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2016年11月の記事

通貨とあぶく銭について考えてみる

お金とは通貨である。
所有を前提とすると苦しい。
なのになぜ多くの人が所有にこだわるかといえば、
お金と苦労が結びついていることが大きい。

いわゆるあぶく銭はすぐ消える。
(実際には移動しただけであるけれども)

あぶく銭というのはつまり
苦労したつもりがないのに増えた
”じぶん名義の通貨”のこと だろうか。
世の中にあぶく銭が増えると
お金にまつわる不安や心配が減るんじゃなかろうか。

あぶく銭を増やすには
お金と苦労の紐付けを断ち切れば良い。
個々人で出来ることである。

嫌なことはやらない
あるいは本気で取り組めばいいのだ。
嫌々やるから苦労と感じるのであって、
嫌だけどやるからにはたのしみを見出す!という意気が大事。
屁っ放り腰の受け身じゃなくて、前傾。取りに行く。

そうして取り組んだものは
なにがしかの達成感や満足感があるので
そのあとじぶん名義の通貨が増えるかどうかは
さほど重要ではない。
増やすつもりで取り組んだのだから
増えないのは困るが、
増えたそれに対する執着は薄い。

じぶん名義の通貨を増やすという目的でもなければ、
取り組んでみようとは思わなかっただろう体験も、
そのおかげでいろいろ出来るので、
なにかをしたら対価が得られるというシステム自体は悪くないと思う。

しかしそのシステムを通すことが
”じぶん名義の通貨”を増やす”正しい”方法であり、
それ以外は邪道となるとまた苦しい。

”あぶく”なのだから
どこからともなく湧いてきても飛んできても良い。
通貨がめぐりめぐっているだけのことである。

傷を超える

先月から時折サインがきてた6室

牡羊座に木星とキロン

わたしがあらゆる他人に投影する
自尊心を損なう態度、自己卑下、自虐

ステージが切り替わる時期に浮上する
世界がひろがることは
さらなる痛みをみること

でも。傷や痛みにフォーカスしない。
みえても、感知しても、その先へとつなげる。
そっちに意識を向ける。

傷も痛みもそのままでいい。
暴かない、晒さない。
奥に秘めたまま
そのときを待つ。

見るに堪えないものからは
距離をとっていい。
わたしはわたしにやさしくいる。

いつか花咲く日を
その可能性を抱えて
わたしはわたしの場所にいる。

自虐の痛み

わたしが他人の自己卑下や自虐に反応するのは
わたしにとって「生きていること」そのものが
自虐みたいなものだからだ。
自虐にあふれた場面を見続けるという自虐。

そんな捉え方をするわたしのクセも
いつかおのずとなにかに変わるといい。
変わるのだろうとおもう。

今日もこの身体が生きているのは
きっとそういうことだとおもう。

自虐におもえるあれもこれもそれも
変化のいち側面なのだ。
破壊と創造は同時に起きている。

波乱を望む気持ちの扱い

じぶんのなかに
波乱を恐れながら
一方でそれをどこかで望んでいる
そんな気持ちを見つけた

怒りも痛みも悲しみも
ぜんぶ白日のもとに晒して
周りも巻き込んでしまえばいいって

感情解放のカタルシス

じぶんの痛みや
だれかの弱さに
あえてフォーカスして
波風を立てる

問題として仕立て、解消する

ドラマティックで刺激的な快楽はクセになる

わたしがほんとうに望むのはそれではない。
もっと穏やかで平和で退屈でいい。
痛みは痛みのまま
痛みとも気付かぬまま
抱えていれば
いつか勲章になる

暴くのは簡単だ
達成感もある
欲も満たされる

けれども、それはちいさなちいさな自虐だ。

わたしはもっとやさしい世界をみていたい。
そのためには、ただ、見ていればいいのだ。
するべきことなどなにもない。
やさしさを、完全性を、あたたかさを見ている。

わたしがわたしにやさしくあれますように。

(この記事を書き始めたら
猫が、向かいの椅子から
わたしの胸元にやってきて
丸まって寝始めた。
寝息。振動。ぬくもり。
せかいはこんなふうにやさしい。
だから、だいじょうぶ。
悲しみも痛みも抱えていく。)

