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2018年9月の記事

廃品回収/正しさ、賢さへの執着

今日の廃品回収に
ついに古着をだせた。

夏の間だしそびれていて
今日だって直前になって

これはやっぱり
リサイクルショップに持っていくべきなのでは
こっちは、あの団体に寄付するべきなのでは
これは綿100だから
細かく切って台所用ウェスにすべきでは

などと往生際悪く迷ってるうちに
トラックがきてしまったので
いちどあきらめたのだが
積み込みに時間がかかっているのをみて
あわてて、くくって、持って行ったのだった


10年前に比べたら
ずいぶん迷うことが減って
決断が早くなったと自負しているが
捨てるのはやっぱりいまもつまづく

地球のために
社会のために
資源を大事に
ものは大切に
有効活用する
使えるだけ使う
活かしてあげる

この観念は根深く、手強く、
なんでもかんでも普通ゴミとして
あっさり捨ててしまえるひとは
さぞかし軽やかだろうと思う

いま住むエリアは普通ゴミが有料なので
ゴミとして出す物は減らしたいと思っている
これもまた、ひとつの観念


物がわるくなければ
フリマアプリに出せば
小銭にはなるかもしれない
などとも思うが
手間と天秤にかけると
メリットはないので
この選択肢はだいぶ前に捨てた
(けれど、毎回、浮上はしてくる)


今回は、普通ゴミを減らしたい
節約魔の言い分も取り入れて
着古したものは廃品回収に

靴(新品同様、回収対象外)は
リサイクルショップに
ついでに劣化していない服数点も

勢いで買った、流行とは型のちがう
しかし物はよいロングコートや
好みの布地のアジアンワンピ類は
もうしばらく手元に置いておくことにした


なんでもかんでも
潔くぱっぱと決められたら。
そう憧れもするが
ああでもないこうでもないと
迷うのがわたしの趣味でもあるし
物持ちの良さも、気に入っているので
このあたりが妥当なのかもしれない

なんにせよ、懸念(古着)を片付けられてよかった!

夢メモ

明け方、猫のエサコールで起きてから
また1時間ほど寝た時に見ていた夢

母と妹と私で作文の授業に参加している
母は妹につきっきりで
私はちいさな郷土菓子を並べたり積んだり
授業そっちのけで遊んでいて
講師に怒られるが、理不尽だと思う
作文の準備にそんなに時間をかけなくたって
書こうとおもえばすぐに書けるのだ
あとでいくらでも追いつく
かったるい下準備になど付き合いたくない
そんなような感じだった
そうこうするうちに妹が体調を崩し
ちかくのスパへ療養しに行くという
いちど家(実際の家とは違う)に戻り
支度をして、出かけていく
母はやはり妹を心配そうにみている
父(容姿は実父とちがう)とわたしが
なぜだか、諍いになる
羽交い締めにされ
触るな気持ち悪いと叫ぶ
抜け出し、窓枠にぶらさがり、
迫ってくる父の胸のあたりを
両脚で蹴り返している

そんなような夢
体感がとてもナマナマしかった

社会の理不尽さにくたびれて
動けなくなっていた頃のことを
この数日、思い出していたから
おそらくその象徴としての、講師や父なのだろう

浅い眠りの夢に出てきたということは
当時のエナジーが浮上してきたのだろうな
夢として体験することでおそらく昇華できているだろうが
念のためクリアリングもしておいた

星読みブログをみたら
キロンがまた魚座にはいったところらしい
もう記憶も感覚もうすれるくらい
遠い過去になった痛み

あらがったり、叫ぶということは
当時のわたしには出来なかった
じぶんに言い聞かせてなだめながら
愚痴をいうのがせいぜいだった

真っ向から戦える健全さが
じぶんのうちにあってよかった

わたしはそれを知っている

誰かの語る痛み
誰かの語る葛藤
誰かの語るもどかしさ
誰かの語るくるしさ
それらを
わたしは
知っている
この身をもって
知っている

そして時に
まったく知らないこともある
それが生きるよろこび

めんどくさい病の原因と対策

なにをするのもめんどくさい
あれも気になる
これもどうにかしないと
あっちはどうなってたっけ
ああでもなにもしたくない
めんどくさいめんどくさい
ああじゃないこうじゃない考えるのだって
ほんとはめんどくさい
ああもうなにもしたくない

