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2019年1月の記事

愚痴)求めよと言われても

願望を書き出しましょうワークが苦手。

自分の欲なんかより
宇宙の意図を映写する
透明プロジェクターでいる方が
面白い風景がみられるに違いないと思って
ひたすらクリアリングに励んできた。

しかし去年あたりからか
「あえて、求める」
ということをやれ。と
言われ続けている

誰にって、宇宙に。と言えばいいのか
宇宙お任せ上映のサービス期間が終わったというか

求めることすらも
ゆるされている

誰かや何かを救おうとする必要はない
けれども、救おうとすることもゆるされている

なんのために?
たのしむために

もっとたのしいことを求めるなら
自分から働きかけなさい という感じ

まあしかしこれが
しんどくて
なんといっても
モチベーションが足りない

安穏として
退屈で平和で
そりゃもっとたのしいといいなと
しょっちゅう思ってはいるけれど

それだけではなあ

かといって
なんだったら動けるのか

我慢と緊張の蔓延した社会を
個人ベースでじわじわ確実に
変えていくため 

なんて大義名分もふとよぎるけれど

なんかたぶんもっと
小さいやつのほうがいいんだろう

この坂をのぼりきれば山頂
くらいの
シンプルなやつ

このまんま
なにもせずに
老いさらばえる自由も、ある

特段なにか働きかけることも
育てることもせずに
日々、青空と夕焼けと月を眺める暮らし。

それでもいい
生かされている
カスミを食べるでもなく
人間として暮らせている

退屈で持て余すあまり死を望みたくなったら
山でも歩けばいいわけで

そんなに難しくシリアスにならずとも
安穏としていればいい
罪悪感に駆られる謂れもない

毎日でもやりたいような
何としても死守したいような
好きなことは、特にないし
(強いてあげるなら飲酒か・・・)

できることを仕事にする
モチベーションも、特にないし

自分の能力、ポテンシャルを
発揮する場面を求めてはいるけれど
自分で舞台をしつらえるのは趣味じゃない

こんな自分を
あきらめて
許容して
飼い慣らすしかないのだ
少なくとも現段階では


以上、愚痴である。

愚痴は、変わらないもの
(相手、環境、待遇…)への文句。
どんなに不平不満を
よそに漏らしたところで
それらは変わらない。
そもそも自分以外のものを「変える」ことは難儀。
ならば、自分自身の受け取り方や
態度、立ち位置を変えるのが良策。

と、昨日の自分がツイートしているけれども

つまりあれだ
変わりたいけど変わりたくない
動きたいけど動きたくない
ということなんだろう。

呑気に愚痴っていられる境遇
愚痴は、平和の象徴なのかもしれない。

ワンオペ育児と社会の歪み

子供のいない既婚者であるわたしが
ワンオペ育児を起点につらつら考えた。

以下、昨日のツイートから

ワンオペ育児ってものすごい緊張続きで、
疲労が溜まるよなあ。無自覚に。
息抜く間もなく、寝ている間すらも、ずーっと続く。

ワンオペの孤独とプレッシャーって数値化したらすごそう…
共働きの方がその意味での緊張は少ないよね。
家にいる側だけに偏らないというか。
仕事での緊張があっても、お互い様で分かち合いやすい。
時間的ゆとりはないかもしれないけど金銭的ゆとりはいくらか増えるし。

そのプレッシャーだとか、
分かち合えない苦しさだとかは、
もっと気にかけられてしかるべきでは。周りも、本人も。

そもそも男性は、女性の抱えてるプレッシャーを理解しづらい。
生物の特性として女性は非力で、
生存を脅かされやすいという前提。
それなのにさらに弱い子供を
ひとりで守り育てるとか。無理ゲーでしょ…

サラリーマンと専業主婦の組み合わせで
育ったひとの多い自分たち世代の、
結婚率や出生率が少ないのは、
親を反面教師にしてるからだよなあ

なんだってこんなことが
まかり通ってきたかといえば
経済発展のためで、
おそらく敗戦の影響で。

しかしどっかで軌道修正しないとね。
それぞれの家庭から、小さくたしかに。
だれかの犠牲なしにまわらない社会なら、止まればいい。
社会のために人がいるんじゃない。人のための社会。

紅白がおもしろかった

紅白歌合戦
例年、飲み食いしながら見て
後半は寝ていることが多いが

目が覚めたタイミングで観た
MISIAがすごかったのと
桑田さんとユーミンの絡みが
実に、実に、かっこよくて

ちょっと情報をさらってみると
米津さんもなんだか評判が良さげで
一番オイシイところを見逃した感がすごかったので
録画を観てみた。前半も見直した。

とてもよかった。

いつも演出の細部が気になっても
流すしかなかったのだけれど
録画なら戻せる。これはいい。

そして今回の紅白はおそらく総合的に
とてもよかったのだとも思う。

なにが違うのか思い巡らしたところ
「紅白に出してやってる感」が影をひそめ
「出演者スタッフみんなで、視聴者をたのしませる」
そんな姿勢が感じられるような。

本来あたりまえで
まっとうにも思える姿勢だけれど
昨今のテレビ界、特にバラエティでは
すっかり歪んでしまっていて
制作側(スポンサー含む)の都合が
あからさまに優先されていたり
視聴者を見下しながらたのしませているようだったり

紅白がなぜそうなったか。
オットの見立てを借りると
うっちゃんを総合司会に採用したのは大きい気がする。
演出に絡むことを条件に引き受けたとしか思えない。

そもそも彼がNHKで冠番組を持っている事も
かつての印象からすれば
けっこう異色なことのような

香川さんの昆虫番組とか
筋肉体操、おげんさん
少し遡ればサラリーマンNEOとか
近年のNHKには
チャレンジ、遊び心があるような

視聴率のテコ入れで
苦肉の策だったのかもしれないけれど
それらが功を奏して
紅白に結実したのかもしれない

米津さんが直前で、中継でなら。と
出演OKしたことだとか

何より、北島さんの表情
ユーミンの乗り気っぷり

そりゃプロだから当然だし
見事なステージングで
ほんとすごかったんだけど
ほんとたのしそうで
とことんたのしませようとしていた

それを引き出すだけの受け皿が
NHK側にあったのではなかろうか

そういう姿勢、器、気持ちの部分は
どんなにカモフラージュしても伝わるものだ。
相手が一流アーティストならなおさら。

平成最後だから。というのが
きっかけであり
追い風だっただろうか

いいものを作ろう。
シンプルなその姿勢が
制作側と出演者の掛け算をもたらした
そんな風に思える。

カメラワークがグダグダなところがあったり
司会が言えてなかったり
審査員紹介が省かれたり?
アラもあるにはあったけれども

幅広い年代に向けて
いま話題のカルチャー
アーティストをはじめ
ダンサーやマジシャン
アニメやゲームまで含めて
満遍なく(無理矢理にでもw)
盛り込んで、1年の総集編に、
そして平成の総まとめから
来年以降への架け橋を目指してた。

よいもの観たな。と素直に思う。
ありがとうございました!


‪追記。
キーを下げるのは賛成派です。
曲の持ち味と、歌声の持ち味が
最大限にでる音程は、
変わらざるを得ないと思う。‬

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