« 2016年7月 | トップページ | 2016年9月 »

2016年8月の記事

美意識の発動

めんどくさい、や
苦手、は、
ほんとうの願いのヒントになるけど

めんどくさいと思いながらやるもよし
めんどくさいという観念を書き換えるもよし
それは、流れのままに。

山を崩しつつ登ることになるのが多いだろうか。


体格がコンプレックスなら
体格を変えるんじゃなく
体格を活かせばいいし

こだわりが引け目なら
こだわらない振りじゃなく
こだわりまくればいいし

ざわざわするけど
その感情はさておき
スケールアップのため
黙々とやる。(乙女座木星的)

ざわつく感情にフォーカスして
きゃあきゃあやっても
べつにいい(わたしの趣味ではない。)


コンプレックスがあるポイントは
つまりそのひとの美意識が発揮されるポイント。

おのおの理想があるのだ。
その理想は万人共通ではない。
そのひとのなかに厳然としてある。

美意識を発揮して生きる
発動させる

かっこいい!やるな!!って
自画自賛できる自分でいること

全方位ぬかりなく
大きいことも些細なことも
見えるところも見えないところも
自分らしくあること。
ありたい自分であること。

それをやらずして
球体にはなれない。
健全な関係性は始まらない。

他者をつかって
じぶんを責めたり
傷を舐めたりしていたんじゃ
掛け算でターボかかる関係性にならない。

木星天秤座に向けて、テコ入れの時期。

じぶんをあいする、とは

”「じぶんを愛する」ってなにすればいいの?”

わたしなりに表現すると
”胸を張れるじぶんでいること” 。

どうしたら胸を張っていられるのかは
ひとによって
場合によって
ぜんぜん違う。ほんとうに違う。

そのポイントをみつける重大なヒントは
”めんどくさい” や ”苦手” にあることが多い。
そこに願いが隠れてる。

かっこつけて
無いことにしてるそれは
じぶんの目線を下げさせる。

だれがどんなに褒めてくれても認めてくれても
じぶんだけは知ってる。

無いことにしてるそれが有ることも
それに手をつけてないダサいじぶんも
知ってるから、うしろめたい。

あいする、がわからないなら
あいせない、を減らせばいい。

めんどくさくても苦手でも

値段や、手間や、ハードルの高さなんかを理由にして
ほんとうの願いを叶えずにいると
巡りが悪くなる。

めんどくさい。苦手だ。だけど…
でもやっぱり苦手、などとぐるぐる思うなら
ハラきめてやるしか(orやめるしか)ないんだよなあ。

そして、どうやったらそれができるのか?
どうだったらすこしでもやりやすくなるのか?

頭でこねくりまわして見つけるんじゃなく
疑問系で、頭においておく。

ただ、やると決めること。
いまはできないと認めること。
あとは、風がふくのを待つのだ。

それを思いついてしまったのなら
あれこれ理由をつけても
「めんどくさい!」って言っても
それが気にかかってしかたないなら
それは、やっぱり、やりたいことなんだ。

逃げ続けるかぎり、じぶんが報われない。
残念なじぶんで居続けることになる。
そりゃ巡りも悪くなるさ。

胸はってさえいられたら
風をうけて、すすんでいけるんだ。

ひるがえって

守るばかりでなく
待つばかりでなく
こちらからできることはなにか、考える

祈るばかりでなく
ひらくばかりでなく
取りにいけるものを、取りに行く

他人に言いたくなったことを
じぶんへと、ひるがえす。

いま与えられているものは
わたしが望んでいるもの

いま叶わないことは
わたしが望んでいないこと

めんどくさがってないで
動け。動け。動け。

無理をしないことと
さぼって逃げることは
いつだって紙一重。

愛する

意識を向けることが愉氣で、
それはたぶん愛と呼んでもよくて、

そもそもそれ(意図せずとも放たれるもの)が
あるがゆえにここに存在しているので、

なにもせずとも「愛する」をしているというか、
それ以外の状態にはなれない。

恒星みたいなものか。

猫と片付けと未来創造

思い通りの未来を創造するには、
イメージ+エネルギー+自分への許可

イメージは想像力。
なりたい自分をありありとイメージする。
エネルギーは、感情。
思う未来が叶ったら、どんな気持ちになるか、先に感じる。
ワクワクとか。
で、そうなることを自分に許可する。

