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2016年6月の記事

”これまで影にしてきたパワー”

(夏至のmixi日記を転載)


陰陽
内外
逆転する

非言語で通じ合うものを
言葉にするのがわたしのつよみ

ついつい頼ってきた言語能力

言葉でつながるのじゃなく
非言語でもつながる

空間をつくって
分かち合うのが好きなのは
そういうこと


影から生まれた何かが、うごきだす鼓動を感じる~夏至
http://ameblo.jp/astro-chie/entry-12172734488.html


言葉にしていく高揚感もすき
言葉を発する気持ち良さ
言葉にのっかる宇宙エネルギー

相手の土俵にのっかって
相手のせかいの言葉で
エネルギーを通す醍醐味


未来ヴィジョンを確かめてみましょう。射手座の満月。
http://maki-scope.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/post-2309.html


そのためにも
もっと人に会いたい。
いっしょに過ごしたい。
そこからかってに持ち帰ったり気づいたりするだろう

そのために引越したい。
気軽にあそびにきて
ぼけーっと言葉を発することなく
空間をともに
それぞれのスペースを保って
ともに過ごせるだけのスペース

この家は。アクセスよくて便利だけど
この間取りでは難しい。
縁側もほしい。
外へとすぐにつながれる
逃げることのできる環境が
無意識に与える影響はおおきい

どこにでもいける場所で
ともにいること
その温度
きせき

それもまた
わたしが与えることのできるもの

言葉なしにつながっている感覚
言葉のいらないせかい

ああそうだ
それも
あのときもらったものだ
わたしへの宿題だ
さそり火星の置き土産。これかあ・・・


今回の満月では、わたしたちが社会の枠の中で生きるために、あえて切り拓かずに残し、抑えておいた資質の一部が解放されるようにうながされています。

しかも、一度拓いてしまったら、それはとめどなくあふれ出して、本当に長いあいだ心のどこかで憧れていたこと、いつかこんな風になれたらいいな…と思い描いていたことをすべて実現させるような、強い信念と行動力とを喚起させるでしょう。

抑え込んでいたものを解放して、情熱的に、未開の地を切り拓くパイオニアとなる。

あなたのその姿がまわりに大きな影響をもたらしていく、夏至の前夜、銀河の中心の満月です


2016射手座満月☆とめどなくあふれる情熱が現実を変えていく
http://ameblo.jp/light-side/entry-12172252688.html

ご機嫌バロメーター

来るかこないか分からないものをアテにしすぎると、
いまのじぶんがスカスカになっていく。

じぶんの感情や感覚と
距離があるタイプ(思考優位)は
そのことに気づかない。

スカスカになってる目安としては

諸々タイミングがあわない。
電車乗り継ぎがわるい、
信号によくひっかかる等

焦り。不安。ままならないことにとらわれる。
力不足や不運を嘆きたくなる。
うらめしさを感じる。

退屈。たのしいことがわからない。
食べたいものが思いつかない。

イラついてるひとをよく見かける。
家族や身近な人が不機嫌。
責められているように感じる。


タイミングのズレや退屈や
イラついてるひとの存在は
実はいつものことなのだが

じぶんが元気なときは
気にならなくて
スルーできるので
印象に残らない。


家族が不機嫌になったら黄色信号。
つい家族の機嫌をとりたくなるが
さておき、早急に、じぶんケアをする。

緑のあるところや水辺にいくとか
カラオケやスポーツで発散するとか

目的地をきめてひたすら歩くとか
手軽なところでは塩風呂、塩マッサージ。

ひとりでも、家族一緒でもいい。


(5/6の下書きメモより。)


そのまま放つこと

だいすき と

表現することに

ためらいがあるんだなあと

最近、ときどき、なんども、気がつく。

言葉にするしないではなくて

だいすき と

エネルギーをそのまま

ぽーんと放つことに

とにかくためらいがある。

わたしのうちがわのちいさなおんなのこが

無条件ににっこりとわらうのは

ぽーんと放ってもだいじょうぶな相手に対してだ。

そのひとを思い浮かべたときだとかに

彼女がにっこりしたのを感知して

わたしは、じぶんがそのひとに対して、安心していることを知る。

それにしても、ピグライフは、彼女を放牧するのにうってつけである。

ぼやきと言い訳

昨日から、発信欲が噴出している。

ときどきこういうことがある。
天体配置から予測できなくもないが
できたところでどうなるものでもない。

たいがい身近な友人たちの状況や状態がきっかけをくれる。
そのひとたちへの言葉を皮切りに、あふれ出す。

わたしの内側の、ふだんは寡黙なひとが
猛烈に、暑苦しく、語りかける。

飛び火させようとするみたいに
ごうごうと燃え立って
修造みたい。( ̄▽ ̄)

