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自分と地震と

311のときは
はじめての主催イベント初日だった。

今回はなにかあったか?

あったとすれば
ヒーリングなどに(うっかり)後押しされ
じぶんのスタンスや特性を、今一度、認識した。

結果として、もっと動かない
動かさないことを意図し
与えられているものを
あますところなく使うことを意図し
他人に乗っかっていくことを許可し

通常会話からブログを書き起こしたり
他人にアドバイスをもらってみたり
じぶんの可能性をもっと
ひらいていくことに力を入れ始めた。

フォッサマグナ
中央構造線

熊本地震の前には
福岡あたりで微震が続いていたという。
「警固断層」なるものがあると。
(ソース:http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48455)

福岡イベントをやった
警固神社とおなじ名前だから
おそらくあのあたりなのだろう。

なぜ、警固神社だったのか
どこか釈然としていなかったのだが
そういうことだったのだな。

神社であることが
重要だったわけじゃない。
わたしが関与するのは
そのレベルではない。
なぜそこに神社が建てられたのか?
そっちだったのだ。

わたしのイベントは、一種の祈祷である。
それと伝えずわからずに
必要な人、ちからある人を集め
みなでヨロコビを響かせる。

「ふつう」に考えたら
自分の行動や思考が
地震と関連するなんて
大げさというか
いったいどれほどの存在だよと
つっこみたくなるところだが

「わたしのふつう」においては
現実世界と内面世界は
関連していないわけがない。

石垣島、札幌、福岡。
2014年のわたしの動き。

そして先月に勃発していた
石垣島のキーパーソンを取り巻くいざこざ。

すべてがメッセージ(あらわれ)。

そうして。
わたしを含め
みな、やるべきことを
しかるべきときに
やってきている。

人が大きく感情を動かす時
その地域の地殻エネルギーは
天へと放たれる。

変化の時を
なるべくやさしく
なるべく痛みが少なく
プロセスできるよう
すべてが連綿と動いている。

何年もかけて
配置、調整している。

南西の島の住み込みを
ことしで最後にする友人。

つまり、ことしが山だな。

友人にシェアしたら「切り離し」のキーワードがきた。
この記事で示唆されていることと
おなじ感覚をキャッチしていたらしい。

「別れるには理由があったほうが簡単」

わたしではないものを
わたしから切り離す。

理由はいらない。
嫌なものは、いや。
それだけでいい。

理由を求め
執着すると
じぶんにも他人にも
身体レベルでの影響がでる。

じぶんの周りで大きなことが起きたとき
じぶんが安全な状況に置かれていることは
優遇されているとか
がんばったからだとか
そういうことではない。
単純に、いつだって守られている。ということ。
反対側の側面はみなくていい。存在しない。二元ではない。
大きなことを実際に体験中のひとたちとの比較ではない。
守られていないように見えることとの比較で
守られていることを感じるのではなく
ただ、守られているのだ。
誰しも。いつでも。
これまでの「ふつう」からして
それがどんなに酷い状況でも。

311でついに
じぶんの足で立ち上がり
活性化し
ゆるみ
溜まったものを
放出した今回

人間たちがもっと
意識的にゆるんだり
活性したりすることで
この先はそんなに
溜め込まずに済む。

ああそれで・・・
がんばるのも大事。の
流れがきてるのか。

がんばってもいいんだよ?
http://blog.okiraku.hiho.jp/?eid=1581402

あたまのがんばり。
からだのがんばり。
バランスをとっていく。
じぶんにしかわからない
じぶんだけのみちをゆく。

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