てるてるFB投稿より


きのうちょうどそんな話をしていた。

思い描く未来へのプロセスは
自分への許可がいちばん難易度が高い。
今回の、猫がきた経緯を振り返るとよくわかる。

これだけ物を片付けて部屋がシンプルになったから
猫か子供が来てもいいな。と、思えたのが1月。
そこから、猫がいる暮らしを見せてもらったり
あとはたぶん、片付いた部屋に馴染んだり(笑)
おうちギャラリーやってみて、気が済んで。

猫を飼うんだ!と数人にいったら
とんとんとーんと、やってきた。

猫を目標に片付けたわけでもないし
それがモチベーションになったわけでもない。

片付けないことには
あれもこれもしないできないやらない
わたしがそう決めていただけ

つまり元々すっきりした住空間を望んでいたのだ
ずっとずっとずっとなにかにつけて
片付けたいと思っていたのだ

だけど。めんどくさかったのだ。

めんどくさかったのは
変化への恐れ
古巣への執着
そんなもののあらわれ

カオスのあたたかさを
手放す決断ができなかった

いつかのための
いざというときのための
あれやこれやを手放せなかった

まだ使えるもの
保持しておくもの
それらの基準を変えられなかった

いまとこれからのわたしに合わせることを躊躇して
親や世間から習得したかつての基準を採用し続けた

何年かかけて
ちょっとずつ基準をゆるめながら
まずは衣類で、次に家具で、それから…
ちょっとずつ、適用範囲をひろげて

そうして、やっと、猫に至ったのだ。

次は、さて、引越しだ。

そのために
というよりは・・・
単純に。まだ、気がかりなこと
すっきりさせたいこと、あるよね。

おもにオットの荷物がカオスな納戸。

あそこが片付く流れを、つくるには。
わたしが手をつけるべき「めんどくさい」はなんだ?

差し出す。受け取る。

わたしはいま
差し出し対象を変えたことにより
受け取り回避も
しているのだなあ。

父の痛みが軽減されるよう
回復が順調であるよう
ほんの数秒、心を向けてもらう
祈りや愉氣のちからをしっている友人限定で
そのお願いをFBに投稿するか、どうするか。
迷って、いまだにやらずにきているけれども

もしやったとしたら?
イメージするだけで
わたしの涙腺が崩壊しそうになる。
胃のあたりがゆるむ。

ちょうだい。といえば
雨あられと降り注ぐことがわかっている。
それがどんなにうつくしいか
しっている。

Lちゃんから
暑中見舞いといって
ゼリーが届いた。
北のひとたちのやさしさは
しずかで、受け取りやすい。

差し出すことをがんばってきたのと同時に
受け取ることもがんばってきたのかもしれない。

愛する対象

わたしが猫と暮らしはじめたのは
つまり
ヒトを愛そうとすることから、降りたのだとおもう。

やめたわけじゃなくて
ヒトをまず第一に愛するのだ、という
無意識の志向を、やめることを、じぶんに許したのだ。

どうしたらヒトに受け取ってもらえるのか?
などという試行錯誤を、もう、しなくていい。

それはつまり
ヒト/宇宙への信頼が
回復したということでも
あるような気がする。

わたしはわたしにとって
自然で、無理がない、
注ぎやすいところに、注げば良い。

それがモノであれ動物であれ
ヒトでないところだとしても
それはヒトに注ぐのと同義である。

だから安心して
心ゆくまで
注げるところへ
注いだらいいのだ。
けちけちせずに
たとえば毎日、床にワックスをかけるような
そういうことでいい。

古くなってなくても
まだ使えても
気分でモノを変えていいし

そこまでしなくても。と
だれかに不思議がられるくらい
こだわりまくってもいい

誰のためでもなく
地球のためでもなく

いまここを生きる
わたしに
極上の体験をさせるために
わたしにとっての極上を
毎瞬、選んでいく。

« 2016年7月 | トップページ | 2016年9月 »

カテゴリー

無料ブログはココログ

占い by いとうより