創造性を支えるもの

内なる女性性を大切にするとき
内なる男性性が不可欠

ほんとうに欲しいもの
望むことを表明しようとすると
大きな抵抗がでてくる

拒絶の痛みが呼び起こされるから
拒絶が、生存拒否を意味していたから

いまやそうではないと
アタマで分かっていても
肉体レベルでのこっているそれは
無意識に、反射的に、からだを縮こまらせ
喉をしめ、声をあげさせない

男性性をもって
大きな視野に立ち
勇気を奮いたたせ
痛みをケアしながら
万が一拒絶されたときには
全力で守る覚悟を
自分自身に誓う

無理強いをさせるでもなく
しかし時に発破をかけて
女性性をバックアップする

創造性、独自性、想像力
女性性を社会に差し出すことや

やわらかさを保ちながら
目の前のすべてを慈しむことは

男性性と女性性の
信頼関係の構築と
同時進行となる

ちゃっちゃと済ませる、その一方で

やりたくないことだけど
やらなきゃいけないんだったら

はやくおわらせよう
ちゃっちゃと済ませよう

そういう意識を
女性は持ちやすいけれど

そこにはかならず痛みが生じている。
じぶんのなにかが損なわれてしまう。

なにごともぞんざいにしてはならないのだ。じぶんのために。
やるからには、どうたのしむか。どうしたらたのしいか。

世界へ表明し、響き合って、共同創造していく。

女性性を受け取ることは
女性性を差し出すこと。

いっときたりとも
「心地よさを求める欲」を押し殺してはならない。
みずからの「よろこび」を後回しにしてはいけない。

そんな犠牲のうえに
ほんとうの安らぎはない。

それと同様に
大切な存在を貶めてはならない。
バカにして、笑い者にしてはならない。

それによって傷つくのは自分自身でしかない。

対抗心やプライドを満たす一方で
みずからのやわらかなこころは痛んでいる。

痛んでいるがゆえに
心を閉じ、手を抜き、貶し蔑むが
それゆえに、傷が深くなる。

すべてのものを愛したいと願う
すべてのものを大切に扱いたいと願う
みずからの本心から、遠ざかってしまう。

すべてのものを愛おしむ
そのゆたかさを享受する
満ちて、こぼれる
めぐりゆく
やがてまためぐりくる

じぶんひとりくらい

誰がなんと言ったって

じぶんひとりくらい
じぶんのぜんぶを、誇るべきだ。

いつも精一杯だった。って

理想とは程遠いにしても
最善を尽くした。って

じぶんひとりくらい
じぶんに、言ってやるべきだ。

誇っていい。

言っていい。

いますぐには無理なら
いつか言う。って、決めたらいい。

誇らしくおもえる日がくるってこと

その可能性を見続けること

じぶんひとりくらい
じぶんのために
やりきるんだ。

実際の言動こそが

理想的な言動ができなかったことを悔いるなかれ。
実際にとった言動こそが
最善であったと分かるまで見届けるのだ。

実際の言動の奥の奥の奥に
はかりしれないあたたかな想いがあると考えてみる。

非情にみえても、非情といわれても
そこにやさしさがあるのだと信じてみる。

見たいもの、見ようとしたものしか、見えてこないのだから。

じぶんの言動、選択を
否定的に見たところで、なにも変わらない。

断捨離したい、しなくちゃと思いながら
実際には取り掛からないのなら
したくない気持ち「も」有ることを認める。
したい自分より、したくない自分を優先しているだけのこと。

捨ててさっぱりしてもいい。身軽の愉しさ。
大事に抱えていってもいい。所有の豊かさ。

矛盾する思いはいつもある。いくつもある。
理想と現実のズレの裏にある
葛藤に気づき
矛盾した気持ちそれぞれに
スペースを与えるのがまず最初。

矛盾を追いやらない、蓋しない、説得しない、焦らない。

矛盾するぜんぶをゆったりながめて、
どこへ向かっているのか?感覚を澄ます。

理想に振り回されることなかれ。
理想は思いのひとつでしかない。

思いもよらぬことを奇跡という。
未来は未知数。大波小波。
矛盾も理想も引き連れてこそ
じぶんでも知らない本懐へとたどりつける。

大海原をすすむあいだ
景色はなにひとつ変わらなくても
いつか船はかならず彼岸に着く。

それを見届けるのが「わたし」の仕事。

体の心地よさを選ぶ

頭が思っているよりも、
肉体はずっと可能性を秘めている。

それを恐れて、
めんどくさいもの扱いしたり、
腫れ物にさわるようにしたり。

主従逆転させてしまえばいい。

肉体を先にゆるめてほぐして動かして、
頭の知っている可能性を上書きしていく。

思いも寄らぬものが好きだったり、
心地よかったりする。

心地よさを選ぶとき、
頭は「怠け」と言ったり
「退屈」と言ったり
めんどくさがったりするけれど、
そこで変化を避けていたら
いつまでも不快なのは他ならぬじぶん。
心地よさに手を伸ばさずに
不快を続けることは自虐といえる。

