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2016年4月の記事

やるべきこと

やったほうがいいんだろうなあと思いながら
やっていない状態を続けていることは
やってしまったほうがいい

めんどくささや
恥ずかしさや
そうしたものを超えて
やることで、流れにのる

あるいは、やらない。と決めて
そうである以上はどうするか?
動き出すこと、誰かや何かに働きかけることでもいい

それをしなくても
乗りたい流れに
乗っているひとが
目につくかもしれないが

そのひとにとって
それをやることは
やったほうがいいんだろうなあと思い続けることでは
なかったのだ

誰もかれもが
自分と同じことを
同じように
やったほうがいいんだろうなあと思い続けるわけではない

欲しがる

欲しい!欲しい!欲しい!

そう言われると
困ってしまうのです
かみさま視点的には

だって、あげてるもの。
十分すでに与えているもの。

駄々っ子の気持ちを
いちど受け止めて
そのうえで他へ流す

大高真さんブログ記事
『だだっ子には「ノリツッコミ」が効く』
http://amba.to/21iunjE

こうやっていなせるだけの余裕が、
世の中全般に、あってほしいなあと思うし
わたしも持っていたいと思うけれど

まずなによりも
わたし自身が
こうやって受け止めてほしかったなあと
やっぱり、まだまだ、思っている

あたまでは
それだってやっぱり
与えられていたのだろうと
思うのだけれど

けどけどけど

受け止めてくれないじゃないか!と
根に持っているちいさいじぶんがいる。

そのちいさいじぶんを
なだめながら

欲しいものを欲しいと言うこと

そして与えられていることに気付くこと

そのためにもまずは
ちゃんと欲しがることだ。

言ったり動いたり

この季節になると
毎年萌える
モッコウバラ

どこかで わけてもらえないかな?
まあいいか園芸店を見てみよう。

ひきこもりだったおととい
一念発起してw
近所の園芸店に
行ってみたけどなくて

今日、実家に行く
道すがらにもたくさんあって
母に、モッコウバラ
買おうとおもったけどなかったー!
そのへんで誰か分けてくれないかねえ
園芸店みておくよ なんて話してたら

写真とりながらのかえりみちに
2枝も貰えてしまった。

欲しいものを欲しいと
言葉にしたり
得るべく動くと
やっぱり、はやいな!

8から3へ

わたしのLPは8
パーソナルとマチュリティは3

権威的であろうとする癖が
すこしは抜けたかなと考えてたら

8の左側が欠けると
3になるなあと気付いた。

欠けていること
あほになること

完全無欠という自己認識から
穴のあいて抜けた3になる

わたしが
わたしを
あますところなくあらわし
本来の機能を果たす
そのためには
パーソナルの3
つまり他者視点を
取り入れて
合致しないところを
削ぎ落としていけばいい

こどもっぽくて
自己満足で
じぶんに夢中
そんなスタンスを基本とする

それは、8の自分を殺すことではなく
潜在的な8を活かすための戦略であり
自然にまかせた流れである

誰かのために書くんじゃなくて
誰かのため、を目指すがゆえに
じぶんのヨロコビをそのまま書くのだ

かっこつけたい
わかってる風でいたい
8をだまらせて
まっすぐそのままを。

おそらく
意図せずとも
そういう発信が
ふとなされるのだろうし

発信しようとしたとき
意図が介入してしまったならば
それはいっそ、8スタイルを通せばいい。
意図的な無邪気など気持ち悪いだけである。

そうなっていく。
それが増えていく。
そこは、意識する。

自分と地震と

311のときは
はじめての主催イベント初日だった。

今回はなにかあったか?

あったとすれば
ヒーリングなどに(うっかり)後押しされ
じぶんのスタンスや特性を、今一度、認識した。

結果として、もっと動かない
動かさないことを意図し
与えられているものを
あますところなく使うことを意図し
他人に乗っかっていくことを許可し

通常会話からブログを書き起こしたり
他人にアドバイスをもらってみたり
じぶんの可能性をもっと
ひらいていくことに力を入れ始めた。

フォッサマグナ
中央構造線

熊本地震の前には
福岡あたりで微震が続いていたという。
「警固断層」なるものがあると。
(ソース:http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48455)

