« 2017年9月 | トップページ

2017年10月の記事

満腹感と充実感

最近きがついたこと。

本当に空腹が満たされていると
お酒をあんまり飲まない。
飲もうと思わない。

本当に満たされるというのは
ちゃんと食べたいと感じたものを
しっかり食べるということで

わたしの場合たとえば
コンビニ弁当は3つ食べても
ダメだろうと思う。
腹はいっぱいになるとしても。


食べる質や量や時間と
太る太らないは無関係
というのが持論になって数年たつけれども

それは、身体にきいて
食べたいものを食べたい量たべるのが
条件だと思っている。

新発売だからとか、
高級品だからとか、
勿体ないからとか、
大食いキャラとしてとかで食べてたら

つまり動機に恐れが含まれていたら、
望まない結果がやってくる。


お酒いらないなあって気分になる
満腹感に至る質・量というのは
わたしのこれまでの感じよりちょっと多い。

何度かそんな質・量を食べてみたら
「こんな風に食べてたら太るかも」って恐れが出てきた。
まだあったんだこの恐れ!

朝はだいたい食べないし、
昼夜も7~8分目くらいが、
軽くいられてちょうどいい。
もう何年もそうしてきたけれど
いつのまにか
「そうすべき」「それが正しい」って
アタマ主導の基準になっていたようだ。


食欲の秋は冷えのなれの果て、
ねじれた身体によるねじれた欲求で、
さらにねじれてしまう。というのが整体的な見解。

はてわたしのこの「満腹感」は
どう扱っていったものか。
満腹になりたいわけじゃない、とアタマは言うけれど、
ただしく満腹じゃないのを酒で誤魔化してるんだったら?

満腹以外で酒いらずなことも、時々あるから
ただしい満腹感はおそらく
食べ物でしか得られないわけではなくて
充実感とも言い換えられるかもしれない。

欲しいモノを欲しいだけじぶんに与えた自負
心も体もちゃんと動いて
ちょうどよくくたびれている
十全にやった!という感じ。

それをどうやって得ていくか。

伝えること教えることへの躊躇

もう何度目だろう?
またもや
バーズファシになろうか
考えている。

ここまでくると
逆に
なんでやらないのか
ふしぎである。

まあ、いまさら、とか
需要ない、とか
募集するのめんどくさい、とか
そのあたりが
わかりやすい理由として出てくるのだが

あいかわらずバーズが好きだし

先日、内観と瞑想と愉氣にまみれて
暮らしている男性が受けてくれて
彼をもってしても
嫌な感じはなかった。
ということなので
またひとつ、バーズへの安心感が深まった。

