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2018年4月の記事

願いの具現化

現実が変化する。
願いが形になる。

というのは

エネルギーが先に変化して
仕上がったことの結果。

ふとそれが体感としてわかった。

引っ越しは来月だけれど
エネルギーの引っ越しは
昨日おわったみたいだ。

ご近所になる友人とランチして
駅から物件に歩いてみたこと
引っ越し日を決めたこと

あとは、現実を合わせていく作業。

安心できないのは

母や
女性や
他人と一緒にいて
めったに安心できないのは

じぶんの身を案じているというよりも
まもらなくては。という意識からのようだ

有事に備えている、らしい。

それはつまり
相手をじぶんよりもちいさく見ていて
相手の力を信頼していないということでもある

それが良い悪いではなく
ただ、それがわたしのデフォルトなのだ

そして、それは変えられるのだ


追記:

仮に相手がちいさいとしても

自分でまもるのでなく
宇宙にまかせるのもアリなのだな

ひとりで完結させない。抱え込まないこと。

ひとでも場所でも

生後二ヶ月から
42年暮らした町を
離れるとなったら

案の定
きもちが不安定になり
なにかといっては泣いている

嫌いだから
イヤだから
離れるわけじゃない

感謝と好意が押し寄せる

ぜんぶだいすきだったし
だいすきになろうとしてきたし
結果だいすきになったし

そんな自分を誇りに思う
だけど、だから、離れるんだ

かつて
仲良くしていた人と
距離をおいたときも
いつも、こんな感じだった

対象が
人でも
土地でも
変わらないあたり
じつに、わたしらしいなあ
などと思う

そして、こんな感傷も
すべて過ぎていくのだ

ゆるしてくれるすべてに感謝を。

渇望するからこそ

前記事で書いたように
わたしは他者、とくに女性に対して
安心することが苦手だ

しかし、わたしに対して
安心感を抱いてくれるひとは多いように思う

バーズやチューニングをするにあたり
それはとっても大切なことで、ありがたい

傷のあるところこそが
そのひとの才能
キロンを癒すと最大の武器になる
たしかそのようなことを以前どこかで読んだ

実際に、そうなのかもしれない。

安心感を渇望してきたからこそ
なにが安心につながるのか?
分かるのかもしれない

そしてじぶんが渇望してきたからこそ
他者にそれを感じてほしいと願うのだ

引っ越しセラピー

引っ越し先が決まった。

必要条件の優先順位を変えながら
二転三転してきた4か月

友人の助けを借りてたどりついた
最後の手段は
「オットの暮らしの変化や負担を小さくする」
この条件を外すこと。

そうしたら、あっという間に決まった。

かってに、ほとんど無意識に
最優先事項に織り込んでいたこの条件には
じつは副作用があり
わたしの実家との
距離やアクセスを保つのだった。

これを外して
物件がさくっと決まったはいいが
実家との行き来は
ずいぶんとめんどくさいことになった。

直線距離はそう遠くないのに
電車でも車でも
遠回りしないと行けない。


今朝も母がおすそ分けをあれこれ
持ってきてくれた。チャリで颯爽と。
引っ越したらもうそんなことはなくなる。

結婚して家を出ても
ずっと近所だったから
18年続いてきた関係性。

かつては介入にも思えた
母からのサポートも
近年ではずいぶん良い距離感になってた。

ありがたかったなあ。
これからわたしは母の偉大さを
もっと、思い知るのだろう。

母を支えたようなつもりに
すぐ、なるけれど
本当は力をもらってるのは
いつだってこちらだ。


今回の引っ越しは、
わたしとオットそれぞれの、
キロンの癒しにつながっているのだろう。

6室牡羊座のキロン。
オットも牡羊座で4室。

自立すること、一人前になること。
自分であること。
自分のホームにまつわること。

参考: キロンがサインを変えます


このタイミングで
バーズのブラックアウトを体験できたのは、
この部分の癒しが進んだこともきっと大きい。

他者、とくに女性への、信頼と安心感。

母との関係性に葛藤があるのは
月、火星、海王星のアスペクトに出ている通り。

わたしが母に対して安心感を抱きにくいのは、
あくまでもわたしの側のナニカによるものであり、