福岡イベントをやった
警固神社とおなじ名前だから
おそらくあのあたりなのだろう。

なぜ、警固神社だったのか
どこか釈然としていなかったのだが
そういうことだったのだな。

神社であることが
重要だったわけじゃない。
わたしが関与するのは
そのレベルではない。
なぜそこに神社が建てられたのか?
そっちだったのだ。

わたしのイベントは、一種の祈祷である。
それと伝えずわからずに
必要な人、ちからある人を集め
みなでヨロコビを響かせる。

「ふつう」に考えたら
自分の行動や思考が
地震と関連するなんて
大げさというか
いったいどれほどの存在だよと
つっこみたくなるところだが

「わたしのふつう」においては
現実世界と内面世界は
関連していないわけがない。

石垣島、札幌、福岡。
2014年のわたしの動き。

そして先月に勃発していた
石垣島のキーパーソンを取り巻くいざこざ。

すべてがメッセージ(あらわれ)。

そうして。
わたしを含め
みな、やるべきことを
しかるべきときに
やってきている。

人が大きく感情を動かす時
その地域の地殻エネルギーは
天へと放たれる。

変化の時を
なるべくやさしく
なるべく痛みが少なく
プロセスできるよう
すべてが連綿と動いている。

何年もかけて
配置、調整している。

南西の島の住み込みを
ことしで最後にする友人。

つまり、ことしが山だな。

友人にシェアしたら「切り離し」のキーワードがきた。
この記事で示唆されていることと
おなじ感覚をキャッチしていたらしい。

「別れるには理由があったほうが簡単」

わたしではないものを
わたしから切り離す。

理由はいらない。
嫌なものは、いや。
それだけでいい。

理由を求め
執着すると
じぶんにも他人にも
身体レベルでの影響がでる。

じぶんの周りで大きなことが起きたとき
じぶんが安全な状況に置かれていることは
優遇されているとか
がんばったからだとか
そういうことではない。
単純に、いつだって守られている。ということ。
反対側の側面はみなくていい。存在しない。二元ではない。
大きなことを実際に体験中のひとたちとの比較ではない。
守られていないように見えることとの比較で
守られていることを感じるのではなく
ただ、守られているのだ。
誰しも。いつでも。
これまでの「ふつう」からして
それがどんなに酷い状況でも。

311でついに
じぶんの足で立ち上がり
活性化し
ゆるみ
溜まったものを
放出した今回

人間たちがもっと
意識的にゆるんだり
活性したりすることで
この先はそんなに
溜め込まずに済む。

ああそれで・・・
がんばるのも大事。の
流れがきてるのか。

がんばってもいいんだよ?
http://blog.okiraku.hiho.jp/?eid=1581402

あたまのがんばり。
からだのがんばり。
バランスをとっていく。
じぶんにしかわからない
じぶんだけのみちをゆく。

嫌われる覚悟

もっと
乗っかっていこう

前にも
おもったんだけどな

いよいよ
やっていくのかな

きっと
無意識にやっていたかもしれないこと

もっと
意識的に、ほんきで使っていく

嫌われる覚悟で
波風を立てていく

その先を見るんだ。

嫌われても
誤解されても
傷つけて、傷ついても
ぜんぶ追い風になるはずだ。

「動くのつかれた」

先日うっかり(笑)うけてしまった
ボディプロセス&クリアリングで
「動くのつかれた」が
ひさしぶりに顕在化した。

まだいたんだなー。
たまーに出てくるこのひと。
しばらくなりを潜めていたのだが
近頃、話し相手に
「それは休みが足りないのでは?」と
伝える機会が多かったので
気にはなっていたのだ。
やはり他人に言うことは自分に必要なことである。

これまでにも折々に
「動かない」を意図してきた。
しかしいま思えばそれは
「動かさない」であって
「動かない」ではなかったかもしれない。

さらに
輪をかけて!
動かない。

これがなかなか・・・

動いてこそ動くという習い性にくわえ
退屈を嫌ってつい動いてしまう
つつきに行ってしまう

動かなくてもokと思えるだけの
状況(経験)があれば
体得は早いだろう

簡単にするっと
肯定できる可能性にも
オープンでいつつ

とにもかくにも
やってみるしかない。

動かずとも、動く。
もてなされる。
居るのが仕事。
存在が仕事。

そしてわたしは
ひたすら
つかれをとるのだ。

ここでついた傷は
ここで癒すのだ。

目の前にあるもの
もたらされるもの
すでにあるものを
もっと、もっと、深く味わう。

そのうつくしさ
その響きを
他者に伝え
共有する。

じぶんへの手掛かり

ハートが反応すること
感じて共鳴すること
それだけが手掛かり

くだらなくても
めんどくさくても
至らなくても
遠回りにみえても
社会不適合に思えても
そこにしか道はない

宇宙ゲートは、ハートにある

感度をあげて
じっくり丁寧に
日常をみていく
遠くの景色をみるように

想像をふくらませて
創造していく

いままでさらっと流していた景色のなかに
きれいなものがぜったいにある

じぶんにとっては
すごくふつうであたりまえで
なんの苦労もなくてありがたみもなくて
だから価値がわからないような

その景色こそが
じぶんに与えられたもの

そこにどれだけ
価値を付与できるか
面白味をみつけられるか

じぶんにかかっている

生かされている、ということ

たとえば税金
たとえば家賃
お金に困って困って困って
あちこちあたまをさげて
それでもどうにもならないならば
最悪、人生おわらせたらいいと思っている
(じぶんのことについては。)