そんなふうだった頃があった

いまだからわかる
あの頃わたしは虚していたのだ

めんどくさい
なにも決められない
動けない
動き出せない
やるかやらないかも決められない
決めるのもめんどくさい

そんなふうだった頃のわたしは
じぶんにネガティブな意識ばかり向けていた

またさぼってる
みんなやれてるのに
そんなこともできないのか
もっとできるはず
そんなんじゃダメだ
生きてる資格ない
地球のお荷物

ひたすらじぶんをけなしていた

じぶんを褒めることも
認めることもなかった
じぶんのために
ちょっとした時間をとって
ちょっとした気力体力をつかって
ストレッチすることすら億劫に思えた
じぶんに手間ひまかけるなんて
大それたこと許されない
一人前になってからやること
そんなふうに思っていた

どんなにめんどくさくても
めんどくさいながらも
なにかはする
誰かと話したり
食材を買ったり
布団に入ったり
そうしてなにかするたびに
じぶんをけなす
やれてあたりまえ
こんなんじゃまだまだ
そんなことしかできないのか

これではエネルギーを使いっぱなしで
補充ができないどころか
みずから穴をあけているようなもの
そうして虚した状態が続き、またはさらに虚し
ますますめんどくさい病が悪化する

虚した状態とは
ハラに力のない状態
それでは決められないのも
すべてがめんどくさいのも
あたりまえなのだが
そんな状態であることを責めるばかりで
じぶんがそんなにも虚しているとは思いもしない

だって五体満足だし
風邪もひいてないし
どうみても健康だし
それなのに動けないのは
なまけているだけ
そんなふうに考えておわり

あの、虚のサイクルを抜けるに至った
直接のきっかけは覚えていない
ただ、ちょっとずつ、試していった
半信半疑のまま
じぶんを褒めてみたり
半信半疑のまま
賞賛に耳を貸してみたり
この程度のじぶんでもいい、という証拠を
ちょっとずつ、現実のなかで
いつもと違う選択をして
確かめることで、集めていった
じぶんがじぶんであることをゆるすプロセスだった

いまはもう
めんどくさい病には
めったにかからない
ちらっと片鱗がみえたら
じぶんに善い氣をむける
めんどくさがっていることや
動かないことを
じぶんに許可して
そこまでに至ったじぶんをねぎらい
褒めたり
励ましたり
それでだいたい病はきえる

終わらせること

”いつの間にかお客様ファーストとか関係者ファーストみたいなことになって、あっという間に自分の本音を見失う。やがてすべてが面倒臭くなり、やがてすべてを投げ出したくなる。その繰り返しだ。”

”初心に還れ。それでもダメなら土に還れ。”

http://ibaya.hatenablog.com/entry/2018/09/02/103348


死を、終わりを、避けようとしない人間を
御することは、難しいだろう。

終わらせることを躊躇って
ぐずぐずしていた過去を思い出す。
そして憎まれ役として現れた上司のことを。

ああそうだ
あのひとを憎むことで
わたしはやっと
未練を断ち切れたんだった。

救世主だったんだ。

そうやって
いろんなひとや出来事や状況のせいにして
たくさんの選択をしてきたことを思う。

ここから先の人生ですこしでも恩返しができればいい。

安心をつくる

安心とは
安らいだ状態
体感のひとつ

安心を得るために
不安な状態を用いる必要はなく

安心がほしければ
自分の身体のなかのどこかに
その体感、気配を探して
それにフォーカスすれば良い

そんなのは擬似的な安心だと
アタマはいうだろう

だって仕事が
だってパートナーが
だってお金が、家族が、体調が…
安心してはいけない理由を
いくらでも見つけるだろう

しかしそれらは本当のところ
安心とは関係がない

どんな状況であれ
あったかいものを飲めばほっとするし
あったかい風呂につかればゆるむ
それが身体というものだ

身体から先に
安心になればいい

状況を変えるより
ずっと早くて簡単
誰の協力もいらない
自分の範疇だ

身体が安心していたら
現実はそれについてくる

その現実とは
アタマが思う
安心な状況とは違うかもしれない

けれど、欲しいのは状況ではなく
安心した状態なのだから
かまうことはない

誰になんと言われようと
本人が安らいでいるなら
それが安心である

状況と状態は連動しない
状態はいつでも自分で作り出せる
コントロールできる

作れるだけの胆力は必要である

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