ださいなー
かっこわるいなー
あからさまだなーって
しらけてみてるわたしをよそに

あれやこれやと視点をもちだして
正当化するじぶんをたずさえて

言いたいことがたくさんある。

でも言いたくないの。
ぜんぶじぶんにかえってくるから(笑)

出来てるから言ってるわけじゃない。
そうでありたいじぶんが、騒いでるだけ。

いちいちそんな言い訳せずに
言い放てたらいいのだけれど。さてはて。

★証明してよ。

じぶんがじぶんでいていいってこと

じぶんのままやっていけるってこと

証明できるのはじぶんだけ。

やる? やらない?

ただいまヒーロー育成期間です。

こうだ!と思って
うまくいかなくなると
外に答えを探しに行く
ふりまわされる

だって好きだから
大切だからふりまわされて
こうだ!からブレていく

でもほんとうは
好きだからこそ
無関係でいたらいい。

揺さぶりにつられて
ぶれて惑ってたら
いっしょに溺れちゃう。

がんばれ。
距離をとれ。
断ち切れ。

踏ん張るんじゃない。
ハラにちからをあつめて
内がわへ研ぎ澄ませ。

ヒーローは内がわに居る。

外にちからを与えるな。
内へと注ぎこめ。
渾身のエールを送れ。

激流にもまれながら
みな底を漂いながら
けしてあきらめてなどいない
じぶんだけのヒーローがいる。絶対いる。

あなたに肉体がある限り、絶対いる。

見失ってどうにもならなかったら
大声で歌え。
全力で走れ。
死ぬ気でやりきれ。

(逃げ腰の被害者でいたいなら、そのままでどうぞ。)

★社会の中で生きていけるか?

社会のなかで生きていけるか
不安になるひとは
いまの社会に合わないひと

社会に合わそうなんてするから
苦しくなる。ちいさくなる。

そのくせやっぱり通用しないって
すぐに投げ出す。
おきまりの子供じみた癖。

社会に合わそうなんて
社会どんだけ舐めてんの?