母のキャラクターに依るものではない。

そしてもちろん、わたしの側のナニカというのも、
責めるべきものでも否定するべきものでもない。

このことが腑に落ちてからが本番。

そして、今回の引っ越しを通じて
実際に行動に落とし込むことになった。


お互いの要求を出し合い
それらを満たす物件は
ちっとも見つからず

二転三転するなかで
それでも共に暮らしていけるのか?
いっそ別居がいいのではないか?
何度もそんな話になった。
苛立ちもつのった。

行き詰った最後の最後に
オットがだした案はふたつ

「2年はキミが決めた家に一緒に住む。
絵描き部屋さえあれば
どんな場所になっても文句は言わない」

「じぶんはここに残って
キミと猫だけどこかに引っ越す。」

そうしてようやくわたしは
オットの都合を無視する権利を
じぶんに与えることができた。(感謝!)


他者に譲歩しないこと
他者の都合を配慮しないこと

安心がなければ
ほんとうの願いや望みを
他者に伝えることはできない。

伝えることはおろか
じぶんの意識にあがることすら無い。

自室が欲しいということも
物件探し3か月目でやっと出てきて
自分としては最大級のワガママが言えたように感じていたが
まだまだ、高望みをする自分が底にいるらしい。

この先はきっとリハビリなのだろう。

なにやら転地療法のように思えてきた・・・

感情に執着する理由

小学校を卒業する3月頃だったか
自室で光GENJIのGraduationを聞きながら
いっしょうけんめい泣いたことを覚えている

卒業が控えているのだから
悲しいはずなのだから
泣くべきだろうと
あれこれ思い浮かべては
悲しさをつくりだし
泣いたのだった

まるで演技の練習である
しかしわたしにとっては
人間修行のような感覚だった

感情的であること
不快感情があること
それが、人間らしさであり
他人とうまくやっていくために
ふつうであるために
大事なのだと思っていたようだ


ここは悲しむべき場面だとか
怒るべき展開だとか
そうした判断をもって
感情を作りだすことは
だれしも無意識にやっているかもしれない

また、感情が生じたときに
それをあえて増幅させ
持続させようとすることもある


感情に執着するのはなぜだろう?

感情にかまけることで
感情を言い訳にして
なにを避けているだろう?

それはほんとうに
感情を理由にしないと
できないことなのだろうか

感情から観念を見つける

不快感情が生じることに是非はない
それをどう扱うのかが大事

他人のせいで
不快感情が生じたのだと
他人にぶつけたり

不快感情にとらわれて
薪をくべ続けたりするのは
マイナスをゼロにしようとする行動でしかない

感情が生じるというのは
なにか摩擦があったということで
つまりそこには「観念」がある

どんな感情が
どんな場面で生じたかを
観察することで
じぶんのもつ観念を知ることができる

観念がわかれば
それを持ち続けるのか
手放すのか
書き換えるのか
選ぶことができる

より生きやすく
たのしく生きるための
セルフメンテナンスであり
アップデート作業である

不快感情の扱い

不安
嫉妬
恐れ
憂鬱
恨み
劣等感

そうした不快な感情が出てきたときは
そこに薪をくべないことが大切

あの時もそうだったとか
あれも気になるとか
芋づる式で探しに行かない
そんなことに思考を使わない

感情はエネルギーなので
意識(思考)というエネルギーを加えると
さらに増大してしまう

不快感情が出てきたら
「気づく」のが第一段階
それだけでも、感情とじぶんのあいだに距離ができる

感情に巻き込まれていては苦しいばかり
あまりに渦が大きく強い場合には
すぐには難しいとしても
とにかく水面から顔をだして、息を吸う
寝てしまうのもいい

不快感情があることを認め
ただ、そのままにしておく
やたらにイジらない
ある。ということを認識したらそれで十分

ほかのことに意識を向けているうちに
いくらか沈静化する
そのまま消える場合もあるし
正体がみえることもある

むやみやたらと消そうとしないこと
感情を抱えるじぶんを否定しないこと
ただ、そのまま一緒にいればいい

応用的に早める方法はあるが
基本は同じことである

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