バーズをやり始めてからの
じぶんの変化を振り返っても

繰り返し、受けるなり、やるなりするのが
やはり、効果をあげているのだろうと思うし

それならば、じぶんで誰かにやるのが
いちばん早くて確実で安上がりで

とにかく受講をオススメしてきたけれど
誰に教わっても同じということでもないのは
じぶんでもよくわかっている。

伝えたいのは
おうちのひとにするための
そしてセルフケアとしてのバーズであり

そしておそらく
ほんとうにかたりたいのは
信頼について、なのだ。

わたしがバーズについて語るならば
どうしたってそれに触れるだろう。


あなたには●●が付いてるんだよ
●●としてここに居るんだよ
思い出して
だから大丈夫
好きにやっていいんだよ


●●は
かみさまだったり
宇宙だったり
たぶんひとによって言い方は違う

とにかく
なににつけても
わたしが言いたいのは
いつだってそれだけで

バーズについて語れば語るほど
そういう話になるのは間違いない。

というか
その切り口として
バーズはちょうどいいのだ。

バーズをつかって
わたしが伝えたいこと
思い出してほしいこと
確信してほしいこと
いっしょに、確信していてほしい
確信への道を歩んでほしい

10人のうち一人でも
そんな人がいてほしい

わたしが恐れているのは
それが叶わないかもしれないこと
あるいは
それでまた絶望すること
あるいは

じぶんが盲目的になっていくこと

うぬぼれ
酔いしれ
ひとり、みちを踏み外すこと

それに、気が付けないこと

そうした展開が頭をよぎるから
バーズファシは躊躇しているように思う。

パソコン講師のときは
なんの躊躇もなかった

あれはただ使い方を教えるだけで
人生観に触れることはほとんどない。

バーズファシだって
ツールの使い方を伝えるというところでは
同じなのだけれど

けれど。


社会復帰

「社会復帰」を願ってから
いわゆる「仕事」が
増えたわけでも
どこかに応募したわけでもないが
(検討はしている)

平日昼間の電車に乗って
サラリーマンが目についたり

連休中日のレジャー施設で
混雑とウキウキを味わったり

目線はだいぶ
社会に向いているようだ

いまの日本社会を支えている
平日と休日がくっきりしたスタイル

近年の我が家では
その違いがずいぶんぼやけていて

曜日感覚もないし
混雑と行列は
避けるものとなって久しく

休日らしさを演出しないと
休日っぽくないという
本末転倒ぷり。

非日常も
続けば
ただの日常

すっかり下火のバーズ(R)

アクセスバーズ(R)
ふと周りを見渡せば
すっかり下火になっていて
そこへ突如躍り出たSS健康法もあり
もうなんだか前時代の遺物みたいに
なっているかんじも受ける
けれども
相変わらずわたしは
バーズが気に入っている。
オリジナルお手当の
ヘッドタッチチューニングでも
似たことはできるのだが
やはりそれとこれとは別物であり
それぞれの良さがあり
相性もあるだろう。
なにが、とか
どうして、とか
文章化するのは
かつて試みて
ブログ記事もあげていて
しかしきりがないので
無料ガイダンスを始めたが
需要があるのかどうかは
よくわからない。
メンテナンススペースとして
看板を掲げてはみたけれども
これまでの利用者は数えるほどで
副業だからそれでいいとはいえ
そもそも本業にするほどの情熱はなく
かといってやめる理由もなく
わたしのバーズは受けたい とか
いつか受けたいと思っていた とか
言ってくれるひともいるので
ひっそり看板を出し続けていれば
それでいいのかもしれないし
どこかで奮起する可能性も
ないとはいえない。
バーズを習得したひとは
家族や友人に施術してそれきりか
あるいはメインのツールに並べる
ひとつとしているか
バーズファシリテーターになり
さらにアクセスコンシャスネスの
他のクラスにどんどん参加するかで
バーズしかやらないという人は
あまり見かけない。
しかしわたし個人的には
バーズのテキストに書いてあるとおり
アクセスコンシャスネスの
最初にして最大のことが
バーズには詰まっていることが
よく分かる(と感じる)ので
そしてそれは
とても本質的であり
つまり適応範囲のひろいものなので
バーズで十分だと思っている。
バーズを教えてほしいという声も
時折もらうが
講座のあの手軽さだとか
説明の曖昧さだとかに
不完全燃焼感を抱くことが
手に取るように分かるので
踏み出さずにいる。
もちろんその広め方にも良さもあって
一度は受けると良いとするならば
簡単な講座は最適だし
エネルギーワークに縁遠い
「一般人」である家族や友人を
巻き込める可能性も大きい。
バーズというツールの良さも
バーズをたくさんするうちに
いつか分かるかもしれない。
しかしわたしがバーズを語る以上
そんなことでとどめたくはないので
つまるところ
バーズファシの適性がないのだと思う。

モチベーション

外因でも
内因でもない
モチベーション

これを、探している。

それは、もしかすると
ふるくてあたらしいものかもしれない。

一見とても現世的で
俗っぽいものかもしれない。

« 2017年9月 | トップページ

カテゴリー

無料ブログはココログ

占い by いとうより