社会に合わせさせるんだよ
お互いに変わるの
歩み寄るんだよ

遠慮してるから
遠巻きにされる

既存社会に合わないひとは
未来社会を変えていくひと

見下しても
見上げても
タッグは組めない

じぶん仕様の社会
つくっちゃいなよ

ただ、自分でいれば
あきらめず
つかずはなれず
自分を歪めず
押し付けず
当たり前の顔してたら

いつか、出来てるよ
じぶんの居場所のある社会に、なってるよ

そういう予定

あれが欲しい、
そうなりたい、
欲求はいつも未来からくる

そういう予定がすでにあるから
欲求としていまここにあらわれる

あとは素直にすすむだけ。

そういう予定がすでにあり
すべてはそこへの過程だから

そうしたほうがいいことも
しないほうがいいことも
なにひとつない。

宇宙ルートは摩訶不思議
どこにどうつながるか
ひとのあたまでは分からない

そうしたほうがいいだとか
しないほうがいいだとか
小賢しく近道を選んだら
かえって遠回りになったりして

そうしたほうがいいと
あたまでは考えていても
そうしたくないなら
しなければいい。素直に。

どう考えても遠回りでも
そうしたいなら、すればいい。
それをしっかり味わえばいい。

先のことは考えず
過去の選択を疑わず
それはそれとしてやりきればいい。

欲しいものを手に入れるために
そうしてみるんだっていい。

疑いや不安は重たい。

どうしても湧いてくるそれらは
スピード調整なのかもしれない。


わたしたちのあいだを行き交っているもの

こんなことやってます!
これを売ってます!と言う。

欲しいです。
くださいな!と言う

あげようと思ったもの、そのものを
相手が受け取るとは限らない。

欲しかったもの、そのものが
手に入るとは限らない。

でも、結果がそうなったのなら
ほんとうに渡したかった/得たかったものは
それなんだろうと思うよ。

がっかり、だとか
怒り!だとか
想定外のよろこび☆だとか
なんだかわかんない感じ。だとか・・・

きっかけは、きっかけに過ぎなくて
じぶんたちのしらないところで
ほんとうに欲しかったもの
これからに必要なものを
ちゃんと、取りにいってるし
ちゃんと、与えているんだよ。

桶屋をもうけさせるために
風が吹くわけじゃないんだよ。

わたしたちのあいだを
行き交っているのは
めにみえないもの。

表向きの事象なんて
カモフラージュに過ぎない。

それでも
表向きのことを
扱うしかないんだ。

いちばん届けたいひとには
届いていないように思えても
目の前に手渡すだけなんだよ。

桶屋がもうかるかどうかは
知ったこっちゃないのだ。

渡したいから、渡す。それだけ。

深海くじらバーズ

1ハウス天秤のち蠍
ドラゴンヘッドと天王星

深海くじら な じぶんの本質は
おもてに出るのに時間がかかる

世間のペースには合わないから
月星座ふたご@8室で生きてきた

バーズをやっていてしあわせなのは
黙ってじぶんを感じていればいいから

深海は宇宙に通じている

・・・・・・・

先月末からのバーズ祭りは
おしゃべりしながら、ばかりである。

それはそれでたのしい。
ひとのはなしを聞いていればいいのだから。

バーズを理由に
わたしは沈黙権を得ている。

非言語の世界を漂っている。

実態は、あべこべ。

ちまたのセラピーや
セッションの話をきくと

受ける側がお金を支払いつつ
施術側に対して
与えている様相のものが多い

与えているのは
情報だったり
気づきだったり
共感の機会だったり

つまり施術側は
与える機会
表現する機会を、与えている。

施術側が与えているのは
セラピーや言葉や気づきよりも
そっちのほうが大きいのかもしれない。

ひとは、表現できる機会を求めている。
受け取ってくれるひとを、探している。
その機会を買い取っている。

ほんとうに得たいのは
癒しでも変化でもなく
じぶんそのものをあらわす機会。

表にみえる現象と
実態は、あべこべである。

口下手とっての、あそび

じぶんを語るのが苦手だ

泣いてしまうから

そして、言葉が遅いから


わたしはある意味
口下手なんだと思う

じぶんの思考や
アイデアや
相手への言葉は
すらすら出てくる

じぶんがほんとうに求めているもの
赤ん坊のような本能にちかい欲求
そうしたものを言葉にするのは
時間がかかるし抵抗が大きい

外向きの思考の言語化と比べて
じぶんの源泉の言語化は
あまりに負荷が大きい。
だから、疎かになる。
友人と話しても
セッションなど受けても
めったなことでは出てこない。出せない。出さない。