もしほんとうに
終わらせるしかない。
って思い詰めて
実行できてしまったなら
それはそれだし
宇宙がとめるなら、ストップが入る。
それはもう、わたしの知ったことではない

わたしが生きいてたほうがいいなら
なんとかして生かすでしょう

心臓がいつ止まるかわたしにはわからないし
動いてる以上は生きてろってことだろう
生かしてくれるんだろう

「じぶん」の存在意義とか目的とか
どれだけ探しても考えてもわからなかった
それでも生きているってことは
宇宙が知っているのだろう

それでいい

お手上げも
ばんざいも
宇宙からみたら同じなのだ。

「仕事」と「趣味」と「おかね」

生きていることが仕事
あとはぜんぶおまけ

悩むのは趣味
仕事も趣味

趣味とは好き好んでやってること
なにかを引き換えにすることなく
自己満足でやっていること

生きているだけで
十二分に機能するのだから
あとはぜんぶひまつぶし

なにも力むことなく
力みたければそれも趣味として
なにも力むことなく
息してるだけで
ついやってしまうこと
気づいたらやってること
やらずにいられないこと
そんなことだけで事足りる
うまくまわることになっている

それだけでは24時間うまらない
アタマは退屈が苦手
身体は動くことで整う
だからひまつぶしをする
自分を満たしておく

誰のためでもない
やらされてるのでもない
自分のためだけにやる

他人を巻き込まない
システムを巻き込まない
じぶんではないものに巻き込まれない

自己満足
自己完結

そうであれば
喜ばれることも
役立つことも
お金をもらうことも
おまけになる

おかねは補完システム
物々交換が成り立たない時に
バランスをとるためにある
便利なツール

いわゆる仕事は趣味である
ひまがつぶせるうえ
お金がもらえてありがたい

いままでの好みではないことでも
お金をもらえるなら
やってみてもいいと思える
きっかけになりうる
どんなことにも
たのしむ余地はある
やっぱり好みでなければやめる
飽き飽きしたらやめる

だれかのため
なにかをかなえるため
どこかに到達するため
物質や反応を得るため

他者やシステムや
「いまのじぶん」以外を
想定して動いていると
「いまのじぶん」が置き去りにされ
スカスカになっていく

いま、たのしむこと

苦悩さえも
好んで引き受ける
つまりじぶんでやめられる

苦悩しなくとも
願いがかなうときはかなう
状況が動くときは動く

それでもなお苦悩するのか
してもいい。しなくてもいい。嗜好次第。

やるなら本気でやる。
バカバカしく思えても
全身で真正面で取り組む。

本気出して全力でやって
報われなかったら?

報われる、報われないは結果
それはもともとオマケ

がんばれたこと
夢中になれたこと
そういう対象があること
夢中になれる状況があったこと
やっているあいだ味わっていた感情
それらを得られた幸福こそが報い


(4/2朝の自分メモより)

射手座で土星逆行/夢の叶え方

射手座で土星逆行中。

海王星が射手座にある世代のひとたちのなかでも
さらに、個人天体が射手座にあるひとたちは
ひときわおおきな動き、解放が起きているようだ。

オットももれなくそのひとり。
どう叶うのか、叶えるのか、
見当もつかないことが
かなった過去をふと振り返ったら、
かならず自分ではない誰かが
関与していたことに気がついたそうな。

いまさら?!

たとえばわたしと再会したのも
電車通勤していた旧友がきっかけ。
じぶんは、通学も通勤も
自転車でとおしていたw

それなのになぜか
絵でやっていくことに関しては
自力でなんとかしなくては!
(自力=じぶんたち夫婦)
という意識でいたのだと。

これもひとつの治外法権。
絵でやっていくことを
「仕事」としたがゆえに発生した
旧時代的な呪縛だろうな。

あしたから2ヶ月はバイト休業。
公募展に向けて集中。
(グループ展もある。)

いいタイミング・・・
というかやっぱり
もともと、ぜんぶ順調なのである。


無意識にやっていたことを
意識的にやったら
効果が出やすい
反応がわかりやすい

オットの場合
射手座は12ハウスで
そこに月と海王星がいて
月と火星がオポジション。
なるほど無意識にやっていたわけだ。

でもってオットの月のほぼ向かい側に
わたしの月と火星がいる。双子座。
そりゃ通訳になるわけだ。

オットの無意識を言語化し
意識にのぼらせ加速する

なんだか野暮な気がして
敬遠したくなる役割だけれど
意識的に担っていくとしよう…


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