だろう


« 2016年2月 | トップページ | 2016年4月 »

カテゴリー

無料ブログはココログ

占い by いとうより