まるでだれかへのあてつけのように
そうしていることもある。
変化するだけの余力がないこともある。

それでも、そのうえで、
できることをやっていく。
ちいさなことを積み重ねる。

ゼロ、マイナス、プラス

達成感や
承認欲求を
満たそうとするとき

あるいは
安定に飽きて
刺激がほしいとき

簡単なのは
現状のなかに
マイナスをみつけだすこと。

親や子供やパートナー
仕事や上司
通行人や天気
社会情勢までなんでもつかって

あれがダメだ
こんなはずではない
これはおかしい
なにが足りない
どこが悪い
どうすればいい

そうやって
マイナスをゼロにしようとする

じぶんでつくったマイナスだから
ゼロにすることは可能

ゼロにするための
正解がある

そうしてゼロになって
ほっと、安定を味わう。

ゼロを起点に
プラスを積み上げるとき
正解はどこにもない。

試行錯誤で手がかりをみつけ
試行錯誤で足がかりをつくり

不安定なそれらのうえにある
ゼロからプラスになったその地点で

変化し続ける環境と
変化し続けるじぶんで
その都度、ちょうどよいバランスをみつけ

心や体が慣れて
安定を味わえるまで、こらえる。

自分で掘ったマイナスの穴は居心地がよい
いろんなものから隔絶され
ある意味、守られている

自分で積んだプラスのステップは
風にさらされ、足場も不安定
頼れるものはじぶんだけ

”じぶん”の定義を広げなくては
とても、立っていられない。

そうまでしてでも
石を積むのは
あたらしい景色をみたいから

怒りが抜けたら

先日の新月前後に
肝臓付近にあった痛み
愉氣と邪氣吐きで抜けたけど

そのあとから
お酒いらないし
コーヒーいらないし
なんだかつまらない。

そのうちまた、ふと、再開するのだろうな。

そういえば脳内もわりと静かだ。
ああ、オット(の脳内)が静かになったせいか。
ということは
刺激物が要らないのは
そっちとも連動してるかな。

しばしの休息。

Oさんのこと

岡田さんがふいに亡くなって
岡田さんのサロンでつながった
心屋系のひとたちがざわめいているFB

えちご屋と
オープンカンセリング
その2回しか会ってないし
さして話もしていない

10/27(木)の夜
トビラの会 とかいうあつまりを
サロンでやっていて
水炊き用に濃厚な鶏ガラスープを仕込み
いつものように手料理をふるまい
みんなで飲み食いして
しゃっくりが止まらず
日本酒で床に寝るほど酔って
ひとりになったあと
ベッドに移動して
そのまま、だったらしい。
第一発見者は飼い猫のレオだろう。
その次は、誰だったのだろう。
土曜日の夜に、亡くなっていることがわかったみたい。
お父様がご健在のようで、家族葬を予定されているとのこと。

ダンディの教室 というのを
始めようとしていたみたい。
今週なかばには
バーでの飲み友達から
心屋仲間となった
いかりんとのコラボ飲みトークライブや
そのほかにも、予定いろいろ。

飼い猫レオは
拾主でもあるという
いかりん(既存猫2匹)が預かっている。
最新状況は彼女が把握して、投稿しているようだ。

ちなみにいかりんとは面識はない。
ないので、さん付けでもなく、
わたしにとってはアイコン的。
帝国ホテルでフォーマルドレスで
お誕生日会をやっていて、羨ましかった。

トビラの会のあとそのまま、というのは
えちご屋会のときにいたひとの投稿にあった。
あのとき、あえて、全員とはFBでつながらずに
そのままにしたし、つながっていても
フィード非表示にしてるひとも多い。
岡田さんもそのひとり。

心屋さんに似てるひとだなあ
くらいに思っていて
当日か、後日のお礼メッセで
ご本人にも伝えた覚えがある。

ちかちゃんの見ている世界を
みてみたくて、
退屈まかせに行ってみたえちご屋会。

サロンは洒落ていて、すてきで
手料理はさりげなくあったかく
なかなか手に入らない銘柄!と
おいしい日本酒を何本も用意して
とても嬉しそうにしていた。
築地まで卵焼きを買いに行ったら
おやすみだった。とも言っていた。

おだやかでお茶目な雰囲気のなかに
ときどき、わずかな翳りが感じられた。
けれど、ちっとも、他人に依るところのない
とてもフラットなもてなしかたをしていた。
ほんとうに、こころから、
ホスト役をたのしんでいるようにみえた。
こんな言い方はおこがましいが
見事な、在りようだった。

それで、わたしは安心したのだ。
こういうひとがいてくれるなら
この界隈は大丈夫だなあって
頼もしいなあって、思ったのだ。

2009年に脳梗塞になって
そこで人生リセットがかかり
いまに至る、とプロフィールにあった。

顕在意識はともかくとして
潜在的には。
このおわりをもって
やるべきことをやりきり
あとは、個々人が受け取っていく。
彼はご縁ある方をサポートしてまわるのだろう。
より自由に、より軽やかに。
きれいなまま絶頂期にこの世を去ったアイドルみたいだ。
そのやりかたでしか、与えられないものがある。
なんてダンディなさいごだろう。

FBのあちこちの投稿写真に
よく登場していたから
実際のつながりよりずっと
近しく感じてきたのだなあと思う。
この距離感のひとが
肉体を離れる。というのは
これがはじめてかもしれない。
最終奥義発動。。。ずるいなあ。という思いがわいたり。

キッチンにあがるゆらをみていて
キッチンにあがるレオさまを
うん、シンクが好きなんだよね〜
あそこで水のんだりしてる
ってなんでもないように言っていた
それを思い出した翌日か翌々日の訃報

そうね、いままでのやりかたじゃ
間に合わないんだよね。
最終奥義を出してくるくらいに
追い込みがかかっている

置き土産、消化しながらいくよ。
まずは、呼吸をととのえる。

岡田さんが外野にいるのだ。
あの笑顔で、内野を向いて。
みえるもの、みえないもの、みんなですすむ。
いままでもそうだった。
これからは、もっとずっと、一体となる。
それでこそやれることを、やっていく

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