わたしの少女性は、寡黙だ。
おしのようにだまって
言葉にならないソレと共にある。

そのことをさみしいとも思っていないし
問題だとも思っていない。
だまって、風にゆれる木や雲をながめて
ソレと共にあるのがしあわせ。

社会で生きていくために
社会でのたのしみを享受するために
いつもは忘れがちで後回しにしがちなそのしあわせな時間を
これから増やしていけたらいいなと思う。

それだって、まちがいなく
現世のよろこびであり
肉体ありきのしあわせであり
この世の最上のあそびのひとつだから。

ハウツー情報との付き合い

FBをみていると
いろんな「やりかた」が流れてくる。

お金を受け取る方法
だれかをゆるす方法
好きなことで生きる方法

一見するとわかりやすく
理にかなっているようなんだけれど

そのひとにとっての成功体験であり
だれにでもぴったりなわけじゃない

もちろんやってみてもいい
やらないと体験にならないし
経験にもならなくて
肉体の英知が育たないから

個々人に授けられた
個々人にぴったりの英知は
使い込むことで育っていく

分厚い辞書もなんどもめくっていれば
必要な箇所をすぐ見つけられるようになる

なにもしなくていい

なにもしないでいたら
うまくいくのだ

受け取るとか
与えるとか
愛するとか
手放すとか
書き換えるとか
そういうのあえてやる必要もなくて

なにもしないでいる状態というのは
振り返ってみたときに
なにもしてるつもりがない状態。

ごはん食べない
トイレにいかない
だれとも話さない
受け取らない与えない
そういうことではなくて。

どうにかしよう
変わろうとするのでもなくて

放っておけば
動いていたり
休んでいたり
じぶんにとっての
当たり前をやっている
じぶんがきもちよくいられるように

この「きもちよさ」の認識が
じぶんの個性(肉体状態)と
ズレていないか
これまでの習慣が
いまに合っているかどうか
確かめつづける必要はある。

常識や他人や、過去の体験など
あたまに入っている情報(ノイズ)に
影響されていることが多いから。

うっかり気楽に
思いつきでひょいと
そんなときはノイズが入りづらい。

ノイズは即座にやってくるので
それに影響されるか、されないか
じぶんで選んでいく。

安全にみえる選択と
わくわくそわそわする選択と
どちらを選んでもいい。
毎回、変化を選ぶこともない。
おやすみだって必要だ。

ジャッジのない世界とは

ジャッジのない世界をもたらす、と
アクセスコンシャスネスは謳う。

ジャッジのない世界とは
いまのわたしが思うに
ジャッジが発生しない世界ではない。

良い悪い、上手い下手、好き嫌い、
被害者加害者、平穏波乱、、、
そうした判断に固着しないこと。

判断は生じる。
趣味嗜好は消えない。
けれど、いっときのこと。

いま、この時の、じぶんが
無意識に選んでかけたメガネに
気づいていること。外せること。

「ジャッジが生じたこと」を
「ジャッジの対象」にしない。
生じたのだから、それでいい。
自然現象や生理現象のようなもの。

その現象にとらわれずにいる。
それが、ジャッジのない世界かなと思う。

体験する

実際にそれが
我が身に起きたとき

冷静に見通しているじぶんをよそに
体はかってに縮み、固まり、震え、涙を流した。

安全の確信は揺らがないのに
感情は波立たないのに
それでも、体は、揺さぶられる。

情報と想像で
味わった気になっても

体験というのは
ほんとうに
まったく別物だ。


決めて、予定で、

願いをかなえるのじゃなく
引き寄せるのじゃなく
叶ったつもりでもなくて
夢を夢のままに生きてしまう。

引っ越すと決める。

物件情報を見てみたり
断捨離すすめてみたり
気持ちを盛り上げていく。

引っ越す前提で暮らしていく。

かなわなかったときのことを考えたり
現実的に動きがないことや
目処が立っていないことを気にして

その気になっちゃって
バカバカしい。

なんて、自分を止めない。

具体的に動かなくちゃ
なんて、焦って頑張る必要はない。

引っ越したあとのことを思って
不安になる必要も、もちろんない。

引っ越す、という出来事に向かっている
そういう意識で
着々と淡々と目の前を踏みしめていく。

いまの自分に自然な範囲で
ふと起こる衝動や思いつきを
拾えるように、ゆとりを保ちながら

すでにその途上にいること
いずれそこに到達することを
ときに疑いながらも
他人事のように眺めている。


引っ越すつもり

引っ越したい。と言うと
海と山があって
平屋の日本家屋で
囲炉裏があって
というようなイメージを
何人もが言うので
そうなんだろうなあ・・・。

いまは第3チャクラにあって
現実化の一歩手前、という情報もきた。

こんこんと湧き出るエネルギー
どこからかわいてくるお金と同様
引っ越し先の物件もそうやって湧いてくるのかな
(現実的には降って湧いてくるかんじだろうか)

まずはこの土地から離れるのが第一歩で
囲炉裏は最終形態だとしても

わたしが椅子かなにかを木工してて
オットが家事を引き受けている
という夢を
めったに夢をみない覚えていないオットが
つい先日みたそうなので

そう遠くないと思うのだけれど
いつなんだろうなあ。

表面上はさっぱりそうなっていなくても
そのつもりで日々を過ごそう。

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